護りたいもの〜IF〜 作:影風
入学初日の1年1組の教室は、まだ落ち着かない空気に包まれていた。これから始まる学園生活への期待と緊張。初対面のクラスメイトたちを窺う視線。小さな話し声。
女子ばかりの教室。IS学園では当然の光景であるはずなのに、その教室には1人だけ明らかな異物が存在した。
男子生徒がいる。
教卓の前の席に座る少年_織斑一夏へ、教室中の視線がちらちらと向けられていた。
世界で初めてISを動かした男子生徒。その噂は、入学前から嫌というほど広まっていた。名前まで知っている者は多くなかったが、少なくともここの教室にいる誰もが、彼が普通の入学生でないことは理解していた。
「本当に男の子なんだ…」
「どうしてISを動かせたんだろう?」
「結構カッコいいかも」
小さな声があちこちで交わされる。
一夏本人は、その視線をどう受け止めればいいのか分からない様子だった。慣れない環境に放り込まれて、女子ばかりの教室で注目を集めているのだ。落ち着けという方が難しい。
それでも彼は、出来るだけ平静を装おうとしていた。
そんな時だった。
教室の前の扉が、静かに開く。入ってきたのは、1人の少女だった。
その瞬間、それまで一夏に向けられていたざわめきが、少しずつ形を変えていく。
雪のように白い肌。腰まで流れる黒髪。派手な装いをしているわけではない。それなのに、そこに立っているだけで妙に目を引いた。
凛としている。誰かがそう思った。
だが、近寄りがたいほど整っているのに、その表情は柔らかい。向けられる視線に怯むこともなくかといって誇ることもなく、ただ自然に教室に入ってくる。
「あの子が噂の」
「めちゃくちゃ綺麗…」
「適性Sって本当なのかな?」
その少女の名前は、すでに学園中に広まっていた。
六角雪菜_世界でも類を見ないIS適性Sを示した少女。だが、代表候補生の集まりやIS学園の事前説明会にも顔を出していなかったため、本人を見たことがあるものはほとんどいない。だからこそ、名前だけが一人歩きしていた。
一夏という男子生徒に向けられていた好奇の視線とは、少し質が違う。
驚き、興味、羨望、緊張。そして噂の少女がどれほどのものかという値踏み。
雪菜は教室を一度見渡すと、空いている席に向かって歩き出した。その動作は静かだった。足音すら控えめで、けれど不思議と視線だけは彼女に引き寄せられる。
近くの席にいた生徒が、声をかけようとして口を開きかけた。
だが、結局何も言えなかった。興味はあるし、話してみたい。どんな子なのか知りたい。
しかし最初の一言を向けるには、目の前の少女はあまりに落ち着きすぎていた。
雪菜は席に着くと、鞄を机の横に掛ける。そして、ふと視線を教室の入り口に向けた。
誰かを待っているような、そんな目だった。
その表情の変化に気づいたものは少ない。だが、近くにいた生徒は、先ほどまでの大人びた印象とは違う、年相応の柔らかさをそこに見た気がした。
教室のざわめきは、完全には収まらない。
__世界初の男性操縦者である織斑一夏
__世界でも例をほとんど見ない適性Sの少女、六角雪菜
入学初日から、話題に事欠かない教室だった。だが、その空気はすぐにもう一度変わることになる。
再び、教室の扉が開いた。入ってきたのは1人の少年だった。
その瞬間、教室にいた生徒たちの視線が一斉にそちらに向かう。
男子生徒。その事実だけで再び教室がざわついた。
「えっ、また男の子⁉︎」
「もう1人いるの?」
「確かIS展で見つかったっていう…」
先ほどの一夏とは違う種類の驚きが広がっていく。
世界で初めてISを動かした男子生徒がこの教室にいる。それだけでも十分に異常だった。
だが目の前に現れた少年もまた、2人目の男性IS操縦者として噂になり始めていた存在だった。
上代大地。ただ2人目ということもあり、一夏ほどの知名度はなく、この教室内でその名を正確に知っているものはまだ多くなかった。
