午後も深まり、日が西へ傾き始めた頃――最後の角を曲がった隊列の先頭から、どよめきが伝わってきた。
視界が、一気に開けた。
小さな入り江だった。
両側から山の裾が海へと落ち込み、その間に、掌で掬えそうなほどささやかな砂浜が横たわっている。かつては漁船の一艘も繋がれていたのだろう、朽ちかけた桟橋の残骸が、波打ち際に半分沈んでいた。
道は、その砂浜の手前で、ぷつりと途切れていた。
先が無い。迂回できる脇道も、山へ登る細道も、見当たらなかった。あるはずのものが、綺麗に消されている。
そして、その入り江を取り囲むようにして、それは待ち構えていた。
砂浜を挟んだ両側の斜面に、装甲車両が幾重にも連なっている。その向こうには、これまで見たこともない形状の車両――恐らくは、由比で使われたものより遥かに大掛かりな何かを積んだものたちが、整然と並んでいた。空には、旋回を続ける複数の機影。
由比とは、規模が違う。誰の目にも、それは明らかだった。
由比の検問は、まだ「止める」ための構えだった。あれは、押し返すための壁だった。だが、目の前に並んでいるものは、明らかに、別の目的のために据えられている。
隊列は、砂浜の手前で足を止めた。
最初に沈黙を破ったのは、古参の兵だった。
「――数えるのも、阿呆らしいのう」
「あの鉄の車、由比の倍はおるぞ」
「千の儂らに、この構えか。……見栄っ張りな国じゃ」
「儂らの値が上がったということよ。誇れ」
軽口である。だが、その乾き方が、いつもと違った。戦場を知る者の軽口は、事態を正確に読み切った時にだけ、ああいう乾き方をする。彼らは、目の前の鉄の壁が何のために据えられたのかを、恐らく誰一人、読み違えていなかった。
振り返れば、来た道の方も、既に塞がっていた。
隊列の後ろを、つかず離れず追ってきた装甲車両の一団が、いつの間にか道幅いっぱいに横隊を組み、静かに停止していた。
前は海。左右は山。後ろは鉄の列。
絵に描いたような、袋小路である。退くには、あの鉄の列を突破するしかない。つまり、退けない。進むも戻るも封じた上で、真ん中に千人を収める。この入り江は、初めからそのために選ばれ、そのために道ごと造り替えられた、巨大な袋の底なのだった。
金瘡医の老人が、荷から晒し布の束を取り出して、黙々と巻き直し始めた。
「……明日は、忙しゅうなりそうかのう」
誰も、笑わなかった。誰も、否定もしなかった。
若い兵が一人、隣の兵の具足の紐が緩んでいるのに気づいて、無言で結び直してやっていた。結ばれた方は、礼を言わなかった。ただ、済むと、今度は自分が相手の紐を検め始めた。あちらでも、こちらでも、同じことが起きていた。誰に命じられるでもなく、隊列が、静かに戦の形へと組み変わっていく。
退く、と口にする者は、ただの一人もいなかった。
褒美の皮算用をしていた男たちが、風呂と女房の飯の話をしていた男たちが、何も言わずに、互いの紐を結び合っている。この静けさに比べれば、世のどんな雄叫びも、安いものだと思った。
将は、馬上からゆっくりと、その全てを見渡した。前の海を見て、左右の斜面を見て、最後に後ろの鉄の列を、たっぷりと時間をかけて眺めた。読み切ったのだろう。読み切った上で、彼はこともなげに言い放った。
「――良い刻限じゃ。今日は、この浜で野営とする」
それだけだった。袋の底に追い込まれた男の台詞ではない。峠の茶屋で一服を決めた旅人の口ぶりである。
傍らの武者が、さすがに聞き返した。
「……ここで、にございますか」
「ここで、よ。見てみい」
将は、顎で周囲をぐるりと示した。
「前は海、後ろは鉄の車、左右は山。夜襲の入りようがないわ。……これほど守りの堅い宿営地は、行軍始まって以来、初めてじゃな」
真顔である。袋小路を、天然の要害と言い換える胆力。
一拍置いて、兵たちがどっと沸いた。彼らとて、分かっているのだ。分かった上で、笑うことにしたのだ。将の軽口一つで、袋の底が城塞に変わる。指揮というものの正体を、私はまた一つ、見せてもらった気がした。
私はといえば、風を孕んで大きくはためく隅立て四つ目結の紋を見上げながら、静かに心を決めていた。
もう、黙ってはいられない。今夜だ。今夜、全てを話す。
かくして行軍は、日のあるうちに幔幕を張り終え、この袋の底で野営に入った。滞在は、この夕刻から、明日の朝まで。誰もそう口にはしなかったが、この浜が最後の宿営地になるかもしれないことを、恐らく、誰もが感じていた。
