仮面ライダー 帰れない子どもたち 作:青信号
扉が開いて、夜風と一緒に風見が入ってきた。手ぶらだった。荷も、捕えた者も、連れていない。ビートにはそれだけで分かる。掴めずに帰ってきた者の、軽すぎる手だ。
風見は卓に着くなり、見てきたものを並べ始める。声を張らない男だった。だがその静けさの底に、何か冷えたものが沈んでいる。この男をここまで硬くさせる何かが、向こうにいた。
「裏で糸を引いてる男がいる」
風見が言った。
「怪人じゃない。金の髪に、緑の目で——ヨハンと名乗った」
ビートの中で、何かが噛み合う音がする。
「結城のことも、訊いてきた」
風見の声が、そこだけ低くなった。
「元はデストロンの頭脳だろう、と。欲しいとまで」
結城が、わずかに目を伏せた。誰も、その先を継がなかった。風見もそれ以上は言わない。部屋の中に見知らぬ男の外形だけが置かれて、しばらく転がっていた。
ビートの、知っている顔だった。
「ヨハン、か」
掠れた声が出た。隠す気はなかった。隠して得することなど、ビートにはもう何も残っていない。
「EX-7741-Dだろうな」
部屋の全員がビートを見た。
「技術者だ。……時空間転移装置を作ったのも、あいつだよ。逃げた連中だって、自力で飛んだわけじゃない。あの男が逃げるとき、その穴に乗った。……乗せたのか、拾われたのか、そこは知らないが」
本郷が静かに口を開く。
「転移装置の、開発者か」
確かめるような音。理屈を立てて、抜けを潰しにくる声だ。
「なら――戻れるのか。君たちは」
ビートは本郷を見やる。嘘をつく理由は、どこにもない。
「座標がいる」
ビートは言った。
「行き先を指定してからでないと飛べない。俺達が来るとき、戻りの座標は指されていなかった」
「指定すればいいだろう」
「技術が要る。装置はあいつの手の中だ。そしてあいつは恐らく……戻る気がない」
それで、終わりだ。本郷は何も足さなかった。足すべきものが無いと、その理知が即座に見て取った顔だった。
部屋の隅で、FWC4が背筋を伸ばして座っていた。
聞きながら、撥ねている。その目をビートは読んだ。
(組織は別だ)
そう思っている。ヨハンの装置とは関係なく組織は迎えに来る。あの男の話と、組織の話は別だ。そう分けて、目の前のことを見ないようにしている。
ビートは、それを止めなかった。
どれだけ無視をしようとしても、いつか目を逸らせなくなる。ビートはその道を通ってきた。通った先に何があったかも知っている。だが言わない。言って崩せるものではないし、崩したところでFWC4が楽になるわけでもない。
「まだいるんだろう」
一文字が立ち上がった。
「逃げてる奴が。ビート、来るか」
ビートは頷いた。来いと言われれば、行く。それだけだ。元々じっとしているのはあまり好きではない。
FWC4も立った。誰に言われたのでもなく、任務の方へ。本郷と風見と結城もそれぞれ立ち上がる。
出ていく前に、ビートはもう一度FWC4を見た。
番号で見ても何も痛まない。同じ作りだ。同じ番号の樹から生えた、同じ品。FWC4がビートを番号で呼んでも、ビートは怒らない。事実だからだ。
ただ、FWC4はまだ待っている。
それだけが、二人の違いだった。
***
一文字は、歩きながらよく喋る男だった。
ビートの歩幅に合わせて、時おり足を緩める。子どもの背丈に合わせる気遣いだった。ビートはその気遣いを受け取りも断りもしない。ただ、隣を歩く。
「冷えるな、今夜は」
一文字が空を見上げて言った。
「お前、寒くないのか。その体で」
「寒さで止まる作りじゃない」
「そういうもんか」
一文字は軽く笑った。何を答えても、この男はそれを面白がって受ける。会話というより、放っておけない、という手つきだった。
「飯はどうだ。口に合うか?」
「悪くない。あいつはどうだか知らないが」
ビートはFWC4の方へ顎を向けた。ああ〜、と納得とも落胆ともつかない声を漏らし、一文字が頭をかく。それからFWC4に向かって声をかけた。
「悪かったよ、こないだは。いきなりピザなんか食わせて。びっくりしただろ」
この男はビートとFWC4を幼い子どものように扱う。改造人間でも、製品でもなく。寒さに震えて食事に文句を言うような子ども――そういう物差しで、二人を測っている。
ビートには、自分を子どもだと思う感覚がない。ビートの記憶している十年はすべて、兵士としての時間だ。だが一文字の中では、ビートはまだ子どもの枠に置かれている。
