ファインモーションが凱旋門賞を制した結果、勢い余って運命を粉砕する物語 作:ゆのいん
「……なンだこれ」
ある日の深夜。PCのモニターを睨みつけ、エアシャカールは低い声で呟いた。
トゥインクル・シリーズの一線を退き、新たなフィールドで研究と開発に没頭する日々。息抜きがてら開いた海外のニュースサイトに、見覚えがありすぎる二人の名前が表示されていたのだ。
『ファインモーション氏、政府機関の職員として日本人男性・✕✕氏を招聘』
記事曰く、当該男性は先の凱旋門賞を制したファインモーション殿下のトレーナーを務めた実績ある人物であり、今回の移籍は「予てよりの本人の熱烈な希望」により実現したものである、と。一族は彼の情熱に心を打たれ、アイルランド政府も特例として国籍と永住権を付与した……云々かんぬん。
「アァ? 『熱烈な希望』だァ……?」
シャカールは眉間のシワを深くした。
「……」
凱旋門賞の直後、「これほどの結果を出した以上、“何か”が起こるのでは」と脳裏をよぎったが。それから数ヶ月、世間の盛り上がりは凄まじかったとはいえ、異常というほどのことは起こっていなかった。ファインは様々な表彰や取材、帰国に向けた挨拶回りに。そして、彼女のトレーナーは遠征後の処理や関係各所への報告にひたすら追われているだけに見えた。
何よりほんの数日前、「やっと時間ができてきた」という彼と遭遇して少し話したばかりだが、そんな話は1バイトたりとも聞いていない。ファインのこと以外だと、どうってことない世間話しかしなかった。
『ボーナスも入ったし冷蔵庫買い替えようと思ってさぁ。今のやつ、なんか冷えが悪くなってきて』
『機能重視ならこの型にしとけ。安けりゃいいってンならこっちだ』
『おお、助かるよシャカール。ポイントも残ってるし、近いうちに電気屋に行こうかな』
おかしい。ロジカルではない。
近いうちに日本の家電量販店のポイントを使って冷蔵庫を買おうとしていた人間が、「熱烈な希望」で海の向こうの名門一家に就職などするものか。
時系列、動機、何もかもバグっている。
一応そこまで思考を巡らせてみたが、実のところとっくに答えは察している。こんな、戻り値だけを確定させてそこに至るまでの処理をすっ飛ばすような真似ができるのは、あの規格外のお嬢様しかいない。
「……」
その矢先、手元のスマホが震えた。
通知画面に表示された差出人は――『ファイン』。
件名は『ご報告♪』。
シャカールは一瞬、スマホを物理的にへし折って何も見なかったことにしようかと思ったが、好奇心に負けた指が勝手にメッセージを開いてしまった。
『シャカール、お元気ですか?
私は無事にアイルランドへ戻りました。空港も街もすごい歓迎で、故郷なのに、なんだか夢の景色みたいです。
日本で過ごした時間のこと、改めてたくさん思い出しています。
キミが何度も相談に乗ってくれたことも、データを見てくれたことも、本当に心強かったよ。
こっちにも案内したい場所がたくさんあります。ラーメンは……まだ調査中だけど!』
……なンだ、『ご報告』って、普通の帰国報告か。
シャカールの肩の力が少し抜けた。
じゃあさっきのは、三流メディアの飛ばし記事か、流行りのAIニュースのハルシネーションか。あり得る。むしろ、そのほうがロジカルだ。
『ところで、急だけど私のトレーナーもこっちに住んでくれることになりました。
今は感動のあまり震えていて、まだ言葉もうまく出ないみたい。
でも大丈夫。こっちの料理もお口に合ったみたいで、すぐ元気になったよ!
