忘れもしませぬ。あれは拙僧が生きながらにして神となった頃のこと……   作:Calく

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人、神、獣、そして…!【出禁のモグラ編】

戦場の喧騒は遠く、死臭と血の匂いだけが立ち込める薄暗い森の中。

悪霊と化した落ち武者の怨念が、宙で悲鳴のような風を巻き起こしていた。道満がその退治を請け負ったものの、その傍らにいた一兵卒の百暗にとっては、あまりに場違いな光景だった。

 

道満は、法衣の裾を血で汚すことも厭わず、悪霊の喉元に術の鎖を巻き付けたまま、くるりと踵を返した。その瞳には、退魔の慈悲など一片もない。あるのは、最高級の劇を観賞する観客のような、冷酷なまでの好奇心だけだ。

 

「――時に百暗殿。貴方は、誰ぞ心の底から恨んだことはありますかな?」

 

百暗は息を呑んだ。悪霊が牙を剥き、すぐ目の前で爪を研いでいるというのに、この男は一体何を言っているのだ。

 

「……道満? お前、何を」

 

「ンンン。いえ、この悪霊。視れば哀れな生涯でして。……殿には見えませぬか? 焼き払われた村、奪われた赤子、裏切った主への渇いた殺意。そのすべてが、今まさに、眼下の盗賊共に向けられております」

 

道満は扇子で、少し離れた藪に潜む盗賊たちの気配を指し示した。彼らはこの落ち武者が持っていたはずのわずかな金品を狙い、息を潜めている。

 

「ちょうど良く、周囲には盗賊共もおります。故に、無念をはらさせてもよいのではと」

 

「な、にを?」

 

百暗の声に、戦場に生きる者特有の嫌な予感が走る。

道満は、悪霊を封印するのではなく、その「怨嗟」を最大限に引き出すための形代を術式で組み上げ始めた。

 

「ンフフフ。ええ、ええ! しかし当世は乱世! 力なき者は食われる定め! ……しかぁし! 厄払いの神たる貴方は、どちらを憐れみますかな?」

 

道満の背後で、黒い太陽のような術式が小さく脈動する。悪霊が、自身の無念を代弁する道満の言葉に同調し、禍々しい白光を放ち始めた。

 

「憐れむべきは、無惨に死んだこの怨霊か。それとも、明日をも知れぬ命を削り、奪い合い、ただ獣のように生きるあの盗賊共か。……それとも」

 

道満は、百暗の肩に白い指をかけた。その指先から、ゾクリとするほど冷たい、しかし甘い呪詛の余波が流れ込んでくる。

 

「……己の非力さを嘆き、この惨状をただ指をくわえて見ているしかない、貴方自身か」

 

道満の口角が、妖しく、歪に吊り上がる。

彼は百暗の問いを待たなかった。術式が完成し、悪霊が咆哮する。

「さあ、見届けなされ百暗殿。神が人を憐れむとき、そこにどのような『呪い』が結実するか。……儂には、死者の無念が何よりも美味しい食事に見えるのです」

 

闇が割れた。

森の中にいた盗賊たちの悲鳴が、悪霊の怨嗟と共に夜の空に溶けていく。

百暗は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。この男は、悪霊を祓いに来たのではない。

この殺戮の果てに、どのような「絶望の味」がするのかを確かめに来たのだ——そう確信した瞬間、道満が振り返り、獲物を狩る獣のような満足げな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「等と云いつつ」

 

 

 

 

「百暗殿の目はあれらの本性までは見抜けなんだ」

 

 

 

 

道満は、返り血で赤く染まった法衣の裾を、無造作に拭った。

 

道満は、血の海と化した森の奥を見つめ、せせら笑った。

 

「巧妙に人に化けた悪鬼の類など、戦国では随分と珍しい。まあ、あれらは死んでいないだけの彼岸側と言うべきもの……。人の皮を被り、人の飯を食い、人のように戦場で己の飢えを満たす。……貴方が『ただの盗賊』だと思っていた連中の正体です。拙僧の術がなければ、彼らは戦場に紛れ込み、どれほどの兵の魂を吸い上げていたことか」

