翌日、再び結婚相談所の応接室を訪れたエレノアに対し、ソフィアは羊皮紙の資料を整えながら、ごく自然な口調で尋ねた。
「時にエレノア様」
「はい!」
「男性との交際経験はありますか?」
尋ねられた瞬間、エレノアのピンと立っていた長耳が、わかりやすくピクリと跳ね上がった。黄金色の瞳が泳ぎ、視線が空中をさまよう。
「………彼氏いない歴=年齢です」
絞り出すような呟きだった。500年以上もの間、戦場と自然の只中を駆け抜け、魔王をボコボコにして世界を救ってきた英雄の、あまりにも切ない真実であった。
ソフィアは動じることなく手帳にペンを滑らせる。
「そうですか。では、最初に男性に慣れるところから入りましょう。一度ランクを落として、いくつかお見合いをこなしましょう。もしかすると、ご自身の妥協できる点も見えてくるかもしれません」
「分かりました……! ソフィアちゃんの言う通りにする!」
素直に頷くエレノアを見つめ、ソフィアは心の中で淡々と計算を巡らせた。
(まずは『異性と向き合う』という経験値稼ぎですね。男の側が『生きる神話』の威圧感に耐えられるかが最大の懸念ですが……)
かくして、世界最強のエルフによるお見合い特訓という、前代未聞の試練が幕を開けたのだった。
ふかふかのソファにちょこんと腰掛けたエレノアは、そわそわと長耳を揺らしていた。
今日のために新調した清楚なドレスを着付け、お見合い相手を待つこと三時間。
バタン、と静かにドアが開き、ソフィアが入ってきた。その手には、未開封のまま返却された推薦状の束がある。
「……エレノア様」
「ソフィアちゃん! どうだった!? 素敵なお相手は見つかった!?」
ソフィアは眼鏡の位置を指先で微調整すると、容赦のない事実を告げた。
「………全滅です。条件に該当する候補者全員から、速攻で辞退の申し出がありました」
「何故!?!?」
悲鳴を上げるエレノアに、ソフィアは感情の籠もらない声で淡々と理由を並べ立てる。
「皆様、恐れおののいて萎縮されているようで……。『龍を素手で引き裂くお方と一緒の部屋に居たくない』『家事で味付けを間違えたら消し炭にされそう』『身長で勝っていても威圧感で潰される』とのことです」
「そ、そんなぁ……! 私、お家では大人しくご飯を食べるだけの可愛い女の子になるつもりなのに……!」
「お気持ちは察しますが、お相手から見れば『歩く天災』と二人きりで面談させられる拷問ですからね。……すいません。確かに相手の条件には『同族のみ希望』の方や、その逆で『他種族希望』の方など、人にはそれぞれの検索条件や譲れない好みというものがあります。ですので、断られること自体は婚活において珍しいことではないのですが……」
「うぅ……っ! 世界を救った代償がこれなんて…………! 私の捧げた平穏を返しなさいよぉ……ッ!」
テーブルに突っ伏し、シクシクと泣き崩れる齢500の大英雄。
その背中から漏れ出る凄まじい威圧感で応接室の観葉植物が枯れかけるのを見つめながら、ソフィアは冷ややかに言い放った。
「裏切られて世界を滅ぼそうとする勇者のような台詞ですね」
「滅ぼさないわよ! 守った側だもの!!」
「なら良かったです。では、次の対策を練りましょうか」
「うぐぐ……ソフィアちゃん、冷たい……でも、見捨てないでいてくれるのは優しい……」
「別の案を考えましょう。パーティでは、直接会ってその人と話すことができますので、並行して参加いたしましょう」
そうして出会いの母数を増やすために参加した王都の婚活パーティー。
豪華な会場には多くの男女が集まり、華やかな音楽と歓声に包まれていた。だが、エレノアの周囲だけは異質だった。彼女が会場に足を踏み入れた瞬間から、半径数メートルの空間からさっと人が引き、誰も近寄ろうとしない。
遠巻きに聞こえる、怯えと畏怖の混じった囁き声。
「おい、あれ……『世界の調停者』様だろ……?」
「なんでこんな場所に……」
「すごい美人だけど……」
「粗相があったら命がないぞ……」
エレノアに話しかける者は一人もおらず、彼女の周りだけがぽっかりと空白になっていた。
他の参加者たちが楽しそうに歓談し、未来のパートナーを探す輪と、自分を囲む不可侵の空間。まざまざとその違いが見せつけられる。――私は、ここでは異質なのだと。
自分自身が世界平和のために積み上げてきた強さと伝説が、いまや自分を孤独にする冷たい檻になっている。
(やっぱり、私に誰かと生きるなんて無理なのかな……)
じんわりと目元が熱くなり、胸を突く孤独感にエレノアが俯いた、その時。
「エレノア様、しゃがんでください」
隣に立っていたソフィアの、いつもと変わらない静かな声が降ってきた。
「?」
言われたとおりに理由も分からず膝を折る。180センチあるエレノアの視界が下がり、ソフィアの目線よりも低くなった瞬間――ぎゅっと、頭を包み込まれた。
「……っ」
柔らかで温かい感触。ソフィアはエレノアの頭を胸元へと引き寄せ、優しく抱きしめたのだ。
人混みの好奇と怯えの視線を遮るように寄り添うソフィアの体温と、かすかに漂う清涼な香りが鼻腔をくすぐる。
「申し訳ありません。ここにはあなたに相応しい方はいないようです。帰りましょう」
耳元で囁かれる言葉は、いつも通り淡々としていて、けれど驚くほどに温かかった。
「で、でも、途中で帰るのはマナー違反じゃ……」
