バイオハザード:リサ・トレヴァー 〜怨霊と血濡れのトマホーク〜   作:ai試し

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幕間3

リサは、海岸の切り立った岩の上に腰掛け、深い溜息をついた。

 

その視線の先には、エメラルド色の海に浸かり情けない声を上げながらもがいている一人の少女がいる。かつての冷酷な女王、アレクシア・アッシュフォードである。

 

現在の彼女は下半身が巨大な魚の尾びれとなった「人魚」のままだった。

 

ここ数日間、アレクシアはリサから受け継いだ(あるいは無理やり流し込まれた)ウィルスの特性を完全に制御し自力で人間の脚に戻る方法を模索していた。しかし、理論的に理解していても身体の変異を操る感覚が掴めない。

 

「ああもう! なぜできないのよ! 私の頭脳があれば、こんな簡単なウィルス操作など瞬時にできるはずなのに!」

 

アレクシアは激昂し大きな尾びれで海面をバシャバシャと叩いた。そのせいで岩の上に座っていたリサの服にまで海水が飛んだ。

 

リサはうめき声のような低い唸り声を漏らした。

(……うるさい)

 

彼女にとってこの数日間は苦行でしかなかった。もともとアンブレラへの復讐心に燃えるリサにとって、この「美少女の皮を被った傲慢な女王」の世話を焼く時間は精神的な拷問に近い。

 

だが、内なるインディアンの怨霊が彼女の殺意を静かに抑え込んでいる。

(今は耐えろ、リサ。この魂はまだ幼い。導いてやるのだ)

 

怨霊の声に促されリサは不承不承に岩から降りた。そして、海の中でジタバタしているアレクシアの元へ歩み寄る。

 

「……んぅ」

リサが短く声を出すと、アレクシアは振り返り、頬を膨らませて抗議した。

 

「邪魔よ! 今は集中しているところなのよ! 私はあなたのウィルスでも完璧にコントロールしてみせるわ!」

 

完璧という言葉にリサの眉がぴくりと動いた。

リサにとって、今の状況は「完璧」とは程遠い。ただの滑稽な魚だ。

 

リサは呆れたように鼻を鳴らすと、ゆっくりと海の中へ足を踏み入れた。水面が彼女の腰まで来るとリサはアレクシアの目の前であっさりと自身の脚を尾びれへと変形させ、滑らかに泳いで見せた。

 

「ちょっと! 今のは挑発かしら!?」

 

アレクシアの声が響く中、リサは心の中で深くため息をついた。

(……この女、本当に手がかかる)

 

「いい? リサ! あなたという人は本当に、配慮というものを知らないのかしら!」

 

アレクシアの声が再び上がった。彼女は尾びれを激しく打ち付け、海水を撒き散らしながらリサを指差した。

 

「あのアタッシュケースよ! せっかく私が厳選して詰め込んだ貴重な物資が入っていたのに! あなたが浅慮にも深く潜りすぎたせいで、水圧でぺちゃんこになったじゃない! あれがどれほどの損失か分かっているの!? 」

 

リサは海の中からゆっくりと頭を出し、無表情にアレクシアを見た。

(……またか)

 

この話は、もう何度聞いたことか分からない。数日前、移動中に起きた一度きりの事故だ。だが、自力で人魚から人間に戻れないというストレスが限界に達したとき、アレクシアは必ずこの「アタッシュケース事件」を持ち出し、八つ当たりのように延々と説教を始める。

 

それは、ここ数日間の決まったルーチンワークのようなものだった。

 

「いい? そもそもあなたがもっと丁寧に運んでいれば――」

「……んぅー」

「聞いていないわね! あなたのその野生的な直感と粗末な扱いが、私の美学に反するのよ! 次に何かを壊したら、あなたを永久に魚として海に放り出して……」

 

リサの動きは、もはや反射に近い。

 

アレクシアの説教が最高潮に達した瞬間、冷たい水飛沫と共に視界が暗転した。強い力で肩を掴まれ、海面に押し付けられる。抵抗する間もなく、熱い塊が唇を塞いだ。

 

それは接吻というよりも、捕食に近い強引さだった。リサの唇はアレクシアのそれを完全に飲み込み、拒絶する隙さえ与えない。深く、執拗に割り込んでくる舌が、口腔内の隅々までを蹂躙し、彼女の呼吸を、言葉を、そして矜持までも奪い去っていく。

