その頃の私は、自分のことを「人間のふりがうまい生き物」くらいに思っていた。
◇
パリストン=ヒルと初めてちゃんと意識して関わったのは、入学してすぐのことだった。
15歳。
同じ年齢、同じような立場の人が集まる中、
パリストンだけが最初から完成されていた。
誰に話しかけられても柔らかく笑って、相手の名前をちゃんと覚えてて、冗談も真面目な話も、ちょうどいい温度で返す。
あぁ。上手いな。
思ってもないことを良くもあそこまで完璧にとり繕える。
目が合う。
彼は他の人と楽しそうに笑ってる。
私は鼻で笑った。
――退屈。
感情が同期する。
退屈があるだけ、まだマシだと思うけどね。
◇
私は自分から湧き出る感情が薄い。
ほとんど無い。
誰かの感情との同期。
それを通して、私は感情を学んだ。
◇
「あんた、何考えてんの?」
パリストンが、こちらを振り向く。
いつもの、人好きする笑顔。すっと血の気の無い、仕上がった仮面。
「……? どういう意味かな?」
声のトーンも中立的優しさ。
――何も感じない。
私は少しだけ首を傾げた。
「……ねぇ。私の目、見て。
何考えてるか、教えてよ」
パリストンの顔は崩れない。
ただ、ほんの一瞬、瞳孔がすっと収縮したのが見えた。
目が合う。
その瞬間、感情が流れ込む。
――不快。嫌悪。
反射的な拒絶。
好意は、ゼロ。
私はそれを味わいながら、ぼんやりと思う。
あぁ、好きだこれ。
パリストンは、少し照れたみたいに笑って、視線を逸らした。
「少し恥ずかしいかな。
僕に興味持ってくれるのは嬉しいんだけど」
今度は、こちらの顔を伺うように目を戻してくる。
そこにはさっきの嫌悪はもう見えない。綺麗に上塗りされている。
けど、私にはもう入ってこない。
あれは一瞬だけ、うっかり漏れた本音だ。
「興味かぁ。……興味ねぇ……」
口に出して自分で言ってみる。
しっくり来ない。興味というよりは――中毒に近い。
でも、わざわざ修正するほどの情熱も無いから、雑にまとめる。
「まぁ、どうでもいいんだけどさ」
私はそこで視線を外した。
その瞬間、また感情が同期する。
――少しの快感。
ふっと、背筋をぞくりとした感覚が這う。
さっきまでの嫌悪とセットで、妙にしっくりくる。
……捻れてるな、こいつ。
たまに思ってたけど、確信に変わる。
この人、嫌悪と快感が、変な繋がり方してる。
「勘違いだったらとても恥ずかしいんだけど、
君って、僕のこと好きなのかな?」
――真正面から。
照れている風もやめて、いつもの「好青年」の顔。
そういう質問、普通、照れとか期待とか、何かしら漏れるでしょ。
静かすぎる。
表情も感情も、きれいに整えられていて、隙がない。
「……そうそう。好き好き。ちょー好き」
適当に言ってみる。
何も起きない。
あいつは揺れないらしい。
つまんないな、と立ち上がった瞬間だ。
ドクン、と心臓が跳ねる。
――警戒。
――恐怖。
今度ははっきり、私に向けられたそれが、頭の芯に刺さる。
あまりにも強くて、一瞬足が止まった。
……は?
