バイオハザード:リサ・トレヴァー 〜怨霊と血濡れのトマホーク〜 作:ai試し
地下施設へと続く通路は、ひんやりとした湿った空気に包まれていた。
リサは、自分の足音だけが響く静寂の中をゆっくりと進む。本来であれば、この暗い通路に、飢えた怪物たちが潜んでいるはずだった。しかし、リサが歩く道には、すでに事切れたゾンビの死体が転がり、複雑で珍妙な仕掛けはすべて解除されていた。
(……クレア)
リサの口から、かすれた吐息のような声が漏れる。
相棒であるクレアとレオンが先に進み、道を切り開いてくれたのだ。その事実に、リサの中にある狂気と殺意に満ちた精神が、ほんの一瞬だけ凪いだ。警戒心は捨てていない。インディアンの怨霊たちが、背後から忍び寄る気配がないか常に警戒しているが、同時に「信頼」という未知の感情が、リサの胸をかすめていた。
通路の分岐点に差し掛かったところで、壁に貼り付けられた一枚の紙切れが目に留まった。
クレアの筆跡だ。
『リサへ。この先は危ないから気をつけて。右の道を進めば、私たちが待っている場所に行けるはずよ』
リサはそのメモをじっと見つめた。文字を完全に理解しているわけではないが、そこにある「優しさ」のようなものが伝わってくる。リサは、大切そうにそのメモを指先でなぞると、指示通りに右の通路へと足を進めた。
やがて視界が開け、巨大な鋼鉄製の昇降機――リフトが現れた。
無機質な金属の塊であるリフトの扉には、またしてもクレアからのメッセージが貼られていた。
『このリフトに乗れば研究所に着くわ。そこで会おうね』
リサはゆっくりとリフトの中に足を踏み入れた。
ガタン、という重い音と共に扉が閉まり、リフトは深い地下へと下降を始める。
密閉された空間の中、リサは手元にあるクレアのメモを繰り返し眺めていた。
警察署で一緒にシャワーを浴びたときのこと。自分のような化け物であるはずのリサに、迷いなく抱きついてくれた温もり。あの時、おずおずと背中に手を回した自分の手の感覚。
リサはふと、自分の今の姿を見た。クレアが選んでくれた服を着ている。血の匂いが消え、少女としての外見を取り戻した自分。
けれど、内側にはまだどす黒い怨念と、アンブレラへの激しい憎悪が渦巻いている。
(……リサ)
自分の名前を、心の中で呟く。
インディアンの怨霊たちが、彼女に語りかける。復讐はまだ終わっていない。アンブレラと征服者たちの傲慢さを、その身で分からせてやれと。
だが、同時にリサは願っていた。
この地下施設でクレアに再会し、またあの温もりに触れたい。
リフトが目的地に到達し、重々しい警告音が鳴り響く。
扉が開いた先に広がっているのは、白く冷徹なアンブレラの心臓部――秘密研究所だった。
リサは静かに、しかし確実に殺意を込めて、骨のトマホークを握りしめ左腕に力を込めた。
アンブレラの地下研究所へと続く地下通路。そこは普段なら平穏であるはずだが、現実は地獄へと変貌していた。
クレアとレオンは、絶望的な状況の中にいた。
警察署から逃れ、孤児院からようやく辿り着いたこの通路で彼らを待ち受けていたのは、さらなる悲劇だった。警察署地下施設でリサに打倒されたG生物――ウィリアム・バーキン博士が、凄まじい速度で自己進化を遂げ、彼らを襲ったのだ。
レオンとクレアの必死の連携により、かろうじてバーキンを撃退することには成功した。しかし、その代償はあまりにも大きかった。
幼いシェリーが、バーキン触手によってGウィルスに感染してしまったのである。
「……ワクチンがあるはずよ」
アンブレラの研究所で少し会話したシェリーの母親であるアネット・バーキン博士は、憔悴しきった様子で告げた。施設内の保管庫にGウィルスのワクチンがあること。だが同時に彼女は絶望的な面持ちで付け加えた。
「でも、もう無理よ。この研究所の中もウィルスが漏れているわ。警備システムは崩壊し、職員たちは怪物に変貌した。あそこまで行くのは自殺行為よ、それに私はしなければいけないことがある!」
しかし、レオンの瞳に諦めの色はなかった。彼はシェリーの手を握り、強く決意を込めて言った。
「……あきらめるわけにはいかない。ワクチンがあるなら、何が何でも手に入れてみせる」
レオンは単身、地獄と化した研究所の深部へと向かった。
クレアは感染し意識を失ったシェリーを守るため、そしてもう一人、この場所にやってくるはずの「彼女」を待つために、手近な休憩室に留まることになった。
薄暗い部屋の中ベッドに横たわるシェリーの寝顔を見つめながら、クレアは銃を握りしめて周囲を警戒していた。
静寂が支配する廊下から、規則的な足音が近づいてくる。ゾンビのような引き摺る音ではない。もっと鋭く、目的を持って歩く者の足音だ。
(……リサ?)
