仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
運ばれた先がどこなのかは、教えられなかった。
知る必要がない。任務に座標は要らない。FWC4はそう処理して、それきり考えるのをやめた。
窓のない部屋だった。
FWC4は、まず出口を数えた。扉は一つ。蝶番は内側に見えない。錠の落ちる音は、連れて来られたときに一度だけ聞いた。固く新しい錠の音だった。次に壁を見た。継ぎ目のない、厚い壁。叩いて確かめるまでもなく、ここが閉じておくために選ばれた部屋だと分かった。
それから、自分を数えた。
残量。高架であれだけ出力を上げた。撃ち、押し合い、捕らえられるまで抗った。あのとき使った分は戻らない。だから今は何もしていない。動かずにいる。動かなければ、減りは緩む。緩めて、保たせて、迎えが来るまでの分に充てる。計算は難しくなかった。まだ、ある。エネルギーが足りなくなる前に、来る。
逃げる気はなかった。出口を数えたのは、脱出のためではない。把握しておくためだ。把握していないものが部屋にあるのは、よくない。FWC4は、把握できるものを順に把握して、把握しきると、することがなくなった。
部屋には、二人で残されていた。高架でFWC4を床に留めた男が、扉の内側で壁に背を預けている。腕を組み、見張るというより、ただそこにいた。いざとなればあれは力で来る人間だ。出力は測ってある。
男は、しばらく黙っていた。それから、壁を見たまま口を開いた。
「一文字だ」
FWC4は答えなかった。
「一文字隼人。……お前さんに名乗ってなかったな、そういえば」
名乗り。FWC4はその意味を測りかねた。なぜ、捕らえた個体に、自分を指す音を渡すのか。任務上、必要のない情報だ。受け取らずに、捨てた。男は答えを期待していなかったらしく、それきりまた黙る。
捕らえられたことだけが、引っかかっていた。任務が滞っている。腹の底でそれだけが、ちりちりと焦げていた。
そこに水をかけるかのように、唐突に知った気配が現れる。気づいたのは、耳でも目でもなかった。
同じものが、近くにある。
FWC4の中で、何かが先に立ち上がった。来たのか。見つけてくれたのか。回収が――
立ち上がりかけたそれが、行き場をなくす。
気配の質が、像を結んだのだ。これは迎えではない。一個の個体だった。その質を、FWC4は知っていた。隣にいたことがある。
BTG2。
その名にたどり着いた瞬間、呼んでもいない記憶が勝手に立ち上がった。FWC4はそれを止めた。止めたが、一拍、遅れた。
くだらない、と処理し直す。古い個体だ。勝つためではなく、ただ長く保つためだけに作られた、ぬるい設計。あれと同じ建物に入れられたのかと思うと、焦げていたものが、別の温度に変わる。
扉が開いた。
もう一人、入ってきた。手を拭いて組織を問うてきた方だ。こちらをよく見ている個体。
「本郷」
一文字と名乗った男がそちらを見た。
「ついたか」
「ああ。会わせる」
本郷、と呼ばれた個体が短く答えた。二人の間で、何かの段取りが済んだ気配だった。FWC4には、その音の意味は分からない。分かるのは、自分が今から動かされる、ということだけだ。
抗わなかった。抗えば、残りが減る。引かれるまま、FWC4は二人に連れられて歩いた。
***
隣の部屋には、先客が三人いた。うち二人は大人の男。どちらも、未知だった。
片方は、右腕だけが機械だった。生身と機械の継ぎ目が音を立てている。もう一人は、本郷と一文字と同じ作られた体だ。脅威度を保留にする。
そして、BTG2がいた。
椅子に、背を預けて座っていた。縛られてもいない。逃げる構えも、回収を待つ構えもない。捕らわれた個体の座り方ではなかった。
それを見て、FWC4の中の何かがまた動いた。今度は遅れなかった。
捕らわれてなお、緊張感がない。研修で初めて会った時と同じだ。こちらをまともに見もしない。
気づけば、口が動いていた。
「BTG2」
低く、乾いた声が出た。
「捕まって、そのざまか」
BTG2がゆっくり顔を上げた。FWC4を見る。驚きも身構えもない。面倒がる色すら、ない。ただ青い目にFWC4の姿を映している。
「……変わらないな、お前は」
その声はわずかに掠れていた。
「まぁ、仕方ないよな。そういう設計だ」
仕方ない。その一言が、FWC4の神経を逆撫でした。下に見られている。こちらは張り詰めているのに、あの弛んだ個体はそれを上から流した。
「迎えが来るんだぞ」
FWC4の声が尖る。
「その時に、そんな体でどうする」
BTG2は答えなかった。答える代わりに、また背を椅子に預けた。それが答えだとでもいうように。
四人の大人は、止めなかった。捕らえてからずっと一文しか発しなかった子どもが、同じ作りの個体には別の言葉を向ける――それを、ただ見ていた。
その沈黙に、声が落ちた。
未知の二人の、片方だった。低く、均された声。それはFWC4にではなく、連れてきた二人に向けられていた。
「BTG2……」
男は、その名を正確になぞった。そして、続けた。
「俺たちは、ビートと呼んでいます」
ビート。
その音は、FWC4の中のどこにも引っかからなかった。
BTG2は、BTG2だ。その名で足りている。過不足なく、あの個体を指している。なのにこの男は、別の音をそこに置いた。番号で足りるものに、なぜ、わざわざ。
処理できない。
男たちは、その音を当たり前のように扱っていた。BTG2自身でさえ、否定しなかった。FWC4だけが、その音の前で行き場をなくしていた。
「ビート」がまだ部屋に落ちたまま、残っている。
