絶え間なく続く銃声の轟音。
共に戦う戦友たちの怒声。
その合間に響く銃弾が掠める音と砲弾の爆発音。
それが戦場のすべてだった。
我々は2年戦い続けてきた。
祖国を土足で踏みにじられ、多くの戦友を目の前で失い…。
守りたかった、守るはずだったモノも…多くが灰になった。
私は小鳥遊 伊吹。
運よくここまで生き残ってきた…ただの人間である。
私の所属する部隊は予備部隊だった。
練度はどうしても常備部隊と比べて劣る。
それでも2年間常に最前線で戦い続け、開戦時50人いた小隊は、今では20人もいない。
本来なら小隊としての機能を果たせないぐらい数を減らしている。
人的補充は追いついていない、それだけ戦況は悪かった。
「小隊長!ここは半包囲されてます! これ以上この陣地で耐えるのは絶望的です!」
すぐ隣にいた分隊長が小隊長へ叫んだ。
「右翼にいた1小隊の連中はどうなった!?」
「分かりません!砲撃と装甲車の苛烈な攻撃でバラバラになってしまって…」
「ロケット弾だ!!」
別の壕にいた者からの叫び声で頭を下げる。
刹那、今自分のいる壕の目の前に着弾した。
もう少し上に狙いを定められていたら、この壕にいた3人は肉片になっていただろう。
「このままだと全滅するだけだ。他の部隊と連携が取れるところまで下がるぞ!」
小隊長は後退の判断を下し、有線通信機を使って中隊本部へと報告しようとする。
半包囲されているということは、左右を固めていた部隊は後退したか…あるいは全滅したかである。
このまま留まって抗戦を続けても全滅することは必至だった。
「471こちら4712おくれ…471こちら4712おくれ…くそ!だめだつながらん!」
「無線機はあるか!」
「ついさっきの砲撃で持ってた奴もろとも吹っ飛びました…」
私は無線機が失われたことを分隊長へ伝えた。
有線も砲撃か何かで断線し使えない。
まさしく絶望的な状況だった。
「時雨三曹!中隊本部の位置は分かるな!?」
「分かります!」
「我々は後退するがこのことを中隊本部に伝えなければならない! 君は伝令となって本部に向かえ!」
「了解!」
勢いよく答えたが、この弾幕の中を一人潜り抜けて下がるというのはかなり難しい。
長く戦ってきたものの、敵の銃火の中に飛び込む恐怖心は拭えなかった。
「大丈夫だ、お前ならできる。援護射撃してやるから全力で走れ!」
私の不安そうな表情を見て取ったのだろう。
分隊長がそう励ましてくれた。
「はい!」
彼の言葉に勇気が出てきた私は再び威勢よく返事をした。
先に戦線を離れることに若干の罪悪感を感じたが、これも立派な役目である。
「いいか、我が方の銃声が聞こえたら別命なく走れ!」
分隊長は銃を構え射撃の準備をする。
私も覚悟を決め、走る態勢を取る。
次に合流できる時、何人が生き残っているだろうと考えることを私は止められなかった。
「伝令に向かう時雨三曹を援護する!撃て!」
命令を受け、自陣地の方から甲高い銃声が鳴り響く。
私はそれを確認し、意を決してこれまでいた壕を飛び出した。
「うらああああああああ!」
叫び声をあげて恐怖心をかき消す。
がむしゃらに、何も考えずに走った。
身の回りで『パチーン』という音速を超えた弾丸の衝撃音が何度も響く。
敵は間違いなく私を狙っていた。
だが、銃弾というものは落ち着いて狙える射撃場とは違って、戦場では中々当たらない。
敵に頭を上げさせず、集中して狙いを定める時間を与えないことは重要だ。
私が銃弾に倒れず走れているのは運と戦友達…小隊の仲間の援護があってのものだろう。
制圧射撃がなければ、とっくに撃ち抜かれているに違いない。
「うわ!」
目の前にあった倒木に足を取られ転倒する。