 

道満は、地面に転がる泥まみれの鏃をひょいと拾い上げた。

そこに巻かれた、百暗が何気なく貼ったはずの粗末な紙切れ——本来ならただの護符に過ぎないはずのそれが、今や妖魔の核を打ち抜いた余韻で、微かに白く明滅している。

 

「しかし、百暗殿は素晴らしいお方でした。まさか、退魔の札を貼っただけの鏃で、正確に妖魔の核を射抜くなど」

 

道満の細い眼が、狂気と熱を帯びて百暗を舐めるように見つめた。

その眼差しは、彼がかつて追い求めた晴明の「高潔な理」に対するそれとは違う。

「人の身なれど、その御霊は神に違わず。……ンンン。流石は刑罰を受けし元神。その指先には、今もかつての神気の名残がこびりついているのですな」

 

道満は、鏃を己の掌へと無理やり押し付けた。その際、呪いが楔のように打ち込まれる。

 

「実に、実に素晴らしい……ンンン。貴方が『人間』として死ぬその瞬間まで、拙僧は傍らで観察させていただきましょう。神が人に堕ち、泥を啜り、やがてどのような物語の結末を迎えるのか……」

 

道満は、森の闇に紛れていく悪鬼たちの残骸を背に、ゆらりと身を翻した。

 

「……さて、礼を言わねばなりませんな。今夜は貴方のおかげで、拙僧の器も満たされました。お代は……ええ、次回の『戦場』の案内、ということでよろしいでしょう?」

 

道満の愉悦に満ちた声が、死臭漂う森の中に木霊する。

戦国という地獄で出会った、神を失った男と、人を失った陰陽師。

 

 

 

 

 

 

江戸時代、夕暮れ時の播磨国。古びた寺の境内には、線香の匂いと、どこか生臭い風が混じり合っている。

 

「ンンン。何とも……湿り気の多い訪問者だ」

 

本堂の縁側に腰掛け、ぼんやりと空を眺めていた道満が、境内に入ってきた小柄な人影を見て、わざとらしく大きく溜息を吐いた。

 

現れたのは、百暗桃弓木。

腰にはガラクタのような小物を詰めた籠とカンテラを下げ、何とも言えない締まりのない笑みを浮かべて歩くその男は、かつて神でありながら刑罰により不死の火を封じられ、脆く儚い「人間」という肉体に押し込められた神様だ。

 

「よお、道満。今日も今日とて、怨念を喰らって腹を下してんのか?」

 

弓木はひょいと縁側に飛び乗ると、気安く道満の隣に腰を下ろした。彼が動くたびに、封じられた神の火のせいか、周囲の空気がわずかに陽炎のように揺らめく。

 

「……口の減らぬ男だ。拙僧は腹など下さぬ。ただ、この播磨の地で燻る『人ならざるもの』を、丁重に……実に丁重に、拙僧という器で引き取っているに過ぎませぬ」

 

道満は扇子で百暗の額を軽く小突いた。百暗のその、あまりに人間離れした、それでいてどこか悟りきったような眼差しに、道満はかつて自分が追い求めた「高次元の理」の欠片を重ねてしまうことがある。

 

「それより百暗殿、今日は何を持ち帰った? また、ろくでもない『拾い物』をしてきたのではあるまいな」

 

「まあな。川上の方でな、少しばかり『澱み』が煮詰まってる場所があったんだ。……そこの水面にな、拾い損ねた『これ』がこびりついててさ」

 

弓木は籠の中から、ひどく煤けた小さな鏡のような破片を取り出した。

道満はその破片を指先でつまみ上げ、じっと覗き込む。

平安から江戸へ――時代の移ろいの中で、呪いもまた形を変える。だが、それを「食らう」道満と、「拾い集めて鎮める」百暗。この二人の間には、言葉にはせぬ奇妙な関係が成立していた。

 

「……ンンン。……なるほど、これは。悪くない」

 