「お前らの所じゃ」
一文字が声を軽くした。
「子どもに、何を食わせるんだ?」
「固形物だ。咀嚼と消化機能を維持するためだけの」
ビートは淡々と答えた。
「味はほとんどない」
「……味が、ないのか」
一文字の声から軽さがわずかに抜けた。しかしそれは一瞬で、すぐに戻る。明るさの蓋がまた被さってくる。
「それじゃ、慣れるまで大変だな」
一文字は笑って言った。怒っていない声だった。怒りなどどこにも無い、と全身で言っている声だ。
だから、分かった。
ビートは、もう何も蓋をしていない。蓋をするものが、残っていないからだ。空っぽの目には、他人の蓋がよく見える。一文字は今、何かに怒っている。味の無いものを子どもに配る手に。子どもを兵士の形に作り変える手に。その怒りを、明るさの底へ押し込んで、笑っている。
抑えるのが、うまい男だった。
だから隣の子どもには気取られないと思っている。だが、優しくあろうとするほど、その底のものがビートには見えた。優しさは、怒りの蓋だった。この男は、目の前の二人に優しくするたび、二人をこうした手への怒りを、一つずつ底に溜めている。
「フォウ」
一文字が、前を行く小さな背中に呼びかけた。
「腹が減ったら言え。我慢すんなよ」
FWC4は、答えなかった。
一文字の歩調にも、ビートの歩幅にも合わせない。前だけを見て、的の方へ向かっている。フォウという音も、気遣いの言葉も、この子どもの中では塊にならずに落ちる。巻き込まれる人間も、土地の様子も、何一つ目に入らない。任務の線の上だけを、まっすぐ歩いている。
一文字は、それ以上は重ねなかった。
答えない子どもを、それでも一度は呼ぶ。返らなければ、引く。押さない。だが、次もまた呼ぶのだろう。そういう男だった。
ビートは、その横顔をしばらく見ていた。
怒りを蓋して、子どもに優しくする男。優しくするたび、底に何かが溜まっていく。いつか、その蓋が保たなくなる時が来るのかもしれない。だがそれがいつかは、ビートには分からない。分からないものを、ビートはもう考えない。
唐突に、匂いが変わった。
ビートは足を止めた。一文字も止まる。
暗がりの奥に、二つ。一つは、逃げ慣れた者の気配。もう一つは――肉と機械を継ぎ接ぎして作り変えられた気配だった。
怪人が、先に動いた。
鋏のような腕がジャキンと不吉な音を立てて迫る。狙いは一文字だった。
「変……身ッ!」
力強い声とともに、一文字の体が装甲に包まれる。
人の輪郭が、一瞬で戦う形へ切り替わった。見慣れない変化だが――一文字はもう動いていた。迫る鋏を躱し、一撃を叩き込む。
その最初の応酬で、ビートは察した。
敵は弱い。いや力はあるが、戦い方が雑だ。一文字が躱した先を読まない。獲物が動くことを初めから計算に入れていない作りだった。
そう思った直後、怪人の腕が横へ流れた。
狙いを変えたのではない。振り抜いた腕の行き先を、怪人自身が制御できていない。刃の先が、ビートたちのいる側へ逸れる。暗がりの奥で、逃亡者が誰かを掴んでいるのが見えた。その盾ごと、巻き込む軌道だった。
一文字が、そこへ割って入った。
鋏の腕を両手で受け止める。金属の擦れる音が、夜の中で大きく鳴った。怪人は力任せに押し込もうとする。装甲の下で一文字の足が地面を削った。だが、退かなかった。退けば、その後ろへ刃が届く。
「どこ見てやがる。……お前の相手は、こっちだ」
一文字が腕ごと怪人を引き戻した。力で、無理やりに。怪人の体が半歩浮き、舗装の上へ叩きつけられる。衝撃で鋏の腕が跳ねた。すぐさま起き上がろうとする怪人の腹へ、一文字の拳が入る。重い音がした。怪人がよろめく。
ビートはそれで十分だと判断した。
あれは一文字が片付ける。だから、ビートの目はその後ろに向いていた。
逃亡者だ。
痩せた男だった。首の後ろに、見慣れた円い縁が三つ。ビートと同じで――そしてビートとは違う、犯罪者。追われる側の男。
その男が、誰かを掴んでいた。
通りすがりの青年だった。何も知らずにこの一帯へ踏み込んだのだろう。逃亡者はその首根を掴んで自分の前に引きずり出していた。盾だった。
「来るな!」
逃亡者が叫んだ。
「近付くな、こいつごと潰すぞ!」
声が裏返る。逃げて逃げて、もう逃げ場がなくなって、それでも怒りだけが残っている声だった。
