さっきまで形を保っていたはずの標的は、今や粉々に砕かれていた。俺がゆっくりと杖を下ろすと、横に立っていたヴィットマンが微かな笑みを浮かべる。
「よし。『1』番、お前は合格だ」
「いいんですか?」
「私の目は節穴ではない。分かったらさっさと戻るんだ」
「は、はいっ」
促されるまま、俺は皆のもとに戻っていく。まだ衝撃が収まらないのか、他の受験生たちはいろいろと会話を交わしているようだった。
「諸君、これで第三次試験は終了だ。正式な合格者は明朝、ゲリー演習場の入り口で告示される。では、今日は解散」
ヴィットマンは試験の終了を告げて、すたすたと去っていってしまった。最初はどうなることかと思ったが、なんとか乗り切ったな。さて、今日はもう二人と一緒に帰ろう――
「ちょっと、何よこの杖はっ!?」
「うえっ!?」
さっきまで澄ました顔をしていたはずのエレナが、目を丸くして飛び掛かってきた。杖を掴まれそうになったので、慌ててかわす。勝手に使われるとまずいことになるからな。
「ちょっ、勝手に触るなよ」
「なっ、なんで避けるのよっ! というか何なの、この杖はっ!?」
「バウアー君、そんなの反則だって~」
ヘルマンも興味津々といった感じで俺の杖を見つめていた。そもそも田舎には自分以外に魔法を使う者がいなかったから、幻杖がどれほど珍しいものか分かっていなかった。二人の反応を見るに、ウルムでもそうそうお目にかかれないみたいだな。
「幻杖だよ。圧縮魔法を発展させたものなんだ」
「圧縮魔法? 何よそれ」
「二人には見せたはずだよ。花、二人にあげたでしょ?」
「「……あっ!」」
エレナとヘルマンは顔を見合わせていたが、すぐに思い出してくれたようだった。第一次試験のあと、世話を焼いてくれた二人に赤い花を贈ったことがある。あのときに使っていたのが圧縮魔法だ。
「魔導書の一番後ろに書いてあったんだ。とても珍しい魔法だってね」
「予備学校の参考書には載っていなかったわ。ねえ、ヘルマン」
「うん、俺も見たことないよ。第一次試験でも滅多に出題されないし」
「その……『参考書』っていうのは結局何なの?」
「ああ、試験に出やすい魔法をまとめた本のことさ。効率よく勉強出来るんだよ」
「試験のためだけに成書を読むのは骨が折れるのよ。……私たちからすれば、魔導書ばかり読んでいたあんたの方が信じられないわ」
膨大な知識が書かれた魔導書を何冊も読むより、要点をまとめた参考書で学習する方が合理的というわけか。たしかに、試験に受かることだけを考えればそれでいいのかもしれない。だが……宮廷魔導師を目指す人間なら、この世の魔法を全て身に付けたがるものではないのだろうか。
「しかし、バウアー君が的を壊したのには驚いたよ。すごい魔力量だね」
「ああ、それは……この杖のおかげだよ」
「杖? 杖と何の関係があるの?」
エレナは不思議そうに首をかしげる。理屈から説明してもいいが、実際に使ってもらった方が早いかもしれないな。ちょっと怖いけど。
「エレナ、この杖を貸すから火力魔法を撃ってみて」
「えっ? いいの?」
幻杖を手渡すと、エレナはしげしげと眺めていた。俺は代わりに彼女の杖を受け取ってあげる。するとエレナがゆっくりと平原に向かって幻杖を構えたので、声を掛けた。
「魔力量は絞って、破格度を上げずに」
「わ、分かったわ……」
現在の理論では、魔法は波動として解釈されることが多い。魔法の差異は波形の差異によって生まれる。破格度というのは波形の複雑さの度合いのことで、他の魔法の成分が混じるほど高くなる指標だ。
「じゃあ、撃つわ」
「うん、気をつけて」
「……はあっ!」
どん、という低い音とともに赤い光線が放たれた。しかしその軌道はすぐに捻じ曲げられ、溶けるように空間へと消えていく。エレナは唖然として口を開いていたが、すぐにこちらに向き直った。
「えっ……ちょっと、あんたの時と全然違うじゃない!」
「幻杖は魔法で生み出された杖だから、複雑な魔力特性を帯びているんだよ」
「それじゃあ、さっきの妨害を常に受けているようなもんじゃないか」
「ヘルマンの言う通りだよ。俺も最初はろくに使いこなせなかった」
「あんた、いったいどうしてこんな杖を……」
「ちょっと返して」
預かっていた杖と引き換えに、エレナから幻杖を返してもらった。エレナの言う通り、幻杖は明らかに不便だ。慣れていなければ、火力魔法すらろくに使うことは出来ないのだから。それでもこの杖を使う理由はただひとつ。
