ヴィットマンの言葉通り、俺は第三次試験に合格した。エレナとヘルマンも同様であり、やはり運命の分かれ道はあの標的に当てたかどうかだったのであろう。
合格した二十名は第四次試験へと進む。再び期間が空くようだが、対策を立てようにも例によって試験内容は全く分からない。そのため、俺は図書館に行って魔導書を読んだり、街を散歩したりして過ごしていた。
「……お客さん、ちょっといいですか」
ある日の夕方、宿屋で書き物をしていたところ、アマリアが部屋の扉を叩いた。夕食にしては少し早い時間だけど、何かあったのかな。
「入っていいよ。どうかした?」
「失礼しますっ! あの、お客さんに会いたいって方が来てます」
「俺に? エレナかヘルマン?」
「いえ、そのお二人ではないです」
あれ、違うのか。じゃあいったい誰が来たんだろう。俺をわざわざ訪ねてくるような知り合いなんて、ウルムにはほとんどいないはずなんだけど。
「その人はどこに?」
「下にいます。こちらに連れてきますか?」
「いいや、俺が降りるよ」
俺は席から立ち上がり、アマリアとともに部屋を出て階段へと向かった。知り合いと言えば、あとはあの警備兵とゾフィーが思い浮かぶけど……あの二人がここに来る理由がないし。少しわくわくするような、少し怖いような――
「おー、元気そうだな」
「……えっ?」
階段を降りた先で、帽子をとってにっこりと笑っていたのは――紛れもなく、俺の父さんだった。あまりに予想外の人物で、ついついその場で固まってしまう。
「あの、お客さん? この方は……?」
「お、俺の親父だよ。田舎にいるはずの」
「えっ? お父さん?」
「いいなあ、女の子にお世話されてるのか。田舎じゃ女っ気もなかったのに」
「父さん、なんでここに……?」
ただただ頭に疑問符を浮かべていると、父さんがゆっくりこちらに歩み寄ってきた。少し背伸びをして、俺の頭を軽く叩いて――一言。
「お前の様子を見に来たんだよ。随分と頑張ってるみたいじゃないか」
思わず、静かに息を吐く。久しぶりに家族と会った安心感で、全身から力が抜けたような気がしたのだった。
***
「すみません。今日は夜まで店主が帰らないので、食べ物は出せなくて」
「いいよいいよ、お嬢ちゃん。ぶどう酒はあるかな」
「あっ、はい! 少しお待ちを!」
台の向こう側で、アマリアが忙しなく働いている。俺は父さんと横並びで席に座り、一息ついていた。それにしても驚いたな、まさか田舎から出てくるなんて。
「父さん、どうしてわざわざ来てくれたの」
「お前が手紙をくれたからさ。返事を出すのも大変だし、いっそのこと来てしまおうと思ってな」
「でもお金は? 俺のために畑を売ってくれたんじゃ……」
「なあに、そんなこと気にするな。子どもに金の心配をさせるつもりはないぞ」
父さんはそう言って笑った。うちの親は昔からこうだ。俺と妹に金を使うことに一切の躊躇いがない。子どもからすれば有難い話だけど、両親は本当にそれでいいんだろうか。
「そういやお前、筆記試験で一位だったらしいな。すごいことじゃないか」
「えっ、なんでそれを」
「御下賜金をいただいた、ってのはそういうことだろう? 父さんの子とは思えないな、ははは」
俺は少し不思議な気がした。王都に行くことを勧めてきたときもそうだし、父さんは妙に魔導師試験に詳しい。魔法を使っている場面なんて一度も見たことがないし、そもそも本を読んですらいないはずなのに。
「お待たせしました、ぶどう酒です!」
「ああ、ありがとうお嬢ちゃん」
考え事をしていると、アマリアの元気な声が響いた。父さんは真っ赤なぶどう酒がなみなみと注がれた杯を受け取り、軽く口をつける。とても美味そうに飲んで、ほうと息をついた。
「いやあ、しかし疲れたよ。お前がどこにいるのか分からなくてな」
「ああごめん、手紙に宿屋の名前を書いておけばよかったよ。でも、よくここが分かったね」
「困り果てて教会に行ったんだ。そしたら『グルート』という宿屋に滞在していると教えてくれてな」
「ああ、そうだったんだ」
「それでも大変だったけどな。父さんは文字が読めないから、都会の地図は分からないんだ」
教会……というのはもちろんゾフィーのいるあそこだろう。出願のとき、ウルムでの滞在先を記入した覚えがあるしな。きっと誰かが気を利かせて父さんに教えてくれたのだろう。
「そういえば、父さんは前にもウルムに来たことが」
「ああ、あるよ。もう何十年も前の話だ」
「何の用事で?」
「母さんと旅行に来たんだよ。でも、あの頃とは随分と変わったみたいだな」
「というと」
「随分と魔法が発展したみたいだな。昔も賑やかな街だったけど、ここまでじゃなかった」
「へえ……」
つまり、王都ではここ数十年の間に急激に魔法が発展したというわけか。田舎の人間が魔法を遠ざけるうちに、随分と格差が広がってしまったのか。
そういえば、うちの両親――特に父さん――は魔法を嫌う様子がなかったな。田舎では珍しいことだと思う。俺が魔導書を読んでいるのを止めなかったわけだし。なんとも不思議だな。……ああそうだ、大事なことを聞かないと。
「父さん、手紙にも書いたんだけどさ」
「ん?」
「あの納屋にあった魔導書、誰のものなの?」
「ああ……」
「びっしり書き込みまでしてあったしさ。俺、そのおかげで試験に受かってるから……」
父さんは黙って杯を傾けて、しばらく無言のままでいた。まさか父さんが使っていたわけではないだろうし、いったい誰の残したものなんだ――
「あれはな、知り合いの預かりものなんだよ」
「……えっ?」
「おたくの納屋に入れといてくれないか、って頼まれてな。まだ引き取られてないだけさ」
「本当に? それだけ?」
「ああ、それだけだ。お前、何だと思ってたんだ?」
「いや、その……」
拍子抜け、という以外に言葉が見つからなかった。知り合いが預けていただけ? あんな大量の魔導書を? あの田舎で? そんな話があるか?