FWC4は、それを拾えなかった。
***
大人たちが、少し離れたところで言葉を交わしている。低い声だ。早口でもないのに、半分も聞き取れない。FWC4の知らない言語が混じり、知っている言語の単語が、その合間に時おり浮かぶ。意味のある塊にはならない。
名前だけが、拾えた。
会話の流れの中で、本郷と呼ばれる男が、未知の二人のうちの一人をそう呼んだ。
「風見」
均された低い声の方が、応じる。次に、もう一人へ向けて、別の音が投げられた。
「結城」
右腕だけ作られた個体が、頷いた。
風見。結城。
二つの音は、どちらもFWC4の中で、どこにも引っ掛からなかった。ビートと同じであり、一文字と名乗ったあの男と同じだ。
名前ばかりが、この部屋では飛び交っている。
番号で足りるはずだった。一個の個体を指すのに、過不足のない記号が、それぞれにあるはずだった。なのにこの大人たちは、互いを別の音で呼び合い、捕らえた子どもにまで名を差し出し、BTG2にすらビートという音を着せている。
なぜ全員が、番号ではない音を持っているのか。
FWC4には、それが分からなかった。分からないものが一つ、また一つと増えていく。FWC4はそれを、いつものように脇に寄せて、保留にした。保留の山が、少しずつ高くなっていた。
大人たちの輪の方へ、目を戻す。
BTG2は、その輪の側にいた。
捕らえられた個体のはずだった。逃げてきた者を追い、失敗し、こうして男たちの手に落ちた――FWC4と、同じ立場のはずだった。なのに、あの個体は、大人たちと同じ側に座っている。縛られず、見張られるでもなく。まるで、初めからそこにいて良かったかのように。
捕らえられているのに、捕らえた者の側にいる。
FWC4の査定では、その二つは両立しない。捕虜は、輪の外にいるものだ。今、自分がそうであるように。
BTG2の位置は、その当たり前を外していた。あれもこれも、FWC4の知っている任務の形から少しずつずれている。
本郷が風見と、何かを詰めていた。その傍らで、結城と呼ばれた男が、腕を組んでいる。
話は、まだ続いていた。
聞き取れない言葉の中で、大人たちが何を決めようとしているのか、FWC4には分からない。分からなくてよかった。任務に、彼らの相談は要らない。要るのは、犯罪者を止めること。あとは――
迎えが来るまで、保たせること。
ふと、その一点に、意識が戻った。
今ごろ、組織は自分を探しているはずだ。捕らえられたとはいえ、座標を見失ったわけではない。伝わるようにできている。途切れたことは一度もない。だから、待っていればいい。動かず、減らさず、ここで待っていれば、いずれ迎えが来る。
それは、信じる信じないの話ではなかった。朝が来るのと同じだ。確かめるまでもない。FWC4の中で、そのことだけが、揺らがず、静かに、据わっていた。
名前の飛び交う部屋の隅で、FWC4は膝に手を置く。まっすぐ前を見て、迎えを待った。
そうしていると、嫌でも視界の隅にBTG2が入る。
あの座り方。あの弛緩。捕らわれてなお張り詰めない。迎えも待たず、抗いもせず、ただそこにいる。
「……死に損ないが」
口から、ぽつりと落ちた。
大きな声ではなかった。詰るためでも、聞かせるためでもない。ただ、査定が言葉の形をとって零れた。長く保つためだけに作られて、その長さももう終わりかけている型落ち品。それ以上の意味は、込めていなかった。
だが、BTG2は拾った。
ゆっくりと、目を細める。怒りではなかった。FWC4を、初めてまともに見た目だった。
「お互い様だろ」
掠れた声が、そう返した。その瞬間、FWC4の中で、何かがかっと逆立つ。
(一緒にするな。お前と私は、違う。尽きるのを待つだけの古い個体とは違う)
言葉にはしなかった。する必要がなかった。違うものは、違う。確かめるまでもない。FWC4はただBTG2から目を逸らし、壁を向いて座り直した。お前と話すことはない、というように。
BTG2は、その横顔をしばらく見ていた。
逸らした目の奥にあるものを、読んでいる目だった。同じ作りの個体にしか読めないものを読んでいた。やがて、BTG2はふっと息を吐いた。
「……まだ、待ってるのか」
FWC4は答えない。答えないことが、答えだった。
BTG2には、分かったらしい。FWC4が今この瞬間何を頼みにしているのか。迎えが来る。それまで保たせる。その一点だけで、背筋を伸ばしていることが。
BTG2は、もう一度、息を吐いた。それから、感情の落ちた、平らな声で言った。
「迎えは来ないぞ」
部屋の音が遠のいた。
理由は言わなかった。なぜ来ないのか、BTG2は一つも語らなかった。ただ、来ない、と。決まりきった事実を読み上げるように、それだけを置いた。
FWC4はその一言を切り捨てた。
敗者の戯言だ。迎えを信じることをやめた個体の、捨て台詞だ。諦めた者には、諦めた者の世界しか見えない。来ないと思っているのは、BTG2が待つのをやめたからだ。
(私は違う。私は、待っている。だから、来る)
迷いなく、いつものように脇へ寄せた。保留の山にすら入れない、価値のない一言として。
だが、脇へ寄せたはずのその一言が、寄せた先から戻ってきた。
『迎えは来ないぞ』
小さく細い棘が一本、寄せたはずの場所に刺さっていた。痛みではない。違和ですらない。ただ、抜けない。それだけだった。
FWC4は、その棘を抜くのをやめた。
いずれ消える。迎えが来れば、こんなものは消える。FWC4はそう処理をして迎えを待った。
誰も、それが来ないとは、言わなかった。
――一人を、除いて。