野営が定まってしまえば、浜は、拍子抜けするほど静かだった。
両側の斜面を埋める装甲車両の列と、浜に立ち並ぶ戦国の幔幕。挟まれた砂浜の上を、かもめだけが、どちらの陣にも属さず飛び回っていた。海鳴りと、旗指物のはためく音と、遠くのヘリの音だけが、奇妙に均等に混ざり合っていた。
嵐の前の静けさ、という言葉がある。だが実際にその中に立ってみると、静けさというものは、嵐よりよほど神経に悪い。
兵たちは兵たちで、この行き止まりを、彼らなりに解釈していた。
「――先生。道が、海で終わっておったぞ」
「……そのようでしたね」
「湊もない。船もない。……あの道は、何のためにあったのじゃ」
「さあ。……何のためでしょうね」
答えを知らないのは事実だったが、答えの見当がついているのも事実だった。あの道は、ここで終わるために造られたのだ。彼らを、ここで終わらせるために。それを口にできないまま、私は曖昧な相槌の名人になりつつあった。
一方で、初めて間近に見る海は、近江育ちの兵たちには、なかなかの衝撃だったらしい。
彼らの故郷にあるのは、淡海――琵琶湖である。海はいわば、噂の中の存在だった。
「――広いのう。淡海の比ではないわ」
「向こう岸が、ないぞ。おい、向こう岸がないぞ」
「馬鹿を申せ。よう探せば、あるはずじゃ」
「ないのです。あれは向こう岸のない水です」
「……先生。それは、恐ろしいことを申すのう」
一人の若い雑兵が、波打ち際にしゃがみ込み、掌で海水をすくって、口に含んだ。
直後、盛大に噴き出した。
「――しょっぱいわ!」
「だから言ったでしょう」
「海の水は塩辛いと、聞いてはおった! 聞いてはおったが、これほどとは!」
「世の中には、聞いて知っていることと、舐めて知っていることの間に、深い谷があるのです」
「学者は、いちいち言うことが大袈裟よ」
彼は口をゆすぎながらも、どこか嬉しそうだった。四百年ぶりの世界で、彼らは今日も律儀に、一つずつ、世界を舐めて確かめている。
この牧歌的な浜辺の光景と、斜面の装甲車両の列が、同じ画角に収まっている。世界で最も緊張した海水浴場である。
――さて、この頃、外の世界がどうなっていたか。
例によって、私がそれを知るのは、全てが終わった後のことである。だが、記録のために書き残しておく。
国内の報道は、由比の一件以来、明確に潮目が変わっていた。
『「排除」から「保護」へ 世論調査で逆転』
『識者「彼らは難民である」 法学者らが声明』
『由比の映像、報道各社が放送見合わせを協議』
人が死ぬところを生中継で見てしまった社会は、静かになる。排除を叫んでいたアカウントの多くが沈黙し、代わりに、妙な連帯感が広がり始めていたという。
『もう帰らせてやれよ。滋賀まで歩かせてやれ』
『国道一号線ってもともと東海道だろ。あの人たち、ただ昔の道を歩いてるだけなんだよな』
『滋賀県民だけど朽木で待ってる』
『゛待ってる゛で泣いた』
象徴的だったのは、朽木の地元――滋賀県高島市の動きである。
市長が記者会見を開き、こう述べたという。
「経緯はどうあれ、朽木を目指しておられる方々です。地元として、お迎えする準備があります」
この一言を皮切りに、朽木谷は、静かに動き始めていた。
地元の道の駅では、有志が炊き出しの準備を始めた。名物の鯖寿司を千人前用意できないかと問われた組合長は、テレビの取材にこう答えたという。
「千人前は、正直、無理や。無理やけど……四百年歩いて帰ってくる人らに、故郷の味も出さんいうわけにはいかんやろ。やれるだけ、やります」
旧朽木村の集落には、手書きの横断幕が掲げられた。
『おかえりなさい 朽木へ』
小学校では、子供たちが画用紙に武者の絵を描いて、公民館の壁に貼り出した。兜の形は全員バラバラで、なぜか半数がリボンを付けていたという。四百年ぶりの帰郷を迎える準備として、これほど正しいものが他にあるだろうか。
集落の古老は、旧道の落ち葉を竹箒で掃きながら、中継のカメラにこう語った。
「うちはな、朽木の郎党の末や言うて、爺様から聞かされとった。ほんまかどうかは知らん。知らんけども――あの行列の中に、うちのご先祖がおるかもしれんのや。そら、道くらい掃いておかんと」
四百年ぶりに帰ってくるかもしれない先祖のために、道を掃く。この国の信心の、いちばん美しい形だと思う。