立ち上がって走りだそうかとも思ったが、興奮状態で体力を消耗していることに今まで気付かず、倒れてから思うように足が動かない。
仕方なく、息を整えるために伏せたままでいることにした。
その間に外傷はないか自分の体を調べる。
幸運なことに目立った怪我は見当たらず、銃創も無い。
少し時間が経つと周囲を確認できる余裕が戻ってきた。
相変わらず後方で銃声や爆発音は聞こえるが、至近弾を浴びているような音は確認できなかった。
少なくとも今は敵の射界から外れたらしい。
「早く中隊本部に撤退を伝えて、原隊に戻らなければ…」
焦りは禁物とは頭では分かっているが喉が焼けるように乾き、頬を伝う汗、荒い呼吸が正常な判断を奪っていく。
自分の居る位置を確認してまた走り出した時…。
「…っ!」
風切り音がした刹那、心臓に響く爆音と衝撃波が身体を襲う。
「くそ!マジかよ!」
砲撃が飛んで来たとすぐに理解する。
陣地の後方に落とすということは撤退阻止砲撃だろうか?
今まで幸運にも生き残ってこれたが、こればかりは疫病神に憑かれたと私は思った。
「頼むから、当たらないでくれ!」
心から出た本心だった。
降ってくる砲弾の雨を運任せで避けながら必死に足を動かして逃げる。
砲撃の範囲外に逃げられれば、命を繋ぐことはできる。
だが、運任せで避けるのには限界があった。
一際大きな着弾音がした瞬間、爆風と破片で身体ごと吹き飛ばされ視界が暗転する…。
「すまない……」
意識を保つことができず、そのまま抜けるように意識を手放した―――。
「はっ!」
気が付くと時間は夜になっていた。
慌てて自分の身体を触って確認する。
「無事…なのか?」
真横に砲弾が落ちて吹っ飛ばされたにもかかわらず、怪我もほとんどしていない。
いや、無傷といってもよかった。
武器装具も問題ない。
「もし幸運の女神とやらがいるなら感謝しなきゃな…」
2年間、銃弾にも砲撃にも当たることなく、今回は至近弾でも無傷だった。
宝くじが引けるなら、引いておきたい気分だ。
「さて…これからどうするか」
腕時計は数週間前に壊れて持っていないので正確な時間は分からないが、夜になっているということは少なくとも半日は経過している。
気絶していたことを考えると丸1日以上経っているかもしれないのだ。
時間が分からないのはもどかしい。
だが、新しい物を調達しようにも戦時下の希薄な物資量では難しかった。
耳を澄ましても銃声も何も聞こえない…自然の音だけだ。
もしかすると、私は敵中に取り残されていて前線までかなり離れているのかもしれない。
だとすれば、前進中…掃討中の敵に見つからなかったのも幸運だろう。
もしくは死体と勘違いされたか…。
「…」
改めて周りを見渡してみる。
木々の合間から漏れる月明りを除いて真っ暗だ。
今この状態で動いたら完全に遭難してしまうかもしれない。
「まずは日が昇るのを待とう…移動を決断するのはそれからだな」
極めて冷静に判断して、体力を温存することにした。
何事も焦って良いことなどない。
身体の上に土や葉を被せて隠れるようにして寝る準備をする。
用心するに越したことはない。
「虫が多いな今日は…」
もう冬に突入しようというのに、顔の付近に虫が徘徊している。
それに体感気温も寒いというよりは涼しいに近い。
地球温暖化もここまで来ると終いだなと皮肉を脳裏に思い浮かべつつ、虫が寄り付かないように首に巻いていたシュマグで顔全体を覆った。
しばらく思考をめぐらしながら眠りにつく。
いくら考えても分かるはずがないのにどうしても考えてしまう。
『みんなは無事に撤退できただろうか…』
あの時生き残っていた戦友の顔が浮かぶ。
表現は古いかもしれないが、同じ釜の飯を食ってきた仲間だ。
友の死も乗り越え、励まし合い、あそこまで生き残ってきた。
