貞操逆転世界で勃起を隠しながら英雄やってます   作:あけ帆

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第1話「その反応、死に値する」

 美女の胸元は、時として凶器になる。

 

 俺はそれを、異世界に来て三十分で学んだ。

 

「近づかないでください」

 

「なぜだ」

 

 グレイス・ヴァルキュリアが首をかしげる。銀髪がさらりと揺れた。碧眼がまっすぐ俺を見ている。百八十五センチ、完璧に鍛え上げられた肉体。白銀の鎧。腰には長剣。

 

 そして、鎧の胸元が、信じられないくらい開いている。

 

 なぜだ。なぜそこだけ布が足りない。心臓はそこにあるんだぞ。人体で一番守るべき場所だろうが。

 

「その鎧、どうしてそんなに開いてるんですか」

 

「動きやすいからだ」

 

「動きやすさと露出面積、比例させる必要ある!?」

 

「お前は変わった男だな」

 

 グレイスは笑った。屈託なく、まっすぐに。

 

「大体の男は私を見ると、目を逸らすか、恥じらって隠れるかだ。お前は——」

 

「俺も隠れてます。今まさに」

 

「違う。お前は私に文句を言っている」

 

 そうだ。俺は今、文句を言っている。心の中では絶叫している。

 

 なぜなら、俺は今、必死に股間を押さえているからだ。

 

 このままだと、俺は死ぬ。

 

 物理的にではない。社会的に。

 

 ——時間を、少し戻そう。

 

 ◆◆◆

 

 俺、立花タクト。享年二十八歳。

 

 死因は過労死。日本のブラック企業でシステムエンジニアをやっていて、納期前日にコーヒーを飲みながら倒れた。

 

 気づいたら、石畳の上に転がっていた。

 

「——って、いや、待て」

 

 上半身を起こして、俺は固まった。

 

 中世ヨーロッパ風の町並み。石造りの建物。行き交う人々。

 

 異世界転生。よくあるやつだ。知ってる。ラノベで散々読んだ。

 

 でも、目の前の光景は、俺の知ってる「よくあるやつ」と、決定的に違っていた。

 

 酒場のテラス席で、筋骨隆々の女が三人、大声で笑いながら酒をあおっている。腕は丸太みたいに太く、腹は割れ、背中には自分の身長より長い大斧を背負っている。

 

 その隣を、全身をローブで覆った男が、うつむきながら小走りで通り過ぎていく。フードを深くかぶり、顔の下半分まで布で隠している。まるで、誰とも目を合わせたくないみたいに。

 

 ——は? 

 

「そこのお前」

 

 低い声。

 

 振り返ると、百九十センチはありそうな女が、腕を組んで俺を見下ろしていた。革鎧。案の定、胸元が開いている。

 

「男が一人で突っ立ってるんじゃないよ。危ないだろ」

 

「……は?」

 

「は、じゃない」

 

 有無を言わさず腕をつかまれた。万力みたいな握力だった。

 

「ほら、こっち来な。店の中で待ってな」

 

「あの、ちょっと」

 

「何だい。迷子か? 家出か? どっちにしろ、男が一人でウロウロするもんじゃないよ」

 

「男が一人で歩いちゃいけない理由でも?」

 

 女は心底不思議そうな顔をした。心底、だ。芝居でもなんでもなく。

 

「決まってるだろ。危ないからに決まってる」

 

「誰が危ないんですか」

 

「誰がって、お前がだよ」

 

「……襲われるのは、男の方なんですか」

 

「は?」

 

 女は目を丸くした。心外だ、とでも言いたげに。

 

「お前、面白い冗談言うな。女が男を襲うわけないだろ。恥を知れって話だ」

 

 俺はこのとき、確信した。

 

 この世界、何かが根本から逆だ。

 

「あんた、どこから来たんだい。その格好、薄着すぎるよ」

 

 女はそう言うと、俺のシャツとズボンを一瞥して、露骨に眉をひそめた。

 

「男が肌をそんなに晒すなんて、みっともない」

 

 シャツと長ズボンで「肌を晒している」認定されたのは、二十八年の人生で初めてだった。

 

 女は店の奥から、黒いローブを持ってきた。フード付きで、着れば全身がすっぽり隠れる代物だ。

 

