「陛下の一千万ベルクを
エレナの言葉に、俺はその場に立ち尽くすことしか出来ない。一千万ベルク。田舎から出てきて試験を受けただけの俺が、そんな大金を国王陛下から……。
「これだけじゃない。左手首にある受験番号を見せれば、王都のありとあらゆる店が優遇してくれる」
「ど、どういうこと?」
「
「……つまり?」
「あんたは金の心配なんかする必要はない。そういうこと」
ようやく実感が湧いてきた。このウルムにおいて、宮廷魔導師選抜試験を受験した一万人の頂点に立つことの意味。それは俺が考えていたよりもずっと重いみたいだ。
震える手で、目の前に置かれた一千万ベルクの証書を持ち上げる。指定の両替商に行けば、好きな時に好きな金額を引き出すことが出来るらしいが……こんな大金を持つのは生まれて初めてだ。
「間違っても田舎に持ち帰ろうなんて思わないことね。昔、下賜金をいただいておきながら途中で試験を棄権した人間がいたらしいの」
「そんな……」
「国王陛下がご立腹だったらしいわ。変な気は起こさないことね」
たぶん、俺はそこまで度胸のある人間ではないと思う。
「お金の使い方にも気をつけなさい。いくら王都でも、一千万単位でお金が動けば注目を集めるわ」
「というと?」
「欲に溺れるなってことよ。あくまで宮廷からの御下賜金であることを心に刻んでおくことね」
つまり、宮廷魔導師候補の名に恥じないような用途で……ということか。きっと
しかし考えを変えてみれば、この一千万ベルクは生まれて初めて自力で稼いだ金なんだな。今までとんだ迷惑を掛けてきた両親と妹になにか返すのが筋だ、と考えるのが普通だが……エレナの言葉を聞くに、あまり私的に使うのは許されないのだろう。
「ひとまず出ましょうか」
「うん、そうだね」
俺は金の使い道を考えながら、エレナと共に事務所を出た。一部はこの先の滞在費に充てるとして、それでもかなりの額が残る。何に使うべきなのか……。
「おーい、お二人さーん!」
「あら、ヘルマン。待っていてくれたのね」
外に出たところで、ヘルマンがこちらに駆け寄ってきた。どうやら予備学校のお仲間たちと話をして時間を潰していたらしい。
「うん、どうやらバウアー君はお金持ちになったみたいだね!」
「あんたねえ、貴族様がそれを言ったら嫌味じゃないの」
「失礼な、うちじゃ俺の学費のために爪に火を灯してるんだから!」
「そんなこと言われたら、あんたたちの学費で暮らしてる私が気まずいじゃない!」
田舎者の自分からすると、二人の会話は本当に現実離れしている。貴族様が平民と軽口をたたき合っているなんて、田舎とウルムでは随分と価値観が違うんだな。
「――あっ、そうそう。ヘルマン、私はお父様のところに行かないといけないの」
「成績の報告?」
「そう。なんで一位じゃないんだって、怒られそうだけど」
「済んだことは仕方がないよ」
「……そうね。それでね、ひとつ頼みたいことがあるんだけど」
「なに?」
ヘルマンと話していたエレナが、俺の方にちらりと視線を向けた。
「彼、ウルムにも試験にも慣れていなさそうだから。案内してあげてほしいの」
「ああ、そんなのお安い御用だよ。でもいいの?
