行軍 国道第一号線   作:datéshima

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接触

 対策本部に戻るなり、初対面時には名刺すら渡してこなかった官房側の人間が、わざわざ歩み寄ってきて丁寧に頭を下げた。

 

「先生、昨日から本日にかけて、分かったことを詳しく伺えますか」

 

 彼らにとって、意思疎通がとれているという事実は、この状況の中で相応の重みを持ったらしい。私は結局、会話できた範囲の内容をそのまま伝えた。

 

「古めかしい方言のようなもので、はっきりとは分かりかねますが、おそらく現在の滋賀県の西側の出自です。旗も衣裳も史実通り、いわゆる朽木の軍勢で間違いないでしょう」

 

「――はい。他にはなにか分かりましたか?」

 

「史料に残されている朽木の軍勢はこれより2倍から3倍多い。おそらく彼らは分隊だと思います。」

 

「この軍勢が何をしようとしているか、分かりますか?」

 

「彼らは朽木領主の元綱公を探している。それだけです。おそらく朽木谷まで進むと思われます」

 

 

 その日のうちに、私は正式に「現地連絡担当」という肩書を与えられた。専門家として意見を述べるだけの立場から、規制線の内側で実際に彼らと接する立場へ。急な話だったが、断るという選択肢は、はじめから用意されていないようだった。

 

 もっとも、断りたいと思っていたわけでもない。

 辞令のようなものを受け取る際、担当者からは重ねて注意事項を告げられた。

 

 

「先生には、あくまで観察と最低限の意思疎通のみをお願いします。交渉や約束事の類は、先生の一存では絶対になさらないでください」

 

 私は「もちろんです」と頷きながら、内心では、その線引きがどこまで保つものか、いくらか怪しんでいた。

 

 防護装備一式を身につけさせられたときは、さすがに苦笑した。ヘルメットに防刃ベスト、そして念のためという触れ込みの緊急脱出用ロープ。史料の中でしか知らなかった時代と対峙するのに、これほど物々しい装備が必要になるとは、誰が想像しただろうか。

 

 

 彼らが国道一号線に姿を現してから、三日目のことだった。

 行軍は、いつしか神奈川県の大磯宿のあたりまで進んでいた。かつての東海道の宿場町の面影を辛うじて残す一帯を、数百年前の武者たちが粛々と踏みしめていく光景は、何度目にしても現実感を持てなかった。

 

 私は毎朝、規制線の内側に設けられた前線本部――といっても、簡素な仮設テントが一張り立っているだけの場所だが――に通うことになった。

 大学には「政府案件による特別休講」という、事務方も苦心しただろう理由が張り出されたらしい。

 

 准教授からは『先生、正式にお国のお仕事デビューですか』というメッセージが届き、こんな時でも軽口を叩ける彼の図太さに、少しだけ救われた気がした。

 

 

 あの一件で行軍からは「言葉の通じる相手」として認識はされたはずだが、その後の接触については、日本政府と協業するよう内閣府の担当よりキツくお叱りを受けたが、

 再び現場に赴くことになったのは、世が明けてすぐの三日目の朝であった。

 今度は陣羽織も、屋根の上に立つような真似もない。

 用意されたのは、いつもの黒塗りのSUVと、ヘルメット、防刃ベストという、いかにも事務的な装備一式だった。行軍と並走するようにして、車を近づける。

 

 現地連絡担当としての初日、私はこれまでと同じやり方を選んだ。SUVで隊列の脇に寄せ、窓越しに声をかける。勝手が分かっている分、気は楽だった。

 窓を開け、隊列の後方を歩く一団に向かって、私は声を張った。

 

 

「――先日、名乗りを上げた者にござる! 覚えておいでか!」

 

 反応は、思っていたよりも早かった。数人の雑兵が、こちらを振り返り、何やら耳打ちを交わしている。

 

「――あの、妙な出で立ちで喚いておった学者ではないか」

 

 そんな声が、風に乗って微かに届いた。妙な出で立ち、という評価には、いくらか傷つくものがあったが、贅沢は言えない。少なくとも、彼らの記憶に、私という存在は残っていたらしい。

 

 しばらくの間、車の速度を落として並走を続けた。誰何されることも、追い払われることもなかった。

 無視、というよりは、チラチラと値踏みされている、という方が近い反応だった。

 

 

 だが、その日の午後、隊列の中ほどから、あの将が単身、こちらに歩み寄ってくるのが見えた。護衛も連れず、まっすぐにSUVへと近づいてくる。

 私は慌てて窓を全開にした。

 

 

「――先生とやら」

 

 

 将は、車の窓に手をかけるでもなく、少し離れた場所に立ち止まると、静かにそう呼びかけた。私が名乗ったわけでもないのに、いつの間にか、この呼び名がすっかり定着していた。

 

「先ほど、雑兵より聞いた。そなたの言、我らが朽木の名を出さずとも、我らを知っておったとな。また、殿の御在所を探る手掛かりになるやもしれぬ、とも」

 

