仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
ビートは毎朝、この部屋に来る。
冷却系が低く唸り、数字は低いところで動かない。FWC4の眠りは、あの晩からずっと同じ深さにある。
特に用事は無い。数字は結城が読むものだ。この部屋にビートの仕事は一つも無い。それでも足は毎朝ここへ来て、しばらく立ってから出ていく。敷居で一度止まっていた足は、いつからか、止まらなくなっていた。
ガラスの下の顔は、よく眠っているように見える。
止まっているのではない。一番低い火が、一つだけ残してある。息と呼べるかどうかの間隔で、それでも確かに、続いている。襟足の下の三つ目は、白く曇ったままのはずだ。見える位置には無い。無くても、ビートは知っている。
外では季節が一つ回った。山の雪が解け、飯の匂いが変わり、ビートの残りはその分だけ減った。この箱の中だけは減らない。減らないように眠っている。
フォウの手は、胸の上で軽く閉じている。
何かを握った形のまま、開かれずにいる。誰も開かせなかったのか、開く手順が無いだけなのか。ビートはそれを毎朝見て、毎朝何も訊かずに出ていく。
***
結城の作業台に、新しい線が増え始めていた。
引かれては消され、消された跡の上にまた引かれる。まだ形になっていない線だ。何の線かは、訊くまでもなかった。潰れた口の、代わり。
ビートは山の脇から、しばらくそれを見ていた。それから言った。
「開けて見るか」
結城の手が、止まる。
「俺の口は、まだ生きてる。図面だけでやるより、動いてるやつを開けて測る方が早いだろ」
返事は無かったが、ビートは話を続ける。
「フォウを起こすんだろう。なら、一番早い」
結城が手の中の物を置いた。振り向いた顔は、数字を報せる時の顔ではない。
「もう誰も犠牲にはしない。それは君も含めてだ、ビート」
「犠牲ってほどのもんじゃない。開けて、測って、閉じる。多少縮んだところで――」
「ビート」
遮る声は鋭くなかった。咎めるような響きもない。ただ、固い意思があった。
「君の体で確かめれば、確かに早い。……でもその速さで作った物を、俺はあの子に入れない」
それきり結城は台へ向き直った。線の続きは引かれない。手は図面の上で止まったまま、動き出さなかった。
ビートは言い返す言葉を探した。見つからなかった。差し出せる物は、この体しか無い。それを断られたら、後ろにはもう何も並んでいない。
断られた手が、行き場を無くしてぶら下がっていた。
ビートは部屋を出る。扉が閉まるまで、線の音は戻らなかった。
部屋を出た足は外へ向かなかった。
廊下を少し戻る。冷却室の戸は閉まっている。朝にも来た部屋だ。用事は無い。数字を読むのは結城で、冷却系を見るのも結城で、ビートがそこに立つ理由は、今日もどこにも無い。
戸を開けると、低い唸りが返ってきた。
カプセルの中で、フォウは眠っている。朝と同じ深さだった。数字は動かない。動かないように、眠らされている。外で何が一つ断られても、この箱の中の低い火だけは変わらない。
ビートはガラスの傍に立った。
フォウの手をもう一度見る。
宙で止まっていた一文字の手へ落ちて、閉じた手。その形のまま、今は何も握っていない。
ビートは、自分の右手を見た。
さっき差し出した手だ。開けて測れと言った手。断られた手。どこにもいけない手。
カプセルに触れようとして、止まる。
触れたところで、何かが渡るわけではない。熱も、残りも、言葉も。こちらから渡せるものは、さっき断られた。体も、時間も、縮む分も、全部だ。
なら何が残るのか。
ビートにはその答えが出せなかった。
ここに立っていれば、番の形にはなる。朝来て、昼も来て、夜にも来る。数字の代わりに霜を見て、息の代わりに唸りを聞く。そうしていれば、何かをしているようには見える。
だが、フォウは番を頼んでいない。
本郷も、一文字も、風見も、結城も、そんな命令は出していない。