「これを着な。あんたみたいな可愛い顔した男が、そんな格好で歩いてたら——」

 

 言葉を切って、女の目が急に真剣になった。

 

「——恥をかくよ。取り返しのつかない恥をね」

 

 冗談を言っている目じゃなかった。

 

 俺は黙ってローブを受け取り、袖を通した。

 

「ありがとうございます」

 

「いいってことよ。気をつけな」

 

 店を出て、大通りを歩き出してすぐ、俺は「取り返しのつかない恥」の実物を見ることになる。

 

 ◆◆◆

 

 市場の中央だった。

 

 人だかり。ざわめき。

 

「お前、今、私を見て反応したな」

 

 女戦士が一人、地面に膝をついた男を見下ろしている。男は二十代半ばくらいに見えた。顔は蒼白で、唇が震えている。

 

「ち、ちが……違います……!」

 

「違わない。見えてた。ローブの上からでも、はっきりと」

 

「お願いです……! やめて……お願いします……!」

 

 男は両手で顔を覆った。

 

「名前を言え。家名を言え」

 

 周囲の人だかりが、遠巻きに見ている。誰も助けない。誰も驚いてすらいない。まるで、こういうことが日常茶飯事だとでも言うように。

 

 しばらくして、白髪の年配男性が人混みをかき分けて走ってきた。父親だろう。地面に額をこすりつける。

 

「申し訳ありません……! 息子がご無礼を……! どうか、どうかご容赦を……!」

 

「一族で謝罪行脚だ。今日から三日、街中を回って詫びろ」

 

「……はい……はい……ありがとうございます……」

 

 父親は涙を流しながら、何度も何度も頭を下げた。

 

 息子はまだ地面に突っ伏したまま、声を殺して泣いていた。二度と顔を上げられない、というふうに。

 

 俺は、その場から動けなかった。

 

 たった一度の「反応」。それだけで、人生が終わる。家族まで巻き込んで。

 

 あれが、この世界でバレた男の末路だ。

 

 俺は、自分の下腹部に手をやっていた。無意識に。守るように。

 

 ——今はまだ、バレてない。

 

 ——でも、俺はあの男より、はるかに危険だ。

 

 なぜなら俺は、この世界の常識を知らない。二十八年間、女性の肌を見れば見惚れ、視線が吸い寄せられ、それが「普通」の世界で生きてきた。この世界の男たちが、生まれたときから叩き込まれている自制心を、俺は持っていない。

 

 つまり——俺は、この世界の男の誰よりも、簡単に「反応」する。

 

 気を抜いた瞬間、詰む。

 

「大丈夫か」

 

 さっきの店の女が、いつの間にか隣に立っていた。

 

「……大丈夫じゃないです」

 

「まあ、いろいろあるよな」

 

 女は俺の背中を軽く叩いた。骨が軋んだ。

 

「とりあえずギルドに行ってみな。冒険者になりゃ、男でもある程度は自由に動ける」

 

「冒険者」

 

「ああ。実力があれば、男だろうと多少は好きに振る舞える。もちろん限度はあるがな」

 

 俺は顔を上げた。

 

 金がいる。この世界で生きるには金がいる。そして自由に動けるなら——隠しやすい。

 

「ギルドはどこですか」

 

「あら、やる気になったね。まっすぐ行けば着くよ」

 

 女はにやりと笑った。

 

「でも気をつけな。ギルドには強い女がわんさかいる。恥をかかされないようにね」

 

 恥。

 

 その一言だけで、心臓が縮み上がった。

 

 大丈夫だ。俺はやれる。やるしかない。

 

 この世界で、絶対に「反応」をバレずに生き延びてみせる。

 

 ◆◆◆

 

 冒険者ギルド、と書かれた木製の看板をくぐった瞬間、俺は自分の判断を軽く後悔した。

 

 広いロビー。壁一面の依頼書。併設された酒場。

 

 そこにいるのが、ほとんど女性だった。

 

 筋骨隆々の戦士。ローブの魔法使い。軽装の盗賊。

 

 色とりどりの鎧。色とりどりの肌。露出。露出。露出。

 

 俺は即座に視線を床に落とした。

 

 見るな。見たら反応する。反応したら人生が終わる。

 

