宮廷魔導師選抜試験を記念受験した田舎者 作:俺だ俺だ俺だ俺だ
教会をあとにした俺は、ひとまず元来た道を戻ることにした。景色は同じでも、街灯に照らされているとまるで印象が違う。
「この後は酒屋と商談だ。道を間違えるなよ」
「はっ、はいっ!」
商人と使い走りの二人組が、忙しなく俺のことを追い越していった。夜も眠らぬ都、ウルム。その二つ名に違わぬ活況に、改めて感心させられる。
「これも魔法か……」
街灯に意識を向けてみると、火力魔法の気配を感じた。綱で連結されたランプ同士が、連鎖的に魔力反応を起こしているようだな。
田舎だと煙たがられる魔法も、ここでは当然のように使われている。先進的なのはいつだって都会だ。さっき訪れたような大聖堂がウルムに残っていることが、ある意味では不思議に思えてくるくらいだ。
「あと少しで魔導師試験だなー」
「俺、今回も駄目かも……」
「あんな試験、受かる方が珍しいんだって」
ガウンを着た若い男の二人組とすれ違う。会話の内容から察するに、彼らも宮廷魔導師の試験を受けるみたいだな。さっきからあのガウンを着た若者をよく見かけるけど、まだ俺の知らない
「おーいそこの兄ちゃん、さっきも会ったな!」
「ん?」
ふと横を向くと、飯屋の店主が俺に向かって手招きしていた。ここは……さっきパイが美味いと宣伝していた店か。腹も減っていたし、ちょうどいいな。
「パイに蜂蜜をかけてくれますか。それなら入ります」
「おうっ、アカシアでいいか?」
「蜂蜜なら何でも」
「分かった、じゃあそこの席に座ってくれっ」
奥の方に案内されたので、荷物を脇に下ろしてそこに座った。カウンターの向こうにある厨房では、頭に布を巻いた店主が
「うちのパイは竈で温め直すからよ、焼き立てみたいな味になるんだ」
「へえ……」
「兄ちゃん、外から来たんだろう? ウルムのパイは美味いぜ」
店主はにやっと笑った。そういえば、王都に来てはじめての食事だな。田舎に比べて味がいかほどのものか、楽しみだな。
「おーい新入り、皿を持ってこーい!」
「はっ、はーい!」
いかにも新入り、というような初々しい少女が厨房の奥から現れた。見たところ俺より年下だな。さっきすれ違った商人の使い走りといい、この王都で商才を磨くことを志す若者は多いのだろう。
「持ってきましたっ!」
「よおし、あとは水を汲んでこい」
「あっ……はい!」
少女は皿を手渡したあと、再び奥の方へと戻っていった。店主は皿を持って竈の前に行き、程よく焦げ目のついたパイを取り出してその上に載せる。
「あとは蜂蜜だなっ」
さらに店主は近くにあった壺から柄杓で蜜をすくうと、パイの上へと豪快にかけた。竈から漏れ出る光が蜂蜜に反射して、きらきらと輝いている。
「はいよ兄ちゃん、『グルート』のパイだ!」
「ありがとうございます」
カウンターの上に置かれた皿を受け取り、目の前に下ろす。長方形の程よいサイズに形成され、こんがりキツネ色に焼かれたパイ。その上にはとろりとした蜂蜜が滴る。
「熱っ」
指先でなんとかパイを持ち上げ、口に運んだ。さくっと心地良い食感のあとに、蜂蜜の甘さが混じった芳醇な味わい。……こんなの、田舎では食べたことがない。
「……たしかに美味い。こんなパイは初めてです」
「あっはっは、ウルムはすごいところだろう!?」
「ええ、感動します」
熱々のうちに食べてしまいたい。店主の言葉に答えている時間すらもったいないと感じる。それくらい美味いパイだ。田舎に戻った後、俺は何も食べられずに餓死してしまうのではないだろうか。
「『グルート』の店主さん、何かご入用ではないですかー?」
「おうっ、お前か。新入りー、水はあとでいいからお前が対応してくれ」
「はーい!」
店主の言葉を聞いて、新入りの少女が小走りで表に出ていった。どうやら商店の御用聞きが来たらしいな。
「ええと、今日はいろいろ頼むものがあるんです」
「それはそれは、いつもありがとうございます」
「ちょっと待ってください、いま
書く、という言葉にぴくりと反応してしまう。食べかけのパイを置いて顔を上げると、少女が小さな紙にペンを走らせていた。
「まず種火ですね。それからパイ生地の粉も」
「かしこまりました。必要な量までご記入ください」