落ち着いたら、シャカールも遊びに来てね!』
添付された画像には、邸宅のテラスとおぼしき場所で、豪華な料理を前にした二人が写っていた。
満面の笑みでカメラに向けてVサインをするファインモーション。その隣で、どこか虚ろな目で笑みを浮かべながら、ファインに合わせてVサインをする例のトレーナー。その口元には、フォークで差し出された肉料理が詰め込まれようとしているところだった。
「…………」
シャカールは無言でスマホの電源を落とした。
「よし」
見ていない。
オレは何も見ていない。
全ては深夜の作業疲れが見せたノイズだ。
あんなカオスな案件に関わったら、オレの脳みそが焼き切れる。
シャカールは冷めきって妙に味が濃くなったコーヒーを一口すすり、何事もなかったかのように本来のタスクへと意識を戻した。
* * *
そのニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。
『続いては、ウマ娘レース界のニュースです。凱旋門賞制覇でも大きな話題となったファインモーションさんのトレーナー・✕✕氏が、ファインモーションさんの一族の公務を支える機関に正式に任用されたことがわかりました』
テレビ画面の中、ニュースキャスターが明るい表情で原稿を読み上げる。
『関係者によりますと、今回の任用はご本人の強い希望を受けて実現したもので、今後はファインモーションさんの祖国で、公務や競技活動を引き続き支えていくということです。長年二人三脚で歩んできたトレーナーとの新たな門出に、国内外から祝福の声が寄せられています』
街頭ビジョンを見上げる人々からは、感嘆のため息と、惜しみない称賛の声が湧き起こった。
「えっ、つまりアイルランドに引っ越したってこと?」
「すごいな……普通そこまでできるか?」
「かっこよすぎるだろ。自分の人生を全部捧げるなんて」
「ひゃあー、男の中の男だな。俺もこんな風に生きたい」
「あっ、見て! 現地の映像が映ってるよ。トレーナーさん、感極まって声も出ないみたい!」
SNSもこの話題で持ち切りだ。
『「予てよりの熱烈な希望」ってのがアツい。トレーナー側から押し切ったんだな』
『推しとトレーナーが新たな舞台で一緒に幸せになるとか……このまま一生推す!!』
『国境を越えるウマ娘ちゃんとトレーナーさんの絆! 深刻な公式供給過多! 尊みがカンストして語彙力が消失……ありがたや~~っ!!』
『凱旋門賞を勝ったトレーナーが日本を離れるのは惜しいが、これほどの覚悟を見せられたら誰もが認めざるを得ないだろう』
* * *
一方、アイルランド本国では日本以上の熱狂が渦を巻いていた。
帰国直後、公邸の大広間で開かれた緊急記者会見。
無数のフラッシュが焚かれる中、トレーナーは雛壇の中央に座らされていた。
隣には満面の笑みをたたえるファインモーション。そして背後には、いつも通り無表情なSP隊長が控えている。
現地の記者が挙手し、トレーナーに向けて捲し立てるように質問を投げかけてきた。
「Caidé mar atá tú! An bhfuil tú sásta fanacht anseo go deo na ndeor?」
トレーナーは、ただ硬直したまま瞬きをした。
基本的には英語が使われると聞いていたが、興奮した現地メディアが使っているのは例のごとくアイルランド語らしい。単語一つの意味すらわからず、辛うじて聞き取れたのは、文末の「?」のニュアンスだけだ。
(……けどぅー、ま? かえだま? ラーメンの質問……なわけないよな)
助けを求めるように横を見るが、ファインは笑顔で記者たちに手を振るのに忙しい。沈黙が痛い。とりあえず何か反応しなければ、場の空気が凍ってしまう。
トレーナーは苦しまぎれに、愛想笑いを浮かべながら口を開いた。
「あー……ええと、イエス? まあ、そうですね……」
蚊の鳴くような声で、適当な相槌を打つ。
すると即座に、背後のSP隊長が一歩前に出た。彼女はよく通る凛とした声で、会場全体に通訳を行った。
「『無論、我が運命はこの地と共にあり! この身が朽ち果てるその最期の時まで、殿下のお傍を離れることはない! それが私の無上の喜びである!』――と、申しております」
ドッ!! と会場が沸いた。
記者たちは感動に打ち震え、一斉にメモを取る。
(えっ!?)