「!」
一瞬だけ、エレナが言葉に詰まった。しかしすぐに顔を上げ――はっきりと口を開く。
「手負いを倒した騎士に誉れはないのよ」
「おっ、そうこなくっちゃ! やっぱりお嬢さんは負けず嫌いだね」
つまり、万全の状態で俺に試験を受けさせたい……と言いたいのか。このエレナという少女は本気で宮廷魔導師を目指しているんだろうが、結果だけを追い求めているわけでもないんだな。
「じゃあ、私はここで」
「うん、じゃあ――」
「ごめん、ちょっと待って」
「「えっ?」」
去ろうとするエレナを呼び止め、俺は右の手のひらを天に向けた。自分たちを負かした相手にもかかわらず、いろいろと世話を焼いてくれたんだ。二人にはほんの少しでもお礼がしたい。
「見てて」
「バウアー君、これは……」
「お花……?」
手のひらの上に、二輪の赤い花が現れていく。もちろん無から物質が生まれるわけはない。これは圧縮魔法の一種だ。田舎で摘んだ花をしまいっぱなしだったのを忘れていたのだ。
「すごい、こんな魔法は初めて見たわ……」
「俺も見たことがないよ。すごいな、これは……」
俺は花を両手に持ち、目を見開いて驚いている二人の前に差し出した。
「二人にはお世話になったから。ごめん、これくらいしか返せなくて」
「あ……ありがとう。あんた、意外と律儀なのね」
「へえー……なかなか粋だね。ウルムじゃ見たことのない花だ」
二人は花をそっと受け取ると、エレナは胸元に、ヘルマンは腰にある物入れに挿していた。特にエレナに関しては、心なしか頬も緩んだような気がする。ずっとお怒りの表情ばかり見ていたから、こんな顔も出来るのかと少し意外に思った。
「じゃ、じゃあ私はここで。ヘルマン、頼むわよ」
「任せといて! バウアー君、行こうか」
「うん、ありがとう」
エレナと別れ、俺とヘルマンは街の方へと歩き出したのだった。
***
「まずは今後の宿屋だね。バウアー君、もう『グルート』はやめた方がいい」
「えっ、どうして」
道を歩いていると、ヘルマンが真面目な顔をして話を始めた。「グルート」は部屋も綺麗だし店主も親切だし、何よりパイが美味い。宿を変える理由はないと思うが。
「君と一緒にいたはずのアマリアがいなくなっただろう?」
「ああ、そういえば……」
「俺たちと出くわすのがまずいからなんだよ。君、一日あたり一万ベルクで泊まっていたんじゃないのかい?」
「うん、そうだよ。お安くしとくって」
「それが店主のやり口なんだ。ウルムでも相場は八千ベルク、交渉すれば五千ベルクで泊まれる宿だってある」
「ええっ!?」
「ウルムの外から来た受験生は相場を知らないから、騙されてしまうんだ」
……胡散臭いとは思っていたが、そんなに堂々と騙されていたとは考えなかったな。五千ベルクと一万ベルクじゃとんでもない違いじゃないか。
「バウアー君、アマリアが消した竈の火を点けたりしなかっただろうね」
「えっ、どうしてそれを」
「受験生に魔法を使わせて、おだてるんだ。そうすればみんなあっさり高値を受け入れてしまうというからくりさ」
王都は良い人間ばかりでない、とゾフィーが話していたのを思い出した。こんなすぐそばに
「あの、もしかしてアマリアは新入りでは」
「ないよ。四年くらい前からあの店で働いている」
「……そうなんだ。でも、あの店主さんが騙すなんて」
「バウアー君は人を疑わないんだね。実際、あの店主がふっかけるのは受験生相手のときだけなんだよ。普段は良い宿屋さ」
「じゃあ、なんで」
「うちの校長と『グルート』の店主が長い付き合いなのは知っているかい?」
「ああ、聞いたよ」
アマリアがその話をしていたからな。
「……あの店主、実は『魔導師崩れ』なんだ」
「『魔導師崩れ』?」
「今の俺たちと同じように、あの店主もかつては宮廷魔導師を目指していたらしいんだ。その夢が破れて宿屋を営んでいるというわけ」
「じゃあ、それで受験生を騙して……?」
「思うところがあるのかもしれないね。あっそうそう、ここがオススメの宿屋さ。受験番号を見せれば三千ベルクで――」
「……」
「バウアー君?」
道の真ん中で立ち止まってしまい、ヘルマンが怪訝な目でこちらを見てきた。本当に受験生のことを疎ましく思っているなら、そもそも宿に泊めることを勧めるだろうか? 毎日美味しいパイを焼いてくれるだろうか?
「ごめん、やっぱり宿屋は自分で決めるよ」
「えっ? どうして――」
「それから、両替商に行きたいんだ。案内してくれるかな」
「いいけど……何をするつもり?」
エレナにはまた呆れられてしまうだろうし、ヘルマンにはまた笑われてしまうだろう。だがそれでいい。初めて自分で稼いだ金だ。たとえみんなに馬鹿にされたとしても、自分が最良だと信じる使い道を選びたい。
俺は証書を握りしめ、両替商へと足を向けたのだった。