バイオハザード:リサ・トレヴァー 〜怨霊と血濡れのトマホーク〜   作:ai試し

27 / 42
8話 警察署、作戦会議

所長室の重苦しい空気の中、クレアは椅子に深く腰掛け、目の前のレオンにこれまでの経緯を話し始めた。シェリーは不安げにクレアの裾を握りしめ、リサは壁に寄りかかりながら、退屈そうに爪をいじっている。

 

「信じられないかもしれないけど、聞いて。あなたと別れてから、本当に悪夢のような時間だったわ」

 

クレアの声は低く、だが確かな熱を持って響いた。

 

「街でゾンビに囲まれていたとき、リサが助けてくれたの。彼女は……今の見た目からは想像もつかないけれど、凄まじい戦闘力を持っているわ。私たちはそのまま警察署に向かった。そこで生き残っていた警官たちに会って、ここから脱出するための『隠し通路』があることを知ったのよ」

 

レオンは眉をひそめ、リサを見た。美少女に見える彼女が、どれほどの戦いを潜り抜けてきたのか。

 

「でも、脱出への道は簡単じゃなかった。一人の生存者が署に駆け込んできた直後……信じられないほど巨大な化け物が現れたのよ。人型の怪物。でも、リサがそれを叩きのめしたわ」

 

レオンが目を見開いた。あの警察署の玄関前に転がっていた怪物を一人で倒したというのか。

 

「けれど、不幸は重なるものね。リサと巨人の化け物が玄関から外へ飛び出した後、今度は天井を這い回る、舌の長い化け物が現れた。音か何かに引き付けられたのでしょうね。その混乱の中で、助けてくれた黒人警官と、駆け込んできた避難民の方が犠牲になったわ」

 

クレアの声がわずかに震えた。喪失感に浸る間もなく、彼女たちは隠し通路を使い、地下へと降りたことを続けた。

 

「地下での探索中、運良くシェリーを見つけたの。でもそこでもまた最悪なことに遭遇したわ。二体目の巨人の化け物と、触手が生えたおぞましい怪物……。リサは再び巨人を撃破したし、触手の怪物は激しい戦いの末に下水施設へと転落していった」

 

「……それで、ようやく駐車場まで辿り着いたってことか」

レオンが低く呟く。その視線は、いまやただの少女に見えるリサに向けられていた。しかし、クレアの表情は深刻だった。

 

「最後に、一番重要なことを伝えるわ。レオン、この子は……リサは、普通の人間じゃない」

 

部屋に緊張が走った。リサは相変わらず無関心なふりをしていたが、その瞳だけは鋭く光っていた。

 

「彼女はアンブレラ社によって、実験台にされていた生物兵器なの。絶望的な人体実験の末に化け物に変えられ……でも今は、何らかの理由でここにいる。そして彼女の中には、深い憎しみと、正体不明の力……があるみたいだわ。」

 

クレアは敢えて不思議な現象、先住民の怨霊のことは言わなかった。実際に体験したものしか信じられないだろうからだ。

 

レオンは絶句した。

目の前にいるのは、可憐な14歳の少女ではない。アンブレラが作り出した生物兵器、同時にその会社への凄まじい復讐心を燃やす怪物なのだ。

 

リサはゆっくりと顔を上げ、レオンを冷たく見据えた。

その瞳には、人間としての感情ではなく、獲物を定める捕食者の光が宿っていた。

 

レオンは深く溜息をつき、壁に背を預けて自分の経験を語り始めた。

 

「……なるほどな。俺たちが入れ違いになっていた理由はそれで説明がつく」

 

レオンの視線は、ふと窓の外へと向けられた。そこには、リサが叩きのめした巨人の死体が転がっているはずだ。

 

「警察署に向かうまで、正直に言って相当苦戦したよ。道中のゾンビの数は異常だったし、街全体が機能停止していたからな。ようやくここに辿り着いて玄関を見たとき……そこには、信じられないほど巨大な化け物の死体が転がっていた。正直、絶望したよ。『こんな怪物がいる場所なら、もう手遅れだ』とな」

 

レオンは苦笑いしながらも、その瞳には緊張の色が残っていた。

 

「だが、中に入ってみると意外にも建物はそれほど荒れていなかった。ただ、どこを探しても人の気配がない。俺は生き残りがいないか、あるいは使える装備がないかと補給を兼ねて署内を探索したんだ」

