バイオハザード:リサ・トレヴァー 〜怨霊と血濡れのトマホーク〜   作:ai試し

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日常回


幕間2

海岸線から少し内陸に入った場所で、二人はシーズンオフのため主のいない質素な別荘を見つけ出した。女王様の望む豪華絢爛な宮殿とは程遠い作りだったが、幸いにも衣類と保存食が残されていた。

 

リサは慣れない手つきでクローゼットを漁り動きやすそうなズボンを手に取った。しかし、それを着ようとした瞬間、鋭い声が飛ぶ。

 

「待ちなさい。そんな格好で私の隣に立つつもり?」

 

アレクシアが不機嫌そうにリサの手からズボンを奪い取り、代わりにひらひらとしたスカートを突き出した。リサは怪訝そうな顔をし、「うぅ……」と低い唸り声を上げて抗議の視線を送る。スカートでは足さばきが悪く、戦う際に不便だという意思表示だった。

 

「いいえ、聞きません。あなた、この後また海を移動するのよ? 泳ぐ際ズボンだと確実に破けるわ。こっちのスカートにしなさい合理的よ」

 

論理的かつ真っ当なことを言い切られ、リサは諦めて指示に従った。

鏡に映った自分――14歳の少女の姿に、清潔感のあるスカートを纏った姿を見たアレクシアは、ふんと鼻を鳴らした。

 

「……まあ、最低限の下僕としての身だしなみは合格ね」

 

その後、二人はダイニングテーブルについた。

食卓には、運良く残っていたテリーヌやパテなどの缶詰が並んでいた。アレクシアは小さなフォークを使い、芸術品を扱うかのように上品に食事を進める。

 

一方のリサは、空腹に耐えかねて無意識に触手を伸ばした。シュルリと伸びた触手が缶詰の中身に突き刺さり、そのままズズズと内容物を吸い上げようとする。

 

「……リサ」

 

アレクシアの声が冷たく、しかし静かに響いた。リサは動きを止める。

 

「あなたは一度野生に戻ったかもしれないけれど、今は私の同行者なのよ。そのような食事方法は、許しません。カトラリーを使いなさい」

 

差し出されたのは、セットになっていたナイフとフォークだった。

リサは不満げに唸り声を上げ、触手をくねらせた。しかしその時、脳内でインディアンの怨霊が静かに囁いた。

(……今は非常事態ではない。礼節を学ぶこともまた、戦士としての修行と思え)

 

「……ぐぅ」

 

しぶしぶ、リサは慣れない手つきでナイフとフォークを握った。

 

リサは不満げに唸り声を上げたが、差し出されたナイフとフォークを手に取ると、その指先は驚くほど迷いなく動いた。

 

正しい位置にカトラリーを据え、適切な角度で食材を切り分ける。それは今の彼女からすれば奇妙な習慣だったはずだが身体の奥底にある記憶が自然と導いていた。かつてピアノを弾き静かな家庭の中で礼節を学んでいた。断片的な教養。文字こそ認識できなくなったが体が覚えている作法だけは怪物に変えられた後も消えずに残っていた。

 

その様子を見ていたアレクシアが、わずかに眉を上げた。

 

「……あら。意外ね」

 

アレクシアの声から、先ほどまでの蔑みが少しだけ消えていた。

 

「野蛮な獣かと思っていたけれど、最低限の躾は受けていたということかしら。まあ、下僕としては及第点ね」

 

リサはアレクシアをジロリと睨みながらも、静かに食事を続けた。不自由なスカートに身を包み慣れないフォークを使いながら、彼女は自分がかつて「人間だった頃の自分」がそこにいたことをかすかに感じていた。

 

ふん、と鼻を鳴らしたアレクシアが、不満げに椅子から腰を上げた。

彼女にとって、リサが見せた程度の作法は「教養がある」のではなく、「最低限の形だけを覚えている」に過ぎなかった。

 

「やっぱり、耐えられないわ。そんなぎこちない動きで私の食事に付き合わせるなんて。今のあなたはまるで、慣れない箸を持たされた幼児のようよ」

 