本人は、教室中から向けられる視線に一瞬だけ戸惑ったように足を止めた。派手さはない。特別に目を引く華やかさがある訳でもない。むしろ、どこか控えめで、注目されることに慣れていないように見える。
それでも、彼はすぐに姿勢を正した。緊張はしているが、逃げるつもりはないようだった。
ダイチは教室の中を見回し、やがて一つの席で視線を止める。そこに座っていた雪菜が、ほんの少しだけ表情を緩めた。
それは本当に小さな変化だった。
先ほどまで周囲の視線を受けても揺らがなかった少女が、その少年を見た瞬間だけ、年相応の柔らかさを見せた。
「おはようございます。ダイチ」
雪菜の声に、教室の何人かが目を見開く。
男子生徒を下の名前で呼んだのだ。それもごく自然な様子で。
声をかけられた少年も、自然な様子で頭を下げる。
「おはようございます。雪菜様」
今度は別の意味で、教室が静まり返る。
その呼び方は、同級生に向けるにはあまりに丁寧で、けれど彼の口調には不自然な部分がなかった。むしろ昔からそう呼んでいるのだと分かるほど自然であった。
雪菜もまた、それを当然のように受け取っている。
一夏へと向けられていた好奇心。雪菜へと向けられていた緊張。そして今、ダイチへと向けられている困惑。
その三つが混じり合い、教室の空気は完全に落ち着きを失っていた。
遠巻きに見ていた生徒たちは、2人の関係をどう理解すればいいのか分からず、ただ視線だけを交わす。
「席はそちらのようです」
雪菜が近くの空席を視線で示す。
「ありがとうございます」
ダイチは頷き、指定された席へと向かう。
その途中でも、周囲の視線は彼に集まっていた。だが、彼はそれを避けるように俯くことはしなかった。
席に着き、鞄を置く。そこでダイチはようやく小さく息を吐いた。
その様子を、雪菜はどこか満足げに眺めていた。
誰かが小さく呟く。
「…どういう関係?」
その疑問に答えられるものはまだ、この教室にはいなかった。
__世界初の男性操縦者
__IS適性Sの少女
__その少女と特別な関係にありそうな2人目の男性操縦者
入学初日。一年一組の生徒たちは、授業が始まる前から、このクラスが普通ではないことを何となく理解し始めていた。
_____
一限目が終わると、教室の空気が少しだけ緩んだ。
初めての授業ということもあり、周囲では配られた資料を見直す者や、近くの席の生徒と小さく言葉を交わす者の姿があった。
俺も前に座る同じ男子生徒である織斑一夏に話しかけ…ようとしたが、ポニーテールの少女に連れられ教室の外に出て行ってしまった。
仕方がないので俺は先ほどの授業で配られたプリントを読み返す。
ISの基本構造、学園での訓練内容、代表候補生という制度。全く知らない内容ばかり、というわけではない。入学前に雪菜様からある程度は教えていただいていた。だから、授業についていけないというほどではない。
ただ、改めてこうして説明を受けると、自分が随分と特殊な場所に来たのだという実感はあった。
「ちょっとよろしくて」
ふと、横から声をかけられる。
顔を上げると、そこには金髪の少女が立っていた。
整った顔立ちに、自信に満ちた立ち姿。先ほどの自己紹介で、イギリスの代表候補生だと名乗っていた生徒だ。
「上代さん、でしたわね」
「はい。あなたは確か…」
俺はプリントから顔を上げ、姿勢を正す。
「セシリア・オルコットさん、ですよね。イギリスの代表候補生だと伺いました」
そう返すと、オルコットはわずかに満足そうに目を細めた。
「あら、代表候補生についてはご存知なんですのね」
「入学前に少し教えていただきましたので。代表候補生ということは、それだけ高い実力を認められているということですよね」
「ええ。その通りですわ」
オルコットは当然のように胸を張る。
「それに、わたくしは入試首席でこの学園に入学しておりますの。ISについて分からないことがあれば、特別に教えて差し上げてもよろしくてよ」
