パリストンの部屋。
私は椅子を回しながら、片足で床を蹴る。
ちょっとだけ揺れる視界の中で、彼は笑って、説明を続けた。
「まず、前提として。
君の元々持っている能力は、他人の感情を一瞬、同期するもの」
「そうだね」
「それを、過去にも伸ばそう」
――かすかな期待。
パリストン自身がこの能力に期待してる。
「君の言葉や行動をきっかけに、相手が思い出した不快を、君がまるごと追体験する能力にする」
私は椅子の揺れを止めた。
「……追体験」
「そう。
ただのフラッシュバックじゃない」
パリストンは、ペンを指で転がしながら、さらりと続ける。
「匂いも、音も、色も。
相手の感じたまま、少し誇張された形で、全部乗せで味わえる。
相手がその感情に呑まれている間は、君もずっと一緒に沈める」
パリストンは笑を貼り付けた顔で続ける。
「僕がツィルの為に考えた能力だ」
「能力を使う相手は僕が用意する。
死ぬほど気持ち悪いものを感じれるよ」
「それでも、君は僕の隣で笑ってくれるよね?」
――期待
――独占欲の混じった好意
――恐怖と警戒
好意だけだと好みでは無いけど、ここまで混ざればこれはこれで良さがある。
「お望みとあらば?」
私は綺麗に笑みを作る。
◇
出来上がったのが、私の念能力――
■余韻採取(アフターテイスト)
私の言葉や行動に刺激されて相手が思い出した、「過去の不快な感情」。
それに伴う記憶を、本人と同じように追体験する能力。
匂い、色、音、質感。
相手の記憶の中で歪んだ世界を、そのまま私の五感に流し込む。
■制約と誓約
明確な発動する意思を必要とする。
相手に能力を悟られたら、強制的に中断。
私自身が「不快」を感じそうなものにしか使えない。
◇
最初の実験台は、協会の職員だった。
名前はどうでもいい。
書類上の肩書きも、別に覚える必要はない。
ただ、パリストンの説明だと、
「過去にちょっとしたトラウマを持っている人」らしい。
本人には、能力の話はしていない。
簡単な聞き取りだとだけ告げられて、
小さな面談室に座っていた。
狭い部屋。
テーブルを挟んで、相手と向かい合う。
壁の時計の音が、妙にうるさい。
「じゃあ、よろしくお願いしますねー」
パリストンがにこやかに言って、部屋を出る。
扉が閉まる音と同時に、外側の気配が途切れる。
静けさの中で、相手の呼吸の速さがよく分かる。
「えっと、その……ツィルディさん、でしたっけ」
「別に名前とかどうでもいいよ」
私は椅子に背中を預けたまま、相手を眺める。
目の下に、薄いクマ。
指先が落ち着きなく動いている。
──どこを突けば、崩れるかな。
少し考えてから、口を開く。
「ここに来る前に、誰かに似た人を見なかった?」
「え?」
反応速度が、分かりやすい。
驚きと、瞬間的な警戒が走る。
「その似た人を見て、
……嫌なことでも思い出したんじゃない?」
「そ、そんなことは……」
否定の言葉と一緒に、胸の中に濁ったものが流れ込んでくる。
恐怖と、羞恥と、後悔。
私は、軽く笑って見せる。
「別に、責めてないけどね」
──ああ、引っかかった。
「何があったの?