 どうやら、対策本部での報告内容は、思っていた以上に彼らの側にも伝わっていたらしい。情報がどこから漏れたのか、詮索している余裕はなかった。

 

「――ならば、しばし供を許す。ただし」

 

 将は、私の乗るSUVを一瞥すると、明らかに不快そうに眉根を寄せた。

 

「その得体の知れぬ鉄の車には、もう飽き飽きしておる。乗ったまま物を申されるは、どうにも据わりが悪い」

 

 鉄の車、という物言いに、思わず笑いそうになった。無理もない。彼らの目には、この黒塗りの塊は、馬でも輿でもない、正体の知れぬ異物として映っているのだろう。

 

「――歩けと、仰せですか」

 

「歩けぬ道理でもあるのか」

 

 将は、こちらの装備を値踏みするように一瞥してから、そう言い放った。反論できる材料は、私の側には一つもなかった。

 

 私はSUVを降りた。同乗していた警護担当が、血相を変えて何か言いかけたが、将の言葉をそのまま伝えると、渋々ながら折れた。「万一の際はすぐに車内へ」という条件付きで。

 

 以来、私は毎日、隊列の後方――足軽たちの列の端に加わり、彼らと同じ速さで歩くようになった。SUVは、いざという時のためにと、一定の距離を保ちながら並走を続けることになった。鉄の馬に乗らずとも、鉄の馬に守られてはいる。我ながら、都合のいい妥協だと思う。

 

 最初は、ただ黙って歩くだけだった。向こうも、こちらの出方を窺っているらしく、決して深追いはしてこない。ただ、遠巻きに、値踏みするような視線だけを寄越してくる。それでも、隣を歩くという行為そのものが、車の窓越しに声をかけるのとは、まるで違う距離感を生んでいるのは確かだった。

 

 隣を歩いていた若い雑兵が、水を求めて隊列から少し外れた。喉の渇きは、時代を超えて共通の弱点らしい。私は何気なくその訛りに耳を澄ませた。

 

「――お前のその訛り、伊香郡の生まれか」

 

 思わず口を突いて出た言葉に、若い雑兵は怪訝そうな顔をした。伊香郡とは、現代でいえば長浜市北部、木之本や余呉のあたりを指す旧郡名である。

 とうに今世の地図から消えた名を、目の前の男はまるで昨日別れた故郷のように懐かしそうに聞いた。

 

「よく知っておるな」

 

 私は「学者ですから」と笑って答えた。彼はそれ以上、深く尋ねてはこなかったが、わずかな警戒の緩みが見えた気がした。

 さらに歩きながら、日が頭まで登ったあたり。別の足軽に具足の縅糸の色合いについて、ふと口にしたことがある。

 

「その色、なかなか手が込んでいる。近江の紺屋の仕事か?」

 

 すると、その具足の隣を歩いていた年嵩の武者が、驚いたように目を見開いた。

 

「――お主、近江のものなのか」

 

「いえ、私は三河の生まれです。素晴らしい反物・色物があったと、400年以上たった今でも近江の職人の腕は有名なんです」

 

 武者は少し誇らしげにフンっと鼻を鳴らして話は終わった。

 この程度の距離感でも、少しずつ縮められるものはあるらしい。急ぐ必要はない。私にできることは、たぶんそれくらいのものだった。

 だが、こちらの歩み寄りとは裏腹に、事態はまったく別の方向で動いていた。

 

 

 封鎖が三日目に入った頃には、対策本部に届く報告の質そのものが変わり始めていた。国道一号線に並行する物流ルートは軒並み限界に達し、一部のコンビニやスーパーが空になり始めているという報告が上がった。近隣の病院からは、透析患者の送迎バスが定時に運行できないという、切実な問い合わせが届いていた。経済団体からの申し入れ書が、対策本部の机に山と積まれていくのを、私は横目に見ていた。

 日本の大動脈の国道第一号線が機能不全になっているのだ。当たり前ではある。

 

 

「これ以上、指をくわえて見ているわけにはいかない」

 

 防衛省側の担当者が、そう言い放ったのを覚えている。彼らの言い分にも、一理はあった。命に関わる物資が滞っているという事実の前では、悠長な信頼構築など、贅沢品のように扱われても仕方がなかった。

 

 一方で、官房側はあくまで慎重だった。「集団で武装しているのだ。刺激すれば、また先日のような事態を招きかねない」という反対意見も根強かった。会議は何度も平行線を辿り、結局、双方の顔を立てる形で「殺傷を伴わない範囲での、限定的な実力行使で、彼らの進路を国道一号線から変更させる」という、いかにも玉虫色の落としどころが選ばれることになった。

 

 私はその決定を、前日の会議の片隅で耳にしていた。

 

