仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
夜を歩く不審な影が増えている。そんな噂を調べるためにはじめた夜回りの帰りに、風見志郎はそれを見つけた。
街外れの、資材置き場の陰。段ボールと古い毛布の間に小さな輪郭が一つ収まっている。子どもだ。行き倒れか、家出か。どちらにしても幼すぎる。風見は足音を殺さずに近づいた。音を殺せば起きたときに警戒させる。
顔色を見ようと屈み、肩に触れた。
皮膚が先に読んだ。
布越しの硬さは、子どもの体のものではない。骨があるべき場所に骨でないものが通っている。何十と斬り結んできた感触の、ずっと静かな親戚だった。
子どもの目が、ゆっくりと開く。
寝ぼけている様子はない。開いた瞬間から、こちらを測っている。悲鳴も、身じろぎもなかった。逃げるか、抗うか、従うか――値踏みの順番だけが青い目の奥で進んでいく。光のない目だ。まるで、救いがないことを悟っているような。
風見はしばらく手を離さずにいた。離せば計算の材料を一つ増やすだけだ。
「具合が悪いのか」
「悪くない」
掠れた声だった。子どもの声の掠れ方ではない。長く使った道具の音だ。
「眠っていただけだ。減らさないように」
減らさないように。風見はその言い方をそのまま受け取り、聞き返さなかった。問いはあとでいい。
「屋根のある場所がある」
それだけ言って立ち上がる。子どもはしばらく風見を見上げていた。それから計算の終わった顔で毛布を畳んだ。畳み方は行儀ではなく、決まった手順をなぞっているようだった。
風見は自分の歩幅で歩いていく。合わせなかった。合わせれば、この子どもは恐らく合わせられたことまで計算に入れる。半歩後ろで、小さな足音が遅れずについてきた。
***
結城は、何も訊かなかった。
戸を開け、風見の半歩後ろの輪郭を見て、それから湯を沸かし始めた。訊く前に体が動く男だった。
「何か食べるかい」
結城が言うと、子どもは少し考えこむ。断る計算と、受ける計算を並べる間だった。
「食えるものなら」
「何がいい?」
「病人の食うようなものがいい」
妙な注文だった。子どもというのは、揚げものや甘いものを欲しがる。だが結城は笑わなかった。頷いて米を用意し始める。風見にも少し遅れて分かった。この子どもは、自分の体に何を入れていいかを知っている。世話をされることには慣れていないようなのに、世話のされ方だけを正確に知っていた。
粥ができるまでの間に、名前を訊いた。
「BTG2」
子どもは記号を記号のまま答えた。一音も崩さず、正確に。それが名前だ、という顔だった。風見は頷いた。訂正して届く種類のものでないことは、声の平坦さで分かった。
粥は椀に半分だけよそわれた。子どもは椀を確かめもせず口に運ぶ。その顔には何の感慨も浮かんでいない。ただ、入れている。補給の顔だ。それでも匙は最後まで止まらなかった。
食べ終わる頃、結城の目が子どもの襟足で止まった。
「首を見せてもらっていいか」
子どもは匙を置いた。
「好きにしろ」
子どもが自ら襟を下げる。風見の位置からも見えた。首の付け根に金属で縁取られた円が三つ、縦に並んでいる。皮膚が縁を覆おうとして、覆いきれずに引き攣れていた。
結城の指がその縁をなぞる。
少しずつ指の速さが変わった。初めて見るものを探る手つきではない。知っているものを確かめているようだった。
「……ここから、入れるのか」
「ああ。減ったら繋ぐ。それで戻る」
子どもは淡々と答えた。隠す構えが、どこにもない。訊かれたから答える。それだけの声だった。
繋ぐ、と結城が口の中で繰り返した。繋げば、戻る。なら――
風見は、結城の唇が次の問いの形に動きかけるのを見た。動きかけて、その形のまま止まった。結城は結局何も言わずに襟を戻す。立ち上がりかけたものを、最後まで形にしない畳み方だった。
「分かった。もう大丈夫だ」
子どもは椀へ目を戻す。空の椀を、まだ何か残っているかのように見ていた。
結城は湯呑みを取りに立った。その背中が、いつもより少しだけ遅い。風見は問わなかった。この男が畳んだものを開かせる権利は、風見にはない。
湯呑みが三つ並んだ頃には、子どもは器用に座ったままで眠っていた。
眠ると言っても、寝息は浅い。体を休めているというより、使わない部分から順に落としているような眠り方だった。手は膝の上に置かれ、いつでも立てる角度を保っている。逃げるためか、戦うためか、それとも命令を待つためか。風見にはまだ分からない。