「知ったことではないです。……多少、上司からお小言を貰うかもですが」
ソフィアは周囲の怯え混じりの視線を冷ややかに見回すと、エレノアの頭を撫でる指先に、少しだけ愛おしむような力を込めた。
「あなたを傷つけるような場所に、一刻も留まる必要はありません。……行きましょう」
「……うん……っ」
胸元に顔を埋めたまま、エレノアの目からぽろりと温かい涙が零れ落ちた。
世界中の誰もが自分を恐れ、神話として遠ざける中で、この小さな人族の少女だけが自分の痛みに気づき、ためらいなく腕の中に引き寄せてくれた。
それが、どんな英雄の賞賛よりも、とてつもなく嬉しかった。
未だにお見合いが組めず………。ソフィアも方方を駆け回るがいい相手は見つからず。
何度目かのエレノアとの外出。今回は服装指導という名目であった。
「エレノア様は普段からパンツスタイルですが、何かこだわりがあるのでしょうか」
移動の道中、ソフィアがエレノアの足元に視線を落としながら尋ねた。
「好きだからかな。スカートは落ち着かないし、あんまり派手に動けないからね」
エレノアは長脚を軽く揺らしながら、少し照れくさそうに笑う。
「どうでしょう。一度、ワンピースなどを着られては」
「似合うかな? それに、背が高いとあんまりサイズも見つからないし……」
「エレノア様なら、何を着てもお似合いになると思います。売っている店を知っていますので、ご安心ください」
案内されたのは、王都の仕立て屋だった。ソフィアの手によって次々と持ち込まれる衣装で、思わぬファッションショーが幕を開ける。
可憐なレースのワンピース、深紅のイブニングドレス、落ち着いた藍色のシフォンドレス――。
着替えて出てくるたび、ソフィアは無表情のまま手帳にチェックを入れ、「素晴らしいです」「可憐ですね」と淡々と褒めちぎる。エレノアは恥ずかしさに長耳を真っ赤にしつつも、ソフィアのまっすぐな視線が嬉しくて、何度も鏡の前で裾をひるがえした。
買い物を終え、落ち着いた喫茶店で一息つく。
テーブルに運ばれてきた紅茶の湯気を眺めながら、エレノアはふぅと息を吐いた。
「いい相手、見つかるのかなぁ」
「物事はいつも最適なタイミングで解決されると言います。エレノア様が諦めなければ、素敵な相手ができると思いますよ」
ソフィアはいつもの調子で静かに言葉を返す。
「それが何年か、何十年後か分からないけどね」
エレノアが少し遠い目をして呟くと、ソフィアは静かにカップを持ち上げた。
「もしかすると、私の寿命の方が先に尽きるかもしれませんね」
カチャン、と磁器の小さな音が響く。
ソフィアが静かにコーヒーをすするその横顔を見つめたまま、エレノアの動きがぴたりと止まった。胸の奥が、冷たい手でぎゅっと掴まれたように激しく動揺する。
――そうだ。この子は人族なのだ。
500年を生きる自分にとっての「数十年」は、この少女にとっての「人生の残りの大半」を意味する。目の前で平然とコーヒーを味わうソフィアの短い命の輪郭が、急に鮮明になってエレノアの視界に迫ってきた。
「ソフィアちゃん!」
がたり、とテーブルが揺れるほどの勢いでエレノアが立ち上がって、身を乗り出した。その黄金色の瞳には、かつて魔王に対峙した時以上の必死さが宿っていた。
「落ち着いてください」
ソフィアは倒れてくるのではないかというくらいに前のめりなエレノアに対しても驚きを見せずに冷静に杯を置いた。
「私と結婚して!」
「……何故その思考回路に至ったのでしょうか」
一切の揺らぎがない鉄面皮の回答に、エレノアは長耳を真っ赤に染めながら、溢れ出す感情を言葉に変えた。
「私は! 多分、恋とかしたことなくて……この人だったら好きになれるかもっていう条件を出してて……。背が高いとか、家事ができるとか、強いとか……そんなの全部、好きになるための言い訳だったの。でも、そんな条件なんて要らないくらい、ソフィアちゃんが好きだって思ったから!」
自分の短い寿命を知り、それを受け入れた上で淡々と寄り添ってくれる少女。自分を恐れず、傷ついた時に抱きしめてくれた存在。
500年を生きて初めて訪れた「初恋」の嵐に、大英雄は胸を強く打ち振るわせていた。
ソフィアはエレノアのまっすぐな眼差しを正面から見つめる。
どうしたものかと、ソフィアが少し考える。今まで条件に合う男性を探していたが、もしかすると女性でもいいのかもしれない、と。自身の趣向を正確に理解してもらう点では、エレノアにとっても十分な収穫になるのではないか。
「仮交際ならお受けいたします。お試しということで」
「……えっ? ほんと……!? うん!」
ぱっと花が咲いたような笑顔を見せ、エレノアはソフィアの手を握ったまま子供のように跳ね回った。
「……で、こちらが交際成立の報告書です」
翌日、相談所の所長室。
ソフィアが書類を提出すると、所長は羊皮紙とソフィアの顔を何度も往復し、見たこともないような複雑で絶妙な表情を浮かべた。
「あの……ソフィア君。『歩く天災』を攻略しろとは言ったが、君自身がパートナーになるとは思わなかったよ……。うん、おめでとう……でいいのかな……?」
引きつった笑みを浮かべる所長の祝福?を受けながら、ソフィアは無表情のまま深く一礼した。
こうして、世界最強のエルフと、どこまでもクールな新人相談員のお試し交際という、新たな物語が静かに幕を開けたのだった。