二人が同じ紙を見て自然に会話を交わしているのを見て、また衝撃を受けた。ウルムでは文字を読み書きするのが当たり前なのか。それも――こんな子どものような少女が。田舎じゃ、俺くらいしか本を読める者はいなかったのにな……。
「あと、塩も切らしそうなんです」
「ええと、少し塩の相場が不安定でして。多めに注文されるのをお勧めします」
「そんな話は聞いたことがありません。余計に買わせようなんて魂胆は見え透いてますよ」
「いえいえ、『グルート』はお得意様ですから。そのようなことは申し上げません」
「ふうん……もう少しお安くしてくれれば店主も考えると思いますが」
正々堂々と交渉をする少女の姿に、さらに驚かされる。あれくらいの年の頃、俺は夜の野原で魔法を使って遊ぶことしか考えていなかった。ウルムでの修業が、若い才能をどれだけ研ぎ澄ましてくれることか。……やはり王都は別世界だ。
「――では、これで承りました。毎度ありがとうございます」
「よろしくお願いしますね」
いつの間にか交渉がまとまっていたようだ。御用聞きはペコペコと頭を下げて去っていき、少女も再び厨房の奥へと消えていく。パイを食べ終えた俺は、皿をカウンター越しに店主へと渡した。
「美味しかったです。ありがとうございました」
「おうっ、ならよかったぜ」
「……ん?」
「兄ちゃん、どうした?」
ふと、厨房の竈が目についた。ずっと火が燃え盛っているが、覚えている限りでは誰も薪をくべる様子はなかった。
「あの竈、魔法ですか?」
「おー、よく気づいたな! そうさ、魔法の種から出来た火がうちの竈を温めているってわけだ」
「へえ……」
言われてみれば、さっき少女が「種火」とやらを注文していたな。原理的には可能なんだろうが、実際に魔法の産物が商品として売られているとは知らなかった。
「そうか、やっぱり兄ちゃんはあれか? 魔導師試験を受けに来たのか?」
「えっ、よく分かりましたね」
「なあに、この時期にウルムに来る若い奴にはそういうのが多いってだけさ。よく受けるよなあ、あんな試験」
店主はげらげらと笑った。ふうん、一定数はウルム外からの受験者もいるんだな。……そのうちの何割かは
「あのー、お水持ってきましたー!」
「おうっ、遅かったな」
厨房の奥から、水の入った
「おいお前、大丈夫か?」
「いえっ、ちょっと重いだけ……きゃあっ!」
「おっ、おいっ!!」
案の定、少女は甕を持ったまま転んでしまった。よりによって竈の方に向かって倒れたものだから、水が火の方に向かって溢れ出ていく。
「うわっ、火が!!」
さっきまでメラメラと燃えていた火が、一瞬にして消えてしまった。店内が一気に暗くなり、同時に一瞬の沈黙が訪れる。
「すいません! 私のせいでっ……!」
「おいっ、どうするつもりだよ!? 種火はもう切らしちまってんだよ!」
「も、申し訳ありません……!」
「お前、今日の営業はまだあるんだぞ!?」
怒り心頭の店主に対して、ずぶ濡れになった少女が泣きそうな声で謝り倒していた。人が叱られているのを聞いていると、こっちまでいたたまれない気持ちになる。
それにしても、魔法で仕込まれた炎が随分とあっさり消えたもんだな。たかが水がかかったくらいで、不自然な気もする。それに、あれだけの度胸がある少女がこんな凡庸な過ちをするだろうか。
「種火だって安くねえんだぞ!」
「すいません、すいません……!」
「お前は給料を貰うだけだろうがよ、こっちはなあ……!」
しかし、今はそんなことを気にしてはいられない。相変わらず店主はご立腹だし、このまま席に座っているだけというのも居心地が悪いだろう。
「店主さん。火がつけばいいんですよね」
「ああっ? どうした兄ちゃん?」
俺はすっと立ち上がり、竈の方をじっと見た。せっかく美味いパイを食べさせてもらったわけだし、お礼に何か返さなければ。
「僕でよければ、魔法で竈に火を灯してみせますよ」
「おおっ、本当か!?」
「いっ、いいんですか!?」
店主と少女が一斉にこちらの顔を見てきた。俺は右手の人差し指を出して、竈の方に向ける。
「お二人とも、少し離れてください」
「あっ、ああ!」
「ありがとうございます、お客さん……!」
二人が距離を置いたのを確かめてから、指先に意識を集中させた。一度見た魔法は身体が覚えている。思い出すようにして、さあ――
「では、
「「えっ?」」
不意を突かれたような声が聞こえた瞬間、竈の前に水の塊が出現したのだった。