命令が無いなら、ここに立ち続ける理由も無い。理由が無くても立つことはできる。できるが、それはたぶん、フォウの待機とは違う。箱の中で止められているものと外でまだ減っていくものを、同じ場所へ置くことはできない。
フォウが目を覚ました時のことを、ビートは考えた。
起こす手順は無い。いつかも分からない。そもそも起きるのかも分からない。それでも、もしも目を開けた時、ここに立っていたとしたら。
何を言う。
毎朝来ていた、とでも言うのか。霜は増えなかった、数字は動かなかった、俺の残りは減った。そんなものは報告にもならない。聞かされる側も困るだろう。あの無表情のまま、処理不能の棚を開けて閉じるだけだ。
ビートの口の端が、少しだけ動いた。
「……それは、つまらないな」
声は冷却系の唸りに紛れて、小さく消えた。
フォウの手は、開かない。
ビートはカプセルに触れなかった。何も置かず、何も持ち出さず、ただ一歩下がる。
戸を閉める前に、もう一度だけカプセルを見る。
待っているものが、ここにある。——なら、待たないものは外へ行けばいい。
ビートは部屋を出た。
***
外は、風が乾いていた。
風見が荷を作っている。山を下りる支度だ。縄の掛け方に迷いが無い。締めて、返して、留める。手が仕事を覚えている者の速さだった。
ビートは風見に近付いた。
用は無い。伝える物も、訊く事も無い。足が勝手に距離を詰めて、荷の脇で止まる。理由は、ビートにも読めなかった。他人の中の物なら、いくらでも読めた。自分の中に読めない物がある――それがいつ以来か、思い出せない。
風見が手を止めて、ビートを見た。
何も訊かなかった。訊く代わりに片手が伸びて、くしゃりと、頭を撫でた。
「ビート」
それだけだった。
命令は続かない。用件も来ない。名前の後ろに、何も置かれない。そういう呼ばれ方の始末を、ビートは持っていなかった。呼ばれたなら、次に用が来る。来ない。名前だけが宙に残って、どこへも仕舞われずにいる。
仕舞わないままでいいのだと、それだけが分かった。
風見はもう荷に戻っている。縄の締まる音がする。撫でられた頭に、手の重さだけが残っていた。
***
別の日の朝、ビートは結城に訊いた。
「下で要る物は」
結城は顔を上げ、少しの間ビートを見た。それから紙に書いた。部品の名が三つ。薬品が一つ。少し考えて、米、と足した。
「頼む」
それだけだった。以前した話はどちらも蒸し返さない。断られた道の隣に、細い道が一本通った。それだけのことだ。
冷却室の戸の前を通る。
足は止めなかった。中の数字は動かない。眠りは、減らない。減るのは、歩く方だけでいい。
フォウは眠っている。だから、自分が行く。
外では風見が待っていた。
先に立って歩き出す。その歩幅は、ビートに合わせられていない。ビートは自分の歩幅で、半歩後ろを歩く。置いていかれることはなかった。
道は下りだ。
山の雪はもう残っていない。溶けた水が道端の溝を細く流れて、石の下で時々音を変えた。風は乾いている。冷却室の低い唸りとは違う、どこにも留まらない音だった。
ポケットの中で、畳んだ紙が揺れる。
部品の名が三つ。薬品が一つ。米。
部品と薬品は分かる。用途がある。線の中へ入る。結城の作業台へ戻れば、それぞれ置かれる場所がある。だが米だけは、紙の上で少し浮いていた。装置には入らない。線にも、図面にも、冷却系にも繋がらない。
それでも結城は、最後にそれを書いた。
町は、思っていたより音が多かった。
自転車のベル。戸を引く音。人の足音はばらばらで、誰も同じ速度では歩かない。戦場の移動ではない。撤収でも、行軍でもない。ただ、朝の用がそれぞれ別にあって、そのために通りを動いている。
ビートはそれをしばらく聞いた。
「どうした」
風見が振り返る。
「いや」
答えを出してから、ビートは少し遅れて続けた。
「うるさいな」
「そうかもな」
風見はそれだけ言って、また歩いた。