「ありがとうございます。まだまだ学ぶことばかりですので、その時はお願いします」
俺は軽く頭を下げる。
相手は代表候補生で、入試首席だという。実力があるのは事実なのだろう。ならば、余計な波風を立てる必要はない。
けれど、オルコットの言葉はそこで終わらなかった。
「しかし、少々納得いきませんわね」
「納得?」
「ええ。貴方は男性でありながらISを動かせるというだけで、随分と特別扱いされているようですもの」
オルコットは俺を見下ろすように視線を向ける。
「確かに珍しい存在ではありますわ。ですが、珍しいことと優れていることは別です」
その言葉に、少しだけ空気が変わった。
「ISを操縦するということに関して、貴方はまだ何もお持ちでないのでしょう?」
「…」
「それなのに、同じ舞台に立てると思われているのなら、少々周囲が甘やかしすぎなのではなくて?」
優れた者とそうでない者。その線引きを、オルコットは当然のようにしている。
ただ、俺は反論しなかった。
この学園に来たばかりの自分が、代表候補生相手に言い争っても仕方がない。まして、ここで揉めれば余計に注目を集めるだけだ。
「仰るとおりだと思います。俺はまだ分からないことが多いですから」
「理解していらっしゃるなら結構ですわ」
オルコットは満足そうに頷く。
「男性である以上、女性より努力しなければならないのは当然ですもの。せめて足を引っ張らない程度には頑張っていただきたいですわね」
さすがに、その言葉には少し引っかかった。
だが口に出す前に、柔らかな声が会話に割って入ってきた。
「ダイチ、随分と楽しそうなお話をしていますね」
振り向くと、雪菜様が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
表情はいつも通り柔らかい。ただ、その目は笑っていなかった…どうやら、あまり機嫌がよろしくないようだ。
「あなた、上代さんのお知り合いですの?」
オルコットが雪菜様へ視線を向ける。
雪菜様は微笑んだまま、俺の隣に立った。
「はい。少なくとも、ダイチのことは貴女より存じているつもりです」
「そうですの。ですが、今はわたくしが上代さんとお話ししているところですわ」
「ええ。ですから、少し気になりまして」
「気になる?」
「はい」
雪菜様は、ほんの少しだけ首を傾げる。
「先ほど、入試首席と仰っていましたね」
「ええ、事実ですわ。わたくしは、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」
「それは素晴らしいことだと思います」
雪菜様は素直に頷いた。
だが、次の言葉は静かだった。
「ですが、それはあくまで一般入試での結果ですよね」
「…何が仰りたいの?」
「私とダイチは特別入試を受けてこの学園に入っています。ですから、一般入試の成績だけを理由に、ダイチが貴女より下だと判断するのは少し早計ではありませんか?」
オルコットの眉が、わずかに動く。
「特別入試?」
「はい」
「上代さんは男性ですから分かりますわ。けれど、どうして貴女のような一般生徒が?」
「言っていませんでしたっけ?」
「何をですの?」
「私、人よりIS適性がちょっとだけ高いんです」
雪菜様は、本当に何でもないことのようにそう言った。
だが、その言葉を聞いた瞬間、オルコットの表情が変わる。
特別入試。日本の新入生。人より高いIS適性。入学前から噂になっていた世界でも例を見ない適性を持つ少女。
その情報が、オルコットの中で一つに繋がったのだろう。
「…貴女が、セツナ・ロッカク」
「あら」
雪菜様は楽しそうに微笑む。
「私のことをご存知なんですか?」
「噂は伺っておりますわ。日本に、規格外の適性を持つ少女がいると」
「そうでしたか」
「ですが…」
オルコットは雪菜様を見つめる。