空き家の残る集落では、住民たちが雨戸を開け、畳を上げ、布団を干し始めていた。千人が寝泊まりできる場所を、と誰かが言い出し、誰も笑わなかったという。
そして、朽木の菩提寺。元綱公の墓所を守るその寺の住職は、墓石を洗い清めながら、こう言ったそうだ。
「殿様のお墓に、家来衆がお参りに来られる。……こんな法要は、開山以来、初めてのことです。お迎えの支度をして、何かおかしいですか」
おかしくなかった。少なくとも私には、この国でいちばん筋の通った準備に思えた。彼らの目指す先には、殿の墓と、掃き清められた道と、干された布団と、数の足りない鯖寿司が、本当に待っていたのだ。
『滋賀県民、動きが早すぎる』
『朽木の人ら、もう完全に迎える気でいて泣く』
『政府は包囲網、地元は布団干し。同じ国の話か?』
四百年遅れの帰郷を、故郷の側は、受け入れると言ったのだ。行政が莫大な予算で押しとどめようとしているものを、地元の人々は、炊き出しと横断幕と布団で迎えようとしていた。どちらが正気なのかは、歴史が判定してくれるだろう。
海外の反応は、もっと騒がしかった。
欧米の主要メディアは、連日トップでこの事件を扱った。『TIME TRAVELING ARMY?』という身も蓋もない見出しから、『日本政府の対応は適切か』という検証記事まで。軍事専門家は非殺傷兵器の限界を論じ、歴史学者は装束の考証映像に飛びつき、SNSでは『REAL SAMURAI』が世界トレンドの一位に居座り続けた。
『日本には本物のサムライがいる。知ってた』
『彼らは400年歩いて帰るだけだ。なぜ止める?』
『俺の国なら初日に空爆してる。日本は優しい』
『優しさで音響兵器は使わない』
どこかの国の放送局は、解説者として忍者研究家をスタジオに呼んだという。時代も職種も違う。彼は終始困った顔で「忍者は関係ありません」と繰り返したらしい。国境を越えると、四百年の誤差は誤差ですらなくなる。
各国から政府への問い合わせも殺到していた。曰く、研究チームを派遣したい。曰く、装束を一式買い取りたい。曰く、我が国の時代劇に出演交渉をしたい。外務省の担当者は、この最後の一件の断り状の文面に、三十分悩んだという。国際問題の現場は、いつも我々の想像より疲れている。
――そして、対策本部。
方針は「迎撃」に切り替わったまま、動いていなかった。入り江の包囲は完成し、部隊は配置につき、あとは決断だけが残っていた。
その決断の足を、たった一人で引っ張り続けていた男がいる。
准教授である。
「攻撃の必要が、どこにあるんですか」
会議の席で、彼はそう言い放ったという。日頃の彼を知る人間として言わせてもらえば、これは相当な胆力である。彼は温厚で、声も大きくない。学食でから揚げ定食を注文する時ですら、少し遠慮がちな男なのだ。
「彼らは行き止まりに達しました。海には進めません。つまり、もう止まっているんです。止まっている相手を、攻撃する。それは迎撃ではなく、ただの攻撃です」
「……准教授。お言葉ですが、彼らは二度、我々の部隊を突破しています」
「二度とも、こちらが先に仕掛けています。城の押し付け、バリケード、ガス、威嚇射撃、音響兵器。彼らが自分から手を出したことは、一度もありません。データを見てください。彼らの戦闘は、全て応戦です」
「結果として、死者が出ている」
「だからこそです。これ以上、同じ手順を繰り返して、違う結果を期待するんですか」
会議室が静まり返ったという。
畳みかけるように、彼は要求を続けた。
「それから、私を現地に行かせてください」
「……は?」
「入り江です。通訳が要るでしょう。先生の代わりに、私が行きます」
「民間人を、あの現場に入れるわけには」
「先生も民間人ですよ! もう十日以上、入りっぱなしです!」
「あれは……結果として、そうなっただけで」
「では私も、結果として、そうなります。車を出してください」
「なりません」
この押し問答は、三度繰り返され、三度却下されたという。温厚な男の三連続直談判である。後で聞いた話では、三度目の却下の後、彼は会議室の机に両手をついて、しばらく動かなかったそうだ。
そして、顔を上げた彼は、あの台詞を言った。対策本部の語り草になったという、あの台詞である。