 

彼はふと、天井を見上げた。

 

「探索中、俺も天井や壁を這い回る化け物に遭遇した。おぞましい姿だったが、奴は目が見えないようだったな。代わりに音に異常に敏感だ。気配を消してやり過ごしたりショットガンをぶち込んで倒したが……あんなやつとは進んで戦いたくないな。」

 

レオンは懐から取り出したメモに目を落とした。そこには地下への隠し通路に関する記述があった。

 

「補給と探索が終わったらそのメモに従って隠し通路に行こうと思っていたんだが……ふとエレベーターが作動する音が聞こえた。誰かが地下から上がってきたか、あるいは誰かが下にいると思った。だから、そのまま外に出て駐車場の方向へ向かったんだ」

 

レオンの話を聞きながら、クレアはリサを見た。

二人は同じ建物の中にいながら、全く別の地獄を歩んでいた。一方は生物兵器としての圧倒的な暴力で道を切り開き、もう一方は新人警官としての機転と実力で生き延びてきた。

 

「タイミングが悪すぎたな」とレオンが呟く。

 

レオンの話が終わった直後、クレアが鋭い表情で口を開いた。

 

「いいえ、タイミングが悪かったのは今からよ。レオン、これからについて本当に重要なことがあるの」

 

レオンは表情を引き締め、クレアの言葉に耳を傾けた。リサもまた、退屈そうにしていた態度を一変させ、獲物を待つ獣のような鋭い視線を署長へと向けた。

 

「さっき駐車場で、この署長が錯乱して口走ったことがあったわ。アンブレラの『特殊部隊』がここに向かっているということよ」

 

レオンの眉が跳ね上がった。「特殊部隊だと?」

 

「ええ。そうだわ。目的もはっきり言っていた。『クレア・レッドフィールドを殺し、リサ・トレヴァーを捕獲しろ』と。彼らは私たちを狙っている」

 

レオンは思い出した。先ほどシャッターの外にいたとき、所長が喚き散らしていた内容だ。断片的にしか聞こえなかったが、確かに「アンブレラ」や「捕獲」という単語が混じっていた。

 

「……ああ、俺もうっすらと聞いていた。しかしまさか本当に特殊部隊を差し向けてくるのか?こんな状況で?」

 

クレアの表情はさらに険しくなった。

「それに、リサと私がどこかで監視されている可能性が高いわ。この署長がここまで具体的な指示を受けていたということは、誰かが私たちの動向をどこかで報告しているはずよ。ここ警察署の中ですら、安全だとは言えない」

 

その言葉に、リサの喉から低い唸り声が漏れた。

(アン……ブレラ……!)

監視されているという事実は、彼女にとって屈辱であり、同時に最高の怒りを誘うスイッチだった。今すぐにでもこの建物中の壁をぶち抜き、見えない敵を探し出して引き裂きたい衝動に駆られる。

 

「だから、まずはこの男から全てを聞き出す必要があるわ」

 

クレアが顎で指し示したのは、口に布を詰め込まれたまま床で震えている所長だった。アンブレラの作戦内容、特殊部隊の規模、そして監視カメラや通信設備の場所。ここから安全に脱出するためには、彼が持っている情報が不可欠だ。

 

レオンはショットガンを軽く肩に掛け直し、冷徹な眼差しで署長を見下ろした。

「同意だ。警察官として、あるいは生存者として……こいつの口を割らせる必要がある」

 

リサはゆっくりと立ち上がった。骨のトマホークを指先で弄びながら、残酷な笑みを浮かべて署長へと近づいていく。その足音一つひとつが、署長にとって死刑宣告のように響いていた。

 

「いい? リサ。殺しちゃダメよ。情報を全部吐き出させるまで」

 

クレアの制止に、リサは不満げに鼻を鳴らした。だが、同時にこう考えた。

(簡単には殺さない……。ゆっくりと、絶望させてからにしてやる。)

 

こうして、警察署の一室で、アンブレラの協力者に対する冷酷な尋問が始まろうとしていた。

 

リサは満足げに口角を上げると、ゆっくりと所長のそばに膝をついた。そして、乱暴にその猿ぐつわをひっ掴み、一気に引き抜く。

 

「ガハッ! ゴホッ!!」

 