「それほどの適性をお持ちでありながら、代表候補生には選ばれていないのですわね」
「そうですね」
「つまり、適性だけでは実力とは言えないということではなくて?」
オルコットは微笑んだ。
「上代さんも、貴女も、特別な事情でこの学園に入学されたことは分かりましたわ。ですが、それはあくまで特殊性を認められたというだけの話。実力を証明されたわけではありませんでしょう?」
その言葉に、周囲の空気がわずかに張り詰める。
「わたくしは代表候補生として選ばれ、この学園にも入試首席で入りました。少なくとも、ここに立つまでに相応の評価を受けていますわ」
オルコットはまっすぐにこちらを見る。
「対して上代さんは、まだろくにISを操縦したこともない。貴女も噂になるほどの適性を持ちながら、これまで表舞台には出てこられなかった」
「…」
「それでわたくしと同じ、あるいはそれ以上に扱われるというのなら、少々納得しかねますわね」
雪菜様はしばらくオルコットを見つめた。そして、静かに口を開く。
「なるほど」
「何ですの?」
「オルコットさんは、結果を重んじる方なのですね」
「当然ですわ。実力とは、示してこそ意味があるものですもの」
「それはその通りだと思います」
雪菜様は素直に頷いた。だが、その微笑みは崩れない。
「ですが、まだ示していないことと、劣っていることは別です」
「…」
「ダイチがまだISに慣れていないのは事実です。私も、代表候補生として表に立ってきたわけではありません」
雪菜様は、そこで一度俺を見る。
「ですが、だからといって、今この場で貴女より下だと決めつけられる理由にはなりません」
「ずいぶんと自信がおありですのね」
「自信ではありません」
雪菜様は穏やかに答える。
「可能性の話をしています」
その言葉に、オルコットの眉がわずかに動いた。
「可能性、ですか」
「はい。貴女がこれまで積み上げてきたものを否定するつもりはありません。代表候補生に選ばれ、入試首席でこの学園に入った。そのことは本当に素晴らしいと思います」
雪菜様の声は柔らかかった。けれど、退く気配はない。
「ですが、貴女の積み上げてきたものがあるように、私たちにもこれから示すものがあります」
「これから、ですか?」
「はい」
雪菜様は微笑む。
「ですからダイチを評価するのは、実際に見てからにしていただけませんか?」
「…随分と上代さんを買っていらっしゃるのね」
「当然です」
その返事だけは、少しも迷いがなかった。
オルコットの笑みが、わずかに鋭くなる。
「では、いつか見せていただきたいものですわね。貴女がそこまで信じる上代さんの実力を」
「ええ」
雪菜様もまた、微笑みを返す。
「その時は、きっと」
二人の間に、静かな緊張が落ちる。
どちらも声を荒げてはいない。どちらも笑っている。
それなのに、周囲の生徒たちはいつの間にか会話を止め、二人のやり取りを見守っていた。
俺は内心で小さく息を吐く。
どうやら、穏便に済ませるつもりだった会話は、あまり穏便には終わらなさそうだった。
その時、二限目の開始を告げるチャイムが教室に鳴り響いた。
張り詰めていた空気が、強制的に断ち切られる。
「…時間のようですわね」
オルコットはそう言って、こちらに背を向けた。
「このお話は、またいずれ」
去り際に向けられた視線は、穏やかとは言いがたかった。
雪菜様もまた、何事もなかったように微笑んでいる。
ただ、その目はまだ少しも笑っていない。
俺は席に戻っていく二人を見ながら、今鳴ったチャイムに少しだけ感謝した。
_____
その日の3限目の授業の冒頭、教室の空気はまた別の意味で落ち着かなくなっていた。
理由は、クラス代表の選出だった。
各クラスから代表を一名選ぶ。代表となった生徒は、クラス対抗戦をはじめ、生徒会の開く会議や委員会への出席など学級の中心的な役割を担うことになるらしい。
