教会が信じるのは科学だ。科学をもって人間の限界を悟り、神の偉大さを知る。それが基本的な考え方だ。人の子が魔法を使うのは、神の御業を代わりにしているのと同じだ――なんて言うしな。
王都が魔法の力で発展した結果、ウルムの教会は窮地に立たされた。人々の信仰は失われ、寄付の額は減っていく一方だったんだ。大聖堂を整備する金もなくなって、修道女たちが飯を食うのにも困るようになった。
教会の立て直しを任されたのが、あのシスター・ゾフィーだ。ゾフィーは信心深い宗教者ではあるが、同時に合理的な経営者でもある。ゾフィーは国王陛下に助けを求め、国の仕事を受注するようになった。修道女に高い給料を払う必要はねえから、貴族なんかよりも安く仕事を請け負うことが出来たんだ。
魔導師試験の運営を任されるようになったのもその一環だ。教会内では随分と反対されたようだが、ゾフィーはそれを押し切った。その頃の教会はまだ再建途中だったから、むしろ同情すらされていたよ。「信仰と相反する魔導師の仕事すら受けないといけないなんて、教会も堕ちたもんだ」なんてな。
俺は馬鹿だったと思う。教会がじゃねえ、国がだ。実際、魔導師試験の運営はかなり面倒で、頭の痛いところではあったらしいからな。教会が安値で受けてくれると聞いて、何も考えずに仕事を投げちまったんだ。だが――それがまずかった。
ゾフィーの狙いは、魔導師たちに信仰を植え付けることだった。受験者には神への宣誓を要求する。試験に落ちた奴には情けをかけてやって、教会に取り込む。兄ちゃんが見たっていう……リーザだったか。そいつも同じ手に引っかかったんだ。こうして、魔導師や魔導師崩れの信者が増えるようになった。
教会はウルムが魔法に染まっていくのをまざまざと見せつけられたから、その波が外――つまり田舎に波及するのを恐れた。予備学校の発展に隠れて、教会も密かにウルム外の受験生を排除するように動き始めた。まあ……不文律というか。兄ちゃん、出願のときに試験用紙を破らなかったか? あれはゾフィーの発案と聞いたぞ。
もう分かっただろう。教会にとって一番怖いのは、兄ちゃんみたいな受験生なんだ。予備学校に通わず首席で筆記試験を突破して、その後の試験も次々に合格。そのまま最終試験まで行ってもおかしくないだろう。
宮廷魔導師の力は絶大だ。田舎出身の奴がひとり増えるだけでも、教会にとっては十分な脅威なんだ。ウルムは既に魔法に染まった。仮に田舎にも広がるようになれば……いよいよ教会は支持を失ってしまう。
兄ちゃん、ヘルトの前夜祭のことを聞いたことがあるか。そうだ。「かつて優秀な成績を残した受験生がヘルト広場でお祈りしていたから、それにあやかろう」なんて物語、教会が好きそうだろ? あれはレナード……兄ちゃんの伯父の話を上書きするために教会がでっち上げた話なんだ。
レナードが襲われたのは、単に嫉妬されたからだと思う。国王陛下もその事件にはいたく怒ったみたいでな。受験番号は腕に刻まれるようになり、試験期間中は宮廷付き魔導師が街中を警らするようになった。受験生の監視も兼ねて一石二鳥だからな。
だが今回は違う。これは教会が計画的に兄ちゃんを排除するために行ったことだ。恐らく教会とぐるになった宮廷付き魔導師がいて、そいつらが意図的に広場を警備範囲から外したんだ。目立たないように広場から人払いをして、きっと防音の魔法でも仕込んでいたのだろう。
実際に兄ちゃんと親父さんを襲ったのは、あくまで魔導師ではない奴らだろう。教会が魔導師を雇って人を襲わせた――なんて話が広がったらまずいからな。あくまで教会は聖人の集まりでなくちゃいけねえ。
ああ、勘違いするなよ。ほとんどの修道女はこんな腹黒いことは考えちゃいねえからな。信仰のために科学を学んでる真面目な奴ばかりだ。悪だくみをするのは上層部と
国王陛下も、教会が何か悪さをしていることには気づいているはずだ。だが簡単に魔導師試験の運営から外すことは出来ねえ。「国王陛下が教会を疑っている」なんてことになれば、ウルムはともかく、未だに信仰心の深い田舎の人間からどう思われるか分からないからな。この国はウルムだけで持っているわけじゃねえんだ。
兄ちゃんはただ試験を受けただけだ。何も悪いことはしちゃいねえ。田舎の後進のために五百万ベルクを払ったことも、良い心掛けだったとは思うが……教会にとっては嫌だったんだろう。繰り返すが、兄ちゃんは悪くねえからな。だが――目立ちすぎたんだ。