「――皆さん、ご存じないかもしれないので、お伝えしておきます。私は歴史学者です。歴史学者の商売は、昔の会議の記録を読むことです。誰が何を言い、誰が黙り、誰が席を立ったか。四百年前の評定の記録を、私たちは今も読んでいます。読んで、論文に書いています」
会議室を見回して、彼は続けたという。
「この会議の議事録も、残ります。四百年後に、それを読む人間がいます。私のような人間が、必ずいます。――ですから皆さん、四百年後に読み上げられて恥ずかしくない発言を、どうかお願いします」
しん、と静まり返ったまま、誰も反論しなかったという。
歴史学者の脅し文句は、後にも先にも、これ以上のものはないだろう。武器は史料、人質は名誉、刑の執行は四百年後。私はこの話を聞いた時、弟子と呼ぶことを本気で検討した。彼は隣の研究室の同僚であって弟子ではないのだが、この件に限っては、誰かの弟子と呼ばれるべき働きである。
彼はそこで、切り札を出した。
「交渉の席を設けてください。ただし、こちらの流儀ではなく、彼らの流儀で。――使者を立て、口上を述べ、返答の猶予を与える。武家の和議の作法です。先生が最初にやって見せた、あのやり方です。あれだけが、唯一、一度も失敗していません」
名乗りは通じた。会見の申し入れも、由比で一度は通じた。力は二度敗れ、作法は二度通じている。戦績表を突きつけられて、反論できる者はいなかった。
かくして、折衷案が生まれた。明朝、無人機から正式な口上を放送する。投降ではなく、和議の呼びかけとして。返答の猶予は、一昼夜。
准教授は、その夜、口上の起草を任された。彼は先生の講義ノートを引っ張り出し、名乗りの作法に則った、格式ある文面を書き上げたという。
『我こそは、この国の政を預かる者の使いなり。貴殿らの武勇、既に天下に鳴り響けり。これ以上の干戈は、双方の益にあらず。願わくは、矛を収め、話し合いの席に着かれたし。貴殿らの帰郷の道筋、我らが誠意をもって設えん――』
悪くない。というより、かなりいい。彼が私の講義から学んだものは、縅糸の染色法だけではなかったらしい。
だが、この口上は、放送されることがなかった。
文面は決裁の過程で、内閣法制局的な観点から、外務省的な観点から、危機管理広報的な観点から、三往復の修正を受けた。「武勇」は「行動」に。「誠意をもって設えん」は「所定の手続きに基づき検討する」に。「願わくは」は削除。
三往復の後に残ったのは、こういう文面である。
『日本国政府より最終通告する。当該集団は、直ちに全ての武装を解除し、投降せよ。応じない場合は、撃滅する』
准教授は、最終稿を見て、しばらく黙り込んだという。それから、静かに言ったそうだ。
「……これ、私の書いた口上と、どこが同じ文書なんですか」
「趣旨は、同じです」
「趣旨しか同じじゃないでしょう。いえ、趣旨も違います。私のは呼びかけで、これは……撃滅って書いてある。呼びかけどころか、命令ですらない。脅迫です」
「決裁は、通っています」
決裁は通っている。この国で最も強い呪文である。彼の抵抗は、そこで力尽きた。
それでも、彼の奮闘が完全に無駄だったわけではない。「一昼夜の猶予」だけは、文面から削られずに生き残った。
たった一昼夜。だが、一昼夜である。
この猶予が、私に最後の機会をくれることになる。彼は知らないだろうが、私はこの一昼夜を、生涯、彼に感謝することになる。
――ところで、この頃の対策本部には、もう一つ、誰も答えを出せない議題があった。
私である。
迎撃を実行するなら、隊列の中にいる民間人――つまり私を、どうするのか。
会議の記録には、こんなやり取りが残っていたという。
「攻撃の前に、当該民間人を回収する必要があります」
「回収って、物みたいに言わないでください。人です。先生です」
准教授である。ここでも彼は、一歩も引かなかったらしい。
「では、保護します。保護の手段は」
「特殊部隊による夜間の接触、という案は出ています。ですが、隊列の警戒は厳重です。接触に失敗すれば、それ自体が攻撃と見なされ、由比の二の舞になります」
「無線で呼びかけては」
「先生は通信機器を持っていません。例の、持ち物禁止です」
「拡声器で名前を呼ぶのは」
「先生だけが荷物をまとめて出てきたら、先方はどう思いますか。攻撃が近いと教えるようなものです。作戦の秘匿性が」
「では、書類上の整理だけでも先に。……当該民間人の法的な位置づけは、何になりますか。人質ですか」