アレクシアは音もなくリサの背後に回り込むと、躊躇なくその細い腕を後ろから抱え込んだ。

突然の密着にリサが肩を跳ねさせ、「う……っ」と喉を鳴らす。だが、アレクシアは構わずリサの手首を強く握りしめ、フォークを持つ角度を強引に矯正した。

 

「いい? 力を抜きなさい。道具に支配されるのではなく、あなたが道具を支配するのよ。こうして、滑らかに」

 

背後から導かれるまま、リサの腕がゆっくりと動く。

アレクシアの小さな身体が背中にぴったりと張り付き、耳元で囁かれる傲慢な声が鼓膜を震わせた。触手で敵を切り裂き、血飛沫の中でうごめいていた怪物にとって、この静寂の中にある親密さは、どんな攻撃よりも不可解で、心拍を乱すものだった。

 

「ナイフの使い方もひどいものね。手首の返しが鈍すぎるわ。優雅さとは余裕のことよ。余裕のない者に真の力は宿らない」

 

リサは困惑し視線を彷徨わせた。

自分を道具のように扱い顎で使うこの少女が今は不思議なほど丁寧に自分の腕や指先の動きを制御している。それは親切などではなく不完全なものを完璧に作り替えたいというアレクシアの支配欲の現れだったのだろう。

 

それでも背中から伝わる確かな体温と耳元で響く一定のリズムを持つ声にリサは抗うことを忘れていた。ただ静かに自分を導く小さな手の感触に意識を預けていた。

 

食事を終えたアレクシアは、満足げに口元をナプキンで拭った。その表情には、不完全な作品をある程度まで修正し終えた職人のような充足感が浮かんでいた。

 

「さて。身なりも整い、作法も最低限は叩き込んだわ。次は町へ出ましょう」

 

アレクシアが椅子から降りてリサの正面に立つ。彼女の瞳に鋭い光が宿った。

 

「いい? 町に出る前に、あなたに絶対的なルールを課すわ。まず、その不気味な唸り声を一切上げないこと。誰かに話しかけられたら、上品に、控えめに微笑みなさい。あとはすべて私に任せて、私の影として振る舞うのよ」

 

リサが「う……?」と首を傾げ、疑問の意味を込めて低く唸った瞬間、アレクシアの手が素早く伸びた。

彼女はリサの頬を強引に指で押し上げ、口角を無理やり釣り上げさせる。

 

「唸らないで! 私が言ったことが聞こえなかったの?」

 

鋭い注意に、リサはビクリと身体を震わせた。アレクシアはそのままリサの顔を固定し、鏡のように彼女の表情を調整していく。指先で頬の盛り上がりや口元の角度を確認し、最も「無害に見える少女」の形を作り上げた。

 

「いい? 相手に油断を誘いなさい。円滑に復讐を果たすには正体を隠すことは重要よ。視線一つ、仕草一つで、怪物ではなくただの儚い少女に擬態するの。……そう、私にしたみたいにね」

 

その言葉に、リサの記憶が不意に呼び覚まされた。

南極基地での戦い。あの時の自分は意識的に動きを殺していた。視線で相手を誘導し、斧を振るう動作で注意を引きつけその死角から触手を一気に突き立てた。

 

アレクシアという傲慢な天才ですら、その擬態に欺かれ気づいた時には致命的な一撃を受けたのだ。最も1番の原因は傲慢すぎて慢心したことだろう。

 

「……ふん」

 

リサは小さく鼻を鳴らした。自分の方が擬態の技術は上だと言いたかったがそれを口に出せないもどかしさが表情に出る。

 

アレクシアはそんなリサの様子を満足そうに眺めると、指をパチンと鳴らした。

 

「完璧よ。その『何も考えていない、従順な少女』という顔を覚えておきなさい」

「それからそのトマホーク。しまいなさい」

 

アレクシアの言葉にリサは即座に反応した。身体が跳ねるほど激しく拒絶し腕の中で鈍く光る骨の斧をぎゅっと握りしめる。彼女にとってこの武器は単なる道具ではなく、自らの身体の一部であり復讐を果たすための信頼できる相棒だった。

 

「だめよ。聞きなさい」

 

アレクシアが冷ややかな視線を送る。

 

