仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
卓の上に、受け取られなかった名前が残っていた。
誰も拾わなかった。一文字が差し出し、本郷が採り、FWC4が突き返した。二人が呼んで、一人が拒んだ。その拒んだ一人の前に、手つかずの粥が冷えている。
風見はそれを見ていた。
FWC4は背筋を伸ばして座り、まっすぐ前を見ている。名を突き返した子どもの座り方だった。番号で足りる、と全身で言っている。風見はその横顔をしばらく眺める。
名をやろうとは、思わなかった。
ビートにはやった。長いから、と言って掬い上げた。あの時はそれでよかった。だがこの子どもは違う。差し出された音を、エネルギーを減らしてまで押し返した。押し返すだけの値打ちがある、とこの子どもは決めている。そこへ風見がもう一つ音を乗せれば、また押し返させるだけだ。減らすだけだ。
風見は踏み込まないことにした。
他の三人がどう呼ぶかは、三人の領分だ。風見は自分の領分で、この子どもをFWC4と呼ぶ。それが今この子どもの望む距離なら、その距離に立つ。近づいて温めることが、いつも正しいわけではない。風見はそれを知っている。
「風見」
声をかけてきたのは結城だった。風見が出るのを察したのだろう。
風見は呼ばれたままに結城のそばへ寄った。FWC4から少し遠ざかる位置だ。
「本郷さんの言っていた、怪人なんだが」
結城は声を落としていた。FWC4に聞かせる話ではない、という落とし方だった。
「あの特徴は恐らく――」
風見は頷いた。本郷が河沿いで見たもの。生き物を兵器に作り変えた手つき。本郷はそれを語り、結城は口を開きかけ、やめた。風見も、確かめてからでなければ言わないと決めて、口を噤んだ。二人とも同じことをした。
「もう、思い当たっているんだろう?」
結城のそれは問いの形をしていたが、互いに答えは知っている。
「ああ」
風見は短く答えた。それ以上は、二人とも言葉にしなかった。言葉にしなくても、互いに相手が何を見ているかは分かっていた。風見が見ているもの。結城が見ているもの。恐らく、同じものだ。
風見は、結城の右腕に目をやった。生身と機械の境目。低い駆動音が、そこで鳴っている。この男は、かつて
そして風見は、その組織を壊した側にいる。
尽くした男と滅ぼした男が、今同じ場所にいる。滅ぼしたものが甦りかけている、その気配を前にして。風見は結城に何も言わなかった。この男は組織の外へ出て、初めて本当の悪を見た。知らなかったそれまでを責める資格は風見にはない。ないが、二人の間に流れる温度の違いは消えなかった。仇を滅ぼした者の静けさと、仇に尽くした者の苦さは、同じ重さではない。
「確かめてくる」
風見は言った。
「俺の区画には痕跡だけが残っていた。本体は去った後だった。だが、まだ辿れる」
「一人で、か」
「ああ」
止まる理由はない。風見が確かめずにいる間にも、あの手は誰かを運んでいる。荷物のように、首に端子を持つ人間を。動かずにいることは、風見にはできない。
結城は止めなかった。止めても無駄だと知っている顔だった。代わりに、低く言った。
「気をつけろ。……あれは、よく出来ている」
苦いものの混じる声だった。よく出来ている、と人体改造を評する声が、どんな味がするのか。風見は問わなかった。
部屋の隅で、FWC4が風見の手元を見ていた。何が決まったのか読もうとする目だ。だが、あの子どもは何も知らなくていい。風見は背を向け、扉へ向かった。
***
痕跡は、思ったより素直に残っていた。
風見が先日たどり着いた区画――倉庫の連なる一帯の、その奥。本体は去っていたが、地に染みた油の跡、引きずられた何かの線、踏み荒らされた土。読める者には読める。風見は、それを順に拾って奥へ進んだ。
