迎えの車が来たのは、まだ夜も明けきらない、翌朝六時半のことだった。
私が住むのは、大学から車で十分ほどの、築三十年は下らないだろう3Kのアパートだ。家賃の安さだけを取り柄に選んだ部屋で、玄関を開ければすぐ台所、その先には史料の山というか海が広がる。独り身の学者らしい趣味と寂しさに満ちた空間なのである。
黒塗りのセダンが、そんな部屋の前に堂々と横付けされているのを見た時、私は場違いという言葉の意味を、身をもって理解した。隣室のカーテンが、微かに揺れているのが見える。何かの家宅捜索だと思われても、文句は言えない光景だった。
乗り込むと、助手席の職員が振り返りもせずに資料の束を差し出してきた。「道中でお目通しください」とだけ言われ、それきり誰も口を利かなかった。窓の外を過ぎていく見慣れた通学路の風景と、膝の上の分厚い資料との温度差に、私はまだ現実感を持てずにいた。
資料には、私の経歴が箇条書きで簡潔にまとめられていた。専門、戦国史。中でも、近江国衆の動向、特に永禄から天正にかけての一帯の軍事的な出来事について、国内でも数少ない専門家、という一文があった。
近江国衆、というのは、今の滋賀県にあたる近江国を拠点にした、比較的小規模な武家勢力の総称だ。織田や浅井、朝倉といった大大名たちの狭間で、時に従い、時に反旗を翻しながら、したたかに生き延びていった地方領主たちのことである。永禄から天正というのも、西暦にしてしまえば、だいたい一五六〇年前後から一五九〇年前後にかけて。桶狭間の戦いの少し後から、豊臣秀吉による天下統一が成し遂げられるまでの、およそ三十年ほどの期間だと思ってもらえればいい。
なるほど、と思わず声が漏れた。この分野で名指しされる人間など、片手で数えるほどしかいない。誰の目にも留まらない研究を長年続けてきた成果が、こんな形で呼ばれる日が来るとは、人生というのは分からないものだ。
資料の最後には、私の過去の論文タイトルまで律儀に列挙されていた。どれも、学会の隅でひっそりと発表され、引用数も片手で数えられる程度のものばかりだ。こんなものまで嗅ぎつけてくる政府の情報収集能力に、場違いな感心すらしてしまった。税金の使い道として、これが正しいのかはさておき。
車が地下駐車場に入ると、案内の職員が待ち構えていた。「入館証です」と渡された紙製の名札には、私の氏名も所属も一切印字されておらず、ただ「有識者」とだけ書かれていた。ずいぶんと乱暴な括り方だと思ったが、この状況ではそれも仕方のないことなのだろう。
『先生、これから有識者としてどうするんです?』
茶化しているのか、本気で心配しているのか、判別のつかない言葉だったが、彼には予知能力があったに違いない。
連れて行かれた先は、都心のとあるビルの一室だった。看板も出ていない、いかにも急ごしらえの対策本部である。長机が並べられ、あちこちにモニターが持ち込まれ、配線がむき出しのまま床を這っている。徹夜明けらしい顔の職員たちが、コーヒーの空き缶を積み上げながら、忙しなく行き来していた。
部屋の空気は、お世辞にも一枚岩とは言えなかった。
奥のテーブルでは、内閣官房の担当者と思しき十人ほどの一団が、声を低く抑えながら「まずは情報統制を最優先に」と繰り返している。その隣では、同じくらいの人数の迷彩服姿の一団が、明らかに苛立った様子で地図を睨みつけていた。「これだけの規模だ、これ以上待てば被害が拡大する一方だ」という声が、抑えた口調の中にも滲んでいた。
二つの一団の間には、机ひとつ分の距離があるだけなのに、まるで別の会議室にいるような温度差があった。誰も表立って言い争ってはいない。ただ、互いの言葉に相槌を打つ気配が、驚くほど薄い。
その隙間を埋めるように、また別の一団が、少し離れた場所で静かに書類をめくっていた。こちらも十人前後だろうか。名刺交換の折に「外務省」という肩書を目にした。彼らの関心は専らこの一事が国外にどう報じられるか、どの国のメディアが最初に食いつくか、その一点にあるように見えた。国道の惨状よりも先に、海の向こうの反応を気にする。その順番の付け方に、私は場違いな居心地の悪さを覚えた。
三十人にも満たない人数で、これほどの温度差を作れるものかと、場違いな感心すらしてしまう。三者三様の思惑が、同じ部屋の中で、互いに交わることなく漂っている。まるで、同じ患者を前にした三人の医者が、それぞれ違う診断書を書いているような光景だった。
「先生、こちらへ」
案内されるまま、私は簡単な状況説明を受けた。国道一号線を進む集団は、現在も隊列を保ったまま歩みを止めていないこと。装束・武具ともに専門家の目から見て極めて精巧であること。
