行軍 国道第一号線   作:datéshima

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妙案

行軍の略奪は、日を追うごとに手慣れていった。

コンビニ、量販店、時には民家の蔵まで、目についた食料や布地を黙々と運び出していく。

 

だが、私が現地で目にした限り、彼らが民間人そのものに手を上げる場面は一度もなかった。

奪うものは奪う。だが、人には触れない。

ある店舗では、店主が土下座せんばかりに命乞いをしたが、武者たちはただ黙って米や乾物を運び出しただけで、店主に指一本触れなかったという証言もあった。

 

恐怖に固まった住民の脇を、まるで最初からそこにいないもののように通り過ぎていく。彼らにとって、この国の民間人は、敵でも味方でもない、ただの風景に近いものなのかもしれなかった。

 

その奇妙な律儀さは、テレビの向こうで語られる「凶悪な集団」という言葉とは、明らかに乖離していた。

現場の職員の中にも、それに気づいている者はいた。

「妙に筋を通しますね、彼ら」と、若い自衛官の一人がぽつりと漏らすのを、私は聞いたことがある。

 

ただ、その気づきが対策本部の方針に反映されることは、結局一度もなかった。認識と対応の間には、いつも埋めがたい溝がある。

SNSでの評価は、案の定、真っ二つに割れていた。

 

『これもう完全にテロリストだろ、なんで排除しないの』

『人の形をしているだけで化け物の集団だろ』

『いや略奪はしてるけど人には手出してないらしいぞ』

『それは結果論でしょ、いつ豹変するかわからないのに』

『排除しろって言ってる人たちこそ何もわかってない』

 

排除派と擁護派の応酬は、日を追うごとに先鋭化していった。どちらの側も、自分たちの正しさを疑う様子はなかった。

そんな中、ある住宅街での出来事が、一部で話題になった。

 

略奪の最中、逃げ遅れた老人と幼い子供が、隊列の進路上に取り残されているのが見つかった。

周囲が固唾を呑んで見守る中、先頭にいた武者の一人が、無言で二人の前に回り込み、隊列を割るようにして安全な場所まで導いた。

その一部始終は、たまたま近くにいた住民のスマートフォンに記録され、瞬く間に拡散された。

 

『これ見て、ちゃんと子供庇ってるじゃん』

『でもこれもパフォーマンスの可能性あるでしょ』

『さすがに深読みしすぎ』

 

映像そのものは、事実をただ映しているだけだった。

だが、それをどう解釈するかは、結局のところ、見る側の立場次第だった。

 

私は対策本部の片隅で、この映像を何度も繰り返し再生した。老人の背を支える、あの武者の手つきには、演技には見えない何かがあった。

とっさの動作というのは、本人が思っている以上に、その人となりを映してしまうものだ。少なくとも、私はそう思っている。

もっとも、それを対策本部の誰かに伝えたところで、何かが変わるとも思えなかった。

今のこの場所では、事実よりも、事実がどう「使えるか」の方が、はるかに重要視されていた。

 

対策本部の空気は、この頃には、もう三すくみと呼ぶ以外にない状態に陥っていた。

内閣官房は、あくまで情報統制と時間稼ぎに固執した。

「事態が長引くほど、国民の不安と不信は募る一方です」という反論にも、「今、拙速に動けば取り返しのつかない事態を招く」の一点張りだった。

 

防衛省は、逆に苛立ちを隠さなくなっていた。

「これ以上、現場の隊員を危険に晒し続けるわけにはいかない」。次なる衝突を懸念する声は、日に日に強まっていた。

 

外務省は外務省で、既に他国メディアからの問い合わせ対応に忙殺されていた。

「国際社会に、これが軍事的な国内問題ではないと説明する材料が欲しい」という要望が、繰り返し会議の議題に上った。

 

三者の主張は、それぞれに理があった。そして、それぞれの理は、互いの提案を潰し合うのに十分なだけの力を持っていた。

 

会議は連日、同じ堂々巡りを繰り返した。官房が時間を求め、防衛省がそれに苛立ち、外務省が体裁を求める。

三者が同じ卓を囲みながら、互いの言葉には一切歩み寄りが見られない。私はその光景を、まるで三人が同時に将棋を指しているのに、それぞれ違う盤を見ているような、奇妙な滑稽さで眺めていた。

 

誰かが痺れを切らして「もう実力行使しかない」と言えば、別の誰かが「その実力行使とやらの結果は誰が責任を取るのか」と切り返す。

その応酬が、何度目かも分からないくらい繰り返された。

 

