百合小説置き場   作:あやかたあみ

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泣き虫リリィと終焉の魔女

ばちり、と頭の奥で何かが弾けた。

 

それが、私という人間が「終わり」を告げられた日。

 

幼い私の体から純黒の魔力が噴き出て、視界が闇一色に染まる。必死に手を伸ばしてきたリリィ。あの時、掴もうとしたけれど掴めなかった。いや、掴んではいけなかったのだ。この悍ましい力は抑えられないと子供ながらに悟った私は、そのまま、何もない大海原の中心へと飛び立った。

 

――それから、10年。

 

かつて街があったこの場所は、私が放ち続ける魔力に当てられ、今や家々が白く風化していた。少し指で押せばボロボロと崩れ落ちる死の街。かつて街を象徴していた壮麗な大聖堂も、天井は抜け落ちて見る影もない。色の抜けたステンドグラスを虚ろに見つめていると、背後で、重い扉が開けられた。

 

装飾のなされた綺羅びやかな剣に、自信に満ち満ちた相貌、弧を描く不敵な口元。ステンドグラスに刻まれた勇者のような姿……。

 

――そんなものは、そこにはなかった。

 

あったのは、ただの量産品の安物の西洋剣に、ガタガタと情けなく震えている体。瞬きの多い瞳には、すでに薄っすらと涙の膜が張っている。

 

「言ったはず。私はもう魔女に成り下がる一歩手前。もう、今までみたいな加減はできないって」

「き、聞いたよ。だから、きょ、今日で! 私の大切な幼馴染を取り戻す!」

「そう」

 

そう宣言する彼女は、何の変哲もない剣を構えた。私の薄れた記憶の彼方にある、あのへっぴり腰とは違う。数多の死線を越えてきた者だけが持つ、本物の構えだ。

 

それに、私の内に宿る魔女が応じる。

 

魔力が質量を持ち、夜を限界まで押し固めたような漆黒の長剣が、私の手に握られた。

 

「私は世界に終末を告げる魔女。あなたを殺して世界を終わらせるわ」

「終わりになんかさせないっ! まだ一緒にやりたいこと、いっぱいあるんだから!」

 

激突の衝撃で、大聖堂の空気が爆ぜた。

 

彼女には、世界の理を捻じ曲げるような大魔法は使えない。ただ、そんな絶望的な魔法を防ぐ術を、彼女は何度も私に挑んできた中で体得していた。暴風のように吹き荒れる私の剣撃にも、彼女は絶対に目を逸らさない。逸らして、受けて、信じられない精度で反撃の刃を入れてみせる。一瞬の交差の間に、何度も閃く私の剣閃を、彼女は次々と捌いてみせる。

 

(……やっぱり)

 

過去に幾度もの戦闘で私は気が付いていた。

彼女の戦闘の才能は、異常なのだ。

 

いつも「危ないものはないか」とキョロキョロ探していた怯えた目は、いまや神速の斬撃も、雷速の魔術も、攻撃の起こりを完全に消した刺突さえもすべて見切る。

 

少しの痛みにも過剰に反応していた繊細な肌は、反転して、僅かな風の流れすら敏感に察知する最高精度のセンサーとなり。

 

転んだり滑ったり、あらゆる怪我を負う前に必死に受け身を取っていたあの体は、五感のすべてから得る情報を、脳で処理するよりも早く手足へ伝達する超反応へと昇華されていた。

 

かつて魔女の紋章の継承者には、歴史に名を残した高名な剣の使い手も、国を滅ぼした魔術師もいた。そして現在の魔女(わたし)は、その両方の才能を意志に関係なく十全に使える。そんな私の喉元に、単独で、生身の人間が剣を届けかけている。

 

田舎で暮らしていたら、痛いのが大嫌いな彼女は、争いごとに一切触れずに人生を終えていたはずだった。しかし、私を止めるという、普通の人なら絶対に諦める目標が、彼女の臆病の裏に隠れていた才能を無理やり露出させ、極限まで磨き続けさせたのだ。

 

実力は、互角。

 

世界を単騎で滅ぼせる魔女を相手に、文字通り死に物狂いで死線を潜り抜け、恐怖を我慢するように歯を食いしばって剣を振るう。殺しに来る相手に向ける眼差しには、殺気も殺意も籠もっていない。絶対に助ける、と太陽を宿したような熱量を持っていた。

 

私の剣と彼女の刃が交差するたび、教会の壁が派手に砕け散っていく。崩れた瓦礫の隙間から、冷たい月夜が私たちを照らし出した。

 

私の中の魔女が荒れ狂う。その瞳に何を見たのか、何と重ね合わせたのか、魔女が激情のまま斬りかかる。玄妙な足捌きに、音を置き去りにする抜刀術、如何なる姿勢からでも放たれる奇術のような剣撃。

 

だが、二人の間には明確な差があった。それは「武器」の差だ。

魔女の魔力で創り出された私の剣は、硬く、決して折れることがない。対して、リリィの剣は使い潰しの数打ち品に過ぎない。

キィン、と悲痛な金属音が響き、リリィの剣が粉々に砕け散った。

 

勝敗は決した。あとコンマ数秒で、私の黒い剣が、冷酷に少女の首を刈り取る。彼女を殺して、この身は完全な魔女へと変容する。私は目を伏せて、首を落とす感触を待った。

 

しかし、そんな瞬間は訪れなかった。

 

「あぁああああ!!!」

 

――ゴンッ!!