「先生には、現地でのご協力をお願いしたい。装束や言葉遣いから、彼らの出自や意図を読み解いていただきたいのです」
「意思疎通は、まだ一度も?」
「言葉自体は、断片的にですが、聞き取れております。ただ、こちらの呼びかけには、まるで反応がありません。拡声器で何度呼びかけても、まるでこちらの声そのものが聞こえていないかのようで」
「もしや、こちら側の存在自体が見えていないのですか?」
「いえ、違います。現場の見立てでは、彼らはどうも、我々のことを妖術か、物の怪の類だと思っているようなのです。呼びかければ呼びかけるほど、かえって警戒を強めている節さえあります」
その言葉に、私はしばらく黙り込んだ。存在しないもの、として扱われているわけではない。むしろ、あまりに異質な化け物として、明確に警戒されている。それはそれで、また別の厄介さがあった。
私は頷いた。頷きながら、自分の中で、ある考えがゆっくりと形を成しつつあることに気づいていた。
「――もしかすると」
気づけば、そう口にしていた。
「彼らが応えないのは、言葉が通じないからではなく、我々の呼びかけ方そのものが、彼らにとって"武士の作法"に則っていないからではないでしょうか」
怪訝な顔をされた。私は構わず続けた。
「戦国の世において、敵味方が初めて言葉を交わす際には、決まった作法がありました。まず、名乗りを上げること。己が何者で、いかなる用向きでまいったかを、大声で宣言する。次に、相応の格を示す出で立ちで臨むこと。そして――なるべくならば、馬上から声を発すること」
「馬上、ですか」
防衛省の担当者が、怪訝そうに眉を寄せた。
「地に足をつけたまま声を張り上げる者は、彼らの目には、物乞いか下郎にしか映らないはずです。無機質な拡声器の音も、彼らの耳には、人ならざる者の唸り声のように聞こえているのかもしれません」
「――つまり先生は、時代劇のような出で立ちで、馬に乗って、名乗りを上げろと?」
「近いです。ただ、本物の馬をすぐに用意するのは、現実的ではないでしょう。車でも、バイクでも構いません。跨るような形で乗れる、ある程度高さのあるものであれば」
沈黙が落ちた。誰もが、まさか、という顔をしていた。だが、これまでの手立てがことごとく不発に終わっている以上、他に選択肢もなかったのだろう。
「――やってみましょう」
内閣官房の担当者が、芯のある声でそう言った。藁にもすがる、とはまさにこのことだった。続けて
「先生に、それをやっていただくのが、一番早いかと思います」
断る理由を探したが、見つからなかった。他の誰かにこの作法を一から仕込んでいる時間など、どこにもない。
数十分後、私は、倉庫から引っ張り出されてきたという、舞台演劇の小道具じみた陣羽織を着せられていた。誰のサイズにも合っていない、少し丈の余った代物だったが、贅沢を言っている場合ではない。
乗り物は、黒塗りのSUVだった。屋根の上に簡単な足場を組み、そこに騎乗するような格好で立つように、と指示された。馬でこそないが、地面から見上げる高さだけは、十分に確保できているはずだ。
手には、拡声器代わりの大型スピーカーを渡された。
我ながら、滑稽な格好だという自覚はあった。だが、笑っている余裕は、もう残っていなかった。
現地への移動は、規制線を何重にもくぐる、ひどく回りくどい道程だった。同乗した職員から、手短に注意事項を告げられる。「絶対に単独行動はしないでください」「彼らに触れることは、いかなる理由でも禁じます」。当たり前のことばかりだったが、その当たり前を律儀に並べ立てる声には、隠しきれない緊張があった。
車の窓越しに見えた国道一号線は、テレビの画面越しに見るよりも、はるかに生々しかった。
雨上がりの路面に反射する光。むせ返るような、泥と汗と、それから馬の匂い。旗指物がわずかな風にはためく音が、思いのほか大きく聞こえた。
規制線のすぐ内側まで案内されたとき、私は思わず息を止めていた。
これは、面白い。
場違いだと分かっていながら、その感想が真っ先に胸を満たした。史料の中でしか出会えなかったものが、今、雨に濡れたアスファルトの上に、確かな重みを持って立っている。具足の擦れる音、槍の穂先に残る油の匂い、隊列の隅々にまで行き渡った統率。教科書の隅にしか載らない時代の残滓が、これほどまでの質量を持って目の前に存在している。
こんな贅沢な現地調査は、後にも先にもないだろう。不謹慎だと分かっていても、笑いがこみ上げてくるのを止められなかった。
近づけば近づくほど、隊列の規模を肌で実感させられた。テレビの空撮では平面的にしか捉えられなかった密度が、実際には途方もない圧を伴っていた。具足の擦れ合う音、革紐の軋み、時折混じる馬の嘶き。それらが重なり合って、低い唸りのような空気の震えを作り出している。遠くから眺めているだけの私でさえ、鳩尾のあたりに重みを感じた。