道満の瞳に、黒い影が宿る。百暗が持ち帰る「呪いの種」は、道満にとって最高のデザートだ。

 

「しっかし、こんな寺でおまえが大人しくしてるとはな」

 

百暗の言葉に、道満は満面の笑みを浮かべて答えた。

 

「滅相もございません。拙僧は、この世が続く限り、食い扶持に困らぬこの生活を愛しておりますよ。……貴方こそ、その不自由な肉体で、いつまで『灯』を配り歩くおつもりか。いつかその火が尽きた時、貴方は人間として死ぬのか、それともただの■に還るのか」

 

二人の間には、静かな沈黙が流れた。

夕闇が、播磨の寺を包み込んでいく。

 

「さぁ、百暗殿。夜が深まりましたな。今夜も『晩餐』と参りましょう。貴方が拾ったその澱み、拙僧が綺麗に掃除して差し上げますので」

 

「はいはい。お手柔らかにな、法師様」

 

神の罰を背負った流れ者と、呪いを糧とする生き神。

二人が並んで座る境内には、かつて戦国の空を焦がした因縁など嘘のように、どこか気の抜けた、しかし底知れない闇の気配が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ンンン。どなたかと思えば、猫附家の……梗史郎殿ではありませぬか』

その言葉に痩せた体つきの男子高校生……化け猫憑きの梗史郎が睨めつけた。

『いやはや、猫附家の方々は、よく似ておられる』

『……何の用だ、道満』

梗史郎は、毛を逆立てた猫のように目を細めている。その背後には、取り憑いている化け猫のナベシマが体をくねらせていた。黒猫のナベシマは、低く喉を唸らせながら睨めつけている。

角度によっては猫の目のように見える三白眼には、何処か呆れた色が浮かんでいた。

『前回の依頼の件は済んだだろ』

『また面倒なの押し付ける気か?』

『いえいえ。そのようなことはございません。その節はどうも』

『少々毛色の変わった依頼が来まして』 

『狐憑き――と言えばお分かりになるかと』

『……それを、何で俺の所に持って来たんだ』

『化け猫憑き、同じ獣憑きとして……御意見を伺いたく』

『化け猫も満足できる素敵な場所ですので』

人の倍ほどもあるナベシマが、餌もとい幽霊の話に、フンフンと鼻を鳴らす。

 

道満は、七尺の巨躯を折り曲げ、わざとらしく跪くような姿勢で猫附梗史郎と視線を合わせた。

その瞳に宿る眼は、まるで獲物を品定めする蛇のように、梗史郎の背後にいる化け猫のナベシマへと注がれる。

 

「……狐憑き。それも、ただの狐ではございません。……『油揚げ』では満足できぬほどに飢えた、業の深い化生です」

 

道満は懐から取り出した扇子で口元を隠し、ニタリと歪んだ笑みを零した。

 

「この街の境界が、狐の呪術で少しばかり歪んでおります。放っておけば、梗史郎殿の愛猫殿が一番楽しみにされているであろう……あの、澱んだ霊どもが次々と『お持ち帰り』されてしまいましょう」

 

その言葉に、梗史郎の背後の影が揺れた。ナベシマが空中でその巨体を膨らませ、毛を逆立てて威嚇する。

「……食い物を奪う狐か」

梗史郎が道満を見る。

 

「で、その狐がどこにいる」

 

「ンンン、さすがは猫附家。話が早くて助かります」

 

 

 

 

そこに足をつけた刹那、空気が張り詰めた。

 

道満は立ち上がり、その長い指先で不穏な空気が渦巻く路地の奥を指差した。そこは、怨念が引き寄せたのか、あるいは道満が現世に縫い付けた『穴』なのか。空間が狐火のように青白く揺らめいている。

 

「先方曰く、『儂を出し抜く』と息巻いておられますが……実際は、ただの迷い子。……狐の尻尾を掴んで引きずり出すのも、猫殿の爪にかかれば造作もないことでしょう」

 

「……罠なら、ナベシマの爪研ぎ代わりになってもらうが」

 

