「行くぞ、童子たちよ。私に続け!」
妖精王が、竜人の猛将へと駆ける。片手を真っ直ぐに伸ばした、軽い突き。風を切る速さで繰り出されるそれを、ムゥダンはステップを踏んで躱す。彼女の両足が地に着く一瞬前、回避先を読んで放たれる鋭い膝蹴り。しかし、体術ならばムゥダンの方が数段上だ。肝臓へ抉り込もうとする膝を、肘打ちを以て迎撃しようとした。
腕の力のみの肘鉄とは言え、並の者ならば歩行困難になる程の威力。狙い済まされた肘のカウンターを、妖精王はするりと回避し、強く地面を踏みしめた。ゆったりした狩衣の袖口が、ムゥダンの胴へ向けられる。
「ッ!?」
その瞬間、ムゥダンの第六感が大音量の警鐘を鳴らす。それに従い後ろへ大きく飛び退くと、黒光りする鋼鉄が彼女の鼻先を掠めた。
「……暗器ですか」
「武道の試合をしている訳じゃないんだ。文句は言わせんぞ?」
妖精王は袖口から伸びるそれを握ると、くるりと一回転させてその全貌を顕にする。それは、長さ50cm程の黒色の金属棒だ。先端がスペードのような形をして尖っている。
それを指揮者のように振るうと、朗々と言葉を紡ぐ。
「【産み、包み込むは、穢れなき不浄】——」
「それは暗器ではなく、杖ですか!」
妖精王の意図に気付いたムゥダンが、一足に距離を詰める。即座に繰り出される突き、手刀、蹴り。それらは敵の髪を揺らすばかりで、平行詠唱によって紡がれる呪文を止める事はできない。
「【地母の抱擁。清浄にして邪なる炎なり】——」
「リベンジに来たよ!ムゥダンさんっ!!」
「ここで援護か……ッ!」
割って入ったライラックが、二刀のダガーを振るう。予備動作から超高速の斬撃の軌道を見極め、冷静に手の甲に生じさせた鱗で弾き飛ばす。両手の武器を飛ばされ無手になった少女へ、ムゥダンが掌底を当てようとしたその瞬間。
「まだまだあっ!!【CREATE WEAPON】!!」
少女の両手首のアンクレットに付けられた水晶が光り輝き、二振りの刃へ変形する。作ったばかりの武器が、鋼鉄の如き鱗と擦れ合い火花を散らす!
一撃必倒の掌底を上手くいなした少女は、地面と水平になる程に深く屈む。彼女のすぐ後ろで詠唱を続ける妖精王が、宙を舞う2本のダガーを杖で弾く。金属同士がぶつかる澄んだ高音と、少女の咆哮が轟いたのはほぼ同時。
「やあああああっ!!!」
ムゥダンの両肩口へ衝突したダガー。その柄を魔導具の刃で強く叩く!楔の要領で押し出されたダガーは、硬い鱗を引き剥がし、彼女の肩口へ深く突きさった!!
「くぅ……っ!」
「でかしたぞ小娘。秘儀、【
予想外のダメージに呻くムゥダンを尻目に、妖精王の魔法が完成する。敵を取り巻くように、無数の火の玉が現れる。驚愕で目を見開くムゥダンへ、王はニヤリと笑う。
「今度は刃を抜く暇は与えんぞ。魔法と共に、麻痺毒をたっぷりと味わうがいい」
言い終わるや否や、全方位から火球が殺到した。
「ぐう!?うおおおああああっ!!!」
一発一発が超高温にして、ぶつかれば相当な衝撃を発生させる。炎の嵐の中で腕を動かす事などできず、ましてや両肩に刺さった刃を抜く事なんてできない。瞬く間に麻痺が回り、全身の力が弱まっていく。
片膝を付き、荒い呼吸で周囲を観察するムゥダン。彼女は咄嗟に、両手を前へ思いっきり突き出した。
「この中で、殴りかかって来るとは!」
「へっ!オレとお前だけの特設リングだぜっ!!」
火属性への絶対の耐性、そして魔法への極めて高い抵抗力。それらを持つドワーフの少年が、飛び回る火球の中を突っ切って、敵へと一直線に駆け抜けた。フランクリーの渾身のパンチを、ムゥダンは両手で受け止める。
両手両腕の鱗が剥がれ、宙を舞う鮮血が火球によって蒸発する。殺し切れない衝撃は内部にも及び、両者の指の骨に細かな罅が入る。それでも少年は逆の手を振りかぶり、彼女はその前に彼の顔へ蹴りを浴びせた。
仰け反り、回転し、浮き上がる彼の身体。すかさず彼女は振り抜いた足で地を踏み、遠心力を乗せた踵落としを少年の脇腹に突き刺す。彼を地面に叩き付けたムゥダンの左脚は、その威力の代償に骨すら見える程に傷を深める。
攻撃の反動を使い高く宙に浮いた彼女は、少年が腕を立てて起き上がろうとしているのを確認する。強烈な一撃を以てしても、弱体化した彼女では、高い耐久性を誇るドワーフの少年を倒し切れなかった。トドメを刺すべく、拳を引き絞って脳天へ狙いを定める。しかし、それが振り下ろされる事はなく、代わりに向けられたのは猛将の満面の笑みでの賞賛。
「この、嘘つきめっ!」
「ムゥダンさんの背中ったら、とってもスベスベだね!!」
突如として、彼女の背を襲う軽い体重。全方位の視界を持つライラックは、飛び回る火球の全てを回避しながら気配を殺して忍び寄っていた。セクハラ紛いの発言と共に、背中に張り付いた少女が、突きさったままのダガーを握る。身体の中で刃が暴れ回り、ミチミチと硬い肉を裂く嫌な音がムゥダンの頭に響く。
空中で必死の抵抗をする彼女たち。猛将は身を捩り、翼を激しく羽ばたかせる。少女は足を絡め、三つ編みへ噛み付き、決して離れようとしない。猛将が少女を拳で何度も殴り付けるが、背中にぴったりと張り付いているせいで、引き剥がせる程の威力は出せないでいる。
その最中、ブツリと音を立て、勢いよくムゥダンの左肩から血が吹き出る。腱を断ち切ったダガーが、彼女の肩から引き抜かれたのだ。
「くぅっ!うあああ……ッ!!」
猛将の判断は早い。使い物にならなくなった左腕を右手で握ると、次々に関節を外す。痛みに目に涙を浮かべながら、自由に動く右腕を振るう。反作用で回転を始める身体。腰を捻り、その力を増幅させる。そして鞭のようにしなった左腕を、少女の首筋へ叩き付けた!