一人でも多く生き残っていることを祈るほかない。
戦況に関しては、もう絶望的だろう。
同盟国の援軍だけが頼みの綱で、希望だった。だから絶望的な戦況下でも死に物狂いで戦い、時間稼ぎをしていた。
だが、私の部隊がいたのは首都圏の真っただ中。
連絡がついていた時でさえ、すでに首都中心への砲爆撃は始まっていたから、正確にいえば部隊単位での撤退など不可能に近かったのかもしれない。
上手くあの場から後退できても撤退できる余地があったかどうか…。
『…もう考えるのはよそう』
考えれば考えるだけ悪いことだけが頭によぎる。
シュマグを巻いたままの顔を軽く振って思考を遮り、無心になることを務めた。
そして目を瞑り、意識を手放す努力をしたのだった――――。
「朝…か…」
朝、何とか眠りにつき目が覚めた時、正気を疑う光景が広がっていた。
私がいた場所は鬱蒼とした森…間違いなく自分が気絶した所ではない。
砲撃で焼け野原になった痕跡すらもなく、もはや大自然と言っても過言ではなかった。
昨日の夜、違和感を多少覚えたものの、気のせいだろうと一蹴していたが…。
あの時の感覚は間違っていなかったらしい。
できれば思い過ごしであってほしかった…。
理解が追いつかない頭で混乱を来しているのが自分でも分かる。
これならまだ焼け野原の方がまだマシだった。
その方が視界も効いただろう。
「くそ、このまま留まっても助けは来ないぞ…どうすればいい」
コンパスもなく、木々に邪魔されて太陽の位置も分からない。
視界の効かない森で方角も分からないのではまっすぐ進むのも困難だ。
ヘタするとほぼ同じ場所をぐるぐると回ってしまう可能性もある。
自分に残された時間も少ない。
私にサバイバルの技術はないからだ。予備役がレンジャー訓練をできるはずもなし。
現状の手持ちは半分程度になった水筒と、一日分の携行食だけだ。
水源は移動すれば見つけられるかもしれないが、食料はどうにもならない。
食用の葉と実も区別がつかなければ、動物を仕留められても捌き方が分からない。
それに、銃声を出せば敵に見つかる可能性もある。
「本当に…どうすればいいんだ…」
蹲って頭を抱える。
どれだけ思考をめぐらせても、混乱した頭ではまともに結論も出せなかった。
どれだけの時間が経過しただろうか。
数分かもしれないし数時間かもしれない。
「ここに留まっても干からびるだけだ…なら…」
私は移動することを決心して立ち上がる。
少なくとも水を確保しないと数日のうちに干からびてしまう。
移動している間に開けた場所に出るかもしれないし、位置が分かるかもしれない。
「…よし」
付近に落ちていた枝を拾い、上に投げる。
すると当然のことながら重力に引かれて青々と茂る草の上に落ちる。
「こっちか」
私はその枝を拾うと、枝が指示した方向へと歩き始める。
「私が助かるかどうかは君次第だ…頼んだぞ」
一種の願掛けや呪いに近かった。
自分で適当に進み始めても、枝に運命を任せても同じことだろう。
ならば、選択を他人に任せたような気になれて精神的に安定させる方がいい。
だから私は枝の指示のままに歩み始めるのだった――――。
「今日はここまでだな…」
辺りが暗くなってきたところで足を止める。
本日の成果は…なし。
水源すらなかったし、動物にも出会わなかった。
獣道らしきものがあれば、それに頼るという選択もあったのだが…。
「はぁ…」
焦る気持ちを落ち着かせるため、溜息を吐く。
水を確保できなかったのは痛手だった。
すでに水筒の水は尽きかけている。
「ダメだ、一旦リセットしよう…」
どうしても気持ちを落ち着かせることができなかったので、ここで大事な携行食に手を付けることにする。
雑納から携行食を取り出し、袋を開けた。