期待と不安が入り混じる中、部屋の自動ドアがゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、クレアが選んでくれた服に身を包んだ、14歳の美少女の姿をしたリサだった。
血の匂いは消え、外見だけを見ればどこにでもいる心優しい少女に見える。だが、その瞳には依然として底知れない狂気と、そしてクレアに対する心配がこころなしか同居していた。
「……リサ!」
クレアが安堵と共に声を上げた瞬間、リサの視線はベッドに横たわるシェリーへと向けられた。
リサの中のインディアンの怨霊か自らもGウィルスに感染している影響か、シェリーから発せられる不自然な「変異」の気配を敏感に察知する。Gウィルスという人造の呪いが、幼い少女の体を蝕み始めていることを。
リサはゆっくりと歩み寄り、ベッドの脇に立つ。
言葉は出ない。ただ、低いうめき声のような音が漏れた。だがその手はそっとシェリーの額に触れようとしていた。
「彼女が……感染したの」
クレアが悲痛な面持ちで説明する。リサはその言葉を理解し、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、アンブレラという組織が、またしても罪のない子供に呪いをかけたことへの激しい怒りが燃え上がっていた。
静寂に包まれた休憩室に激しい足音と共にレオンが戻ってきた。その傍らには疲弊しきった表情のアネット・バーキン博士が付き添っている。
「ワクチンを……持ってきたぞ!」
レオンの叫びに、クレアが弾かれたように顔をあげた。
アネットは迅速にシェリーのもとへ駆け寄り、慎重にGウィルスのワクチンを投与し始めた。その緊迫した空気の中クレアとリサの様子がおかしかった。
クレアはリサの背後から彼女をぎゅっと強く抱きしめていたのだ。
外見から見れば、再会を喜ぶ親密な光景に見えるかもしれない。だが、クレアの意図は全く別のところにあった。
(お願い、リサ……今は我慢して!)
アネット・バーキン。シェリーの母親であり、救いの手を差し伸べた人物ではあるがその容姿は紛れもなく「アングロサクソン系」だ。
今のリサにとって、それは殺戮のスイッチが入るトリガーになり得る。もしリサが理性を失ってトマホークを振り下ろせば、ワクチン投与という極めて繊細な処置は失敗に終わる。
クレアはリサの耳元で、必死に囁き続けた。
「ダメよ、リサ! 今はこの人を攻撃しちゃいけない。シェリーのためにお願い!」
リサの身体がわずかに震えた。内側で渦巻くインディアンの怨霊たちが、アングロサクソンへの憎悪を煽り、リサの意識を狂気へと引きずり込もうとする。
しかし、不思議なことが起きた。
リサは攻撃に転じなかった。
それどころか、ワクチンを投与するアネットの後ろ姿をじっと見つめながら、かすれた声でぽつりと呟いたのだ。
「……ママァ」
その一言に、部屋の中の時間が止まった。
狂気に支配され、ほとんどうめき声しか出せなかったはずのリサが口にした言葉。それは憎しみではなく、失い、追い求め、そして絶望した記憶の底にある「母親」への切ない憧憬だった。
レオンとクレアは顔を見合わせ、言葉を失った。怪物として恐れられ、復讐の鬼となった少女の中にも、まだ消えない幼い子供としての心が残っていることを突きつけられたからだ。
微妙な沈黙が部屋を支配したその時。
「……んっ……」
小さな、けれど確かな吐息が漏れた。
ベッドの上で、シェリーがゆっくりと瞼を持ち上げた。ワクチンの効果により、彼女の意識が戻った瞬間だった。