結城は椅子に腰を下ろし、冷めかけた茶へ指を添えていた。飲むでもなく、温度を確かめるでもなく、ただそこに置いている。
「どう見た」
風見が訊くと、結城はすぐには答えなかった。
「単体で長く保たせる作りじゃない」
返ってきたのは、それだけだった。
風見は眠っている子どもを見る。小さい。だが軽くはない。肩に触れたときの感触が、まだ掌に残っている。
「補給が前提か」
「そうだろうな。減ったら繋ぐ。繋げば戻る。あの子はそう言った」
結城はそこで一度言葉を切った。
「……戻る、という言い方をするくらいには、減ることを知っている」
茶の表面が、わずかに揺れた。結城の左手は動いていない。動かなかった方の手も、動かす必要のないところで止まっている。
「ここに置く」
風見が言うと、結城は頷いた。早くも遅くもなかった。
「置くだけで足りるわけじゃない」
「分かってる」
「……それなら、俺から言うことはない」
結城は立ち上がり、眠っている子どもの近くへ薄い毛布を置いた。掛けなかった。触れれば起きると、理解していたからだ。
風見はその動きを見ていた。
助ける、とはどちらも言わなかった。
その言葉を置ける場所が、まだこの部屋にはなかった。
***
それから三日が経った。
子どもは逃げなかった。窓も戸も、鍵の位置も、外へ出るまでの足音の響き方も数え終えた上で、留まることを選んでいる。留まる方が減らない、という計算らしかった。
結城の手伝いを黙ってやり、粥が普通の食事に変わっても文句を言わず、出された湯呑みが三つになったことにも触れなかった。訊けば何でも答えた。どこから来たのか、誰から指示を受けたのか、体のことも洗いざらいに。隠して得することが何もない、という態度で。
「BTG2」
卓の向こうへ呼びかけて、風見は自分の口の中の長さに気づいた。四つの音を、毎回律儀に運んでいる。
「……長いな。ビートでいいか」
深い考えではなかった。長いから、短くする。それだけのつもりだった。
結城が顔を上げる。ほんの少し、考える間があった。記号を短くしただけなのか、それとも別のものを置いたのか。その両方を見た上で、結城は頷いた。
「良いんじゃないか」
子どもは匙を止めた。
「記号で十分だ」
「呼ぶのは、こっちだ」
風見はそれだけ返す。押しつけるつもりはない。受け取れとも言わない。呼ぶ側の都合で音を短くした。それ以上の意味は載せなかった。
載せなかった、はずだった。
名を呼びながら、消えていくものを見送ったことが、風見にはある。
それきりその記憶は奥へとしまった。卓の上では結城が急須を傾けている。湯呑みは、もう数え間違いではなく三つ並んでいた。
ビートは何も言わなかった。否定もしない。空になった皿へ目を戻し、それきりだった。
***
ビートという名前は、ゆっくり馴染んだ。
呼んでから振り向くまでの間が、日ごとに短くなる。それだけのことだった。本人が気づいていないのか、気づいて数えていないのか、風見には測れなかった。測る必要もない。
六日目の夜、洗い物を拭く手を止めずに、ビートが言った。
「……言ってなかったな」
風見は皿を受け取る。
「何を」
「こっちに来てるのは、俺だけじゃない」
風見は皿を受け取る手を、止めなかった。
「同じ改造人間が、か」
「ああ」
それきりだった。ビートは続きを足さず、風見も掘らなかった。訊けば、答えるだろう。だが、答えさせてどうなるものでもない。この世界のどこかを、同じ作りの子どもが歩いている。線が一本増えた。それだけを風見は仕舞った。
それから、風見は通信機の位置を一つ手前に移した。
何を待つのかは、言葉にしなかった。ただ、来るとすれば線の向こうからだ。結城も何も言わず、使っていない椅子の上から工具箱をどけた。
流れていく日々の中で、耳だけが先に起きているような時間が増えた。
通信機が鳴ったのは、その翌々日の朝だった。
「――本郷さんですか」
声に寝起きの濁りはなかったはずだ。むしろ張っていたかもしれない、と風見は自分で思う。待っていた線が、とうとう鳴ったのだ。
本郷は事実だけを順番に置いた。同じ改造痕の遺体。首の後ろの、三つの端子。捕らえた子ども。その子どももまた、改造人間であること。
風見は、卓の方を一度だけ見た。
椅子に背を預けて、ビートが座っている。初めからそこにいて良かったかのような座り方で、湯呑みの茶を冷ましていた。
「こちらでも」
風見は回線へ向き直った。
「改造された子どもを、保護しています」
拾った、とは言わなかった。だが風見の中では、その方が近かった。