最初の店は、部品を扱う古い店だった。奥に細い箱が積まれ、棚にはネジと留め具と、用途の分からない小さな金属片が種類ごとに並んでいる。ビートは紙を差し出した。
店の男は紙を覗き、風見を見て、それからビートを見た。
「お使いかい」
ビートは答えなかった。
答えなくても、男は気にしなかった。箱を三つ開け、同じように見える部品をそこから選び出す。一つずつ紙の上に置いて、指で数を確かめた。
「これで合ってる。落とすなよ」
小さな紙袋が渡される。
落とすような重さではない。だがビートは、落とさないように握った。そうする必要がある物として、手の中に置いた。
次の店では、薬品の瓶が布に包まれた。
割れる、と言われた。割れれば使えない。だから袋の底に入れるな、とも言われた。ビートは頷いた。風見は何も言わず、店の外で待っていた。
最後に、米だった。
袋は、部品よりずっと大きかった。薬品よりも単純で、ただ重い。渡された時、ビートは一瞬だけ腕の中でそれを測った。
運べる。
その判断はすぐに出た。だが、何のための重さなのかは、少し遅れて来た。
誰かが食うための重さだ。
機械に入れる物ではない。端子に繋ぐ物でもない。燃料とも違う。今日を生きる食事になる。それだけのものが、両腕の中にあった。
「持つぞ」
風見が手を出した。
「俺が持つ」
短く答えると、風見はそれ以上何も言わなかった。
帰り道、米の袋が歩くたびに少しずつずれた。薬品の包みは上に置いた。部品の紙袋は胸と米の間に挟んだ。落とせない物が増えると、歩き方が変わる。急ぐには向かない。跳ぶにも向かない。戦うには邪魔だ。
それでも、ビートはそれを大事に抱えて歩いた。
道端の店先に、赤い紙で作られた風車が並んでいた。小さな子どもが一つを吹いて回している。風が無くても回るらしい。吹けば回る。止まれば止まる。単純な仕組みだ。
ビートは足を止めた。風車が息を受けて軽く鳴る。
「欲しいのか」
風見が訊いた。
「いらない」
答えはすぐ出た。
持って帰っても、冷却室では回らない。箱の中に風は無い。フォウは吹かない。霜の縁に置けば、ただ湿って潰れるだけだ。
けれど、音は残った。
赤い紙が回る音。子どもの息。店の女が笑う声。風でなくても回るものがある、ということ。
それくらいなら、持って帰れる。
ポケットの紙が、またカサリと小さく鳴った。部品、薬品、米。書かれていない物が、一つ増えた。紙には書かれない。結城の台にも置けない。だが起きた時に話すこととしてなら、どこかに仕舞えるかもしれない。
山道へ戻る頃には、町の音は背中の方へ遠くなっていた。
風見は前を歩いている。相変わらず、歩幅は合わせていない。ビートは米を抱え直し、自分の速度でついていく。息が少し上がった。残りが減る。減った分は、戻らない。
それでよかった。
減るものが、今日、どこかへ運ばれている。
冷却室の中で、フォウは待っている。減らないように、眠っている。
なら、減る方が外を歩けばいい。
ビートは顔を上げた。
坂を登りきった先の、拠点の戸が開いている。一文字が立っていた。
何も言わずに歩み寄って、ビートの腕から米袋を抜き取った。重さを確かめるように、一度だけ持ち直す。蓋の下で煮えるものが消えたわけではない。ビートには、まだそれが見えている。ただ、手が先に動き始めていた。
「……炊くか」
それだけだった。米袋を肩に載せて、一文字は中へ戻っていく。
部品と薬品は、結城の台へ。飯の匂いが、今夜は拠点に満ちる。風車の話は、まだ誰にも言わない。起きた時に話すことのひとつとして、どこかへ仕舞っておく。
短い余生の、最初のお使いだった。
本編完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
昭和ライダーの四人と、帰れない子どもたちを書きたくて始めた物語でした。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。