私は次第に、この部屋に漂う空気そのものが、一種の生き物のように思えてきた。誰も彼もが正しいことを言っているはずなのに、部屋全体としては、何一つ前に進んでいない。

 

個々の理屈の総和が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。それを、こんな形で実地に学ぶことになるとは思わなかった。

 

私はその会議の隅で、議事録を取る係として同席させられていた。専門家というより、もはや便利屋に近い扱いだったが、文句を言える立場でもなかった。

 

会議の合間、誰かが疲れた声で「そもそも、彼らは何を求めているんですかね」と呟いたことがあった。

誰も、それに答えなかった。答えられる者が、少なくともこの部屋にはいなかった。私は俯いたまま、議事録用のノートパソコンのキーを、意味もなく叩き続けていた。

 

そんな膠着状態を破ったのは、深夜近くに開かれた小規模な打ち合わせだった。

 

 

「いっそ、彼らの行き先を、こちらで決めてしまえばいい」

 

 

誰の発言だったかは、後々まで判然としなかった。誰もが手柄を独り占めしたがらない類の話だった。

 

案はこうだ。国道一号線そのものを一時的に付け替え、彼らを海沿いの、人口の少ない土地へと自然に誘導する。

表向きは災害対応に準じた交通規制として処理し、実際には隔離と時間稼ぎを兼ねる。そしてその誘導の果てに、然るべき場所を用意し、そこで初めて本格的な交渉の場を設ける。

 

最初にこの案が出された時、会議室はしばらく静まり返っていた。誰も反対しなかった、というより、誰も即座には理解できなかったのだと思う。

だが、説明が一巡した頃には、三者それぞれの顔つきが、目に見えて変わっていった。

 

隠蔽を最優先する官房にとっては、事態を人目につかぬ場所へ移せるという点で都合が良かった。首都圏の喧騒から遠ざければ遠ざけるほど、メディアの熱量も自然と冷めていく。それは彼らにとって、何よりの利点だった。

 

実力行使を主張する防衛省にとっては、万一の際の展開場所をあらかじめ選定できるという点で都合が良かった。人口密集地を避けた場所であれば、装備の運用にも余計な制約がかからない。

 

体面を気にする外務省にとっては、国内の一地方で静かに処理される案件として説明しやすいという点で都合が良かった。首都圏の幹線道路を封鎖し続けるという、国際的にも説明のつきにくい状態から、ひとまず脱却できる。

 

三者三様の思惑を、たった一つの案が同時に満たしてしまった。

 

 

会議室に漂っていた重苦しい空気が、この瞬間だけ、奇妙な軽さに包まれるのを、私は確かに感じ取った。誰も彼もが、ようやく肩の荷を下ろせたとでも言いたげな顔をしていた。

 

その軽さが、これから何を意味することになるのか、この場にいた誰もまだ、正確には分かっていなかったと思う。私自身も含めて。

 

決定が下った直後、私は別室に呼び出された。

 

 

案内された部屋には、これまで見たことのない顔ぶれが揃っていた。官房、防衛省、外務省。三すくみを構成していた面々が、今は妙に足並みを揃えて座っている。

 

「先生には、引き続き現地に同行していただきたい」

 

中央に座った一人が、そう切り出した。

 

「今回の誘導路沿いには、いずれ然るべき交渉の場を設ける計画です。先生には、それまでの間、彼らとの信頼関係を維持し――できれば深めていただきたい」

 

その「深めていただきたい」という言葉の軽さに、私は場違いな苛立ちを覚えた。

だが顔には出さなかった。出す資格が、自分にあるとも思えなかった。

 

誘導路の詳細な行程については、追って連絡する、とだけ告げられた。行き先も、日数も、この時点ではまだ明かされなかった。ただ、地図の上に引かれた一本の線が、これから彼らの――そして私の――歩む道になるのだろうということだけは、朧げに分かった。

 

「承知しました」

 

短くそう答えた自分の声は、いつになく平静だった。少なくとも、表面上は。

部屋を出た廊下で、私は少しの間、壁に寄りかかっていた。何かに疲れていたわけではない。ただ、これから自分が担うことになる役割の輪郭が、まだうまく像を結ばなかっただけだ。

 

彼らの傍らに立ち続けること。彼らの信頼を得ること。そして、いずれ来るその日まで、知っていることを、知らないふりで隠し通すこと。

その全部を、同時にやり遂げられる自信は、正直なところ、なかった。

 

窓の外には、いつの間にか雨が上がっていた。数日ぶりに覗いた星の光が、やけに白々しく見えた。

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