激しくむせ返る所長。リサは彼が呼吸を取り戻す間もなく、骨のトマホークの冷たい刃先を、男の喉元にじわりと押し当てた。皮膚がわずかに切れ、一筋の血が流れる。リサの瞳には「さあ、絶望して喚け」という残酷な期待が宿っていた。

 

しかし、リサの期待は無残にも裏切られた。

 

「話す! 全部話すから! 頼む、殺さないでくれ!!」

 

命への執着に塗りつぶされた所長は、問い詰められる前に、堰を切ったように情報を吐き出し始めた。あまりの早さに、リサは拍子抜けしたように眉をひそめた。

 

「アンブレラからの指示は……その通りだ! クレア・レッドフィールドの殺害と、リサ・トレヴァーの捕獲! 特殊部隊が到着するまで、二人の動向を監視し、報告しろと言われていた!」

 

レオンが鋭く問いかける。

「なぜリサを『捕獲』なんだ? 殺すのではなく」

 

所長は恐怖に震えながら答えた。

「それは……あの子が! リサ・トレヴァーが、アンブレラの最高傑作であるはずの『タイラント』をあっさり倒したからだ!! 本社は驚愕していた。廃棄したはずの失敗作が、なぜあれほどの戦闘能力を持つに至ったのか。個体を回収し、再解析したいと考えている!」

 

リサは自分の頬に手を当て、不気味に小さく笑った。最高傑作を叩き潰したことが、本社の連中を震え上がらせている。その事実に、彼女は暗い快感を覚えた。

 

「そして……クレア・レッドフィールド。あんたへの殺害命令は、象徴的な意味合いが強い。元スターズ隊員のクリス・レッドフィールドへの見せしめだ。『組織に逆らう者の末路はどうなるか』を分からせるために、その妹であるあんたを抹殺しろと指示があった」

 

クレアは表情を変えず、ただ静かに唇を噛み締めた。兄の名が出たことで、この惨劇の裏にあるどろどろとした権力争いの構図が明確になった。

 

「監視はどうなっている! カメラはどこまでつながっている!」

 

レオンの怒鳴り声に、所長は必死に首を振った。

「警察署内の監視カメラはここと近くの孤児院から見れるようになっている! 俺たちが報告していたのは、外部の工作員が録画していた映像や、俺自身の目撃情報だ!」

 

とりあえず警察署内の監視はないという情報を得た、しかし「特殊部隊」という物理的な脅威が確実に近づいている情報をも得てしまった。

 

「……まだだ。全部吐き出せ」

 

レオンの声は冷徹だった。彼はショットガンの銃口を所長の足元に向け、圧力をかける。リサは隣でトマホークの刃先で男の頬を軽く、しかし執拗に撫でていた。

 

「特殊部隊が到着するまで、あとどれくらいの時間がある?」

 

所長は喉を鳴らし、震える声で答えた。

「……約30分だ! ヘリでここまで直接来る予定だった! だから俺は急いで……!」

 

「地下駐車場で何をしようとしていたんだ」とクレアが鋭く問い詰める。「ただ待っていただけじゃないはずよ」

 

所長は視線を泳がせながら、絞り出すように言った。

「シェリーを……あの娘を連れて、アンブレラの地下研究所へ向かおうとしていたんだ!」

 

「なっ!? なぜシェリーを!?」

クレアが激昂し、思わず身を乗り出した。隣にいたシェリーがビクッと肩を震わせる。

 

所長は必死に弁明した。

「シェリーの母親はアンブレラの研究員なんだ! 今もラクーンシティの地下研究所にいる。母親から娘を母親の元へ送り届けるよう頼まれていたんだよ! 俺はその後、警察署の監視カメラが確認できる孤児院に戻って待機する予定だった!」

 

レオンは、軽蔑しきった目で所長を見下ろした。

「アンブレラの犬どころか、ただの屑だな。」

 

リサは、その会話を聞いて不快そうに鼻を鳴らした。

(…アンブレラ……)

彼女にとって、この男の言葉の内容などどうでもよかった。ただ、権力に媚び、弱者を弄ぶこの男の「醜悪さ」が、彼女の中の怨霊たちを激しく刺激していた。

 

「地下研究所へはどうやって行く。入り口はどこだ」

レオンが問い詰める。

 

「……俺が経営している孤児院だ。あそこに秘密の通路がある。そこを通れば直接地下施設へ繋がっている」

 