 

「ん……っ! んぅ……!」

 

アレクシアはもがき、リサの胸元を押し返そうとするが、その指先から力はなすすべもなく抜けていく。肺の中の酸素が尽きかけ、意識が朦朧とし始めたとき、唇を通じて「それ」が流れ込んできた。

 

灼けるようなウィルスの奔流だ。

接吻という唯一の回路を通って、リサの強大な生命力がアレクシアの神経系へと直接注ぎ込まれる。それは快楽よりも鋭い刺激となり、脊髄を駆け上がり、脳髄を真っ白に染め上げた。唾液と混ざり合ったウィルスが喉の奥まで浸透し、生物としての境界線が溶け合う感覚に、アレクシアは抗うことを忘れ、ただリサの深い接吻に身を委ねることしかできなくなった。

 

絡み合う舌から伝わるのは、言葉にならない狂気。

リサは貪るように、アレクシアの口内にあるすべてを吸い尽くそうとするかのように深く、何度も、執拗に口づけを繰り返す。意識が遠のき、快楽と苦痛の区別がつかなくなった頃、二人の結合は最高潮に達した。

 

その濃密な結合が続くなか、幻想的な変容が始まった。

 

二人の唇が離れないまま、海中に真珠色の光が滲み出す。

アレクシアの下半身を覆っていた銀色の鱗が、接吻の熱に呼応するように淡く発光し始めた。水中で小さな気泡が宝石のように舞い上がり、彼女の尾びれを優しく包み込む。

 

リサがさらに深く、肺の中の空気をすべて奪うほどの力で口づけを深めると、その光は最高潮に達した。

鱗の一枚一枚が透き通った粒子へと変わり、溶けるようにして形を変えていく。銀色の尾はしなやかに収束し、水流に身を任せて白く滑らかな人間の肢体へと再構成されていく。

 

意識が遠のくほどの快感と、身体が作り変えられる異様な感覚。

アレクシアはリサの首にしがみつき、肺いっぱいに溜まった熱い吐息を共有し合いながら、ゆっくりと、確実に「人間」へと戻っていった。

 

やがてリサがゆっくりと唇を離したとき、そこには濡れた肢体を晒して立ち尽くすアレクシアがいた。

 

「……っ!!」

 

アレクシアは激しく咳き込み、乱れた呼吸を整えながら、真っ赤な顔でリサを睨みつけた。その瞳には熱などなく、純粋な不快感と屈辱である。

 

「この野蛮女……! 何度言えばわかるのよ! この下品なやり方を今すぐやめなさい!」

 

彼女は濡れた髪を乱暴にかき上げ、忌々しげに自分の脚を確認した。

ここ数日、毎日のように繰り返されるこの儀式。アレクシアにとってそれは救済ではなく、プライドをズタズタにされる屈辱的な時間でしかなかった。

 

リサはそんな彼女の怒声をBGM代わりに、満足げに鼻を鳴らして陸地に上がった。

 

アレクシアは濡れたドレスを気にすることもなく、自信に満ちた足取りで山奥へと突き進んでいった。その後ろを、リサはうんざりした表情でついていく。

 

(……どこへ行くつもりだ)

 

リサにとって、この山道はただの移動に過ぎないが、アレクシアにとっては何か崇高な目的があるらしい。彼女は時折立ち止まっては、まるで領地を視察する女王のように周囲を見渡し、満足げな笑みを浮かべていた。

 

やがて辿り着いたのは、人里離れた場所にある小さな果樹園のような場所だった。手入れされた木々が並び、静寂に包まれている。

そこでアレクシアは突然、パッと顔を輝かせた。そのあまりに純粋な歓喜の表情に、リサは困惑し、首をかしげる。

 

「ふふ……アハハッ!やっと見つけたわ!」

 

アレクシアが何をそんなに喜んでいるのか、リサにはさっぱり分からなかった。ただ、その瞳にはある種の執念のような光が宿っている。

 

「いい? リサ。ここは果樹園ではないわ。ここにあるのは『養蚕場』よ」

 

(……ようさんば?)