「いやでも、どうしてうちに」
「別に理由はないさ。お前のおもちゃ代わりになってくれたから有難かったな」
「その、親戚にすごい腕利きの魔導師がいたとか――」
「預かりものだ。それ以上はないぞ」
父さんは淡々と語った。何か引っかかるのだけど、これといって疑う根拠があるわけでもないし。うーん、エレナとヘルマンにどう説明したものか……。
「そうそう、お前は昔から病気ばっかりでな。母さんと一緒に看病してばかりで」
「昔はね。これでもマシになったよ」
「母さんが『ちゃんとご飯を食べてるかしら』とか心配してたぞ。そうそう、マリーも……」
結局、話題がどんどん逸れていき……魔導書のことは詳しく聞くことが出来なかったのだった。それでも、家族の近況を知ることが出来たのは嬉しかったし、何より安心した。もっとも、母さんやマリーからすれば、穀潰しが不在なだけ楽なのかもしれないがな……。
***
いろいろと話は弾んで、すっかり夜になってしまった。街灯がウルムを照らすようになる頃、父さんがすっと席を立つ。
「……じゃあ、そろそろ父さんは行くよ」
「えっ?」
「別の宿屋をとってあるんだ。何日かはウルムにいるつもりだから、また会いに来るよ」
「ありがとう。暗いし、宿屋まで送るよ」
「悪いな。お嬢ちゃん、お勘定――」
「ああ、もういただいてました!」
「ん?」
困惑する父さんを見て、アマリアが笑いながら俺の方を指さした。きっとあの五百万ベルクから出してくれたのだろう。父さんは「参った」とばかりにぽりぽりと頭をかいてから、帽子を被った。
「息子に酒を奢られる日が来るとはなあ。感慨深いよ」
「いいって、これくらい。じゃあアマリア、俺はちょっと出てくるから」
「はーい!」
アマリアに声を掛けて、父さんとともに店を出ようとする。その間際、大きな袋を抱えた店主が店の前に現れた。用事を済ませて帰ってきたらしい。
「おう兄ちゃん、こんな夜にどこ行くんだ――」
店主はいつも調子で口を開こうとしたが、俺たちを見て固まってしまった。まるで何か見てはいけないものを目にしたかのように、袋を持ったまま唖然としている。
「……て、店主さん?」
「兄ちゃん、その隣にいるのは」
「ああ、父親です。田舎から出てきたみたいで」
「どうも。うちの愚息がお世話になっているみたいで」
「いや……別に……そうか。なんでもない、気にするな」
父さんがペコリと礼をしたのに対して、店主は目をそらすように店の中に入っていく。俺を見て戸惑う、なんてことはないだろうし。父さんと知り合いなのか? いや、あり得ないよな。
「……行こうか、父さん」
「そうだな」
俺は父さんを連れて、通りの方に歩きだしたのだった。
***
宿屋を目指す途中、ヘルト広場を通りかかった。賑やかな昼と違って、夜はあまり人がいないようだな。街灯も少ないし、なんだか寂しい雰囲気だ。
「ああ、大事なことを忘れていたよ」
「えっ?」
突然、父さんが足を止めた。つられて、俺も思わず立ち止まってしまう。
「どうしたの? 忘れ物?」
「そうじゃない。お前、手紙に書いていただろう? ウルムに残って働くか、田舎に帰るか意見が欲しいってな」
たしかに、一番重要なことを聞き忘れるところだったな。落第して「宮廷付き魔導師」の職位を得た場合にどうすればいいのか、手紙で両親に相談していたんだった。
「うん。どうすればいいかな?」
「母さんとも話し合ったんだがな。キーガン、お前が好きなようにすればいい」
「えっ……いいの?」
「王都に残ってもいいし、田舎に帰ってきてもいい。お前の人生だ、父さんや母さんが決めることじゃないさ」
「でも……」
「どちらにせよ、試験が終わったら一度は帰って来い。母さんとマリーも会いたがっていたからな」
少し離れて向かい合う父さんの表情は暗くてよく分からなかったけど、微かに笑みを浮かべているようにも見えた。
俺はなんて良い両親の間に生まれたのだろう。農作業のひとつも出来ない俺を十八歳まで育ててくれたうえ、何の文句も言わずに背中を押してくれているのだから。
「……ありがとう、父さん」
「礼なんていいんだ、親なら当たり前のことだからな」
どこまで感謝すればいいのか、分からなかった。俺は両親に何を返すことが出来るだろう。いったい何をすれば恩に報いることが出来るだろう。金や物ではとても釣り合わないものを、俺は両親から授けてもらった気がする。
自分が両親から大事にされていることを実感して、心が温かくなった。とても幸せで、浮遊感すら覚えていた。父さんが来てくれて、本当に良かったな。
「行こう、キーガン」
「うん」
父さんが歩き始めるのを見て、再び足を進める。目的の宿屋はもう少しだ。父さんを送り届けたら、俺もさっさと「グルート」に帰るとするかな。
……そう、俺は油断していた。家族のいる安心感に、ついつい警戒心を解いていたのだ。だから、広場の暗闇から何人もの刺客が迫っていたなんて――
「うぐっ!!?」
「とっ、父さんっ!?」
全く、気づいていなかったのだ。