レオンとクレアは顔を見合わせた。孤児院から直接研究施設へ行けるのは嫌な予想しかできない。

 

「地図をみせる。孤児院の場所を正確に示せ」

 

レオンの命令に従い、所長は震える手で机の上の地図を指し示した。そこには警察署からほど近い場所に、小さな施設が記されていた。

 

リサはゆっくりと立ち上がると、地図に指し示された孤児院をじっと見つめた。

彼女の瞳に、暗い炎が宿る。アンブレラへの復讐の道に、新たな目的地が加わった瞬間だった。

 

クレアはそっと身をかがめ、不安げな表情のシェリーに視線を合わせた。

 

「シェリー、本当なの? お母さんから連絡があったの?」

 

シェリーは小さく頷き、震える声で答えた。

「……うん。お電話がかかってきて、『警察署が一番安全だから、そこへ行きなさい』って言われたの。だから、ここに来たんだけど……」

 

レオンとクレアは深刻な面持ちで顔を見合わせた。

 

「くそっ、時間がなさすぎる」

レオンが苛立たしげに髪をかき上げた。

「特殊部隊が約30分後にヘリで来る。相手は訓練を受けたプロだ。ゾンビの群れならどうにか切り抜けて逃げ切れるかもしれないが、武装した特殊部隊に包囲されれば……勝ち目はない」

 

「でも、ここに留まっても待っているのは死だけよ。かといって今から街を横断して逃げるのも自殺行為だわ」

クレアの声には焦りが混じっていた。最強の生物兵器であるリサがそばにいるとはいえ、現代兵器を備えた部隊を相手にするのは別の話だ。

 

二人が絶望的な状況の中で議論し、結論が出ないままもたついていたそのとき。

 

「ウゥ……!!」

 

低く、だが鋭い唸り声が室内に響いた。

振り返ると、そこにはリサが立っていた。彼女は不機嫌そうに眉をひそめながら、机の上に広げられた地図をじっと見つめている。

 

レオンとクレアが注目すると、リサはゆっくりと指を動かした。

 

まず、地図上の「警察署」を指で強く叩く。

次に、自分自身の胸を指差した。

 

そして、隣にいるクレア、レオン、そして小さなシェリーを順番に指差し、最後に――迷いのない動作で、地図上の「孤児院」を指し示した。

 

その意味は明白だった。

 

(私はここに残り、お前たちは孤児院に避難していろ)

 

リサの瞳には、静かながらも絶対的な自信が宿っていた。

彼女にとって、アンブレラの特殊部隊など、復讐心をぶつけるための格好の標的に過ぎない。自分が囮となり、敵を引き付け、その間に守るべき子供であるシェリーを母親のもとに帰し、クレアとレオンで送り届けろという提案だった。

 

レオンは驚愕に目を見開いた。

「……まさか、一人で特殊部隊を食い止めるつもりか?」

 

リサは答えず、ただ不敵な笑みを浮かべると、骨のトマホークを肩に担ぎ直した。

 

所長室の中には、重苦しい沈黙が流れた。

 

レオンとクレアの間で激しい葛藤が渦巻く。一人の少女――たとえそれが生物兵器であっても――にすべてを任せて自分たちは逃げるという選択肢は、彼らの正義感にとって耐え難いものだった。

 

「馬鹿なことを言うな! 一人で特殊部隊を相手にするなんて自殺行為だ!」

レオンが声を荒らげた。だが、クレアの表情は複雑だった。彼女はリサと共に地獄を歩き、その身のこなし、瞬発力、そして巨人の怪物を紙屑のように引き裂いた圧倒的な破壊力を目の当たりにしてきた。

 

(……リサなら、本当にやり遂げるかもしれない)

 

今のリサにとって、武装した人間など、ただの「獲物」に過ぎないかもしれない。むしろ、自分たちが側にいれば、敵の標的が分散し、結果的にシェリーや自分たちを救うためにリサが足止めを食らう可能性が高い。人質に取られる可能性もある。合理的に考えれば、リサに戦場を任せ、弱者は速やかに離脱するのが正解だった。

 

「……レオン、彼女の強さを信じるしかないわ」

クレアが絞り出すように言った。「私たちはここにいたところで、リサにとって足手まといになるだけよ。ゾンビならまだしも、訓練を受けた人間相手に、私たちがお互いを守りながら戦えば、リサの足手まといになるだけよ。」

 