 

リサの脳裏に浮かんだのは疑問だけだった。そんな養蚕場という産業についての知識はない。ただ、木を利用して何かをするのかはわかる、それがなぜこの状況で嬉しいのか。

 

「ここで待っていなさい。野蛮なあなたと一緒に動くと目立つわ」

 

アレクシアにそう命令され、リサは不満げに鼻を鳴らしながらも、指定された場所でじっと待機することになった。時折、茂みから顔を出す小動物を睨みつけながら、彼女は退屈さに耐えていた。

 

しばらくして、建物に忍び込んでいたであろうアレクシアが戻ってきた。その手には、白く丸い「繭」が1つ大切そうに抱えられていた。

 

「見て、リサ! これよ! これがあれば、最高級の絹を手に入れられるわ」

 

リサは呆然としながら、その小さな白い塊を見た。

アンブレラの施設で、命を狙われる可能性もありながら、わざわざ15年も眠り、やっと世界を滅ぼしかねない力を得た怪物の身体で、「絹が欲しい」などという願いを聞かされる。この状況のシュールさに、リサは思わず溜息をついた。

 

だが、アレクシアの情熱は止まらない。彼女はさらに周囲を見渡し、養蚕に不可欠な桑の葉を、手際よくむしり取り始めた。

 

「素材さえ揃えば、あとは私の知識があるわ。最高に優雅な服を作り出し、この不潔な格好から脱却してあげる」

 

アレクシアは回収した繭と葉っぱを抱え、満足げに微笑んだ。そして彼女は再び方向を変え、さらに人目を避けるような、深い山の中へとリサを促した。

 

(……本当に、変な女だ)

 

リサは心の中でそう呟きながらも、その小さな背中を守るようにして、静かに後に続いた。

 

山奥の人気のない場所に辿り着くと、アレクシアは手に入れた繭と桑の葉を丁寧に並べた。

 

彼女はふっと不敵な笑みを浮かべると、指先から細い触手を伸ばした。その触手が白い繭に深く突き刺さる。リサは横でそれを見つめていた。そこで起きたのは生物学的な蹂躙だった。

 

アレクシアの体内に宿るベロニカウィルスが、触手を通じて蚕へと浸透していく。それは単なる寄生ではなく、強制的な書き換えだった。蚕のDNA情報を瞬時に読み取り、自身の支配下に置く。同時に、傍らにあった桑の葉にも触手を走らせ、植物としての特性までもに取り込んでいった。

 

数分後、繭から変態したばかりの小さな虫は、もはや自然界の生物ではなかった。虫はアレクシアの一挙手一投足に反応し、まるで忠実な騎士のように彼女の周囲を漂い始めた。

 

「ふふ……完璧だわ」

 

アレクシアは満足げに呟いた。そして、視線をリサに向ける。その表情は相変わらず尊大で、顎を上げたままだったが、言葉にはわずかな変化があった。

 

「……まあ、あなたのおかげよ。今の私は気分がいいから特別に褒めてあげるわ」

 

(……んぅ?)

 

リサは怪訝そうに首をかしげた。何を言っているのか。

 

アレクシアは心の中で快哉を叫んでいた。

本来、彼女が作り出したベロニカウィルスによる支配は、設計段階で組み込んだ「女王アリ」と一部の植物に限定されていた。それ以外の生物を制御し、下僕にするのは設計上、出来ないはずだった。

 

しかし、今は違う。リサとの結合——あの強力な触手攻撃とその後の治療、接吻を通じて流れ込んできたリサのウィルス、そのGやTといった複数のウィルスが融合したハイブリッドな特性が、アレクシアのベロニカウィルスを「進化」させていた。

 

後付けで他者のDNAを取り込み、自らの支配下に置く。それにより大幅に利便性が向上した。

 

(今のところは虫と植物までだけれど……)

 

アレクシアは心の中で密かに付け足した。

だが、このまま進化を続ければ、いずれはこの世界のあらゆる生命体を支配下に置くことができるかもしれない。人間も、怪物も、すべてが彼女に跪く女王の下僕となる。

 

(ふふふ、いつかすべての頂点に君臨して見せるわ)

 

もちろん、そんな野望をリサに教える必要はない。

アレクシアは再び傲慢な表情に戻り、指先で舞い踊る蚕を眺めながら、不敵に微笑んだ。

 

「いい? リサ。見ていなさい。この世界の最高級の絹を、私の身体から直接紡ぎ出してみせるわ」

 

