宮廷魔導師選抜試験を記念受験した田舎者 作:俺だ俺だ俺だ俺だ
竈の前に出現した水の塊が、地に引かれて落ちていった。そのまま台に当たると、弾けるように竈へと入っていく。
「兄ちゃん、いったい何を――」
「火が点きますよ!」
「えっ?」
俺の声を聞き、店主が後ろを振り向く。竈の中にあったはずの水が消え失せ、間もなく激しい炎が立ち上った。
「うわっ!?」
「どうしてっ、なんで水で火が点くの!?」
その光景に、店主と少女の二人は口をあんぐりと開けていた。思った通り、種火までは死んでいなかったみたいだな。
「店主さん、あの甕の水はなんですか」
「えっ?」
「魔法の火は簡単には消えません。何か仕込んであったんじゃないんですか?」
店主は驚いたような顔をして、俺から目をそらした。
「い……いや、ただの水だぜ? 何を仕込んだって言うんだ?」
「あの水、魔法で出したものでしょう。僕の水魔法で打ち消すことが出来たのがその証拠です」
魔法を打ち消すには、対となる魔法を被せてやればよい。しかし、水魔法は裏返したところで水魔法だからな。魔法を使えぬ者が見れば、水で火を点けたように見えるのは無理もない話だ。
「そんなこと言われても、俺は魔法なんか知らねえしなあ。ウルムの水は魔法で浄化されているんだ、そのせいじゃねえのか? なあ?」
店主が同意を促すと、隣にいた少女がうんうんと頷いていた。
川と湖から得られる量だけでは需要を賄えないから、ウルムでは水の供給に魔法を使っている……と、本で読んだことはあるが。魔法の火を打ち消すほどの魔力が残留しているとも思えない。しかしまあ、こんなことを追求しても無駄か。
「でも、とにかく火がついて良かったです。店主さん、お勘定を」
「ん? ああ……いいさいいさ、竈に火を点けてくれたお礼さ」
「いいんですか?」
「なあに、気にすんなって。それより兄ちゃん、宿屋は決めてあるのか?」
「宿屋……」
「ウルムで野宿なんかしたらどんな目に遭うか分かんねえぞ」
もちろん、野宿するつもりはなかったが……出願やらに気をとられて、すっかり忘れていたな。
「宿屋はまだです。どこか良いところをご存じないですか」
「それならよ、うちはどうだい?」
「えっ?」
「実はな、二階が宿屋になってるんだ。兄ちゃんなら安くしとくぜ」
「安く、と言いますと」
「飯付きで一晩につき一万ベルク! どうだ?」
店主は人差し指を立て、こちらに迫ってきた。この値段なら一週間くらいは泊まれそうだな。どうせ最初の筆記試験で落ちるんだから、それが終わるまで王都に滞在できれば十分だ。
「分かりました。パイにかける蜂蜜をおまけしてくださるなら」
「おう、それくらい安いもんよ! 新入り、お客様を二階に案内して差し上げろ!」
「はいっ! じゃあお客さん、荷物は私が……!」
少女がカウンターから出てきて、俺の荷物を両手で抱えた。……さっき甕を運ぶのに苦労していたのに、この大荷物はいとも簡単に持ち上げるんだな。
さっきの水といい、どうもこの店には若干の胡散臭さがあるが……この時間から宿屋を探すのは骨が折れる。それに、根っからの悪人にあんな美味いパイが焼けるとは思えないしな。
こうして俺は、「グルート」という宿屋を拠点にして試験までの日々を送ることにしたのだった。
***
王都で過ごした数日間は、人生の中で最も充実した時間だった。
身長の何倍も高い本棚に所狭しと魔導書が並べられた大図書館、観光用に開放された見張り塔からの絶景、国中から集まった腕利きの営む料理店の数々……。一週間にも満たない滞在だったが、筆舌に尽くしがたい体験をたくさんさせてもらった。
ただ特に心に残ったのは、王都の人々のことだった。皆が当たり前のように魔法を受け入れ、本を読み、ウルムの街を前に進めようと努力している。田舎に向上心がないとは言わないが、それでも大きな差を感じずにはいられなかった。
もしウルムに生まれていれば、自分の人生も何か変わったのだろうか。田舎の穀潰しでなく、もっと身を立てることが出来たのだろうか。たらればを言っても仕方がないとは分かっているけれど、それでも考えずにはいられなかった。
「明後日には帰るのか……」