私に教えてよ」
次の瞬間、世界がひっくり返った。
床の色が変わる。
光の質が、面談室の白から、黄色がかった薄暗さに切り替わる。
焦げた匂いが肺の裏にへばりつく。
熱い。熱い。熱い。
耳元で叫び声が自分の骨を震わせるみたいに響く。
目の前で、火の柱が立ち上がる。
炎の中に、人の輪郭が見える。
伸ばした手が届かない。
脚が動かない。
喉が張り裂けそうなのに、声が出ない。
──ああ、これか。
胸を掴まれるような恐怖と、
自分だけが逃げたような罪悪感と、
どうしても戻れない場所への渇望。
それらが、一気に私の中に流れ込む。
気持ち悪い。
吐きそう。
最高。
暗い炎の色が、瞳の裏に焼き付く。
皮膚が焼ける感覚まで、まるごと伝わってくる。
本人が感じた誇張された地獄が、そのまま私の感覚を乗っ取る。
──もっと。
沈み込みたい。
底なしの不快に、完全に飲まれたい。
そう思った瞬間、
誰かが肩を掴んだ。
感覚が、ぷつりと切り替わる。
熱さが消える。
視界は面談室に戻っていた。
肩に置かれた手は、パリストンのものだった。
「……」
「……」
相手の職員は、テーブルに突っ伏して震えていた。
私は、肩を掴まれたまま、しばらく瞬きを繰り返す。
現実に戻ってきた、という感覚が遅れて追いついてくる。
パリストンは、私を見下ろしていた。
笑っていない。
いつもの笑顔ではない。
そこにある感情が、一気に私の中に雪崩れ込んだ。
――恐怖。
――渇望。
――独占欲。
――期待。
全部が、不快の海を上回る勢いで押し寄せる。
息が詰まった。
耐えきれない、という意味じゃない。
これはこれで、美味しい。
パリストンは、掴んでいた手をゆっくり離すと、
職員の方へ向き直った。
「大丈夫ですか? すみません、少しきつい質問をしてしまったかもしれませんね」
声だけが、いつもの穏やかな調子に戻る。
私は、背もたれに沈み込みながら、ゆっくり呼吸を整えた。
胸の奥には、さっきまでの火と、
今のパリストンの感情の残り香が、混ざって漂っている。
──これが、余韻か。
私は、思わず笑ってしまった。
◇
能力が形になってから、パリストンは私を「仕事」に使い始めた。
彼の要求を伝える「窓口」として、各地へ派遣される形で。
表向きは、ただの連絡係。
実際には、相手のトラウマを、感情として私が味わって、彼に伝える。
「ありがとう。
今回のかなりよかった」
私は上機嫌で書類をパリストンに渡す。
体験して分かった中から、客観的なことだけをまとめた書類。
「気に入ってくれてよかった」
パリストンはいつも通り、ニコニコと作った笑みを浮かべて受け取る。
書類には、誰が、どういう状況で、どんなことをされて、どう感じていたか。
なるべく詳細に書くように求められた。
私の主観は挟まない。
「そいつ、婚約者を殺されてたよ。じっくり目の前で、少しずつ、じわじわと」
私は書類には書ききれなかった「あの感じ」を、主観で、言葉にする。
「指先から。髪、爪。指。腕。足。胴体に目。
時間をかけて壊されていくのを見てるだけ。
それなのに、こいつ自分のことみたいに感じててさ。」
パリストンは書類を読みながら、私の言葉に耳を傾ける。
ときどき、顔を上げて私を見る。
そのたび、
――不快。
――殺気。
――興奮。
――快感。
ぐちゃぐちゃした感情が一瞬だけ向けられて、同期する。
それを味わっているときの私は、きっと、誰が見ても楽しそうに笑っているんだろう。
「……次はどこに行けばいい?」
私はゆるりと笑う。
「しばらくは待機です。
僕の秘書でもしててください」
パリストンも嘘っぽく笑った。
利用されてるんだろうな、って自覚はある。
でも、それでいい。
パリストンは私の世界を広げてくれた。
◇
そんな日々が、ある程度日常になったころ。
私は、廊下で呼び止められた。
「なぁ、ツィルディ。
お前からパリストンに言ってくれよ」
振り向くと、半眼で睨んでくるハンターが一人。
名前はどうでもいいから覚えてない。
顔だけは見たことがある。
パリストンに文句を言っては、上手くいなされていたタイプだ。
「何を?」
「お前の行動は目に余るってな。
ネテロ会長が許してるからって、調子に乗ってんなよ?
お前もだ」
ふぅん。
私は興味無さげに目を逸らす。
「自分で言えば?
あぁ、言いくるめられて負けるのわかってるから言えないのか」
「あぁそうだよ!!
お前の言葉なら聞くだろ?
パリストンの女って、噂回ってたぞ」
パリストンの女、ね。
「そんな事になってるんだ?
へぇ……」
直接言われたのは初めてだったから、少しだけ新鮮だった。
「分かった。本人に言っとくよ」
そう言って苦笑する。
ただ、「そこまで気付けるなら、もう少し賢く動けばよかったのに」という、薄い残念さ。
「マジで頼むわ。
あいつ邪魔しかしねぇんだよ」
男は念を押すように言ってから、去っていった。
もちろん、パリストンには何も報告しなかった。
ただ、その男を見かけることはもう無かったし、そんな絡まれ方をすることもなくなった。
「何かした?」
パリストンに聞いても、
「何のこと?」
と、いつも通り笑うだけ。
――寂しさを打ち消すように、嫉妬。
そんな感情がちらっと同期したから、私はつい口を滑らせる。
「私に絡む男、全員消すつもり?」
「ツィルは、僕のでしょう?」
淡々と、にこやかに、パリストンはそう返す。
「私は、私好みの感情が得られるなら誰でもいいよ」
「じゃあ、やっぱり僕しかいないですね」
――安心と不安。
――そして消えない警戒。
パリストンは、私をずっと警戒している。
別に殺しはしないのに。
ただ、パリストンが死ねば、私は自分の感情に出会えるんじゃないかと、期待してるだけだ。