レオンは悔しそうに拳を握りしめたが、時計を確認し、苦渋の決断を下した。

「……くそっ。分かった。方針は決定だ。リサにここを任せ、俺たちはシェリーを連れて孤児院へ向かう」

 

作戦が定まった。リサが警察署に残り、襲撃してくる特殊部隊を壊滅させる。その後、合流地点である孤児院へと向かう計画だ。だが、ただ逃げるだけでは不十分だった。敵に「リサがここに留まっている」と確信させなければならない。

 

「いい? リサ。あなたがここにいることを監視員に分からせる必要があるわ」

クレアが提案した。「玄関ホールに転がっているリッカーの死体と、前庭にあるタイラントの残骸……焼却してちょうだい。煙が上がれば、上空のヘリや監視者は『誰かがここで後始末をしている』と気づくはずよ」

 

リサは不敵に口角を上げ、同意の意味で小さく頷いた。死体を焼き、それを目印にで獲物が降りてくるのを待つ。

 

「分かったわね。私たちはあなたがホールに出たタイミングで、無駄かもしれないけど、地下駐車場からこっそり孤児院へ向かう。そこでシェリーのお母さんと連絡を取り、これからの方針を協議するわ。アンブレラの研究員だから何か知っているかもしれないし。」

 

クレアはリサの手をぎゅっと握った。言葉には出さなかったが、「必ず生きて戻ってきて」という願いが込められていた。

 

リサはふん、と鼻を鳴らし、ゆっくりとその手を振り払った。彼女はもう、戦士の顔になっていた。骨のトマホークを肩に担ぎ、血のように赤い瞳で玄関の方を見据える。

 

「……アン……ブレラ……」

 

小さく、だが明確な殺意を込めて呟くと、リサはゆっくりと所長室を後にした。

その背中を見送りながら、レオンとクレアはシェリーの手を引き、まずガソリンを確保するため静かに地下駐車場へと足を進めた。

 

嵐の前の静けさが、警察署を包み込んでいた。

 

ガランとした警察署の廊下を、リサは一人で歩いていた。

 

足音が規則正しく響く。先ほどまでの激しい殺意と興奮が引いた後だった。隣にいたクレアの温もりや、シェリーという小さな子供の存在、そして「母親」という言葉――。それらが不意に、彼女の意識の底に沈んでいた記憶を揺さぶった。

 

(……ママ……)

 

自分もかつては、ただの少女だったはずだ。誰かに抱きしめられ、名前を呼ばれ、愛されていた記憶がある。だが、その記憶はアンブレラの冷酷な実験によって塗り潰され、絶叫と血の海に書き換えられてしまった。今の彼女には、自分が何歳で、どんな顔をして笑っていたのかさえ思い出せない。

 

ふと、頬に温かいものが伝わった。

リサは不思議そうに手を伸ばし、自分の指先を見た。そこには透明な雫が付いていた。

 

(……なに、これ……)

 

自分では気づいていなかった。彼女の瞳から、静かに涙がこぼれ落ちていた。それは悲しみなのか、それとも失ったものへの絶望なのか。生物兵器として作り替えられ、理性を失い、狂気に支配されたはずのリサ・トレヴァーの中に、まだ「人間」としての心が、ひっそりと息づいていた証だった。

 

だが、その涙はすぐに乾いた。

彼女の意識を再び現実へと引き戻したのは、自分を化け物に変え、家族から引き裂いた元凶への激しい憎悪だ。

 

リサはゆっくりと顔を上げ、冷酷な笑みを浮かべた。

 

(……アンブレラ。)

 

涙が乾いた瞳には、先ほどよりもさらに深く、暗い殺意が宿っていた。

 

ふと思い出したことがあった。

死体を焼いて敵を誘き寄せるという作戦の最中に、「片付けるべきゴミ」がもう一つあることを。

 

(……あの豚も。)

 

所長室に縛り付けられたままの、あの肥満したアングロサクソンの男だ。

彼を生かして置く理由はどこにもない。むしろ、特殊部隊が到着する前に、「前菜」として彼を処理しておくべきだろう。

 

リサは骨のトマホークを指先で軽く回すと、改めて玄関に向かった。

 

死体を焼き、煙を上げ、獲物を待つ。

その準備を整えた後、まずは身近な「ゴミ」の掃除から始めることにしよう。リサの足取りは、再び残酷な愉悦に満ちていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。