悪かったな、長々と難しい話をして。だがな兄ちゃん、悪いことは言わねえ。このまま田舎に帰った方がいい。「怪我をした父親の看病のため」と言えば、誰だって止めやしないだろう。両親は大切にした方がいいからな――
***
長い話を終えた店主が、静かに息を吐いた。
信じられない。それがまず最初に出た言葉だった。ゾフィーは純然たる宗教者で、その心に暗いものなど少しも抱えていないと思っていたからだ。
――王都は良い人間ばかりではないわ。
出願の時に、ゾフィーが言っていた言葉だ。もしや、自分自身がそうだと暗に示していたのではあるまいな。いや……今の話を聞けば、十分にあり得る話だ。
つまりだ。教会にとって怖いのは、俺みたいな奴が宮廷魔導師になって田舎に魔法を広めること。国王陛下にとって怖いのは、安易に教会を疑って田舎からの支持を失うこと。その微妙な均衡のもとで、こうして度し難い状況が生まれたわけか。
……だからと言って、関係のない父親にまで手を出して。あろうことかこんな卑怯な手段で俺を試験から退場させようとしたんだ。許せるはずがない。
「店主さん。こうして田舎者が襲われるのは、自分と伯父以外にもあったことなんですか」
「いや、少なくとも俺は聞いたことがねえ。予備学校が出来てからは、ウルムの外から来た受験生が試験を勝ち上がることは滅多になかったからな」
「もしかして、田舎者から料金を高く取っていたのも」
「……何も知らない受験生を
ぼったくりという回りくどい手段をとったのは、教会から目を付けられる危険性を少しでも減らすためだったのか。宿屋の相場を知らないような田舎者
「申し訳ねえ。せっかくうちに泊まらせておきながら、親父さんをこんな目に……」
「いえ、その……自分がもっとうまく立ち回っておけば済んだ話ですから」
「親父さんも、レナードと同じ目に……」
店主はがっくりと肩を落とした。この人がどうして田舎に帰るよう勧めてきたのか、その謎が全て解けた気がする。自分自身は単なる田舎者で、ただ試験を受けただけの人間だと思っていた。だが、俺を疎ましく思う人間もいるということか。
たしかに、田舎に帰った方がいいのかもしれない。父さんの容態も心配だし、母さんとマリーにも話をしなければならないだろう。このウルムという土地でうまく立ち回れるほど、俺はまだ――
「キーガン……お前が納得するまで試験を受けるんだ……」
「と、父さん?」
父さんが目を開けて、俺の方に顔を向けてきた。こんな時でも穏やかな、それでいて真剣な表情をしている。
「さっき、お前の杖を見たとき……兄さんと同じだと思ったんだ……」
「杖って、幻杖のこと?」
「ああ……兄さんも……何もないところから杖を出していた……」
まさか伯父さんも幻杖の使い手だったとは思わなかった。だから納屋に杖が残っていなかったんだな。
「お前の杖……珍しいものなんだろう……?」
「うん。俺以外に使える奴なんて知らないよ」
「だったら……父さんのことなんて気にせず……最後まで杖を振るうんだ」
「父さん……」
「キーガンの
かつて伯父さんが襲われ、そして父さんも襲われた。でも、その代わりに俺は無事でいられた。……父さんはそう言いたいのか。
「お前が帰りたいならそれでもいい……。でも、ひとつだけ……キーガンに頼みたいんだ……」
「頼むって、何を……」
父さんは右手をゆっくりと動かして、横に座る俺の手を掴んだ。そして、絞り出すように……口を開く。
――兄さんの夢を、代わりに叶えてくれないか。
父さんは今まで、俺の人生に口出しをしたことはなかった。農家になれとも、魔導師になれとも言わなかった。そんな父さんが今、初めて俺の進路を示してくれているんだ。……宮廷魔導師を目指せ、と。
「……父さん。俺、頑張るから」
「なんだキーガン、泣いているのか? 相変わらず子どもみたいだな……」
「頑張るよ。俺、頑張るからな……!」
気づいた時には、大粒の涙が零れ落ちていた。期待というものがこんなに重いものだとは知らなかった。これから先は、皆の想いを背負って歩いていかなければならない。ここまで来れば、もう宮廷魔導師になるしかないんだ。
第四次試験は、あと数日のところまで迫っていた。