振り返る。
パリストンは、変わらず、綺麗に笑っていた。
「僕も好きです。付き合おうか?」
「嫌だけど」
即答すると、今度は――
――快感。
――恐怖。
――嫌悪。
――好意。
ぐちゃぐちゃに混ざったものが、押し寄せては崩れ、押し寄せては崩れる。
まとまりを拒むみたいに、ぐらつきながらも、確かに私に向いていた。
私はそのカオスを、「美味しい」と思った。
歩きながら胸の内で何度も味わい直す。
この世界で、なによりも、彼の感情が魅力的に見えた。
それでも、その日私たちは、恋人にはならなかった。
卒業するまで、そのまま「特に親しくもないクラスメイト」で通した。
◇
世界が歪み始めたのは、案外早かった。
卒業から一年ちょっと経ったあたりからだ。
まず、同級生の一人が死んだ。
事故だと言われた。ニュースにもなった。
ブレーキの効かないトラックに突っ込まれたらしい。
そんなこともあるか。
次に、別の同級生の家が火事になった。
家族全員死亡。これもニュースになった。
漏電だったとか、何とか。
まぁ、そういうこともあるよね。
三人目は、旅行中の山崩れ。
四人目は、ひったくりに刺殺。
五人目は、飲酒運転の車に撥ねられてそのまま死亡。
――流石に多くない?
顔見知り程度の奴も混ざってたから、最初は「同じ学校だから目につくんだろう」と思った。
けれど耳に入ってくる名前が、微妙に重なる。
同じクラスだった奴。
パリストンとよく話していた奴。
パリストンに告白して玉砕してた奴。
そこで初めて、私は「そういえば」と思い出した。
――パリストン、今どこで何してるんだろう。
調べようとは思わなかった。
ただ、そのタイミングで、私の周りにも事故が降ってきた。
親が事故に遭った。
友人が、巻き込まれた。
死にそうで死なないラインを、絶妙に踏んでくる。
病院を行ったり来たりしている帰り道で、私はそいつに会った。
「偶然だね」
振り返ると、そこに、学生時代と変わらない笑顔があった。
淡い色のシャツ。よく似合うネクタイ。
場違いなまでに爽やかな、人のいい顔。
「……偶然ねぇ」
私は気だるげにパリストンを見上げる。
病院の駐車場。
夕暮れ。
私とパリストンがいたクラス、私たち以外みんな死んだけど。
……そんな偶然が、あるわけがない。
――好意。
――不快。
私が振り向いたのと同時に同期する。
なんだその組み合わせ、と笑いそうになる。
「大丈夫?
親御さん入院してるんだって?
嫌なことって重なるよね」
パリストンは、可哀想だとでも言うように顔を歪める。
眉を下げて、目尻を柔らかくして、声を落とす。
私はそれをただじっと見る。
――嬉しい。
同期した。
あまり混ざってない、雑味の少ない好意。
鼻で笑う。
「私に、どうして欲しいの?」
私は、一瞬本気でこう思った。
あぁ、私の番か。
過去を全部消してるんだ。私だけ逃れられるわけもない。
パリストンは、少しだけ目を細めた。
「どうして、って?」
私は、以前の彼のセリフを思い出した。
――僕も好きです。付き合おうか?
記憶をなぞるように声に出す。
「……彼氏にでもしてあげようか?」
その瞬間、
――落胆。
――執着。
――警戒。
彼の顔から、笑みがスッと消えた。
仮面をつけ直すことすら忘れたみたいな、空白。
私はそれを眺めながら、続ける。
「それとも、私、
あんたの為に生きてあげようか?」
そこら辺の感情より、ずっと美味しい。
それに私の能力は恐らく、こいつにとっても使えるものだろう。
――不快の中に少しの安心。
――嬉しさ。
――消えない警戒。
パリストンは、今度は照れたように笑ってみせた。
「付き合いましょう。
僕、学生の時から、ツィルのこと好きでしたよ」
「知ってた」
口が勝手に動く。
――嫌悪。
彼の中にあるそれが、はっきり同期した。
分かりやすくて、笑える。
目を細める。
「でもさぁ。
……好きで、嫌いで、ずっと見てたくて、……エロい事したい相手でしょ。
私のこと、そういう目で見てるの、知ってるんだけど?」