その目が、ビートとFWC4を捉えた。
「……お前ら」
別の色が乗る。
「組織の、犬か」
ビートは答えなかった。
「ろくでもない……作りものの、屑がっ! ガラクタのくせにまだ俺を追ってくるのか!」
間違っていなかった。ビートはそれを否定する気にならない。逃亡犯をどこまでも追うのが任務であったし……この体がガラクタに近付いているのも事実だ。
FWC4が、わずかに動く。
ビートは、その揺れを見た。「作りものの屑」――その一言が、この子どもの中の何かに触れたらしい。だが、触れただけだった。FWC4はすぐにそれを脇へ寄せた。逃亡者は的だ。的の言うことに、意味はない。
この子どもは、まだ撥ね返せる。受けてしまう前の段に、いる。
逃亡者の腕に、力がこもった。盾にした男の首が、嫌な角度に絞まる。
逃亡者が動くより早く、ビートは駆けた。
トン、と軽く大地を蹴る。逃亡者の頭の上まで飛び上がり、その肩を押し込むと同時に重力を乗せた。世界が一点だけ歪む。逃亡者がたたらを踏み、掴んでいた腕が緩んだ。
その隙間へビートは腕を差し込み、盾にされた青年を逃亡者の手から引き剥がした。地に転がった青年は悲鳴を上げながら這って逃げていく。
ビートはそのまま逃亡者と青年の間に立ち塞がった。
重さをいじるのは、力を食う。ビートの残りが、また少し減った。
構わなかった。どうせ尽きる。尽きるまでに何へ使おうと、ビートの勝手だ。なら、目の前で絞まっている首を解くのに使う。それだけのことだった。
FWC4は、動かない。
盾にされた青年が苦しんでいる間も、引き剥がされる間も、一歩も動かなかった。冷たいのではない。FWC4にとってあの青年は、的の前を塞ぐ障害物でしかない。
守る対象という枠が、そもそも無い。任務の線の上にいない者は、助けるも助けないも以前に、FWC4の算段に乗らない。それを責めるつもりも権利もビートにはない。
「ライダーキィィーック!!」
背後で、爆発音が上がる。
一文字が怪人を片付けたのだ。残骸が宙を舞い、火が上がる。
一文字は一度ビートの方を見てから、逃亡者を睨んだ――ように見えた。仮面の下がどのような顔をしているのか、ビートに知る術はない。
「……お前」
地を這うような声だった。
「作りものの屑、だと?」
蓋が、少しずれている。明るさの底のものが覗いていた。この男にはきっと、屑と吐き捨てられた言葉が他人事ではないのだろう。
逃亡者は、その激しい怒りによって生まれた隙を逃さなかった。
盾を失い、怪人を失い、それでも逃げる足だけは残っていた。怒りで固まった者の、最後の速さだった。暗がりの奥へ、転がるように消える。
「待て!」
一文字が追い、ビートもFWC4も続く。暗がりを抜けた先は、開けた空き地だった。
逃亡者は、その真ん中で足を止めていた。
止まったのではない。止められていた。
空間の辻褄が、そこだけ合っていなかった。
夜の奥に、縦の傷が一本入っている。黒い、細い裂け目だった。向こうに見えるのも夜だったが、同じ夜ではない。空気の温度が違う。匂いが違う。こちらの暗がりとは別の暗がりが、傷口の向こうに貼りついている。
逃亡者が、その裂け目を見た。
恐怖ではなかった。
ほんの一瞬顔が緩んだ。助かった、という安堵。追われて、追い詰められて、すべて失って、それでもそこにだけ道が残っていたと信じた顔だ。
裂け目の向こうから、手が伸びた。
黒い手袋をした手だった。男を殴るでも、掴みにくるでもない。初めはただ、差し出されているだけに見えた。逃げ場を失った者へ、こちらへ来いと示す手。
逃亡者がその手を取った。
次の瞬間、その手の形が変わる。
差し出されていたのは、捕まえる手だった。指が逃亡者の手首を締め、骨が鳴りそうな強さで引く。逃亡者の顔から安堵が剥がれ落ちた。叫びが出るより早く、体が裂け目の方へ引き込まれる。
一文字が飛んだ。
速かった。怪人を倒した直後とは思えない踏み込みだった。空き地の土が跳ね、赤いグローブの腕が逃亡者へ伸びる。ビートの目にも、その指先が男の上着へ届きかけたのが見えた。
だが、裂け目の方が早かった。
空間の傷が本を閉じるように細くなる。一文字の指が男の袖をかすめた。掴む前に、布が向こう側へ消える。黒い手袋の指も、逃亡者の歪んだ顔も、別の夜の匂いも、まとめて潰れるように消えた。
ぱちん、と小さな音がした。
それで終わりだった。