「人質では、ありません。自発的に同行しています」
「では随行者?」
「政府職員ではないので、随行者でもありません」
「行方不明者は」
「居場所は全国民が知っています。毎日ドローンに映っていますから」
「……検討中、としておきましょう」
人質でも、随行者でも、行方不明者でもない男。書類の上で、私は分類不能の存在になっていた。学会での立ち位置と同じである。この国は、枠に収まらないものの扱いが、本当に苦手だ。
議論は堂々巡りの末、一枚の決裁文書に、こう書かれたという。
『攻撃実施の場合、当該民間人の安全は保証されない』
准教授は、この一行を見て、決裁の回覧を止めたそうだ。
「この一行に、判を押せというんですか」
「……苦渋の判断です」
「苦渋、という言葉は、苦しんだ人間が使う言葉です。この文書のどこに、苦しんだ跡があるんですか。テンプレートの匂いしかしませんよ」
「では、どうしろと」
「先生を戻してから、撃ってください。順番の話です。私は順番の話しかしていません」
だが、戻す手段が、なかった。議論は毎晩、同じ場所に戻ってきた。撃つなら、先生をどうする。答えの出ないまま、猶予の砂時計だけが落ちていった。
――結局、この問いに答えを出したのは、政府ではなかった。
その答えが誰の手で出されたのかを、私はこの翌る日の夜、身をもって知ることになる。
一方、SNSの方でも、私はちょっとした議題になっていたらしい。例の「私服のおじさん」である。
『そういえばおじさん、まだ隊列にいるの?』
『いる。今日のドローン映像にも映ってた。今日も歩いてた』
『政府が攻撃するって噂あるけど、おじさんどうなるの』
『#おじさんも帰して』
『人質なのか同行者なのか誰も分かってないのすごいよな』
『映像検証したけど、おじさん普通に武士と談笑してる。人質の顔ではない』
『むしろ飯もらってた』
『餌付けされてる人質とは一体』
検証勢の目は、対策本部の法務担当より正確だった。
ハッシュタグは、その夜のうちに伸びに伸びた。素性の知れない中年男の安否を、会ったこともない何十万人が案じている。妙な国である。妙で、悪くない国である。
ちなみに、某大学の学生たちの間では、こんなやり取りもあったという。
『うちの戦国史の教授、もう一ヶ月休講なんだが』
『それはただのサボりでは』
『いや、あの人授業だけは絶対休まなかったんだよ。……まさかな』
『まさかな』
まさかである。諸君、単位は心配しなくていい。休講分の補講は、いずれ、とびきりの一次史料付きでやる。
――ちなみに、これは余談だが。
この頃、准教授は私の研究室の様子も見に行ってくれていたらしい。植木に水をやり、郵便物を取り込み、そして冷蔵庫を開けて、絶句したという。
賞味期限の切れたおにぎりが、四個。
あの日、私が「未来のおにぎり」と呼んだ四個である。未来は、冷蔵庫の中で、静かに期限を迎えていた。
「……先生、早く帰ってきてくださいよ」
おにぎりを処分しながら、彼はそう呟いたそうだ。この話を後で聞いた時、私は不覚にも、少し泣いた。おにぎりで泣いたのではない。たぶん。
――入り江の夕暮れ。
西日が海面を金色に染め、装甲車両の無骨な輪郭までも、束の間、美しく縁取っていた。潮が引き始め、濡れた砂浜が鏡のように空を映している。その鏡の上に、戦国の幔幕と、二十一世紀の包囲網が、逆さまに並んで揺れていた。
浜の兵たちは、夕餉の支度をしていた。徴発した米の残りは、もう心許ないはずだった。それでも、誰かが火を熾し、誰かが飯を炊き、誰かが私の椀にも、当然のように飯を盛った。
「食え、先生。よう歩いた」
「……いただきます」
この飯を、あと何度、彼らと食えるのだろう。椀の中の白い飯が、その晩はやけに、目に沁みた。
夕餉の後、私は浜の外れに、一人で立った。
将は、幔幕の前にいた。床几に腰を下ろし、暮れていく海を、じっと見つめていた。
その横顔に、私は、これから告げるべきことの全てを思った。
金ヶ崎のこと。関ヶ原のこと。この包囲の意味。囁くような波の音の中で、心臓だけが、うるさいほど鳴っていた。
一昼夜の猶予。使い道は、決めていた。
私は、歩き出した。
砂を踏む音に、将が、こちらを向いた。
「――将」
いや、違う。
この期に及んで、その呼び方は、もう違うのだ。私は息を吸い、四百年の距離を、一息に飛び越えた。
「――隼瀬殿」
私は、初めて、彼をその名で呼んだ。