ここで食べるのは半分だけ…。
つまり明日の分までしか持たない。
少なくとも明後日までに何かしら道を見つけないと、絶命までの最終カウントダウンが始まることになる。
「うーん、そうでもないな…」
戦場では、温かい食事など期待できなかった。
例え、火が通せて暖かくできても食べる頃には冷え切っているのが普通になっていた。
暖かければ柔らかくて味も悪くない糧食であるが、冷えているとどうしても質は劣る。
だが、衛生的に食べられる貴重な食糧だ。
最後の一滴、最後の一粒までしっかり食す。
「しかし、何なんだろうなこの暑さは…」
今日の昼間…正確には昨日の夜からかもしれないが、夏ではないかと思うほど気温が高い。
蝉のような夏独特の生物の声も聞こえる気がする。
偶々暖かい日なのか、それとも温暖化の影響が深刻なのか、両方か…。
「それとも核が落ちたか…笑えないな」
頭に過ったものを口に吐き出し、すぐに否定する。
核が落ちたらずっと暑い訳がないし、瞬間的な暑さならこの程度では済まないだろう。
「今日は早めに寝よう。これだけ暑いなら昼間に動くのは賢明じゃない…朝と夕方に動くべきだ」
栄養が脳に回ったことで、多少正常な判断が出せるようになったんじゃないかと思う。
朝、日の出と共に行動するために早々と眠る準備をする。
移動中、敵の気配…そもそも戦場に相応しい銃声やヘリ、航空機の音も聞こえなかったが念のため、昨日と同じように身を隠すように横になる。
「もしかしたら思っている以上に戦場から離れてしまったのだろうか…」
頭の中で『降伏』という最悪の二文字が浮かんだがそんなはずはないと口には出さない。
疲れているはずなのに、今日も中々眠れそうになかった――――。
翌日、日が出て明るくなり始めた。
ここでまた一つ幸運なことに気付く。
朝露が降りていたのだ。
「水…!」
急いで付近の葉に付いた水滴を集めていく。
しばらくは水滴を集めながら進んでいく事にした。
量は微々たるものだが、今は一滴一滴が命を繋ぐ恵み。
水は最終的に水筒の1/3ほど貯められた。
十分な量とは言えないが、節約すれば今日の分は何とかなるかもしれない。
「雨でも降ってくれればいいが…」
水が不足するとどうしても水の事で頭の中でいっぱいになる。
だが、水に捕らわれてばかりでもいけない。
私は気力を振り絞り、速度を上げて道なき道を進んでいく…。
「暑い…」
数時間は歩いただろう。
朝から体力を消耗し、もう時間なんて考える余裕はなかった。
暑さと高い湿度に耐えながら人工物や獣の気配が無いかを探るのは思った以上に苦痛だった。
時間と共に迫るタイムリミットは目には見えないが、体力の喪失と共に感じることは出来た。
確実に遭難しているという自覚と焦燥感は時間と共に増していく。
これも苦痛を助長する要因だと思う。
「明日までに道を見つけないとまずいな…」
暑くなってきたので移動を止め、休憩を取る。
まだ水も本格的に確保できていなければ、森を抜けだす手がかりもない。
はっきりいって絶望し始めている。
体力の許す限り抗うつもりだが、精神が焦りで押しつぶされそうだ。
今は何とか理性で保っているがいつまで持つことか…。
水も食料も不足すれば正常な判断は出来なくなる。
間違いなく悪循環に陥るだろう。
そうなる前に何とかしなければならない。
「よし、行こう…」
体力の回復と、日が傾いて気温が落ち着いたのを確認してから移動を再開した。
気絶から目が覚めて4日目の夕方になろうとしている。
水も食料も底を尽きた。
あとは脱水症状で動けなくなるのを待つのみ。
いけないことだとは分かりつつも、手に持っていた小銃を杖代わりに歩かなければならないほど体力も消耗している。