「それはそれは。拙僧、これでも多才なれば。そのようなウッカリ、滅多にありませぬ」

 

道満は胡乱げな笑顔を深め、梗史郎の肩にそっと手を置いた。その周囲からは、冷たくて温かい異界の湿気が漂う。

 

ナベシマが鼻を鳴らし、路地の闇へと飛び込む。餌を追う獣のように、あるいは退魔の爪を研ぐ猫のように。

 

「さぁ、梗史郎殿。……獣憑きの意地、見せていただきましょうか」

 

道満は、境界の歪みを眺めながら、満足げに目を細めた。

これが■としての遊びか、あるいはかつての陰陽師としての性か。

道満の影が、街の闇と混じり合い、まるで巨大な魍魎のような輪郭を夜の街に広げていく。

 

 

『――これにて、閉幕』

道満が最後の術を放つと同時に、ナベシマの鋭い爪が悪狐を裂いた。

ぎゃあと喚く異形の影が、悶えながらその姿を散らしていく。

「おっと。つい、ウッカリ。忘れる所でしたな」

「化け猫殿には申し訳ありませんが――こちらの狐、儂が戴きましょう」

既に何体も腹のなかに収めたナベシマが、もう一体を咥えた時。

最期に残った狐の影を、道満の黒く染まった指先がつまみ上げるように引き寄せた。

大きく口を開くような仕草をすると、道満の影が蠢いた。

 

その瞬間、道満の背後に広がる影が、まるで飢えた獣の喉元のように波打った。

 

つまみ上げられた狐の影は、抵抗することも許されず、道満の指先から溶け出す黒い泥のような「術」に飲まれていく。それはただの捕食ではない。存在そのものを解体し、己の「呪」の糧とする、邪法そのものだった。

 

「ンンン……。やはり、狐の肉は少々クセが強うございますな。……ですが、この『[[rb:淀んだ執着 > あじ]]』。極上の調味料です」

 

道満は満足げに目を細めると、黒く染まった指先をペロリと舐めた。その所作には、かつて■■■が見た狂気と、今この場で振る舞う妖艶さが同居している。

 

ナベシマはといえば、もう一体の獲物を飲み干した後、面白くなさそうに耳を伏せた。巨大な黒猫の三白眼が、道満の影から滴り落ちる呪詛の残滓をじっと見つめている。

化け猫の直感か、あるいは獣特有の危機感か、ナベシマは道満が「食べた」ものが、単なる狐の化け物以上の何かであることを察していた。

 

「……お前、今何を……」

 

梗史郎が眉をひそめ、半歩下がる。道満が狐を取り込んだことで、周囲の空気が重く、湿ったものに変質していた。先ほどまであった「化け猫 vs 悪狐」のいざこざなど些末なことに思えるほど。

「おや、そんな怖い顔をなさるな。ただの『掃除』ですよ」

 

道満は空中に漂う術式の残り香を扇子で払うと、何事もなかったかのように胡乱な笑みを浮かべた。

 

「憑き物は皆、世の中が産んだ『夢の屑』。拙僧の呪いで回収しておけば、この街の境界も、少しは穏やかになりましょう」

 

彼は梗史郎の側を通り過ぎる際、ナベシマの大きな頭をあえて避けるようにして、肩をすくめた。

 

「さて、これで『閉幕』です。……梗史郎殿、猫殿。また面白い[[rb:餌 > モノ]]があれば、その時は是非、お声がけを」

 

道満の姿が、夜の帳に溶けるようにして影の中に薄れていく。

残されたのは、狐の鳴き声も消え去った静寂と、道満が去った後に不自然に冷え切った路地の空気だけだった。

 

「……ナベシマ」

 

梗史郎の問いかけに、ナベシマは低く唸りながら、道満が消えた空間を鋭く睨みつけていた。

 

「ンソン……ナマモノは鮮度が命とは言え、少々欲張り過ぎましたか……」

 

闇の奥から、道満の呟きが、風に乗って遠ざかっていく。

「晩餐」は、まだ始まったばかりのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫附家に封じられていた厄病神が復活し、そして明かされた因縁。