 床だけを見ろ。ひたすら床だけを。

 

「ちょっとあんた」

 

 カウンターから声。眼鏡をかけた、事務的な雰囲気の受付嬢だった。

 

「あんた、何で床見てんの」

 

「祈ってます」

 

「へ?」

 

「宗教上の理由です。床を見ながら祈る宗派でして」

 

「……ふうん、変わった宗教ね」

 

 受付は首をかしげつつも、それ以上は追及しなかった。異世界の宗教適当理論、一勝。

 

「冒険者登録をお願いします」

 

「あら、そう。じゃあ適性検査するわ、こっちへ」

 

 通された小部屋の中央に、水晶玉が置いてあった。

 

「これに触れて。魔力、身体能力、適性スキルが出るわ」

 

 俺は水晶に手を置いた。

 

 ——頼む。今だけは静まっていてくれ。

 

 水晶が淡く光り出す。俺は必死に念じた。他のことは何も考えるな。この石のことだけを見ろ。石。石。石だけを見ろ。

 

「……へえ」

 

 受付が目を丸くした。

 

「な、なにか」

 

「これ、隠密適性が異常に高いわ。滅多に見ない数値よ。戦闘は平均、魔法は低め。でも隠密だけ飛び抜けてる」

 

「……そうですか」

 

 心当たりがありすぎて、逆に何も言えなかった。

 

 たぶんこれは、俺が「見ないように、気づかれないように」と全身全霊で念じている、その必死さそのものがスキルとして認定されている。

 

 俺の羞恥心が、この世界では才能扱いされている。

 

 皮肉にもほどがある。

 

「まあいいわ。今日からあんたはFランク冒険者よ」

 

 ギルドカードを受け取り、そそくさと立ち去ろうとした、そのときだった。

 

 ギルドの扉が、勢いよく開いた。

 

 ◆◆◆

 

 現れたのは、一際目を引く女だった。

 

 百八十五センチはある長身。背中まで伸びた銀髪。碧眼。白銀の鎧。腰には長剣。

 

 そして、やっぱり胸元がざっくり開いている。

 

 ロビー中がざわついた。

 

「グレイス・ヴァルキュリアだ」

 

「Sランク冒険者……本物か」

 

「元騎士団副団長だろ。何しに来たんだ」

 

 グレイスはその声を意に介さず、真っ直ぐカウンターへ向かい、手続きを始めた。

 

 俺はその隙に、そっと出口へ向かう。バレる前に離脱するのが正解だ。強者と関わるほど、俺のリスクは跳ね上がる。

 

「そこのお前」

 

 ——足が、勝手に止まった。

 

 振り返ると、グレイスが俺を真っ直ぐ見ていた。

 

「な、なんでしょうか」

 

「先ほどから、やけに腰を引いているな。怪我でもしているのか」

 

「いえ、違います」

 

「ならばなぜ」

 

「……持病です」

 

「持病?」

 

 グレイスは眉をひそめ、迷いのない足取りで近づいてきた。

 

 近い。近い近い近い。

 

 彼女の胸元が、俺の視界のかなり悪い位置に来る。

 

 やめろ。頼む。今、俺の下半身は限界だ。

 

「あの、近づかないでください」

 

「なぜだ」

 

「やめてくださいそういう動き!」

 

「そういう動きとは?」

 

「なんでもないです!」

 

 ——そうして、冒頭の場面に戻る。

 

「大丈夫か。顔色が優れないぞ」

 

「だ、大丈夫です! それより!」

 

「なんだ」

 

「その鎧、どうしてそんなに胸元が開いてるんですか!」

 

「動きやすいからだ」

 

「動きやすさと露出面積、比例させる必要ある!?」

 

「お前は変わった男だな」

 

 グレイスは小さく笑った。

 

「大体の男は私を見ると、目を逸らすか、恥じらって隠れるかだ。お前は——」

 

「俺も隠れてます。今まさに」

 

「違う。お前は私に文句を言っている」

 

 俺はこの三十分で、人生が三回くらい終わりかけている。

 

 グレイスはしばらく俺を見つめて、ゆっくりと手を差し伸べた。

 

「お前、名前は」

 

「……タクトです」

 

「タクト。私のパーティに来ないか」

 

「即答でお断りします」

 

「なぜ」

 

「あなたといると、命がいくつあっても足りないからです!」

 

 グレイスは、ふっと真顔になった。

 

 その顔に、一瞬だけ影が差す。

 

「……そうか」

 

 声が、少しだけ低くなった。

 

「お前も、守りたいものがあるんだな」

 

 違う。全然違う。

 

 俺が守りたいのは、俺の相棒であって世界平和とかそういう壮大なやつじゃない。

 

 でも——その目があまりに真剣で、俺は反論を飲み込んでしまった。

 

「……そういうことにしておいてください」

 

「やはりそうか」

 

 グレイスは何やら勝手に納得した顔で頷いた。

 

「タクト。お前は只者ではないな」

 

「いえ、只者です。心から只者です」

 

「謙遜するな」

 

 謙遜ではない。ただの弁明だ。

 

「とにかく、今日のところは帰ります」

 

 俺はくるりと背を向けた。少しでも早く、この場を離れなければ。

 

 そのときだった。

 

「——タクト」

 

 呼び止められて、振り返るな、と自分に言い聞かせたのに、体が勝手に反応した。

 

 グレイスが、床に落とした剣を拾おうと膝を折っている。

 

 ——彼女の顔の高さが、ちょうど俺の腰と同じ位置に来る。

 

 全身の血が、音を立てて凍りついた。

 

 ——まずい。

 

 ——今、目線を上げられたら、ローブ越しでも、この距離だと。

 

 頭が真っ白になる。手が震える。喉から変な音が漏れそうになる。

 

 終わった。

 

 終わった終わった終わった終わった——。

 

「——あっ!!」

 

 気づいたら叫んでいた。グレイスの背後を指さしながら。

 

「な、なんだ!?」

 

 グレイスが反射的に振り返る。

 

 その一瞬で、俺は死ぬ気で体勢を立て直した。腰を引き、ローブの前を正し、呼吸を整える。全人生で一番速い動きだったと思う。

 

「……何もいないぞ」

 

 グレイスが怪訝そうに戻ってくる。

 

「き、気のせいでした」

 

 心臓が口から出るかと思った。物理的に。

 

「そうか。……タクト、やはりお前は只者ではない。私の勧誘、考えておいてくれ」

 

 そう言い残して、彼女はカウンターへ戻っていった。

 

 俺は壁に寄りかかり、長く息を吐いた。

 

 生きてる。今回は、自分の機転で生き延びた。

 

 でも——これが、毎日続くのか。この世界で、俺は。

 

「お前、面白いな」

 

 ——また声。

 

 振り返ると、いつの間にか隣に誰かが立っていた。

 

 赤い髪。大きな丸眼鏡。手にはノートと羽ペン。

 

 にこにこと、屈託のない笑顔で俺を見ている。

 

「いつからそこに」

 

「さっきから。グレイスさんとのやりとり、全部見てた」

 

「……なにを見て」

 

「全部」

 

 嫌な汗が背中を伝った。

 

「タクトさん、だよね。私、ミリア・フラメル。研究職の冒険者なの」

 

 ミリアは跳ねるように距離を詰めてきた。近い。この人も距離感がバグっている。

 

「ねえ、ちょっと教えてほしいんだけど」

 

「な、なにを」

 

「グレイスさんが近づいたとき、タクトさんの心拍数、一気に跳ね上がったよね」

 

 ミリアは自分の眼鏡を指で押し上げた。

 

「これ、特注の魔道具でね。視界に入った人の生体データを拾えるんだ。今、タクトさんの心拍数と体温、ずっと記録してる」

 

「やめてください!」

 

「やめないよ。面白いんだもん」

 

 心底楽しそうに、彼女は続けた。

 

「普通の男の人は、強い女冒険者を前にすると、緊張で心拍数は上がるけど、体温はむしろ下がるんだよね。萎縮するから。でもタクトさんは、心拍数と体温、両方同時に上がってる」

 

 ミリアはそこで言葉を切り、にこりと笑った。

 

「これ、緊張とは違う反応だよ。ねえ、タクトさんって——」

 

 彼女は小首をかしげ、無邪気な声で、核心から一番遠いところを、無邪気に撫でるように聞いた。

 

「なんか、面白い体質してるよね?」

 

「な、なんの体質もありません」

 

「ふうん。まあいいや」

 

 ミリアはノートを閉じ、ひらひらと手を振った。

 

「また今度、ゆっくり聞かせてね」

 

 そう言って、彼女は軽い足取りで去っていった。

 

 俺はその場にへたり込みそうになった。

 

 グレイスといい、ミリアといい、この世界には俺の心臓を狙い撃ちしてくる連中しかいないのか。

 

 でも——まだだ。まだバレてない。

 

 俺は顔を上げた。窓の外、空は普通に青い。この世界でも空くらいは常識的らしい。

 

 やるしかない。

 

 この世界で、絶対に「反応」をバレずに生き延びる。冒険者として稼いで、静かに暮らして、秘密を守り抜く。

 

 それが、俺の戦いだ。

 

「頼む、明日も、明後日も、その先もずっと——」

 

 俺は誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「——静まっていてくれよ、俺の相棒」

 

 ◆◆◆

 

 翌朝。

 

 ギルドの扉をくぐると、入り口の掲示板に見覚えのない紙が貼られていた。

 

『緊急クエスト・遺跡調査。参加者求む』

 

 その下に、パーティ表。

 

 隊長:グレイス・ヴァルキュリア。

 隊員:ミリア・フラメル。

 

 そして——

 

『協力依頼:タクト・フラウエンシルト(隠密担当)』

 

 俺は、その場で完全に固まった。

 

「なんで俺の名前が」

 

「あ、タクトさん!」

 

 背後から声。振り向くと、ミリアが例のノートを抱えて立っていた。

 

「おはよう。今日のクエスト、よろしくね」

 

「ちょっと待ってください、俺は承諾なんて——」

 

「グレイスさんが直々に指名したんだよ。『彼の隠密適性は遺跡探索に不可欠だ』って」

 

 ミリアは眼鏡をくいっと直す。

 

「それに——」

 

 彼女はノートを開き、機嫌よさそうに続けた。

 

「昨日のタクトさんのデータ、詳しく見返してみたんだけど、すごく面白いことがわかったんだ」

 

 嫌な予感が、背筋を這い上がった。

 

「特定の状況で、心拍・体温・発汗が同時に急上昇して、そのタイミングで隠密スキルが微弱に発動してる。これ、偶然じゃないよね」

 

「そ、それは——」

 

「ま、詳しいことはこれから確かめればいいか」

 

 ミリアは、にっこりと笑った。屈託なく、無邪気に、そして完全に楽しそうに。

 

「今日のクエスト、たくさんデータ取らせてもらうね」

 

 彼女はノートを抱えたまま、鼻歌交じりに去っていった。

 

 俺は立ち尽くした。

 

 ——やばい。

 

 ——この人、少しずつ、確実に、核心の方向へ歩いてきている。

 

 でも、まだ確信には至っていない。つまり、今日の遺跡調査で——

 

 俺は頭を抱えた。

 

 グレイスのパーティ。遺跡。参加者は俺以外、全員女性。狭い通路。暗い洞窟。何が起こるかわからない密着空間。

 

 その中で俺は、「反応」を完璧に隠し通さなければならない。

 

「……無理では?」

 

 いや。

 

 やるしかない。

 

 俺は顔を上げた。

 

 絶対にバレない。絶対に守り抜く。

 

 これは、誰にも言えない、誰にも理解されない、俺一人だけの戦争だ。

 

 でも——負けるわけにはいかない。

 

 俺はギルドの外へ足を踏み出しながら、心の中で、もう一度だけ祈った。

 

「待ってろ遺跡。待ってろグレイスさん。待ってろミリア。そして——」

 

 自分の下腹部を見下ろして、静かに、しかし切実に、告げる。

 

「——頼むから、静まっててくれよ、俺の相棒」

 

 遠ざかっていくタクトの背中を見ながら、ミリアはノートに何かを書きつけていた。

 

「心拍数、さっきよりさらに上昇。体温上昇。発汗量増加。隠密スキル微発動、確認」

 

 彼女は顔を上げ、口の端をわずかに持ち上げた。

 

「——明日、楽しみだなあ」

 

 その笑顔は、無邪気さの仮面をかぶった、獲物を前にした研究者のものだった。




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