「これから行くのは普通の街なのよ。ゾンビも生物兵器もいない、ただの人間たちが暮らす静かな場所。アンブレラの特殊部隊のような連中もいないわ。そんな物騒なものを剥き出しにして歩いて、何の得があるというの?」

 

リサは不満げに口を歪め、「うぅ……」と低く唸り声を上げた。復讐者としての本能が武装解除という行為に強い警戒心を抱かせていた。

 

「だから、唸らないでと言ったでしょう!」

 

鋭い叱責が飛ぶ。リサが再び抗議の唸りを上げようとしたその時、意識の底からインディアンの怨霊が静かにしかし断定的に囁いた。

(……アレクシアの言う通りだ。今は潜伏の時。擬態を覚えよ)

 

味方であるはずの怨霊にまで同意されたことにリサは呆然とした。

もう一度だけ、唸って拒否しようと喉を震わせたが、目の前にあるアレクシアの視線があまりにも強く、射抜くような威圧感を持っていたため、思わずその声を飲み込んだ。

 

(……ちっ)

 

「舌打ちもしない!」

 

再び鋭い叱責が飛ぶ。

 

言葉にはならない不満を心に溜め込みながら、リサはしぶしぶとトマホークを身体へと引き戻した。

骨の組織が皮膚の下へ潜り込み細胞と同化していく。この武器を形作るにはそれなりのエネルギーを消費するし、再生させるたびにわずかな疲労感を伴う。それをわざわざ消してまた後で作り直す手間を考えリサは心の中で深くため息をついた。

 

「いい子ね。それでこそ私の下僕よ」

 

アレクシアは満足げに微笑むと、まるでペットを褒めるかのような手つきでリサの肩を軽く叩いた。

 

指導は止まらなかった。次は歩き方だ。

 

「いい? あなたの今の歩き方は、獲物を追う獣そのものよ。重心が低すぎるし、足音が不自然に静かすぎるわ。人目があるところでは、もっと『人間らしく』歩きなさい」

 

アレクシアはリサに観察と模倣を命じると、自ら手本を見せた。

背筋を真っ直ぐに伸ばし、顎をわずかに引き、足先から流れるように体重を移動させる。生粋の名家アシュフォード家の令嬢としての所作は見事で、質素な別荘の板の間であっても、そこがレッドカーペットであるかのような錯覚を抱かせた。

 

アレクシアに促され、リサも歩き出した。

リサは観察力と模倣能力において、生物兵器としての本能的な鋭さを持っていた。一度見た動作を完璧に再現する。一歩、二歩。リサの歩調から獣のような危うさが消え、代わりにしなやかで優雅なリズムが宿った。それはかつてピアノを習い、礼儀作法を身につけていた少女時代の記憶を呼び覚ますような、自然な動きだった。

 

しかし、アレクシア基準は厳しく注意が飛ぶ。何回か歩かされるリサ、多少は満足したのかアレクシアから止まれの命令が出される。

 

「……ふん。まあ、及第点ね」

 

アレクシアは頷き、歩きの指導に区切りをつけた。だが、そこで終わりではなかった。

 

「さて。最後に確認よ。もし町で誰かに話しかけられたら、どうしなさいと言ったかしら?」

 

不意に飛んできた問いかけに、リサは一瞬だけ思考が止まった。答えを出す前に、つい癖で低く唸り声を上げそうになる。その瞬間、アレクシアの鋭い視線がリサを射抜いた。

 

「あら、忘れたのかしら?」

 

アレクシアは冷ややかな笑みを浮かべると、再びリサの頬に手を伸ばした。

先ほど教え込んだはずの「控えめな笑顔」を思い出させるため、指でグイと口角を押し上げる。物理的に形を固定され、正しい表情を強制的に再認識させられたリサは、「うぐっ」と不快そうに声を漏らした。

 

「正解は『上品に微笑む』ことよ。歩き方が完璧でも、対応が杜撰なら台無しだわ。いい? 記憶に定着させるまで何度でも修正してあげるから、しっかり覚えなさい」

 

リサは頬を押さえられながら、心の中で激しく抗議した。だが、アレクシアの指先の感触とその傲慢なまでの徹底ぶりに、今はただ従うしかないことを悟っていた。

 