…猫附家はなぜ化け猫憑きになったのか――。

 

 

 

江戸時代以前、真史郎という男がいた。戦場で刀を拾い売りさばいていた男は、ある神との出会いをきっかけに妖刀作りに没頭する。

しかし生み出した妖刀は怨みをかい、あらゆる公家や武家の飼い猫を斬り捨て続けた果てに、その怨みは製作者である真史郎へと向かった。

化け猫に呪われた真史郎は、やがて生き倒れた場所で娘を娶った。

化け猫の呪いによって衰弱していく真史郎に、娘とその両親は藁にもすがる思いで旅の陰陽師と名乗る法師に助けを求める。

 

芦屋と名乗る法師は、その男の呪いを一目見てうっそりと微笑んだ。

あまりにも素晴らしい出来に、好奇心をくすぐられたのだ。

 

法師は一月ほど解呪を試みると言って呪いをよく観察した。

 

(その無念その恨み、実に素晴らしいものですぞ…拙僧は昂っておりまする…)

 

弱者として虐げられたあらゆる者の恨み辛みは、よく練り上げられて、成る程よく鍛えられた刀のように美学すら感じられた。

きっとこれをつくりあげたものは、さぞ造詣が深いのだろうと隅々まで調べ上げ、はたと気付いた。

 

あわよくば、呪いをモノにしてしまおうと。

ついでに、少しばかり試してみるのもいやいや。

等とあれこれ考えて、

(……………………………………と。まあ、何と申しますか。

 つい一昨日の夕方まではそのように想っていたのです。

 ええ、ええ、本当ですよ?なのですが、まあ。やめました)

 

それが古代の、神代の神の呪いが混じっていることに気付くまでは。

 

(ンンン。これは、また……面妖な代物ですな。ふむ)

 

(これは、あれですな。触らぬ神に祟りなしと云う奴)

 

きっぱりと諦めた法師は、娘と男に助言をした。

 

「これは拙僧には、いやどのような法師でも解けぬ代物。ですが気落ちなさるな」

「血を繋ぎ、祟る化け猫の怨念を薄めれば、何とかなるやも」

「憎めば祟りも、恨み辛みも増しましょう。誰も恨まず、憎まず、化け猫とうまく付き合えば」

「……最も、これは儂の憶測に過ぎませんが」

 

道満の言葉は、氷のように冷徹でありながら、まるで甘い菓子を勧めるかのような響きを帯びていた。

 

「憎めば祟りは強くなる。愛せば呪いは肥える。ならば、その『化け猫』という怪異を、家族の団欒の食卓に招き入れるのです。共に飯を食い、共に眠り、等しく獣として扱う。……そうすれば、怨念の輪郭もいずれは薄れるでしょう。解呪となるかは、分かりませぬが」

 

道満は、真史郎の衰弱しきった顔を覗き込んだ。その眼底には、憐れみなど微塵もない。あるのは、神代の呪いに触れたことへの警戒と、それを「見ていたい」という悪戯心のみだった。

 

真史郎は、全身を毛細血管のように走る呪いの痛みに耐えながら、虚ろな目で道満を見た。

「……化け猫と、共に生きろと? この、俺を殺そうとしている呪いそのものを……?」

 

「左様。逃げれば狩られる。恨めば呪われる。……ならば、懐へ飛び込むのが一番。これもまた、一つの『研鑽』でございましょう?」

 

道満は涼しい顔で、汚れた法衣の裾を払った。

彼の直感が告げている。この呪いの中には、触れれば己の魂すら揺らぎかねない、古の神の「不浄の澱み」が混じっている。これを取り除けば、自分も相応の火傷を負う。ならば、この哀れな男と、何も知らぬ家族にその「器」を預け、呪いがどのように変異するかを観察する方が、よほど愉快で効率的だ。

 

「安心なされよ。拙僧が嘘を申すはずがありません。……ただ、一つだけ忠告を」

 

道満は立ち上がり、去り際に真史郎の耳元へ顔を寄せた。

 