パリストンはきょとん、とした顔をした。
――混乱。
遅れて、
――恥。
――照れ。
じわじわと色が足されていく。
私は笑う。喉の奥がくすぐったい。
「パリストンからは、これ初めて感じたよ」
そう言った瞬間、
――好意だけが、ストレートに同期する。
澄んだ水みたいに、濁りのない、真っ直ぐな好意。
気味が悪い。
パリストンは少しだけ目を伏せ、
「……ツィルのこと、もっと教えてくださいね。
僕、彼氏ですから」
綺麗に作り笑いを浮かべた。
◇
「――って感じ。
まぁ、口で言っても分かんないか」
後日。
彼の部屋――と言っていいのか、やたら広くて無駄に片付いた空間で、私は簡単に説明する。
どういうタイミングで感情が同期するのか。
どんな強さ・種類の感情が入りやすいか。
どれくらい持続するか。
パリストンは机に散らばる紙に、さらさらとペンを走らせながら、私の能力について、説明を始めた。
「超能力?」
「うん。その認識でほとんど合ってるよ」
ペン先を止めて、こちらを見た。
「念っていうのは、誰にでも素質があってね。その中でもツィルは特質系だと思う」
「ふーん」
興味がないわけじゃない。
ただ、知識を増やしても、私自身の乾きがどうにかなるとは思えなくて、声に熱が乗らないだけだ。
「興味出ない?」
パリストンは口元だけ笑わせて、目だけで伺ってくる。
「それとも理解できてないかな?」
挑発の含みを嗅ぎ取って、私はため息をついた。
「それで、私はどうすればいいの? ってだけ」
やりたいようにやればいい。
ただ、その結果私が、より強い感情に浸れるなら、それでいい。
「……いいの?」
ペンを机に置いて、パリストンは椅子の背にもたれた。
目を細め、じっと私を見る。
「僕の好きなようにしたら、
都合よく、ツィルに不利益なことしちゃうかもしれないよ?」
――落胆。
同期したそれに、こちらの方が肩すかしを食らう。
何を期待してたんだか。
「私の周り、全部消しといてよく言うよ」
言って、にやりと笑った。
家族も、友人も、教師も、学生時代のあれこれも。
気づけば、私の「過去」に繋がるものは、ほとんど事故で潰されていた。
犯人は考えるまでもない。
パリストンは、薄く微笑んだ。
「僕が支えになるよ。彼氏だからね」
彼氏って便利な言葉だな、とどうでもいいことを思う。
「……好意はあんたからで十分かな」
ぽつりと言えば、彼は目を細めた。
「じゃあ、不快な感情をツィルがたくさん取れるような能力にしようか」
楽しそうに笑う。
その感情が、ほんの少し同期する。
――快感と、愉悦。
「……それ普通は嫌がらせだからね?」
口ではそう言いながら、自分でも分かるくらい口角が上がる。
「だってツィルは、不快な感情、好きだよね?」
パリストンは腰を浮かせ、机越しにこちらへ身を乗り出す。
視線を絡めるように近づき、真っ直ぐ目を覗き込む。
――不快。
――警戒。
――躊躇のない、喜び。
その混ざり方が、学生の時と全然変わってなくて笑えた。
僕と同じで、とでも言いたいの?
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
代わりに、素直な本音をひとつだけ出す。
「……好き」
好意なんかより、ずっと。
体を蝕むような、おぞましい感覚。
胃を裏返されるような嫌悪、脳の芯を掻きむしる恐怖、自己否定で全身を叩き潰されるような感覚。
底がない感覚が、私は好きだった。
「不快な感情をもっと、一瞬だけじゃなくてさ」
喉が自然と笑いを含む。
「追体験レベルのが欲しいな」
同期じゃない。
これは、確かに私自身の感情だ。そう思った瞬間――
――快感。
パリストンの中で、それが跳ね、
私の感情が上書きされた。
「……可愛いなぁ。ほんとに」
彼はそう呟く。
邪魔された気がして、私は笑みを消した。
「で、できるの?」
パリストンは、私に合ったものを用意してくれる。
そういった信頼だけは、不思議とあった。