アレクシアの指導は続いていた。身なり、作法、歩き方。すべてを整えたところで、彼女は最後にして最大の「擬態計画」を提示した。

 

「最も重要なことよ。人目のあるところでは私たちが姉妹であると偽装しなさい」

 

リサの眉がぴくりと動いた。姉妹? この傲慢で自分を顎で使う小娘と家族のような関係を演じろというのか。

 

「私はあなたを『リサお姉さま』と呼ぶわ。あなたは口のきけない控えめなお姉さまを演じなさい。世間的に見れば言葉に不自由がある年上の姉が聡明で活発な妹に導かれている……という構図ね」

 

リサの胸の中で激しい憤怒が渦巻いた。

(姉妹!? この女と私が!? あり得ない!)

あまりの屈辱感に喉の奥から猛烈な唸り声を爆発させようとした。しかし、その直前でアレクシアの表情を見た。

 

彼女はリサが怒りに震えていることを完全に理解していた。いや、むしろそれを心の底から楽しんでいた。アレクシアは薄く笑みを浮かべ期待に満ちた瞳でリサを見つめていた。その目は明らかにこう語っていた。『さあ、唸りなさい。そうすればまた最初から丁寧に指導してあげるわよ』と。

 

リサは絶望した。ここで声を上げればまたあの頬の矯正が始まる。歩き方の再訓練が始まる。

リサは奥歯をぎりぎりと噛みしめ、必死に唸り声を飲み込んだ。沈黙こそが唯一の防衛手段だった。

 

それを見たアレクシアは勝ち誇ったように笑った。そして、追い打ちをかけるように「姉妹としての擬態」の実践に移る。

 

「ふふっ……いい子ね、リサお姉さま」

 

突然、アレクシアが全力でリサの腰に抱きついた。小さな身体が密着し柔らかい感触が伝わる。リサの身体が岩のように硬直した。だがアレクシアは止まらない。そのまま顔をリサの胸元にすり寄せ甘えるように頭をこすりつけた。

 

「ねえ、リサお姉さま! ずっと一緒にいようね!」

 

さらにアレクシアは、リサの手を自分の小さな両手で包み込み、指を一本ずつ絡ませてしっかりと握りしめた。そのまま上目遣いでリサを見つめ、あざといほどに愛らしい表情を作る。

 

「リサお姉さま、大好きよ!」

 

そう言いながら今度はリサの腕に自分の腕を深く絡ませ身体全体を預けて密着した。まるで、世界で一番信頼している家族であるかのような完璧な演技だ。さらに、リサの肩に頭をちょこんと乗せ、甘えた声を出しながら空いた方の手でリサの服の裾をぎゅっと掴んで離さない。

 

「ねえ、聞いてる? リサお姉さま! 私がついていれば大丈夫よ、リサお姉さま!」

 

何度も、何度も。「リサお姉さま」という甘い響きの言葉が耳元で囁かれる。それは愛情などではなく、リサのプライドを丁寧に、そして確実に削り取るための精神的な拷問だった。

リサは腕の中で激しく葛藤していた。今すぐにでもこの小さな身体を放り出し、トマホークで頭をかち割りたい衝動に駆られる。だが、それでも彼女は唸らなかった。

 

(……復讐のためだ。アンブレラへの復讐のためなら、こんなこと……)

 

リサは心の中で自分に言い聞かせ必死に理性を繋ぎ止めていた。

アレクシアはリサの我慢強い様子を十分に堪能したあと、ゆっくりと身体を離した。そして最後に冷徹なまでの命令を飛ばす。

 

「さあ、仕上げよ。練習した通りに――微笑みなさい!」

 

後にアレクシアは語るそれもう最高の笑顔だったと…

 

いよいよ出発の時、アレクシアはクローゼットの奥から、もともとの持ち主が残していたであろうつばの広い帽子とサングラスを二組取り出した。

 

「いい? あなたの視線を隠さなければならないわ」

 

アレクシアはまず自分に帽子を被せサングラスを装着した。12歳の少女の顔を半分以上が覆い隠し、どこかミステリアスで都会的な雰囲気が漂う。そして、彼女はリサにも同じものを手渡した。