意識は何とか保てているが時間の問題だ。
「もう、諦めようかな…」
諦めれば楽になれる。
戦死した戦友にも会えるかもしれない。
「ここまでか…」
諦めて膝をつこうとしたその時
『最後まで生き残る努力をしろ!』
『生きて帰ってきて!ずっと待ってるから!』
「!!!」
これまでの事が走馬灯のように頭を駆け抜け、過去の記憶から生きろと励ましを受ける。
膝をつきかけた、その足を踏ん張って元に戻す。
「なんで、忘れてたんだろうな…」
こんな極限状態でも涙は出るらしい。
私を待っている人たちの為にもここで諦めるわけにはいかない。
最後の最後まで抗ってみせる。
最後のその瞬間まで…。
「まだまだ…まだ死ねないんだ!」
何とか気力を取り戻し歩き始める。
正直いって、疲れや暑さから脱水症状の兆候は表れ始めていると思う。
幻覚まで見るようになったら最悪だ。
いや、こんな走馬灯を見るようでは、すでにその領域に達しているのかもしれない。
『ガサガサ』
「っ!」
しばらく意識を朦朧とさせながら歩いていると、明らかに風の影響ではない音が聞こえた。
だが、そちらの方向に視線を向けてを何もない。
「幻聴か…?」
それでも足がそちらへ向いた。
しかし、何もない。
「くそ、ついに幻聴まで…うっ!」
急に力が抜け、倒れる。
「なんでこんな幻聴なんか!くそぉ!」
悔しくて声を漏らす。
極限状態の幻聴とはそういうものなのだが、余裕がない私はそう考えることは出来なかった。
涙を流しながら何度も地面を叩いた。
しばらく泣きながら倒れ込んでいた…。
辺りが暗くなり始めた頃、ようやく気持ちが落ち着き顔を上げることができた。
もう動くことは出来ないかもしれない―――とそう思った刹那、ふとあることに気付く。
倒れているところは地面が完全に露出し、一本の線になっていた。
その一本の線に沿って、そこだけ視界が開けている。
「…獣道!」
そう確信した。
幻覚でも妄想でもない。
「本物だ! ははは!」
乾いた笑い声でやっと見つけた救いの一本の糸に喜ぶ。
まだ人工物にはたどり着いていないが、動物がいるということは飲み水に出来る水源も近くにあるはずだ。
何度も死を覚悟して、苦労して見つけた救いの糸にまた励まされ、立ち上がりその獣道を歩く。
本当なら見失うのを避けるため、なるべく明るい時間に行動すべきだが、そんなことを考える余裕はどこにもなかった。
日が落ちかけた僅かな明かりと、月明り、手探りを元に進んでいく。
鬱蒼とした森の中でも獣道なら意外と月明かりがあれば分かりやすかった。
月齢が満月に近いことも関係しているだろう。
頻繁に動物が利用しているのか、進んでいくごとに広がっていく感じもする。
4日目…正確には5日経っているかもしれないが、久しぶりに事態が好転したことに私は浮かれていた。
獣道を見つけて何時間歩いていたのか見当もつかない。
ただひたすらに、ただひたすらに進み続けた。
必死に獣道を見失わないよう歩き続けていたからか、それとも疲れから注意力が散漫になっていたからか。
後ろにいた…いや、通り過ぎたといった方が良いだろうか。
そのモノに気付くことができなかった。
「あなた、にんげん?」
「え?」
いきなり後ろ方向から、思いもよらない声を掛けられて素っ頓狂な声を出してしまった。
女性…どちらかというと子供の声だ。
「やっぱり、にんげんなのだ!こんなところで珍しいね」
振り返るとそこには幼く見える少女がいた。
夜目も効いて、月明りも丁度少女を照らしていたからはっきりと視認できた。
金髪のショートヘアー。頭にリボンの首飾りをしている。
服は黒を基調とした洋物を身に着けていた。
身なりも整っており可愛らしいという言葉が似合うだろう。
ぱっと見は外国人だろうか?