鋭い鈍音が大聖堂に響く。リリィは、私の顔面に思いきり頭突きをかましてきたのだ。最後まで目を逸らさず、一歩踏み込んで。

不意を突かれた。全体重を乗せた強烈な頭突きの衝撃に、私は背中から床へ押し倒された。即座に反撃に移ろうと拳を握り、彼女の横っ面を殴り飛ばそうとした。

 

――けれど。

 

ぼたぼたと、私の顔に降ってきた温かい液体に、つい動きを止めてしまった。

 

上を見上げれば、涙と鼻水と、頭突きの衝撃で切れたらしい血が、ボロボロと私の顔に降り注いでいる。顔をぐしゃぐしゃにして、子供のようにしゃくり上げているリリィの姿。歴代最強の魔女に唯一刃を届かせた英雄の顔なんて、そこには欠片もなかった。

 

「あ……」

 

懐かしい、と思った。

遥か昔、風化して消えてしまったと思っていた、大切な思い出の残滓。

 

転ぶだけでこの世の終わりのように泣き叫び、近所の可愛いだけの犬に追いかけられて泣き喚き、お化けが出ると言えば鼻水を垂らしながら私に縋り付いてきた、あの頃のリリィ。

 

私の魂の、一番深いところに焼き付いていたのは、魔女の絶望なんかじゃない。このリリィの泣き顔だった。

 

魂を激しく揺さぶられ、心の内側をドスドスと殴りつけられるような感覚。魔女としての私が未だに拳を硬く握り続けようとするけれど、私の内側の「幼馴染としての私」が、それを力いっぱいに制止する。侵食してくる魔女の自我も、世界を憎く思う心も、全部。

 

私は小さく息を吐き、握っていた拳の力を抜き、その手で彼女の涙を掬い取る。

 

「酷い顔ね。何で、そんなになってまで助けようとしてくれるの?」

「好きだからに決まってるじゃん、バカぁ!!」

 

その言葉に、私の中の「魔女」が強く反応した。

腕が勝手に動き、リリィを壊れ物を扱うように、けれど世界から隠すように強く抱き締める。リリィも抵抗せずにそれを受け入れ、私の胸に身を預けて嗚咽を漏らした。

 

――かつて、純真無垢だったある少女(魔女)は、とある王国の美しき王女に恋をした。

 

恋慕を募らせ、震える手で想いを告げた。しかし、返ってきたのは、身の毛もよだつような拒絶だった。

 

この世界において、同性愛は自然に反する異端であり、生物としての欠陥品。

 

教会の名の下に、「穢れ払い」と称して石を投げられた。物を買うことすら許されず、居場所を追われ、行き着いた路地裏でボロ雑巾のように丸まるしかなかった少女。何故人を愛することが罪なのか。何故同じ性別を愛しただけで、これほどまでに糾弾されなければいけないのか。

 

絶望に濡れた少女の体から、その日、どす黒い魔力が噴き出た。

世界への怨嗟が、彼女の内に眠る「呪い」の才能を開花させ、厄災の魔女が生まれ落ちた。そして、彼女を虐げた一国は、一夜にして地図上から名前を消した。

 

やがて世界中の討伐隊に包囲され、呪い以外の才能を持たなかった初代魔女は、その力を封じられ、呆気なく生涯に幕を閉じようとしていた。しかし、彼女は最期に、世界へ最悪の置き土産を遺した。自身の命を引き換えにかけた、永劫の呪い。

 

『魔女は何度でも人の身を媒介に復活し、その才能を次代へ引き継ぐ』

 

それが、世界の終わりを告げる紋章の始まりだった。

こんな世界なんて滅んでしまえと望んでいた魔女にとって――。

今、目の前で、文字通り命を削ってまで自分を求めてくれたリリィは、あまりにも眩しかった。

 

世界を敵に回してもなお、剥き出しの感情で叩きつけられた「好きだから」という言葉。その眼差し。その温もり。それは、初代魔女がかつて血を吐く想いで欲しながらも、決して得られなかった「救い」そのものだった。それがたとえ、自分(初代)ではなく、目の前の器である少女に向けられたものであったとしても。

じわり、と私たちの体を漆黒の魔力が包み込む。

 

しかし、そこにはもう、世界を滅ぼそうとする殺意も、攻撃の意思もなかった。優しく波打つ闇の中で、私の髪から、じわりと禍々しい黒が抜け落ちていく。

 

数百年もの間、世界を呪い続けてきた魔女の無念が、泣き虫な少女の、あまりにも真っ直ぐで不器用な愛によって、今、静かに晴らされていく。

 

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