アレクシアは意気揚々と宣言した。彼女は自らの指先から、白く光り輝く極細の絹糸を直接生成し始めた。DNAを取り込んだベロニカウィルスの力により、彼女自身が「究極の蚕」へと変貌していたのだ。

 

しかし、現実はそう簡単ではなかった。

アレクシアはまず手袋を作ろうと試みたが、指先の複雑な形状を再現することに激しく苦戦していた。糸の密度や編み込み方を理論的に理解していても、それを身体機能として出力させるには精緻な制御が必要だった。

 

「……っ! なぜ指の部分だけうまく収まらないのよ! この程度の造形、私の知能があれば瞬時に完了できるはずなのに!」

 

アレクシアは苛立ちからか、指先で糸をぐちゃぐちゃに絡ませてしまい、何度もやり直していた。その姿は、完璧を求めるあまり空回りしている子供のように見えた。

 

リサはしばらくの間、その様子をぼんやりと眺めていた。

(……暇だ)

 

退屈に耐えかねたリサは、ふと思い立って傍らにあった桑の葉を一枚手に取り、口に放り込んだ。

 

「もぐ……んぐ……」

 

瞬間、顔が歪んだ。

猛烈に苦く、青臭い味が口いっぱいに広がった。リサは激しく顔をしかめ、ぺっとと葉っぱを吐き出した。

 

(……まずい)

 

そんなリサの反応など気にも留めていないアレクシアは、相変わらず「指先の曲線」に絶望し、もがいていた。その姿を見ているうちに、リサの中である種の同情心(あるいは単なる飽き)が芽生えた。

 

(……貸してみろ)

 

リサはゆっくりと手を伸ばした。

彼女の指先から、鞭のように鋭い触手が射出される。それはアレクシアの周囲を舞っていた、眷属となった蚕の成虫を一匹、正確に捕らえた。

 

「ちょっ! リサ! 何をするのよ!」

 

アレクシアが叫ぶが、リサは構わずその成虫を自身の皮膚へと密着させた。

リサの体内で渦巻く始祖ウィルス、G、T、そしてベロニカの複合体が、獲物を飲み込むように蚕のDNAを急速に吸収していく。

 

「いい? リサ。見ていなさい。この世界の最高級の絹を、私の身体から直接紡ぎ出してみせるわ」

 

アレクシアは意気揚々と宣言した。彼女は自らの指先から、白く光り輝く極細の絹糸を直接生成し始めた。DNAを取り込んだベロニカウィルスの力により、彼女自身が「究極の蚕」へと変貌していたのだ。

 

しかし、現実はそう簡単ではなかった。

アレクシアはまず手袋を作ろうと試みたが、指先の形状を再現することに激しく苦戦していた。糸の密度や編み込み方を理論的に理解していても、それを身体機能として出力させるには精緻な制御が必要だった。

 

「……っ! なぜ指の部分だけうまく収まらないのよ! この程度の造形、私の頭脳があれば瞬時に完了できるはずなのに!」

 

アレクシアは苛立ちからか、指先で糸をぐちゃぐちゃに絡ませてしまい、何度もやり直していた。その姿は、完璧を求めるあまり空回りしている子供のように見えた。

 

リサはしばらくの間、その様子をぼんやりと眺めていた。

(……暇だ)

 

退屈に耐えかねたリサは、ふと思い立って傍らにあった桑の葉を一枚手に取り、口に放り込んだ。

 

「もぐ……んぐ……」

 

瞬間、顔が歪んだ。

猛烈に苦く、青臭い味が口いっぱいに広がった。リサは激しく顔をしかめ、ぺっとと葉っぱを吐き出した。

 

(……まずい)

 

そんなリサの反応など気にも留めていないアレクシアは、相変わらず「指先の曲線」に絶望し、もがいていた。その姿を見ているうちに、リサの中である種の同情心と飽きが芽生えた。

 

(……貸してみろ)

 

リサはゆっくりと手を伸ばした。

彼女の指先から、鞭のように鋭い触手が射出される。それはアレクシアの周囲を舞っていた、眷属となった蚕の成虫を正確に捕らえた。

 

「ちょっと! リサ! 何をするのよ!」

 

アレクシアが叱るが、リサは構わずその成虫を自身の皮膚へと密着させた。

リサの体内で渦巻く始祖ウィルス、G、T、そしてベロニカの複合体が、獲物を飲み込むように蚕のDNAを急速に吸収していく。

 

