思えば、随分と遠くまで来たものだ。といっても、物理的な距離の話をしたいわけではない。田舎で穀潰しをしていた頃に比べて、自分を取り囲むものが大きく変わってしまったと感じているのだ。
第四次試験を終え、俺は最終試験を待つ立場となった。右も左も分からずに受けた第一次試験、冷や汗をかいた第二次試験、魔法の実力を示した第三次試験。どれもみな昔の出来事のように感じてしまう。
このウルムに来て思い知らされたことはたくさんある。田舎と都会にはとてつもなく大きな差があること。それは偶然できたのではなく、いくつもの思惑が交錯した故のものであること。そして……俺はその中心に立っていること。
仮に宮廷魔導師になれたとして、待っている道は平らなものではないだろう。教会には睨まれ、ウルムの人間からは妬まれる。いくら命があっても足りるかどうか。
ここに来るまで、俺はあまりに無知だったのかもしれない。少なくとも、王都にここまでの歪みがあるとは思っていなかった。父親を傷つけられるまで気がつかなかったのだから、愚かしいにもほどがあるだろう――
「あの、お客さん」
その時、アマリアの声が俺の目を覚ました。宿屋で横になって考え事をしているうちに、すっかり夕方になっていたらしい。
「入っていいよ」
「失礼しますっ!」
身体を起こしつつ声をかけると、アマリアが部屋に入ってきた。その右手に持った盆の上には焼菓子が載っている。
「あの……お菓子、お持ちしたんですけど。よかったら」
「いただくよ。机に置いてくれるかな」
「はいっ!」
アマリアはニコッと笑った。この子はいつも変わらないでいるから、救われる思いがするな。俺は腰を上げて、机の前にある椅子に座り直した。
「このお菓子、どうしたの? 店主さんが焼いたの?」
「いえっ、その……」
「?」
「い、いいから食べてみてくださいっ!」
「あっ、うん」
言われるがままに、一枚の焼菓子を手にとった。口に含んでみると、さくっとした噛み心地のあとに柔らかい甘みがある。ちょうどいい味わいだな。
「うん、美味しいよ」
「本当ですかっ!? よかった……!」
「よかった、って……」
「私が焼いたんです! お客さん、舌が肥えてそうだから心配だったんですよう」
そんなに味の我儘を言った記憶は……いや、あるな。蜂蜜を入れろだの何だのと常日頃から細かい注文をしているし。俺は恰好の
「本当に美味しいよ。店が出せそうなくらい」
「そうですか? お世辞なんて言っても何も出ないですよっ?」
「お世辞なんか言わないよ。そんなに器用じゃない」
美味いものは美味いし、不味いものは不味い。そう言い切ってしまった方が誠実だと思う。裏表のある言葉は苦手だ。
「でも、本当によかったです。頑張って焼いたかいがありました」
「何かあるの?」
そう問うてみると、アマリアは少し照れ臭そうに下を向いた。はにかんで頬をかきながら、恥ずかしそうに口を開く。
「お客さんが魔導師試験を頑張って受けてるから、私も続かないとって思ったんです」
「別に、俺は……」
「あんなに酷いことをされたのに。それでもウルムに残って、また試験を受けて……」
酷いこと、とはもちろん父さんのことだろう。アマリアにも思うところがあったのかもしれない。この子だって、俺より年下なのに親元を離れて修行の道に入ったのだろうからな。
「俺はさ、田舎じゃ穀潰しだったんだ。農作業も出来ないし、体力もなかったから」
「でも、お客さんには魔法が」
「田舎じゃ魔法なんて誰も使わないんだよ。だからさ、これでもウルムには感謝しているんだ。生きる道を教えてくれたような気がして」
「……てっきり、お客さんはもうウルムが嫌いになったのかと思ってました」
「父さんが襲われたことは許してないけどさ。でも、俺はこの土地で生きていくしかないんだよ」
家族を痛めつけられ、理由のなき暴力に襲われた。伯父さんだって同じ目に遭った。だからって……このまま俺が引き下がるわけにはいかない。伯父さんの悲劇を、悲劇のままで終わらせるわけにはいかないんだ。
「……やっぱり、お客さんはすごいです。お父様と伯父様の分まで頑張ってるんですよね」
「うん。じゃないと二人に申し訳が立たない気がしてさ」
「――だったら、私の分も背負ってくれませんか」
「えっ?」
アマリアは俺の手をぎゅうと掴んだ。そして俺の目を見つめて、真剣な眼差しで話し始める。
「私、自分の店を持つのが夢なんです。だけどウルムにはもうたくさんの店があって、新しい営業許可をとるのが大変なんです」
「それって……」
「もし、お客さんが宮廷魔導師になってくれたら。……お客さんの力で、私の夢もかなえてほしいんです」
宮廷魔導師の権力があれば、ウルムの商店に関して口を出すのも容易ということだろうか。実際に可能かどうかはともかくとして……この思いを無下には出来ないだろう。
「分かった。きっとうまくやるよ」
「本当ですかっ!?」
「うん。大丈夫、アマリアの菓子は美味しいから」
「ありがとうございますっ! えっと、なんとお礼をしたらっ……!」
「俺が受かってからでいいよ。気にしないで」
ペコペコと頭を下げるアマリアに対して、俺は優しく言葉をかけた。
この日の晩のことだった。「グルート」の前に、宮廷からの使者がやってきたのは――
別件でまた病院送りになったので、ちょっと更新が途絶えてました。
区切りの良いところまでは書くつもりなので、気長にお待ちいただければ幸いです。