 

深く被った帽子のつばがリサの視界を狭め黒いレンズのサングラスがその鋭すぎる瞳を完全に遮断する。これにより生物兵器特有の異質な眼光や、ふとした瞬間に漏れる不機嫌な表情はすべて闇に葬られた。外から見れば、ただの「日差しを避けている控えめなお姉さま」であり、正体を悟らせる隙はどこにもない。

 

アレクシアは鏡に映った二人の姿を確認し、満足そうに頷いた。

 

「金目のものが一つも残っていなかったのは本当に残念だわ。せめて旅費にするための現金があればよかったのに」

 

不満げに口を尖らせたアレクシアだったが、すぐにリサの腕に再びしがみつき甘い声で囁いた。

 

「さあ、行きましょう、リサお姉さま!」

 

こうして、見た目こそ可憐な姉妹だが中身は狂気と傲慢さが同居する最悪のコンビによる町への旅路が始まった。

 

 

 

 

町でお金を調達したアレクシアは寂れた公衆電話に手を伸ばした。

彼女は迷いのない指つきで、ある複雑な番号をダイヤルする。それは世界中の注目を集める疑惑の人物であり、そしてラクーンシティの地獄を経験したものが最も忌み嫌う男――アンブレラの創業者、オズウェル・E・スペンサーへと繋がる直通回線だった。

 

しんと静まり返った空気に呼び出し音が虚しく響く。やがて、低く、冷徹な老人の声が受話器から漏れた。

 

『……誰だ。この番号はもはや誰も知らぬはずだが』

 

スペンサーの声には不快感と、わずかな困惑が混じっていた。この回線を知るものがまだ存在することに彼は驚きを禁じ得なかった。

 

「お久しぶりです、おじさま」

 

アレクシアはわざと幼い、しかし気品のある声でそう告げた。

電話の向こう側で、わずかな沈黙が流れる。スペンサーの声がかすかに震えた。

 

『……その声。まさか。君は……いや、君はとうに亡くなったと報告を受けていたはずだが』

 

「アハハっ!」

 

アレクシアは鈴を転がすような笑い声を上げた。死から戻ってきたことへの驚愕こそが今の彼女にとって最高の娯楽だった。無能な兄に最後、子守唄を歌ったかいはあったようだ。しかし、すぐにその声から感情を消し単刀直入に切り出した。

 

「よくあることですわ、おじさま。本題に入ります。……シェリー・バーキンの居場所をご存じですか?」

 

スペンサーはふむ、と短く唸った。受話器越しに彼が思考を巡らせている気配が伝わってくる。しばらくの間、重苦しい沈黙が流れた後、彼は淡々と答えた。

 

『申し訳ないが、今のところは知らないな』

 

拒絶かと思われたがスペンサーは言葉を継いだ。

 

『だが……良ければ私が調べようか。君のような「稀有な存在」がわざわざ私に連絡してきたのだ。少々の手間なら惜しまないよ』

 

アレクシアの口角が吊り上がった。獲物が罠にかかった猟師のような笑みだ。

 

「お言葉に甘えてお願いします。またこちらからおかけしますのでその時にお教えくださいませ」

 

『承知した』

 

「それでは、失礼いたしますわ。あなたのご健勝をお祈りしております、おじさま」

 

アレクシアは淑女の口調でそう告げた。心の中では、老いさらばえた男を嘲笑っていたがその声には一点の曇りもない。

 

『ああ。君の方こそ幸運に恵まれることを祈ろう』

 

スペンサーの声もまた、表面上は温和だった。だがそこにあるのは慈愛ではなく予測不能な駒が盤上に戻ってきたことへの知的好奇心と、計算高い牽制に過ぎない。

 

プツッ、という乾いた音と共に回線が切れた。

 

アレクシアはゆっくりと受話器を置くと、海岸に待たせているリサのもとに優雅に歩いていった。




「ごきげんよう」
アレクシア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けて行く。ウィルスに適合した心身を包むのは、深い色の制服。スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。私立アシュフォード女学園。ここは女王の園。清く正しい学園生活を受け継いでいく為…。
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