空き地には、誰もいない。
裂け目のあった場所には、何も残っていなかった。地面には逃亡者の足跡がいくつか。途中でふつりと切れている。その先が、無い。
ビートは、その切れ目を見た。
知っている消え方だった。座標を指して飛んだ者の跡だ。追える糸が、途中で切れる。あの装置を持つ者にしか、できない消し方だった。
逃亡者は座標を指す術を持たない。誰かが連れていったのだ。盾を失い追い詰められた男を拾い上げて、座標の向こうへ。
誰が拾ったかは、考えるまでもなかった。
逃げた者を匿うように見せて、連れ戻す手がある。優しい顔をした手が。あの男が、追われる人間を本気で匿ってやるはずがない。ビートはそれを知っていた。
FWC4は裂け目の消えた場所を見ていた。
表情は変わらない。だが、見ていた。見て、処理している。ヨハンの装置だ。組織の迎えとは別だ。犯罪者は回収された。任務の的は、別の手に移った。それだけだ。そう分けて、まだ何も受け取らずに済ませようとしている。
ビートは、それを止めなかった。
どれだけ分けても、目の前で見たものは消えない。あの裂け目は、確かに開いた。迎えではない手が、逃亡者を連れて行った。FWC4が待っているものとは別の手が、この世界には先に届いている。
しかし、そこまでだった。それ以上は、ビートも考えない。考えても考えても、行き着く先など見たくないものばかりだ。
変身を解いた一文字が、空き地の真ん中で拳を握っていた。
「……届かなかったか」
悔いのある声だった。あの逃亡者は、怒りで固まった、ただの怒れる男だった。生きるために逃げた男だった。
一文字は裂け目の消えた場所を睨んでいる。怒りと、悔いと……それ以上は分からない。ただ、それだけではない顔。
ビートには、もう作れない表情だった。
***
帰り道は、来た時より静かだ。
一文字は一歩前を歩いていた。何か考え込んでいる背中だった。ビートはそのすぐ後ろを自分の歩幅で歩く。
FWC4が、隣に並んだ。
珍しい。この子どもは、いつもビートから距離を取る。それが、今は並んでいる。何か言いたいことのある時の、近づき方だった。
「BTG2」
番号で呼んだ。ビートとは呼ばない。記号で足りる、という呼び方だ。ビートは構わない。番号は、事実だ。
「あの時、お前は重力を使ったな。的でもないものに」
「ああ」
「残量を削ってまで。なぜだ」
咎める声ではなかった。理解できない、という声だった。算段が合わない。照合できない。この子どもの中で、ビートの行いは、ただの誤作動として処理されている。
「どうせ尽きる」
ビートは投げやりに言った。
「尽きるまでに何へ使おうと、俺の勝手だ」
「迎えが来れば、充電される。残しておけば」
「来ないさ」
言ってしまってからビートは少し悔いた。FWC4の足が止まる。ビートも足を止めた。
「お前は」
FWC4が口を開く。
「裏切り者だ」
それは、この子どもにとって、最大の侮蔑だった。生き延びることを選んで、迎えを待つのをやめて、残りを勝手に使い切る。組織の命令から外れた個体。
「私は違う」
声を出すたび、この子どもの残りは減る。それでも言った。減らしてでも言うだけの値打ちが、そこにあるのだ。ビートを突き放すことに。
「お前のようには、ならない」
そして、ビートから一歩、離れた。
それきりだった。
FWC4は、ビートの隣を捨てて、また別の位置へ移った。ビートと並ばない位置。ビートと同じには見られない位置へ。
お前のやり方は間違っている。
言葉にはしなかった。だが、その一歩が、そう言っていた。
ビートは離れていく背中をただ見ていた。
FWC4は、まだ待っている。残りを一滴も無駄にせず、迎えの来る日を待っている。ビートが通ってきた道の、ずっと手前に立っている。
いつか、FWC4も知るだろう。待っても迎えなど来ないことを。残しておいたものが、誰のためにもならなかったことを。その日、目を逸らしている間に積み上がった山は崩れるだろう。
だが、それを今ビートが教えてやることはできない。教わって分かるものではないからだ。ビート自身、誰に教わったのでもない。ただある日分かってしまっただけだ。
FWC4の背は、小さかった。
ビートと同じ、子どもの背丈だった。同じ作りで、同じ樹から生えて、同じ場所へ送られて、同じ尽き方をする体だ。
違うのは、待っているか、やめたか。それだけだった。