俺にとっては関係のない話に思えた。俺はまだISについて学び始めたばかりで、実際に操縦した経験もほとんどない。それに女子ばかりのクラスのまとめ役なんてまっぴらごめんだ。
そう考えて代表が決まるのを静かに待っていると、クラスのあちこちから声が上がり始める。
「やっぱり、織斑君じゃない?」
「世界で初めてISを動かした男の子だし」
「話題性なら十分だよね」
視線が徐々に織斑に集まる。だが、本人は突然の流れに戸惑っているようだった。
「お、俺⁉︎」
織斑は立ち上がって色々と異論を唱えているが、周囲の勢いはなかなか収まらない。
織斑先生としても早く話を纏めたいらしく、他にも候補が出ないのでクラス代表はそのまま織斑に決まろうとしている。
まさに、その時だった。
「それでしたら」
澄ました声が教室に響く。セシリア・オルコットが、優雅に手を挙げていた。
「わたくしは、上代さんを推薦いたしますわ」
一瞬、教室が静まり返った。俺は思わず振り返る。
「…俺、ですか?」
「ええ」
オルコットは微笑んでいる。
だがその視線は俺ではなく、少し離れた席に座る雪菜様へ向けられていた。
「先ほど六角さんは仰っていたではありませんか。上代さんを評価するのは実際に見てからにしてほしい、と」
教室内の空気が少しだけ変わる。
「でしたら、ちょうどよろしい機会ですわ。六角さんがそこまで信頼されている上代さんの実力を、クラス代表という形で見せていただければよろしいのではなくて?」
「それは_」
雪菜様が珍しく即座に口を開いた。普段なら一拍置いてから、穏やかに相手の言葉を受ける。けれど今の声には、わずかな焦りが混じっていた。
「上代君はまだISを操縦したことがほとんどありません。クラス代表は実戦でISを扱う機会も多くなる立場です。今の彼をその役に就かせるのは、危険すぎます」
雪菜様の言っていることは正しい。
俺自身、それはよく分かっていた。
だが、教壇に立つ織斑先生は、特に表情を変えないまま口を開いた。
「自薦他薦は問わん。推薦が出た以上、上代も候補者だ。立て」
「…はい」
逆らえる空気ではなかった。
俺は席を立つ。
その瞬間、雪菜様の表情がわずかに揺れた。それを見逃さなかったのだろう、オルコットが、静かに微笑む。
「あら、意外ですわね」
「…何がですか」
「先ほどまで上代さんの可能性をあれほど信じていらしたのに、今度は危険だからやめろと仰るのですか?」
「可能性を信じることと、経験のない状態で危険な立場に押し出すことは別です」
「ええ。お優しいこと」
オルコットの笑みが、わずかに鋭くなる。
「ですが、それは随分と都合がよろしいのではなくて?」
教室の視線が、二人に集まる。
「上代さんはまだ実力を示していない。だから、わたくしが評価するのは早計だと仰った」
「…」
「けれど、いざ実力を示す場が用意されると、今度は危険だから出すべきではないと仰る」
オルコットは、畳み込むように告げる。
「それでは結局、六角さんも上代さんの実力をまだ信用しきれていないということではありませんの?」
「違います」
雪菜様の声が、少しだけ強くなる。
「私はダイチを信じています」
「でしたら、問題ありませんわね」
即座に返され、雪菜様が言葉に詰まる。
珍しい光景だった。いつもなら雪菜様は相手の言葉を受け止めた上で、そのさらに先を返す。けれど今は違う。俺のことが絡んでいるせいなのか、ほんの少しだけ冷静さを欠いているように見えた。
オルコットは、その隙を逃さなかった。
「それとも、先ほどの発言を撤回なさいますか?」
「撤回…?」
「ええ」
オルコットは優雅に微笑む。
「上代さんを実際に見てから評価してほしい、というお言葉ですわ。あれは勢いで仰っただけのものだったというのであれば、わたくしも推薦を取り下げることを考えて差し上げてもよろしくてよ」
教室中が静まり返る。
雪菜様は、オルコットを見つめていた。
「その代わり」
オルコットの声は、あくまで落ち着いている。