リサは吸収したDNA情報を瞬時に再構築した。

 

彼女にはアレクシアのような「理論的な設計図」はない。だが、そこにあるのは生存本能に基づいた適応力だ。「形」ではなく「機能」として、絹糸をどう操れば指先の形になるか。その答えは、ウィルスが細胞レベルで導き出した。

 

リサは静かに触手をかざした。

触手から、純白の光沢を放つ極細の絹糸が噴い出し、まるで生き物のようにアレクシアの腕を模して編み上がっていく。指の一本一本に完璧に密着し、手首から肘までを優雅に覆う、芸術的なまでに精緻な長手袋。

 

わずか数分のことだった。

 

「……っ!!」

 

アレクシアは絶句した。

自分が1時間かけても成し得なかった「精巧な指先の曲線」が、そこには完璧に再現されていた。あまりの出来栄えに、彼女は唇を強く噛みしめ、悔しさと羨望で顔を歪ませた。

 

しかし、女王としてのプライドが彼女を突き動かす。アレクシアはすぐに表情を切り替え、不自然なほど高慢な笑みを浮かべて言い放った。

 

「ふふ……いい出来ね。まあ、私のやり方を見たからこそ、あなたのような野蛮女でも形になったのでしょう。さあ、女王である私への献上品として、速やかにそれを差し出しなさい」

 

白々しい言葉だった。

だがリサは動かない。手袋を持ち上げ、アレクシアへよく見えるようにする。しかし、渡す気配は全くない。

 

リサは無表情に、だが鋭い視線でアレクシアを見た。その瞳が雄弁に語っていた。

(……言い方があるだろう)

 

リサの意思は明確だった。「礼を言え」。さもなければこの手袋は自分のものだ、と。

 

アレクシアの顔が真っ赤に染まる。唇からは、あまりに強く噛みしめすぎたせいで、わずかに血が滲んでいた。彼女にとって、下僕同然のリサに感謝を伝えることは、屈辱的なことだった。

 

だが、目の前の見事な絹の手袋が、彼女の所有欲を上回った。

アレクシアは喉の奥で激しく葛藤し、絞り出すような声で言った。

 

「……ありが、とう」

 

蚊の鳴くような小さな声だった。だが、リサには十分聞こえていた。

 

リサは満足げに鼻を鳴らすと、ようやく手袋をアレクシアへと投げ渡した。

アレクシアがそれをひっ掴み、うっとりと自分の腕に装着している。

 

(……まあいいか)

 

リサは再び触手を動かし、今度は反対の手のための手袋を編み始める、それはすぐに出来上がり無造作に彼女の膝の上に置いた。

 

アレクシアは、自分の腕を包み込む絹の感触にうっとりと目を細めていた。生物兵器として進化した身体から紡ぎ出された絹は、人間が作るどんな最高級品よりも滑らかで、しなやかだった。

 

しかし、その陶酔は長くは続かない。女王としての欲求は止まることを知らなかった。

彼女は不意に顔を上げ、尊大な表情でリサに命じた。

 

「いい? リサ。手袋だけでは不十分よ。服一式……それから下着、ストッキング、そしてガーターベルトまで。すべて作りなさい」

 

(……っ!)

リサは大きく溜息をついた。もはや自分は生物兵器ではなく、専属の仕立屋に成り下がったのではないかと錯覚する。だが、内なる怨霊が「まあいいではないか」と宥めるため、リサは渋々ながらも再び触手を動かし始めた。

 

一方で、アレクシア自身もまた、指先から絹糸を紡ぎ出していた。

彼女はプライドが高い。便利な道具としてリサに頼りたい気持ちはあるが、完全に依存し、自分では何も作れない状態になることは、女王としての矜持が許さないのだろう。

 

「見ていなさい。いずれはあなた以上の精緻さを身につけてみせるわ」

 

そう言いながらも、アレクシアの指先からは相変わらず不格好な糸の塊が出来上がっている。

 

リサはそれを無視し、記憶の中にあるアレクシアが南極基地で着用していた衣装を模して作成していった。複雑な構造のドレス、肌に密着するストッキング。絹という素材の特性を最大限に活かし、身体のラインを美しく見せるカットへと調整していく。

 

やがて、一揃いの白い衣服が出来上がった。

リサはそれをまとめてアレクシアの方へ放り出した。

 

「……んぅ」

(ほら、できたