名探偵黒崎コユキは間違えない 作:アル飯
「はぁ、はぁ、は……ァ、ッ」
──土砂降りのミレニアムサイエンススクールの一角を、『白兎』と呼ばれる少女が走り抜けていく。風になびくピンク色のツインテールがさながら流星の尾のように伸びていた。
「ッ、ふ……ぅ……ッ」
呼吸も滅茶苦茶で、その速度も速いとはとても言い難い。お気に入りのシューズは泥まみれになり、足は先程捻ったせいでジンジンと痛みを発し続けている。……が、それでも足を止めることはできない。
──もし彼女たちに捕まったらその時はきっと
(こ、殺される……っ!)
背後に迫ってくる「鬼」を想像し、胃の奥から込み上げてきたものをグッと堪える。寒さのせいか、それとも恐怖のせいか。身震いをしながら少女──黒崎コユキはさらにスピードをあげた。
(あそこまで、あそこまでたどり着ければきっと何とかなる! ……ハズ! 多分!)
そんな確信めいたものを胸に、コユキはミレニアムサイエンススクールのはずれにある、黒曜石を思わせるような真っ黒な外観をした細長いビルへと足を進めた。
ミレニアムサイエンススクールの外郭に位置する、サンクトゥムタワーを思わせる細長い外観をした二階建ての非常に小規模なビル──『管理棟』。現生徒会長である調月リオが設計したとされるその建物は、ミレニアムで日々生み出される機密データを一時的に保管するために作られたと言われている。
曰く、どんな荒くれ者だろうと壁に傷一つつけることさえできない(仮想敵は温泉開発部らしい)四重の装甲と、謎の超技術による防衛がされているとか。
曰く、超高性能だが妙に気色の悪い見た目のセキュリティロボットが警備を担っているとか。
曰く、会長だけが入れる秘密の部屋があり、そこではミレニアムサイエンススクールにおけるありとあらゆる情報を統括し、監視できるシステムが隠されているとか。
曰く、こういったリオのセーフハウスはミレニアム自治区の各地に点在しており、規模の大きいものだと一つの都市を形成するほどの規模になっているとか。
エトセトラエトセトラ。とにかく噂には枚挙に遑がない、内外共に珍妙な建物だった。
(とはいえ最後のは流石に無理がありますよね……)
むむむ、と小さく声を上げながらコユキは首を傾げる。都市一つを作り上げるとなると、個人の財力では到底なし得ないだろう。
ミレニアムサイエンススクールのお金を拝借できればあるいは……。いや、そんな怪しい金の動きをあの冷酷な算術使いが見逃すわけがない。大事件の裏でひっそりと行われていた、とかそんな状況じゃない限りは、とコユキは首を振った。
なんにせよ、それだけ厳重に守られているということは、一度中に入り込んでさえしまえばきっと当分の間──少なくともパック開封の間ぐらいは誰も入って来られないハズ、とコユキは手にしたムシクイーンの最新弾パックを胸に押し抱え、ようやくたどり着いた管理棟のエントランスホールへと足を踏み入れた。
「お……おじゃましまーす」
小さめの声で呼びかけてみたが、中から誰かが出てくる気配はない。背後から迫る気配も特にない。恐らくどこかのタイミングでユウカを撒くことに成功したのだろう。
エントランス横には小規模ながら管理人室があるようだった。その小窓から中を覗いてみるが、ミレニアム指定の上着とウェーブキャットのパスケースが壁にかかっているぐらいで、中に人がいる気配はない。窓に貼られた「所用により外出中」と書かれた張り紙が湿気でぐちゃぐちゃになっていた。
安堵のため息と共に一歩、コユキが建物へ踏み込んだ瞬間──
「見つけたぞッ! 黒崎コユキィ!」
「ひゃっ!? だ、誰ですかぁ!?」
エントランス中に響き渡る怒号にコユキは身を縮こまらせた。振り返ると、土砂降りの校庭に一人、制服をキッチリ着た背の高い少女が怒りの形相を浮かべながら、こちらに走ってきているのが目に入った。
見知らぬ顔だが、少なくとも追っ手であることは明らかだった。
「ちょ、ちょっとタイム! ちょっとだけ待ってください!」
「待てと言われてハイそうですかとなるワケがないだろう!」
それもそうか、と妙に納得しながらコユキはエントランスホールを突っ切り、エレベーターへと駆け寄った。
「お願い、開いて〜ッ!」
懇願の声と共に、扉の横にある見慣れない操作盤を、とりあえず適当にガチャガチャと押しまくる。
──必死の祈りが通じたのか、ピンポンという間の抜けた音と共に、エレベーターの扉が開いた。咄嗟に扉の隙間へ身を滑り込ませ、追跡者の方へと振り返った。
「あ、あれ……? いない……?」
──果たして背後に先程の少女の姿は見えなかった。
不意をつかれはしたものの、距離自体は割とあった。もしかすると途中でコケるなりして上手く逃げきれたのかもしれない。
ゆっくりとエレベーターの扉が閉まっていくのを目にしながら、コユキは勝利の笑みを浮かべた。
「はぁ、はぁ……こ、今回は私の勝ち、ってことですね! にはは!」
「いや? どうあれ今回はお前の負けのようだぞ?」
ガン、とエレベーターが大きく揺れた。見ると、扉が閉まる寸前、黒手袋をはめた手がエレベーターの扉の隙間から差し込まれている。
声の主は再び開いたエレベーターの扉から内部に乗り込み、手にしたSRの銃床でコユキの顔面を強かに殴りつけた。
「ギャッ!? な、何するんですか!? 痛いじゃないですか!?」
「痛めつけるつもりでやっているんだから当然だろうが、こんのおバカ! また早瀬会計に迷惑をかけるつもりか!?」
「ぼ、暴力反対で……ぶべッ!?」
今度は銃身で顔面を横薙ぎに殴られる。
然程痛みは無いが、衝撃で目がチカチカと瞬いた。口の端が切れ、鉄の味が広がる。
「昔から言っても聞かんガキにはこの手に限るとされている。安心しろ、ちゃんと手加減はしてやる。……早瀬会計の分をキチンと残しておかないとだしな」
「えぇ!? これ以上まだユウカ先輩に怒られるんですか!? 鬼! 悪魔!」
「何回も人を困らせてからに、貴様の方が余程悪魔だろうが!」
怒号と共に頭にゲンコツが降ってきた。
思わず這い蹲る形で床にダウンし、コユキは叫ぶ。
「ど……どうしてこうなるのーーっ!!!!」
──遡ること三時間前。
その日もコユキは半ば自室となりつつある反省室の中に閉じ込められていた。容疑は──2日前の脱走の罰だ。2日前まではそのさらに1週間前に引き起こした脱走の罰で反省室に入れられていた。
「だあああああ! ずっと反省室の無限ループじゃないですか! こんなのやってられないですよ!」
『"ちゃんと刑期を終えるまで反省室から脱走しなければいい話だと思うんだけど……"』
モモトーク越しに送られてくる先生の声は冷たい。どうやら三徹目に突入しており、相当参っているようだった。
コユキは苛立ち混じりにちっとも楽しくない積み木セットをおもちゃ箱に投げ入れる。ガコン、とプラスチックの容器に積み木が入るいい音がした。
『"そもそも、最初は何をして反省室に入れられたの?"』
「先生もイジワルですねぇ。ノア先輩じゃあるまいし、そんな昔のことを覚えてられるワケないじゃないですか!」
『"うーん、反省室の意味とは……"』
困惑したような先生の声が続く。
コユキはベッドに寝転がったまま、苛立ちを隠そうともせず足をジタバタと動かし、ゴロゴロ左右に転がり続ける。
「大体、なんですかこの反省室! おもちゃとして置いてあるのが積み木ってどう考えてもおかしくないですか!? 私これでも16なんですけど! こんな部屋でじっとしていられるワケないです!」
『"それは同感だけど、そもそも反省室におもちゃがあるのがおかしいような……?"』
「うぅ……今日は色々やりたいことがあったのに、一日中こんな所に閉じ込められるなんて災難です……」
全く庇ってくれようとしない先生の返事は無視し、コユキはわざとらしく肩を落とした。
ビデオ通話ではなくただの音声通話のため、先生にその様子が伝わった気配はしない。
『"やりたいことって?"』
先生の問いかけに「待ってました」と言わんばかりにコユキはベッドから飛び起きる。ベッドのスプリングがみしり、と嫌な音をたてた。
「今日はムシクイーンの新弾の発売日ですよ! それに、今週末はノア先輩の誕生日なんです! ムシクイーンの新弾と、ノア先輩の誕生日プレゼントを買いに行きたいんです!」
『"もしかしてこの前抜け出したのもそれで?"』
「そうですよ! こっそり抜け出して買い物に行こうとしたのに、ユウカ先輩が部屋の入口で出待ちしてたんです! きっと隠しカメラで私の動向を監視してるんです! これはプライバシーの侵害ですよ!!」
『"誕生日プレゼントが目的ならちゃんと話さえすればユウカも許してくれると思うんだけど……"』
さしものユウカとはいえ、部屋の中にまで監視カメラはやらないと思うんだけどなぁ。……いやでも部屋じゃなくて反省室だしなぁ、と先生は唸るように低く呟いた。
「先生ぇ! こうなったら一緒に買い物に行きませんか? 先生も新弾、気になってるでしょう?」
『"私はパス。ユウカに何言われるか分かんないし、何より今日はリオとの予定で忙しいんだよね"』
「そんなぁ!? ……ん? リオ会長、今はそっちにいるんですか? もしかしてユウカ先輩やノア先輩も?」
『"いや、今日はリオだけだよ。シャーレの当番に来てもらってるんだ。今は席を外してるみたいだけど、気になるなら電話、代わろうか?"』
「いえ別に、そこまでしていただかなくても大丈夫です! 単にユウカ先輩とノア先輩がそっちにいるのか気になっただけなので!」
『"また脱走しようとしてる……"』
ハァ、とノイズキャンセリングを貫通するぐらいの声量のため息がコユキの耳に入る。
『"ところで、コユキ。今はお金あるの? 随分長いこと反省室に入ってるみたいだし、バイトとかもできてないんじゃない?"』
「勿論ないですよ!」
実にあっけらかんとした様子でコユキは即答した。
「ですが、今回は秘策があります!」
『"うーん、既に嫌な予感しかしない……。犯罪はやめてね? 少なくとも私に聞かせた時点で止めないといけなくなっちゃうから"』
「先生は私の事なんだと思ってるんですか!」
そりゃあコユキだよ、と疲れ果てたような声が返ってきた。
どことなく信用されていないのが伝わったのか、一瞬だけムッとした表情を浮かべたコユキだが、一瞬の間を置くとすぐにニヤリとした笑みを浮かべた。
「そんな先生にとっては悲報ですが、今回は正真正銘、とってもクリーンな方法です! 赤ちゃんが口に入れても問題ありません!」
『"そりゃ朗報だね"』
得意げにコユキは舌を鳴らし、指を振った。
「お金が無いけど、ムシクイーンの新弾とノア先輩のプレゼントを両方買う方法、それは……!」
『"それは……?"』
もったいぶって思い切りタメの時間を作ると、ビシッ、と電話に向けてコユキは指を突き出した。決めポーズとしては上々の出来だったが、生憎音声通話なのでやはり向こうには伝わっていない。
「新弾のレアカードを引き当てて、それを売ったお金でプレゼントを買います!」
『"なるほど、いい案かもね"』
かくして、話を聞いていたのか聞いていないのか分からない先生の後押しもあり、コユキは反省室を抜け出した。
ムシクイーンの新弾を手に入れたところで、先生から「ユウカが鬼の形相で探している。助けはしないけど、ムシクイーン仲間として一応教えといてあげるよ」とため息混じりの報告を受け、コユキの逃亡者生活が幕を開けることとなったのだった。