「シェリー!」
クレアが弾かれたように叫び、彼女の小さな手を握りしめた。レオンも安堵の表情で深く息を吐き出し、アネットは震える手で娘の顔を撫でた。
そこには、地獄のような施設の中で奇跡的に取り戻した「家族の時間」が流れていた。
だが、その輪から少し離れたところで、リサだけは静かに沈黙していた。
表情こそないが、その瞳には深い悲しみが宿っている。自分にはもう、こうして抱きしめ合える母親も、温かな家庭もない。今の自分にあるのは、骨のトマホークと消えない怨念だけだ。リサはふと自分の小さな手を見つめ、寂しげに視線を落とした。
アネットは計器でシェリーのバイタルを確認し、心底ホッとしたように息をついた。
「……よかった。ウィルスの活性化は完全に停止しているわ。もう大丈夫よ」
ここでようやく、クレアたちはアネットが抱えていた凄惨な事情を耳にすることになった。
彼女の話は、夫であるウィリアム・バーキン博士の狂気と、アンブレラ社の非道な人体実験についての告白だった。
「……あの人はもう、私の知っている夫ではないわ」
アネットの声は冷たく、そして悲痛だった。
「無限に進化し続けるG生物という化け物をこの施設外へ出してはならない。それが科学者としての、そして母親としての私の責任よ。だから私は、G生物を完全に抹殺するための特効薬を完成させなければならない。……ウィリアムを、私の手で処分しなくてはならないの」
彼女の決意は固かった。
アネットはシェリーの肩を抱き寄せ、レオンとクレアに向かって告げた。
「地下に脱出用の列車が用意されているわ。それを使って、すぐにシェリーを連れてここを出てちょうだい。お願い、この子を安全な場所へ……」
「あなたはどうするんですか!」と問うクレアに、アネットは悲しげに微笑んだ。
「私はここに残るわ。夫との決着をつけるまで。それが私の償いよ」
その言葉を聞いたリサが、ゆっくりと顔を上げた。
その場の空気が一変したのは、ほんの一瞬のことだった。
ガシャァァン!!
凄まじい衝撃音と共に、リサが持っていた骨のトマホークが床に叩きつけられた。強化コンクリートの床に深い亀裂が走り、火花が散る。
レオンとクレアが驚いて身構えた。リサの瞳には、先ほどまでの寂しげな色など微塵もなく、どす黒い憎悪と激しい怒りが渦巻いていた。
(……逃げ出す)
リサの脳裏に、断片的な記憶がフラッシュバックする。
かつて、あのアークレイ研究所という地獄で。冷たい牢屋のの中で。リサは自分の母親と手を握り合い、「一緒にここから逃げ出そう」と約束した。けれど、その約束は残酷に塗り潰された。母親は死に、リサは怪物へと変えられた。
だからこそ、目の前の光景が許せなかった。
アネット・バーキンは、自分の意志で「死地」へ戻ろうとしている。子供を置いて、責任という名目で自ら破滅に向かおうとするその行為が、リサには耐え難い裏切りに感じられたのだ。
「……ッ!!」
リサの喉から、獣のようなうめき声が漏れる。
瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。怒りと悲しみ、そして絶望的なまでの喪失感が混ざり合い、彼女の小さな体を激しく震わせる。
リサはゆっくりと、しかし強く、震える指先でアネットを指差した。そしてそのまま、隣にいるシェリーへと指を向けた。
「……ママァ」
それは呼びかけではなく、慟哭だった。
(子供を置いていくな。母親なら、何としてでも一緒に生き延びて逃げ出せ!)