「話を戻すけど、この杖のおかげであの的を壊すことが出来たんだよ」
「それ、結局どういうことなのよ」
「幻杖はいわば諸刃の剣なんだ。元からの魔力特性を生かせば、強力な武器になる」
「つまり、バウアー君は自分の魔法をその杖で増幅させたということなの?」
「その通り。さっきのエレナみたいに、幻杖で魔法をかき消されることもあれば――」
俺は再び杖を平原に構えた。試験のときと同じように、火力魔法を杖に絡ませて――
「はっ!!」
「ちょっ、またっ……!」
「すごいなあ……」
遠くで大きな爆炎が上がるとともに、数秒遅れて轟音が鼓膜を揺らした。エレナは驚いたように身をのけぞらせ、ヘルマンは感心した様子でその光景に見入っている。
「――こうして、自分の魔力量をさらに強めることも出来る。これが幻杖だよ」
「じゃあ、さっきヴィットマン試験官の妨害の影響を受けなかったのも……」
「魔力量の
「いやはや、もう何と言っていいのか……」
ヘルマンは肩をすくめていた。一杯の蜂蜜に一杯の水を混ぜればそれなりに薄まるだろうが、百杯の蜂蜜に一杯の水を加えたところであまり変化はないだろう。破格度を上げたり軌道を計算したりするよりよほど単純で、かつ確実な方法だ。
「あれ、お嬢さん?」
「……」
ふと気づくと、エレナが無言で立ち尽くしていた。俺のことを睨みつけるように、それでいて悔しそうに。何かと思っていると、エレナは重々しく口を開く。
「あんたには感謝するわ。やっと目が覚めた気がする」
「どういうこと?」
「小さい頃から『魔女』なんて呼ばれて、ちょっといい気になっていたの。けど……」
そう言って、エレナは演習場から続々と去っていく受験生たちに目を向けた。
「……結局、私は皆の失敗を見たから的に当てられただけ。こんなの、自力で掴んだ結果じゃない」
「いや、そんなことは――」
「でもあんたは違う。最初に試験を受けていたとしても、その杖で必ずあの的を射抜いたはずよ」
「それは……」
「私は予備学校の仲間も踏み台にした。けど、あんたは一人で結果を出した。悔しいけど、私の実力は……」
本当に負けず嫌いなんだな、と強く感じた。エレナの魔法だって、この場においては十分に抜きんでていた。他の受験生の追従を許していなかった。にもかかわらず――悔しいという感情を抱いて、それを当人に吐露しているのだ。
「……エレナのこと、尊敬するよ」
「えっ?」
「俺の生まれた田舎、誰も魔法を使っていなかったんだ。だから俺は他人と比較されることはなかったし、のびのびと魔法を勉強できた」
「え、ええ……」
「だけどエレナはそうじゃない。きっといろいろな競争に晒されて、それでやっと今の実力を掴んだと思うんだ」
「……」
「エレナはすごいよ。本当に」
エレナは無言で俯いていた。これは本心から出た言葉だった。予備学校の中で一番の実力者の座を掴んだのに、それでもまだ悔しいと思う気持ちが残っているんだ。農家を継ぐことを諦めた俺とは違って、エレナは真正面から戦おうとしているんだ。
「……ヘルマン、予備学校の書庫に行くわ」
「えっ? 急にどうしたの?」
「こんなこと言われて素直に帰れないでしょ! 幻杖のことが載ってる魔導書を探すの!」
「えっ、今から!? ちょっとお嬢さん、今日はもう勘弁――」
「いいから! 貴族ならついてきなさい!」
エレナはヘルマンの首根っこを掴み、ずるずると引きずっていく。どうやら幻杖を身に付けるつもりらしい。試験のあとで疲れているだろうに……本当にたくましいな。
「今度は私があんたを驚かせてやるから! 覚悟してなさい!」
「うん、受けて立つよ」
「そういうとこが気に入らないの!」
「ちょっとお嬢さん、首が……」
「あんたこそ、いい加減に『実家の蔵書』のこと教えなさいよねっ!」
「分かってるよー、じゃあまた!」
演習場を去っていく二人に手を振って、別れを告げる。本当にあの負けず嫌いは羨ましい。自分もあれくらい強い気持ちを持たないとな、と感じさせられる。
それにしても、実家の蔵書か。田舎から返事が来ないとどうにもならないんだけど……まだなんだよな。大人しく待っていようかな。
なんて思っていた矢先のことだった。この数日後、田舎にいたはずの父親が――ウルムに現れたのである。