隊列の中ほど、ひときわ立派な具足を纏った人物が、こちらに向き直った。
馬上からこちらを見下ろすその姿には、隊列全体を束ねる重みのようなものが宿っていた。歳の頃は、三十代半ばといったところか。日に焼けた肌、無駄のない佇まい、そして何より、こちらを値踏みするような静かな眼差し。恐れているようには、まるで見えなかった。むしろ、値踏みされているのはこちらの方だという気さえした。
兜には、簡素ながらも意匠の凝った前立てが飾られていた。傍らに控える者たちの佇まいから察するに、あの人物がこの軍勢を束ねる将であることは、ほぼ間違いなかった。周囲の武者たちが、彼の一挙手一投足に、視線を絶えず向けている。命令ひとつで、この数百の身体が一斉に動くのだろう。そう思うと、規制線の薄さが急に心許なく感じられた。
SUVが、隊列の正面、規制線ぎりぎりの位置まで進み出た。
屋根の上に立った私は、深呼吸を一つしてから、拡声器のスイッチを入れた。手が震えているのが、自分でも分かった。
「――我こそは、戦国の世の歴史を学びし者なり! 貴殿方に、いささか尋ねたき儀あって、まかり越した!」
声は、思っていた以上に大きく響いた。自分の声とは思えないほどだった。
隊列に、明らかな動揺が走った。これまでの静かな無関心とは、明確に質の違う反応だった。周囲の職員たちが、遠巻きにざわめいている。誰かが無線で何かを報告している声も聞こえる。だが、それらすべてが、急に遠いものに感じられた。
馬上の人物が、こちらに向かって大きく口を開いた。
声は、拡声器を通さずとも、驚くほど広く響き渡った。
「――尋ねたき儀があると申すか! されど、まずこちらからよ!」
低く、地を這うような声だった。それが、次の瞬間には一気に張り上がる。
声は、拡声器を通さずとも、驚くほど広く響き渡った。
「――そこな戦国の歴史を学ぶものよ! 元綱公の御在所、いまだ見届けおらぬけ、のう!」
規制線の内も外も、一瞬にして静まり返った。
古めかしい活用と、聞き慣れない語尾が幾重にも折り重なった、その一言。現場にいた誰にとっても、単語の輪郭すらまともに掴めなかったはずだ。
語尾の「け」は、たしか湖西、それも朽木谷のような山深い土地に残った古い言い回しだったはずだ。交通の便が悪い山里ほど、言葉は中央から取り残され、独自に凝り固まって残る。学生時代、方言周圏論の講義で聞きかじった知識が、まさかこんな場面で役に立つとは思わなかった。
案内役の職員が、SUVの下から小声で私に依頼する。「先生、何か情報を――」
彼の言葉を聞き取るより前に、気づけば、私の興味が先行して声が出ていた。
「――まさか、貴殿方は、戦国の世からまいられたと、そう仰せか!」
自分でも驚くほど大きな声だった。周囲の職員たちが、ぎょっとした顔でこちらを見る。だが、それを気にする余裕は、この時の私にはなかった。
馬上の男の目が、初めて、はっきりとこちらを捉えた。値踏みするような色から、何かを見定めるような色へと、微かに変わる。
男の声には、驚きと、わずかな警戒が滲んでいた。
「元綱公の御在所を、そなたは知っておるのか!」
「――いえ、存じません! ですが、貴殿方の装束、言葉遣い、そのいずれもが、私の知る限りでは、四百年以上前のものと、寸分違わぬように見えます!」
正確には、四百五十年以上前だ。
男は、しばらく私を見つめていた。値踏みが、まだ続いているようだった。
「――そなた、何者じゃ!」
「戦国の世を学ぶ、しがない学者にございます」
その答えに、男は小さく息を吐いた。呆れたのか、それとも、何かに得心したのか、私には判じきれなかった。
「学者、か」
男はそれだけ呟くと、視線を前方へと戻した。それ以上の言葉は、もう返ってこなかった。
案内役の職員が、私の肩を強く摑んだ。
「先生、今のは……」
「――少なくとも、彼らが、言葉の通じる相手だということだけは、分かりました」
自分の声が、思いのほか落ち着いていることに、遅れて気がついた。
周囲では既に、次の手立てを巡る協議が始まっていた。誰かが「今の受け答えができる専門家を、引き続き現地対応に」と言い、誰かがそれに頷いている。
私はその輪から少し離れた場所で、ただ、馬上の男の背中を見つめ続けていた。胸の奥では、恐怖よりも先に、抑えきれない高揚が渦を巻いていた。
着慣れない陣羽織の袖を、私はそっと握りしめた。滑稽な格好で、滑稽な声を張り上げただけの自分が、まさかこんな形で役に立つとは。
雨上がりの生ぬるい風が、旗指物を揺らして通り過ぎていった。