トレーナーがギョッとしてSP隊長の横顔を凝視するが、彼女は微動だにしない。
今……なんて言った? 彼女が何か言った途端、みんなが大盛り上がりで自分に注目したようだが。
だが、彼女に問いただす間もなく次の質問が飛んでくる。
「Is iontach an rud é sin! Ach cad iad do chuid smaointe faoi do chuid oibre agus faoi do chaidrimh sa tSeapáin? An bhfuil aon aiféala ort faoi iad a fhágáil i do dhiaidh?」
まただ。全くわからない。さっきより長いし。
雰囲気的に少し深刻そうな顔をしているから、難しい質問なのだろうか。
トレーナーは困った顔で頭を掻いた。
「うーん……それは……難しいというか、なんというか……」
言葉を濁し、視線を泳がせる。
すかさずSP隊長の声が響き渡る。
「『難しい決断ではあったが、もはや過去を振り返ることはない! 日本に置いてきた未練など、殿下がくださった愛の大きさに比べれば塵芥に等しい! 今の私には、この国での未来が全てだ!』――と、力強く断言しております」
「オオオオオッ!!」
「なんて男だ! サムライ魂ここにあり!」
「ブラボー! おお、ブラボー!!」
会場はスタンディングオベーションに包まれた。涙を拭っている記者までいる。
SP隊長。さっきから通訳してくれてるようだが、俺の言葉に対してなんか……やたら喋ってる量が多くないか? 前もこういうことがなかったか?
冷や汗が止まらない。放っておくと取り返しのつかないことになると直感が告げる。
トレーナーはファインに助けを求めようと、小声で囁いた。
「ファ……ファイン? ちょっとこれ、中断できないか? たぶん、いや、絶対訳がおかしいと思うんだが……」
ファインはトレーナーの言葉に無言でうんうんと頷くと、うっとりと頬を染めてマイクに向き直って言った。もちろん、アイルランド語で。
「ふふっ、やだ~。彼は照れ屋さんだから、私の耳元で『愛してるよ、僕のプリンセス』なんて囁くんです。可愛らしいでしょう?」
「ギャーーーーッ!!」
「ヒューーーッ!!」
「はやく結婚しろーーっ!!」
黄色い悲鳴と共にカメラのフラッシュが爆発的な光量となり、トレーナーの視界を真っ白に染め上げた。
仮に今この瞬間、トレーナーが突如アイルランド語を完璧に習得し、否定的な受け答えを並べ立てたとしても。その一言一句までもが、彼らの耳には「照れ隠し」程度に変換されて届くに違いなかった。
SP隊長がボソッと、彼にだけ聞こえる声で耳打ちする。
「……諦めてください、トレーナー様。国民が望む姿を演じるのも、殿下のごはん、パートナーとしての務めです」
「……ごはん?」
今、『ごはん』って言いかけなかった? なんで?
――トレーナーには知る由もないが。
SP隊長は『殿下のご
パスポートの職業欄には、確かに『ウマ娘レーストレーナー』と書かれていたはずだが。いつの間にやら、とんでもないものへとジョブチェンジしつつあるらしい。
* * *
やがて会見は幕を閉じ、トレーナーはようやく解放された。しかし、安息はまだ遠い。SP隊長に促されるまま公邸の正面玄関を出た、その瞬間。彼はぎょっと足を止めた。
門の外を埋め尽くしていたのは――ひと目、帰国した愛すべき殿下と、彼女が連れ帰った「異国の忠臣」を見ようと、朝から詰めかけていた大勢の出待ちの国民だった。
「ほら、あの方が東洋から来たトレーナーなんですって!」
「なんて上品で奥ゆかしい人なんだ。喜びを表情に出さないなんて、まさに武士道だね!」
「ようこそアイルランドへ! 永遠に一緒だぞー!」
飛び交う祝福の言葉、鳴り止まぬイーリアン・パイプスの音色。
一族の報道官も、彼らに向けて誇らしげに宣言する。
「彼は我が国の宝です。彼が日本を恋しく思うことがないよう、一生をかけて最高のおもてなしをする準備が、我々にはできています。もう返すつもりはありませんよ! ハハハ!」
それはまるで「終身刑」の通達だったが、熱狂する群衆には「熱烈な歓迎と小粋な冗談」としか聞こえない。高貴な権力に彩られた物語は、いつの間にやら、教科書に載るレベルの美談として歴史に固定されていた。
やがて二人は歓声に見送られながらオープンカーへと乗り込んだ。緩やかに沿道を進みだした車の上で、ファインが隣のトレーナーに耳打ちする。
「ねっ? みんなキミを歓迎してくれてるよ。来てよかったね、トレーナー♪」
彼はもう、素直に頷くしかなかった。
世界中が祝福するこの「ハッピーエンド」は、誰一人として拒否することはできないのだから。