言葉にならないその叫びが、リサの視線を通じてアネットに突き刺さる。
リサにとって、母親とは「共に逃げる存在」であり、「守ってくれる存在」であるはずだった。自分から死を選ぼうとするアネットの覚悟は、リサの中にある「家族への渇望」を激しく逆なでし、深い怒りへと変えた。
涙に濡れた瞳でアネットを睨みつけるリサの姿は、最強の怪物ではなく、ただ母親に甘えたい、置いていかれたくないと泣き叫ぶ一人の幼い少女そのものだった。
リサの慟哭に近い沈黙に、部屋中の誰もが息を呑んでいた。その激しい感情の流れを唯一正しく受け止めたのは、彼女をずっと側で見てきたクレアだった。
クレアはそっとリサの肩に手を置き、そのまま視線をアネットへと向けた。その瞳には、強い意志と非難の色が混じっていた。
「……アネットさん。あなたの責任感は分かります。でも、今のリサの気持ちを見て。子供を置いていくことが本当に正しいことなの?」
クレアの声に、熱い感情がこもる。
「どんな事情があろうと、小さな子供を残していくのは親として間違っているわ。シェリーにとって、あなたがいなくなることはGウィルス以上に恐ろしい絶望よ」
レオンもまた、リサの震える肩と、床に突き刺さったトマホークを交互に見つめ、アネットに歩み寄った。
「……一人で背負い込もうとするな。あんたがここで死んでも、シェリーの心に消えない傷を残すだけだ」
レオンの視線が、リサが集めてきた「お土産」――特殊部隊から集めたロケットランチャーやアサルトライフルなどの重武装に向けられた。彼はその兵器たちの破壊力を知っている。
「この武器があれば、そしてリサのような力をもつものが味方にいれば、G生物といえど倒せる。絶望して死ぬ必要なんてないはずだ。協力し合えば、全員で生きてここを出られる」
アネットは絶句した。
自分は科学者として、あるいは罪人として「死による完結」を考えていた。だが、目の前で涙を流しながら自分を睨みつけるリサの姿――かつて自分が捨てようとしたはずの「母としての本能」を激しく揺さぶる鏡のような少女の姿に、心の中の何かが砕け散った。
(……そうね。私は、母親だったわ)
リサが呟いた、あの途方もなく悲しい「ママァ」という言葉が、アネットの胸に深く突き刺さっていた。自分は責任という名の逃避をしようとしていたのではないか。娘を救いながら、自分だけは罪悪感から逃れるために死を選ぼうとしていたのではないか。
アネットの瞳から、一筋の涙がこぼれた。彼女はゆっくりと手を伸ばし、震えるシェリーを強く抱きしめた。
「……ごめんなさい。シェリー、本当にごめんなさい」
アネットは顔を上げ、レオンとクレア、そしてまだ涙に濡れた瞳で自分を見つめるリサへと視線を向けた。その表情には、死への覚悟ではなく、生きようとする強い意志が宿っていた。
「……ええ、そうね。命を捨てるような真似はもうやめるわ。私はシェリーと共に生きる。そして、この悪夢に終止符を打つ」
リサの怒りに満ちた涙が、少しだけ静まった。
彼女は鼻をすすりながら、床に突き刺さったトマホークをゆっくりと引き抜いた。
安堵に包まれた空気は、突如として鳴り響いた耳をつんざくようなサイレンによって切り裂かれた。
――ウゥゥゥゥーーー!! ウゥゥゥゥーーー!!
赤い警告灯が点滅し、施設全体が激しく振動し始める。壁のモニターには冷徹な文字で『(自爆シークエンス作動)』の文字が躍っていた。
「自爆装置!? どういうことよ!」
クレアが驚愕して叫び、アネットに問い詰める。しかし、アネット自身も青ざめた顔で首を振った。
「わからない! 私が設定したタイマーではないわ。誰かが……あるいはシステムが自動的に作動させたのよ!」
混乱に陥る一同だったが、その時、遠くから地響きのような音が聞こえてきた。
ドゴォッ!! ガシャァァン!!
壁が破れ、鋼鉄を飴のようにひしゃげさせる破壊音。それは間違いなく、理性を失い進化し続けた怪物――ウィリアム・バーキン博士が、この研究所で暴れていることを告げていた。
その音を聞いた瞬間、リサの表情が変わった。
絶望的な状況の中、彼女だけが口角を吊り上げ、残酷でいて純粋な「笑み」を浮かべたのだ。
(……来た)
敵がわざわざこちらから来てくれた。探す手間が省ける。リサにとって、これ以上の快楽はなかった。
リサは一声の掛け声もなく、弾丸のような速度で部屋を飛び出した。
「待って、リサ!!」
彼女は床に置いてあったロケットランチャーを肩に担ぎ、クレアが慌てて後を追う。レオンは素早くアサルトライフルを構えた。
廊下を全力で疾走しながら、クレアは隣を走るアネットに切迫した声で問いかけた。
「アネットさん! 脱出用の列車まではどれくらい!? ここから間に合うの!?」
アネットは激しく肩を上下させながら、必死に答えた。
「急いで!! 最短ルートを通れば……けれど、時間的にギリギリよ! 一分一秒が惜しいわ!」
前方からは、暴れるG生物の咆哮が近づいている。
そしてその真っ向から、美少女の姿をした最凶の怪物が、トマホークを構えて待ち構えていた。
自爆まで残り時間わずか。アンブレラの地下施設で、復讐の少女と進化の怪物が激突しようとしていた。