「あくまで交通インフラの確保が目的であり、殺傷を意図するものではない」という念押しが、何度も繰り返されていたのを覚えている。誰も好んで武力を用いたいわけではない、というのは、おそらく本心だったのだろう。ただ、その本心と、現場で実際に起きることの間には、いつも埋めがたい距離がある。

 

 その日の午後、隊列の一角に向けて、催涙ガスによる面制圧が実行された。狙いは、隊列の一部を強制的に脇道へと逸らし、車線の一部だけでも確保することだったらしい。

 

 作戦の間だけは、私も前線のテントに退避するよう指示されていた。私はそこから、その様子を固唾を呑んで見守っていた。

 

 白い煙が風に流され、隊列の中ほどに広がっていく。むせ返るような咳と、怒号にも似た声が交錯した。

 

 最初の数十秒は、狙い通りの光景に見えた。煙にまかれた一角が乱れ、隊列の統率が僅かに崩れる。誰かが「効いてるぞ」と無線越しに報告するのが聞こえた。私も、思わず安堵しかけていた。これで、これ以上の衝突を招かずに済むのなら、それに越したことはない。

 

 だが、その効果は、期待されたものとはまるで違う形で現れた。

 

 煙の中から飛び出してきたのは、逃げ惑う人影ではなく、業を煮やした数人の武者だった。彼らは怯むどころか、煙の発生源――ガス弾を撃ち込んだ小隊へと、迷いなく踏み込んでいった。

 

 悲鳴が上がったのは、それから数秒後のことだった。

 

 現場からの無線が、悲痛な声で状況を報告してくる。「一名、負傷。いや――」。その先の言葉は、しばらく途切れたままだった。

 

 結局、その一件で自衛隊員が一名死亡し、部隊は撤退を余儀なくされた。作戦は完全な失敗に終わった。

 

 私は後になって、現場の映像記録を見せられる機会があった。踏み込んだ武者の動きには、やはり迷いがなかった。催涙ガスという、彼らにとっては得体の知れない「毒煙」への反撃として、その一撃は繰り出されていた。彼らの理屈からすれば、目には目を、毒には刃を、という当然の道理だったのだろう。

 

 ただし、と私は思う。彼らは、逃げ惑う民間人には、最後まで刃を向けていない。兵糧の略奪こそすれ、殺めるのは常に、こちらから手を出した相手に限られていた。その一線だけは、これまでのところ、頑なに守られている。

 

 この事実に、当の政府関係者たちがどこまで気づいているのか、私には分からなかった。少なくとも、報道されるニュースの見出しには、その一線への言及は一つもなかった。

 テレビでは、この件を巡って、瞬く間に世論が二つに割れていった。

 

 

『先に手を出したのは自衛隊の方だ。ガスを撒いておいて何を今さら』

『隊員が一人亡くなってるんだぞ、これで排除に踏み切らない方がおかしい』

『向こうは向こうで筋を通してるだけだろ、いい加減にしろよ人道派気取り』

『人が死んでるのに気取りとか言うな』

 

 

 排除を求める声と、彼らの筋の通し方に理解を示す声が、画面の中で真っ向からぶつかり合っていた。どちらの側にも、それぞれの理屈があった。そして、どちらの理屈も、目の前で起きている惨状を止める力は持っていなかった。

 

 私はその合間、誰にともなく、この一件をどう報告書に書くべきか思案していた。「彼らは民間人には手を出さない」などと書けば、また別の意味で世論を刺激しかねない。かといって、事実を歪めて書く気にもなれない。結局、私は当たり障りのない表現で、その一文だけを短く書き添えるにとどめた。誰かがそれを読んで、少しでも冷静さを取り戻してくれることを願いながら。

 

 その日の夕刻、私はテントの片隅で、一人分の書類を整理していた。人払いをしたわけでもないのに、周囲から人の気配が自然と遠のいていた。

 

 振り返ると、あの将が、規制線のすぐ手前まで歩み寄ってきていた。護衛らしき者を伴わず、たった一人で。

 

 夕暮れの薄闇の中、彼の具足は雨に濡れて、鈍い光を放っていた。昼間見た時よりも、幾分か疲れているように見えた。今日の一件で、彼もまた何かを背負い込んだのかもしれない。

 

 彼はしばらく、値踏みするような沈黙を挟んでから、静かに口を開いた。人目を避けるような、抑えた声だった。

 

「――そなた、学者といえど、何故にそれほどまで、我らのことを知りおるけ」

 

 その問いには、先日の誰何とは違う響きがあった。誇示するための言葉ではなく、確かめるための言葉だった。

 

「――私は、近江近辺の歴史学者なんだ、君たちのことは、よく知っているつもりだよ」

 

「元綱公がどこにおわすか知らぬとも、朽木がどこかは知っておろう。ここより西か」

 

「はい。この道をまっすぐ。朽木までは、この行軍速度で20日はかかると思いますが」

 

 将は「20日」と小さく息をつくと

 それ以上は何も言わず、踵を返して隊列の方へと戻っていった。

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