戦時中なのに珍しい。
戦争が起こった時、大半の外国人は国外に避難したはずだからだ。
「き、君はなんでこんなところにいるの? それに夜に出歩いてちゃダメじゃないか。今はいないかもしれないけど怖い敵がいるかもしれないし」
「なんでって、わたしはここに住んでるからなのだ。それによるだからわたしはつよいんだよ、つよいヒトはたくさんいるけど」
おかしな子供だと思った。てっきり逃げ遅れてこんな森の中に逃げてきたのかと思えば、彼女曰く違うらしい。
「そう…か、なら君はこのあたりに詳しいの?」
「そうなのだー」
この際子供でも何でもいい。このあたりの地理に詳しいなら人が住んでいる場所もそこまで遠くないのかもしれない。
彼女に案内してもらえばこの森からも脱出できる。助かったと安堵の溜息を洩らした。
「にんげんはまいごなのかー?」
「ああ、そうなんだ。だから人の居るところまで案内してほしいんだけど…頼めるかな?」
心配させないよう精いっぱい元気な声で話す。
声は枯れているから疲れているのは隠せないだろうけど、怖がらせないようにゆっくりと少女に近づいた。
「そのかっこう…もしかして外のにんげんなのかー?」
「外の人間…?」
外国人のことなら目の前の少女だろと思ったが口には出さないでおく。
「よくわからないけど、違うと思うよ」
「いいや、ぜったい外のにんげんだよ!そんな格好のにんげんなんてこの世界にいないのだー!」
「うーん…」
ますますおかしな子供だな…。
外の人間だとか、この世界にこの格好の人間はいないだとか。
逆にそっちの方が少数派だろと頭の中でツッコミを入れる。
なんなら、迷彩の服を着てる人なんて今はそこら中にあふれてると思うが…。
「ねえ、外のにんげんっておいしいのかー?」
「は?」
思考している最中に不吉な単語が聞こえた気がして、意識を彼女に戻す。
容姿は可愛らしい少女のままだが、どこか目の奥がさっきまでと違って見える気がする。
「一度、外のにんげんをたべてみたかったのだ!ねぇにんげん、たべてもいい?」
「…」
私は無言で身構える。
第六感…本能が警鐘を鳴らした。
危険だ…と。
「じゃあ、いただきます…!」
少女は狂気の表情を増し、襲い掛かってくる。
「早い…」
すんでのところで飛びつきかかってきたの避けた。
本当に人間の子供なのかと疑うぐらいのスピードだった。
警戒していなければ間違いなくやられていただろう。
「にんげんよわそうなのにへんなのー…でも!」
今度は顔…いや、首元を目掛けて飛びついてくる。
先ほどよりも至近距離で避けられそうにない。
「え」
持っていた銃を振り上げて銃床打撃を彼女に繰り出す。
ストック部分がおそらく顔面に直撃したのだろう。
バランスを崩して倒れ込む。
自分は接触しないよう、素早く横に引いて受け流す。
ここまで明確に襲われては子供だろうと手加減はできない。
「痛い…のだ!」
「くっ!」
よろめき、倒れかけた少女を見て油断したのが命取りだった。
最善の行動は彼女と距離を取ることだったが体力も底を尽きかけていることもあり、その場を動かなかったのだ。
案の定、至近距離で攻撃を受け、何とか銃で防御するが後ろへ倒れ込んでしまう。
「さあ、かんねんするのだー!」
彼女の顔面が目の前に迫る。
先ほどまでの可愛らしい印象は彼方に消え、その顔は狂気の笑顔で染まり切っていた。
ここでさらに恐怖が心を支配する。
「うわ!」
