ファインモーションが凱旋門賞を制した結果、勢い余って運命を粉砕する物語 作:ゆのいん
熱気と豚骨の匂いが充満する店内。
朱色のカウンター席に、場違いなほど優美な明るい栗毛のウマ娘――ファインモーションが座っていた。その隣の席に、彼女のトレーナーの姿も。
『プロジェクトL'Arc』。
日本のウマ娘を、世界最高峰『凱旋門賞』の頂へ送り込むプロジェクト。トレセン学園を挙げた挑戦に、ファインモーションとそのトレーナーも名乗りを上げていた。それ以来、毎日が遠征に向けた過酷なトレーニングだ。さすがの彼女も、日々くたくたになるまで走り込んでいる。
今日は、その息抜きの日であった。
ファインモーションの食べ方は、見ていて不思議でしょうがない。箸さばきはゆったりと優雅、ずるずると程よく音を立ててすすってるのに汁が一切飛ばない。ラーメンのテーブルマナーがあるとしたらおそらく完璧な所作なのに、丼の中身だけは自分の数倍のスピードで消えていく。すぐ隣で何度も見たはずだが、なぜこうなるのか未だにわからない――などと、トレーナーが思っていると。
彼女は丼を両手で持ち上げ、最後の一滴までスープを飲み干し、満足げにふぅと息をついた。連日の疲労の反動だろうか、今日の食べっぷりは、いつにも増して見事だった。
「ん~っ♪ やっぱりこのお店はスープも最高! 背脂の輝きがまるで宝石みたいだね」
「あぁ、そうだな……ただ……」
トレーナーは歯切れ悪く答え、渋い顔でまだ中身が残った自分の丼を見つめている。
「ちょっと、多すぎたな……もうお腹いっぱいかも」
今日は朝食を抜いてしまったからこのくらいはいけるはず――と油断して注文したトッピング全部盛りの「特製」は、想像を超えるボリュームで彼の胃袋を圧迫していた。参ったな、これなら「小盛り」でも十分だった。
「申し訳ないけど、これは残させてもらおう……」
トレーナーがおもむろに丼をカウンターの高台へ上げようとした、その時だ。
「――待って!」
ファインモーションの白く細い指が、トレーナーの手首を掴んで制止した。
「残すなんてダメだよ。作ってくださった方々に失礼だし、何よりそのチャーシュー……まだ一口も手をつけてないじゃない!」
「いやぁ、悪いとは思うんだけど、これでも結構頑張って食べたんだ。もう入らない」
「しょうがないなぁ……じゃあ、私がもらってあげる!」
言うが早いか、ファインはずいっとトレーナーの食べかけの丼を自分の方へ引き寄せた。
「えっ」
思わず声を漏らしたトレーナーに対して、ファインは悪びれる様子もなく。そのまま自分の箸をトレーナーの食べ残しのラーメンに伸ばす。
「いやいや……ちょっと待て」
トレーナーは慌てて彼女の手を抑え込み、声を潜めた。
「ファイン……自分が何やってるかわかってるのか?」
「え? フードロス削減への貢献……?」
「そんな、流行りのSDGsみたいに言われても……」
「あら、流行りものではありませんよ。『持続可能な開発目標(SDGs)』は国連サミットで採択された、れっきとした国際指針で、食品廃棄の削減は『目標12』として――」
「それは知ってるよっ!」
トレーナーは眉間を押さえ、困惑と畏れが入り混じった複雑な表情で彼女を見つめた。
「あのな……君、仮にも王族の末裔だろ? それが……その辺の男の食いさしを食うなんて」
「くいさし?」
「食べかけ! 残り物! 品位というか、衛生というか……こう、なんか嫌だろ、フツーに」
彼は自分の持つ常識的な感覚を必死に説明して訴えた。
しかし、ファインはきょとんとして首をかしげるだけだった。
「大体、キミのどこが『その辺の男』なの? 私たちの間柄じゃない」
「間柄って……」
「たまに横着して同じボトルのドリンク貰ってるし、汗だくでタオル貸し借りすることもあるし。今さらラーメンくらいで、何を他人行儀なこと言ってるの?」
あっけらかんと言い放たれた言葉に、トレーナーは少し言葉に詰まる。
彼女にとっての「信頼」の距離感は、時として自分の常識を飛び越えてくる。
「いや、それは……本当はやめた方がいいけど、毎回気を使ってられないからやむを得ないとこもあるっていうか……とにかくやめてくれ。俺がSP隊長に消されそうだ」
言い訳のように言葉を並べて制止するトレーナー。彼の脳裏にあるのは、今も店の外に控えている黒塗りのセダンと、そこから放たれている無言の圧力。
「もう、細かいなぁ。じゃあこうしましょう」
ファインはトレーナーの制止をすり抜け、またも箸を伸ばした。
「チャーシューと煮玉子だけレスキューするね。麺は……うん、頑張ってあと一口食べてみたら? それなら許す!」
「え。それ何も解決してな……あっ」
ひょい、と器用に箸で摘まれた煮玉子がファインの口へと吸い込まれていく。続けて分厚いチャーシューも。
「ん~っ! 味が染みてて最高! トレーナー、これ残そうとしてたの? 信じられない、打ち首ものだよ?」
(君が言う『打ち首』は微妙に冗談にならないからやめてほしい……)
至福の表情でチャーシューを頬張るプリンセス。
その唇にはうっすらとラーメンの脂が光っていたが、彼女にかかれば、あたかも高級なリップグロスを引いた艶めきのようにも見えるから不思議だ。
(……俺の食べ残しの肉を食らってご機嫌な王女様……大丈夫か、彼女の国も、俺の立場も)
トレーナーが現実逃避気味にどこか遠くを見ていると、ファインが高らかに手を挙げた。
「あ、すみませーん! 追加で『並盛』をお願いしまーす!」
「しかもまだ食うのかよっ!」
『替え玉』ですらないし。
トレーナーのツッコミは、湯気と共に虚しく霧散した。
帰りの車中、SP隊長から「あまり殿下に卑しい真似をさせるな」と無言の圧力を受けるが、ファイン本人は「シェアするのも楽しいね!」とご満悦だった。
目指す秋の凱旋門は、そう遠くない。
そして、この夢の終わりも。
凱旋門賞は、彼女の最後の大舞台になる。それが、延長に延長を重ねてもらった、この「夢の続き」の締めくくりだった。その大一番から数ヶ月もすれば、彼女は生まれ持った使命を果たすために、遥か海の向こうの祖国へ帰ってゆく。
出会いが運命なら、別離も運命。
ずっと前から、わかっていたことだ。
「あ、そうだ! パリの美味しいラーメン屋さんも、今のうちに調べておかないとね!」
「向こうでも開拓する気なのか……」
ただ今は、それを忘れたふりをして彼女の隣で笑うのだった。