道満は、くつくつと喉を鳴らして笑うと、夕闇の中にその姿を消した。

 

残されたのは、絶望と微かな希望に震える娘と、呪いに侵されながらも、道満の言葉に従わざるを得ない真史郎。

夜の帳が下りる中、家の軒下で、異様に大きく、しかしどこか人間らしい狡猾さを宿した黒猫が、金色の瞳を光らせてその光景を眺めていた。

 

道満は都へ向かう道すがら、空を見上げた。

あれは良い呪いだった。あわよくば自分の糧にしようとしたが、神の残り香が強すぎる。ならば、あの哀れな男が、数世代かけて「神の呪い」を醸造するのを、気長に待つことにしよう。

 

「ンンン……。江戸の頃には、どんな化け猫に育っておりますかな。……楽しみですな、真史郎殿」

 

道満の法衣が風になびく。その背後には、彼がかつて見捨てた、無数の小さな影が、まるで長い年月をかけて育まれた「呪い」の種のように、ひっそりと追随していた。

 

 

 

 

真史郎は子孫に告げたという。

「この呪いがいつまで続くか分からない。だが上手く生きろ」

「俺のことは恨んでもいい。だが他の誰も恨むな」

「もしこの世に厄病神というものがいるのだとしたら」

「拾う神もいる」

「待つな。神は自分で捕まえろ」

「俺はできなかった」

「見極めてくれ」

「何代先でも良いから」

 

 

 

「おや。呪いは成らず……いえ、緩和、ですか」

化け猫憑きは、お人好しの元神モグラを捕まえた。

刑罰によりあの世に逝けず不死であり、肉体的な死は存在する人間の体に押し込められた神様を。

彼らは、モグラの火を分け与えられる事で、短命を緩和させ血を繋げる好機を得た。

呪いは燻りながらも、神を拾うことで成功したのだ。

 

道満は、時の流れを透かすように、遠く離れた街の一角を見つめた。

そこに渦巻く気配は、かつて真史郎という男が蒔いた種が、数百年という月日をかけて奇妙な果実を結んだものだ。

 

「ンンン。これはまた……見事な結末ですな」

 

道満は、扇子で口元を隠し、胡乱げに目を細めた。

呪いをただ憎むのではなく、神という名の「外れ値」を拾い上げ、毒をもって毒を制す。真史郎という男が最期に残した「拾う神もいる」「自分で捕まえろ」という遺言を、その子孫たちは何世代もかけて実践したわけだ。

 

「神を『出禁』の地から引きずり出し、不死の火で呪いを焼き切るのではなく、燻らせて共生する。……随分と、器用な真似をなさる」

 

その光景は、道満にとって、何よりも質の高い余興であった。

かつて晴明への嫉妬で自らの身を焼き、地獄の業火にすら触れようとした己とは正反対の生き方。彼らは「呪い」を「縁」へと精製することに成功したのだ。

 

「……おや、ナベシマ殿。あちらで、実に面白そうな匂いがしておりますよ」

 

道満は、柱から覗く化け猫の眼をあしらうように、ふわりと術を解いた。

彼の指先には、今もまだ、真史郎の遺した呪いの残滓が、わずかに混じり合って残っている。

 

「『見極めよ』、ですか」

 

道満は、都の夜空に浮かぶ星々を見上げた。

かつて自分が狂おしいほどに欲し、結局は手にすることができなかった「星」。

だが今、眼下の街では、運命に抗う一族が、その星を自らの手で捕まえようと必死に足掻いている。

 

「……面白い。実に面白い。ならば、その『結末』。拙僧が少しばかり、味付けをいたしましょう」

 

呪いは消えない。だが、神を拾ったその一族は、これからも数多の災禍をその手で捕まえ、飼い慣らしていくのだろう。

道満にとって、これ以上の「上質な物語」はなかった。

 

「さて。真史郎殿の遠い子孫たちよ。……貴殿らは、厄という『厄介な縁』を、どうやって手懐けるおつもりか?」

 

道満の愉悦に満ちた声が、影の底から響き渡る。

 

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