「か……っ!?ひゅっ……」
何かが砕けた軽い音と共に、少女の目から光が消える。口からムゥダンの赤毛が、粘ついた唾液の糸を引いて零れる。ダガーを握る右手、組み付いた両脚はそのままだが、上半身はまるで人形のようにムゥダンの動きに合わせて揺れる。
少女を行動不能にはしたが、その拘束は未だ引き剥がせず。着地したムゥダンは、両脚の自由までもを奪われた。
「今だ!やれぇっ!!」
「そう急かすな。お前たちと違って、これを回避するのは難しいんだ」
彼女の腰に飛び付いたフランクリーが叫ぶ。彼の視線の先には、飛び交う火球。その熱気により、揺らめく空気。その中を、ゆったりとした足取りで進む妖精王。
「貴方も来るのかっ!」
「当然。私が作った魔法だぞ?無傷で突破する為のパターンは、頭の中に入っている」
王による、杖の刺突。それを首を捻って、紙一重で回避するムゥダン。行動のほとんどを封じられた猛将。盟友とその友を傷付けぬよう、首より下を狙えない王。互いにハンデを背負いながら、腕と頭が、目にも止まらぬ早さで何度も動く。
刹那の時間の中、幾度も攻防が続く。そして、黒杖の先端が、ムゥダンの額を捉えた。
「しま……っ」
胡散臭いテノールの呟きと共に、甲高い金属音が響き、黒杖が跳ね飛ばされる。ムゥダンの額から橄欖石のような鱗が弾け、血が流れる。
「これで終わりだッッ!!!」
武器を失い、腕を高く上げたままの王。無防備な彼、或いは彼女の顔面へムゥダンが狙いを定めて、唯一無事な右拳を振りかぶる。そして、振りかぶったまま、彼女は硬直させられた。
「結界……ッ!やられたっ!!」
「ああ。そして今度こそ、これで終わりだ」
妖精王の結界による拘束は、ムゥダンの筋力によって容易く砕けた。しかし、王の貫手の対処へは間に合わない。心臓へと手が伸ばされる。爪が衣服を裂き、肉に触れた。
「喝ッッッ!!!!」
瞬間、ムゥダンの全身から莫大な気が放出される。舞い踊る炎は全て掻き消され、周囲の床材は剥がれ砕ける。彼女に組み付いていた少年少女も、その圧力に為す術なく吹き飛ばされた。
大気を揺るがす大声の後、激しい戦闘が続いた大広間に沈黙が訪れる。荒い息を吐くムゥダンからは、先程まで彼女を覆っていたオーラが消えている。鱗も全てなくした彼女の胸の中央からは、妖精王の腕が突き抜けていた。
「……時間切れか。そうでなければ、私も巻き込まれている所だったぞ」
「実体すら失いましたか。本当に危ない所だった」
妖精王は、腕を絡めるだけでムゥダンの全力の一撃を止めて見せた。結界を作り、不可視の掌底を受け止めた。聞き取る事すらできない高速詠唱で砂嵐を発生させた。
しかしその後は、【穢那の火】を詠唱するために、ライラックの援護を頼った。結界による束縛も、刹那の瞬間でしかその役割を果たせなかった。
不完全な詠唱にて無理に現界を果たした王は、この短時間で急速に弱体化していたのだ。
「もはや、現世へ僅かな影響を及ぼす事も叶わぬ。後はお前がやれ!我が盟友、フランクリー・スカーレット!!」
「無駄ですよ。もう彼に立ち上がる気力など、残ってはいない」
身体が徐々に薄れ始めた王が、倒れた少年へ呼びかける。倒れ伏した少年少女は動かない。
零距離で龍氣を浴び続けた彼らは、それだけでも相当な体力を削られている。増してや、3人の中で最も多く攻撃を受けたフランクリーは、肉体へのダメージだけでも耐えられるような物ではないのだ。
「はぁ……はぁ。デカい声、出さ、なくても……、聞こえてるんだよ……っ!!」
その筈の少年が、途切れ途切れに声を出す。震える足に力を込める。
「もういい、立つな。立たないでください……」
「やな、こった……。勝つんだよ……!オレとリラと、トゥビランギーで勝つんだよおっ!!!」
傍らに転がる黒杖。それを石床に突き刺し、支えにして立ち上がる。
「私に子供を2人も殺させるなっ!!!」
「……は…………?」
ムゥダンの悲痛な訴え。それを少年は理解できなかった。いや、理解などしたくなかった。彼の身体から急速に力が抜ける。糸が切れた人形のように、軽い音を立てて崩れ落ちた。