銃ごと少女を押し上げて身体との隙間ができたところに足を入れ、蹴り倒す。
彼女との距離ができた隙に立ち上がった。
「にんげんのくせに!」
再び飛び掛かってくる。
脳裏に過るのは最接近したあの狂気の笑顔。
私は考える暇もなく、咄嗟に銃の安全装置を外して2発撃った…。
『パンパン――……』
甲高い銃声が静寂な夜の中に木霊する。
足の力が抜け、その場で尻もちをつく。
自分で撃ったはずなのにしばらく状況が理解できなかった。
「うっ…あ…」
2発のどれかは当たったのだろう。
少女は蹲って倒れ、うめき声をあげている。
よく見れば血のようなものが見えている…かもしれない。
「う、うわああああああああ」
罪悪感と、これまでとは質の違う恐怖に耐えきれずその場を走り出す。
「何なんだよあいつ!あれは何なんだ!」
言葉を吐き捨てながら、半狂乱状態で走り続けた。
折角見つけた獣道も見失う。
だが、今更戻ることもできない。
気付けば走ることを止め、息も絶え絶えになりながら歩いていた。
よくもまあ、こんな体力が残っていたものだ。
これが火事場の馬鹿力というものだろうか。
しかし、本格的に体力の限界を迎えている。
完全に意識が朦朧とし、視点も定まらない。
瞼が重力に抗えず、目を瞑り視界が暗転するとそのまま崩れるように倒れ、意識を手放した―――。
次に目を覚ました時、日は登り明るくなっていた。
明るさ的に朝ではなく昼間ぐらいだろう。
「いき…てる…」
まだ生きていることに若干や驚く。
あんなこともあって、体力も使い果たして、生きているのが不思議なぐらいだ。
力が上手く入らない四肢を震わせながら、銃を杖にして何とか立ち上がる。
すぐに周りを見渡すと、ある方向に一際明るい光が横一列に見えた。
「…」
無言で、考えることも無く、無心でその光を目指す。
幻覚でもよかった。
最後に希望を見て死ねるならそれで…。
よろよろになりながら、一歩ずつ一歩ずつ光に近づいていく。
最後の茂みを超えた時、あまりの明るさに…久しぶりに直接浴びる日光に目がくらみ、腕で顔を覆う。
しばらくして目が順応すると少しずつ瞼を開き、周りを見る。
「人工の…道…?」
それは白い石畳の様だった。
右手の奥には階段があり、その稜線の先には鳥居が立っていた。
「神社?」
私は吸い寄せられるように鳥居の方向を向かう。
なぜだか分からないが呼ばれているような気がするからだ。
理由は分からない。考える余裕はもう頭にはなかった。
四つん這いになり、手と足と膝を使って必死に登っていく。
それほど長い階段ではないはずなのに延々と登らされているような気がした。
やっとの思いで階段を上り切る。
そこで見たのはやはり神社…と赤い服を着た巫女…?
視界がぼやけてはっきりとは見えない。
「こんな昼間から何の用…ってあんた何!?」
はっきりとしない意識の中でその人が駆け寄ってくるのが分かる。
「っちょ、くさい!しかもボロボロじゃない!」
「やかましい…耳に響く…」
女性特有の高い声が疲れ切った耳に、脳に刺激を与え不快感を覚えた。
「やかましいって失礼ね!この服どう考えても外の人間でしょ!」
また耳にする『外の人間』という単語。
「だから…私は、外国人じゃ…ない…」
それだけ言って石畳みの上に力尽きる。
石畳みは熱を帯び暑いぐらいだった。
「ちょっと!大丈夫!?しっかりしなさい!」
意識が薄れゆく中、彼女の声だけが頭に響いていた――――。