「先ほどの非礼を認め、わたくしに謝罪していただけるのなら、ですが」
その言葉に、俺は思わず雪菜様を見る。
雪菜様の表情は、静かだった。けれど、その手がほんのわずかに握られているのが見えた。
悔しいのだろう。
それでも雪菜様は、ゆっくりと息を吸った。そして、頭を下げようとするように、わずかに身を動かした。
俺のために自分の言葉を撤回し、オルコットに詫びることで、この場を収めようとしている。
その瞬間、考えるより先に声が出ていた。
「その必要はありません」
教室に俺の声が響く。
雪菜様の動きが止まった。
「…ダイチ?」
「どういうことかしら?」
すぐにオルコットが反応する。
勝ち誇るようだった笑みが、挑発的なものへ変わっていた。
「六角さんは、ご自身の発言を撤回しようとしているのですわよ?それを止めるということは、上代さん、貴方はわたくしの推薦を受けるということでよろしいのかしら?」
「はい」
俺はオルコットを見つめる。
「雪菜様は、何も間違ったことは仰っていませんから」
その瞬間、教室の空気が張り詰めた。
オルコットの目が、すっと細くなる。
「…そう」
声音は静かだった。だが、その声は先ほどより明らかに温度が低い。
「貴方も、そう仰いますのね」
「はい」
「実力を示していないことと、劣っていることは別。実際に見てから評価してほしい。そういうことでしたわね」
オルコットはゆっくりと微笑む。
「ならば、見せていただきますわ。六角さんがそこまで信じ、貴方自身も否定しないというその実力を」
そう言うとオルコットは教壇に視線を向ける。
「織斑先生、先ほど自薦他薦は問わないと仰いましたわね。推薦する人数に限りはありまして?」
「いや。相応しいと思う人間が複数いるなら何人挙げても構わん」
「でしたら、わたくしも立候補させていただきますわ」
教室がざわつく。
オルコットは余裕の笑みを浮かべながら続ける。
「せっかく三名の候補者が揃ったのですもの。口だけで決める必要はありませんわ」
そう言って、真っ直ぐに俺を見る。
「IS操縦者なのですから、実力はISで示すべきです」
そして教壇に視線を向ける。
「織斑先生。候補者同士で模擬戦を行い、その結果で代表を決めるのはいかがでしょうか?」
「構わん。当事者同士でその辺は決めろ」
「ありがとうございます。お二方とも、もちろん異論はありませんわよね?」
「俺はいいぜ」
織斑は迷いなく答える。織斑も織斑でオルコットとは一悶着あったようで、その声からは闘志が感じられた。
俺は小さく息を吸う。
勝てるなどと思っているわけではない。ISを操縦した経験がほとんどない自分が、イギリスの代表候補生と戦う。それがどれほど無謀で不利なことなのかは、考えるまでもない。
それでも、ここで退くことだけは出来なかった。
「分かりました」
「ダイチ」
振り向くと、彼女は珍しく不安そうな顔をしていた。
「貴方はまだ_」
「それでも、雪菜様に頭を下げさせるわけにはいきません」
そう言うと、雪菜様は言葉を失った。
俺はもう一度、オルコットへ向き直る。
「その勝負、受けます」
「よろしいですわ」
オルコットの笑みが、今度こそはっきりと鋭くなる。
「では、遠慮なく確かめさせていただきます」
「さて、話はまとまったようだな。それでは勝負は一週間後の月曜。放課後に第3アリーナで行う。各自準備しておくように。それでは授業を始める」
織斑先生はパンッと手を打って話を締めた。
席に着く前に振り返ると、雪菜様は何かを言いたそうに俺を見つめていた。
俺はその視線に、小さく頷く。
大丈夫です。
そう言葉にする余裕はなかった。
けれど、少なくとも今はそう伝えたかった。
雪菜様の言葉が間違っていなかったことを、俺が証明する。そのために俺は戦う。
他の登場人物も舞台設定も変わらないはずなのに、1人加わるだけでこんなに味付けが変わるものなのだなぁと書きながら驚いています。カレー粉かな?