風見の足が自然と止まった。耳でも目でもない。皮膚が、先に知っている。この匂いを、この気配を、風見は知っていた。骨に刻まれている。何十と斬り結んだ。叩き潰した。壊滅させた。その手応えが、今、皮膚の下で立ち上がる。
(デストロン――)
考えるより先に、像が結ばれていた。本郷は、戦いながら違和を組み立てたという。同じ軌道、知らない呼吸、と。風見は違った。組み立てる手間がいらない。見た瞬間に、分かる。壊した当人にしか出ない速さで。
暗がりから、それが立ち上がった。
頭部に獣の意匠。肉と機械の境が、溶けて分からない。肩から胸に打ち込まれた金属の板。継ぎ目から這い出す管。本郷の語った通りだった。語った通りで――風見にとっては、それ以上だった。これは、あの組織の手だ。確かめるまでもない。確かめに来て、確かめる前に分かった。
「変身……V3ァ!!」
風が巻きあがり、装甲が全身を包む。振り下ろされる怪人の腕を、風見は半歩で躱した。
躱して、違和が来た。
遅い。いや、力は強い。普通の人間ではない、改造人間の力だ。だが――軌道が、まっすぐすぎる。風見が躱したその先を、怪人は読んでいない。風見が躱した先を確認してから繰り出される攻撃は、あまりにも遅すぎた。
風見の骨が訴える。
おかしい。デストロンの怪人なら、こうはならない。あの組織は、仮面ライダーを殺すために怪人を作る。対ライダーの戦い方を、骨の髄まで叩き込んでくる。風見は、それと何度も斬り結んだ。躱せば読まれ、読めば躱され、その応酬の中で生き延びてきた。デストロンの怪人は、ライダーの動きを知っている。知るように作られている。
なのに、これは知らない。
作りはデストロンだ。匂いも、継ぎ接ぎも、皮膚が間違えるはずがない。なのに、戦い方だけが、デストロンではない。風見がよく知る、あの執拗な対ライダーの呼吸が、この怪人にはまるで無い。
風見は滑るように敵の懐に入り、継ぎ目の浅い場所へ拳を入れる。手応えは確かだった。防御に自信があるのではなく、風見の先手に対応が追いついていないのだ。
「V3キィィーック!」
獣の面が宙を舞い、爆発音が上がる。着地した風見は周囲を確認してから変身を解いた。
(作りはあれだ。だが、戦い方を知らない)
嫌な後味だけが手に残る。本郷が持ち帰った違和の、その奥。なぜデストロンの手で作られたものが、デストロンの戦い方を知らないのか。風見はその問いを引き取った。答えはまだ無い。だが、いずれ繋がるだろう。
風見はハッと顔を上げる。
怪人の倒れたその先に、人の気配が突如として現れた。
本郷は、追って空白に行き着いたという。荷も、男も、消えた後だったと。風見は追って――隠れもしない男に行き着いた。
***
暗がりの中で、その男は隠れる様子もなかった。
倉庫の壁にもたれ、両手を緩く垂らしてこちらを見ている。怪人が爆ぜたばかりだというのに、逃げる様子も身構える色もない。風見を待っていたようにすら見える。
風見はその男を見て、まず一つ引っかかった。
作り変えられていない。
直前まで、肉と機械を継ぎ接ぎした体を見ていた。あの組織の影に立つ者を、風見はそういうものとして身構えていた。だが、この男には、その痕がどこにもない。生身のままだ。傷一つない。
整いすぎている、と風見は思った。ここにいるはずのない種類の人間だ、とも。怪人の継ぎ目を見た直後の目に、無傷の生身は異物として映る。
金の髪。緑の目。
風見はその色を、ただ事実として登録した。湿度のない色だ。
「やあ」
男が言った。
軽い声だった。脅しも警戒も含まない。久しぶりに人に会った、とでもいうような。
「君があれを片付けたのか」
風見は答えなかった。男は気を悪くした風もなく、壁から身を起こす。
「僕のことはヨハンと呼んでくれ」
訊いてもいないことを、男は言った。
「呼びやすくていいだろう?」
名乗り。風見はその名前の軽さを測った。捕らえられる側に立つ者の声ではない。隠すという発想が最初から無い声だった。