試験前日の夜、宿屋にて。俺は部屋にある机の前に座り、窓越しに王都の美しい夜景を眺めてため息をついた。明日は試験があるから、ウルムを思い切り楽しむことが出来たのは今日で最後というわけだ。
「お部屋に入ってもいいですか?」
部屋の扉を叩く音がした。そういえば、新入りの少女にお使いを頼んでいたんだっけ。
「ああ、大丈夫だよ」
「失礼します!」
少女は扉を開けて、部屋の中に入ってきた。その手には帳面が握られている。近くの商店で買ってきてほしい、と頼んでいたのだ。
「こちらの帳面でいいですか?」
「うん、ありがとう。ええと……」
「『アマリア』ですっ。いい加減に覚えてください!」
「ごめん、つい……」
茶髪を結わえたアマリアは、不満そうに頬を膨らませていた。たしか……十五歳だったかな。うちの妹と同い年だったから、それは覚えていた。
「そうだ、お金は足りた?」
「ええと、500ベルクほど余りました」
「とっておいて。駄賃だよ」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
アマリアは表情をぱあっと明るくして、嬉しそうにしていた。さっきは怒っていたのに、現金な子だなあ。
「ところでお客さん、その帳面はどうするんですか?」
「王都で経験したことを書き残しておこうと思って。忘れちゃうからね」
「へえー、そうですか。私、てっきり勉強するのかと思って……」
「勉強?」
「だって、宮廷魔導師の試験を受けるんですよね!?
「『前』の魔導師試験って、三年前だよね? 君、たしか新入りじゃ――」
「あーっ! えっと……ま、前に働いていたお店の話ですっ!」
「ふうん……」
やっぱりこの店は胡散臭い。けどまあ、ここまで何事もなく宿泊出来ているからな。ベッドは綺麗だし、パイも相変わらず美味いし、何の問題もない。
「とっ、とにかく! お客さん、ぜんぜん勉強する様子がないから……」
「別に、今更何をしたところで結果は同じだよ。特に俺なんかもともと受かりっこないんだから」
「へえ、そうですか……」
アマリアは俺の考えを理解できないみたいで、不思議そうに首をかしげていた。
図書館にあった何かの本に書かれていたのだけど、俺みたいなのは「記念受験」と言うらしい。受かるかどうかは気にせず、宮廷魔導師選抜試験を受けてみたい……という人間は一定数いるみたいだ。
「でも、せめてヘルトの前夜祭には行かないんですか?」
「前夜祭?」
「知らないんですか? 魔導師試験の受験生がヘルト広場に行ってお祈りするんです。合格しますようにって」
「なんだそりゃ」
「なんでも、何十年前にすごい成績を出した人がいたらしくて。その方が試験前日にヘルト広場でお祈りしていたとかで、皆が真似するようになったんです」
変な話だな。宮廷魔導師を志すほど魔法に長けた人間が、あろうことかそんな迷信を頼るなんて。いや……過酷な試験を前にすれば、何にでもすがりたくなるのが人情なのかもしれない。どちらにせよ、俺には関係ない話だ。
「俺は行かないよ。そこまでして受かりにきたわけじゃないし」
「えー、ここからそんなに遠くないですよ? 行ってきたらどうですか」
「魔導師が頼れるのは己の実力だけだよ。神様が助けてくれるわけじゃないからね」
「なーんか、やっぱりお客さんって変わってますね。じゃあ、明日は頑張ってくださいっ」
「ああ、ありがとう。アマリア、良い夜を」
「はーい、おやすみなさいっ!」
アマリアは笑顔で手を振って、部屋を出ていった。俺はペンを手に取って帳面を開く。やっぱり田舎で手に入るものよりずっと質がいいな。
ああ、そういえばお土産を買ってなかったな。明後日、ウルムを発つ前に買うとするか。朝早くから開いている店は……アマリアに聞けばいいか。そうだ、一緒に来てもらって妹へのお土産を見繕ってもらおう。年頃の女の子が何を欲しいかなんて、俺には全く分からないからな……。
帳面に文を綴りながら、王都での記憶を辿っていく。俺の頭には、明日の試験のことなど露ほども存在しない。家族に何を話すか、何を持ち帰るかということばかり考えていた。
やるだけやって、あとは土産を持って家に帰ろう。せっかくこんな良い土地に来たのに、あまり帰りたくはないけどな。
この後、