「お前が」
風見は噛みしめていた口を開いた。
「あれを、甦らせたのか」
その一言に全てを込めた。デストロン。風見が壊滅させたもの。風見の家族を奪った技術の、その源。甦りかけている手応え。あの怪人はまさにそれだ。刺さるはずの言葉だった。仇の再生を前にした男の、ありったけの重さを乗せた。
ヨハンは何の気負いもなしに笑う。
「あれ」
その言葉を、面白がるように繰り返した。
「ああ、デストロン。そう呼ばれてたんだったね」
風見の遺恨が的を撃ち抜いた。デストロンを、正確に。そして――この男を、素通りした。
「正直に言うとね」
ヨハンは緑の目を細める。どこか乾いた目だった。
「あれが甦ろうが、どうでもいいんだ。僕には」
風見の中で、何かがずれた。
「彼らは熱心だよ。再興、復活、悲願。立派なものだ。でも僕は――そういうのには、興味がなくて」
ヨハンは、肩をすくめた。困っている風ですらない。本当に、どうでもいいのだ。風見の全重量を受けた言葉が、この男の中で行き場をなくして落ちた。
風見はすぐに悟る。
(こいつは、あれの仲間ですらない)
デストロンの怪人を作り、デストロンの影に立って動いている。なのにデストロンを甦らせることに、何の関心もない。風見の遺恨は、デストロンに向けて投げれば正しく刺さる。だがこの男に向けて投げても、刺さらない。受け止める面がない。別の何かだ。風見の知っている悪の、どれとも違う。
その摩擦のなさが、この男の陽気さの正体だった。
「君、強いね」
ヨハンが唐突に話を変えた。風見の遺恨など、もうどこにも残っていないかのように。
「あの怪人を、あんな簡単に。……ああ、そうか。君が、壊した張本人か。なるほど」
風見の正体にヨハンは一人で行き着き、一人で頷いた。何か面白いものを見つけた目だった。
風見は油断なくその目を警戒する。だが、その警戒は次の一言で上書きされた。
「ところで」
ヨハンが、ふと思い出したように言った。
「あの男――結城丈二、と言ったかな。今日はいないのかい? 右腕だけの、彼。元はデストロンの頭脳だったんだろう? 惜しいなあ」
風見の背筋が冷えた。
名と来歴を、正確に握っている。結城が一度は組織に尽くした男だということも。ヨハンはそれを脅しとしてではなく、ただ朗らかに口にした。欲しいものを、欲しいと言う子どものように。
「ああいう手は貴重なんだ。作る側の手はね。彼さえいれば、いろいろ捗る。……僕にくれないかな」
風見はヨハンの目から、一筋のものを読んだ。これはデストロンの再興のために結城を欲しがっているのではない。この男は結城を、自分の何かのために欲しがっている。組織の悲願とは別の場所に立っている。
その一筋が、見えただけだった。
「結城には」
風見は低い声で言った。
「手を出させない」
「こわいなあ」
ヨハンは、ちっとも怖くなさそうに言った。それから両手を緩く上げて、後ずさるように暗がりへ下がっていく。
「今日は挨拶だけのつもりだったんだ。怪人はまあ、君にあげるよ。ちょうど一体、余ってたから」
戦う構えは最後まで見せなかった。組み伏せる隙も、与えなかった。技術者だ、と風見は感じ取る。戦う者ではない。話す者だ。話すだけ話して、自分の都合で朗らかに帰っていく。
「またね、風見志郎くん」
名を残して、その姿は暗がりに溶けた。瞬きの間に気配ごと消える。
風見は追わなかった。追っても、掴めない。それが分かる種類の相手だった。
握りしめた拳の中に何も残っていない。死体も、痕跡も、奪い返した荷もない。風見は――触れたのに、掴めずに帰る。残ったのは、言葉だけだ。
結城を欲しがる、朗らかな声。
金の髪と、緑の目。
本郷の現場から荷を運び去った、あの手。その行く先が今、ひとつの顔になった。隠れもせず、戦いもせず、名を名乗って帰っていく男の顔に。
風見は結城のいる拠点へ、その顔を持ち帰ることにした。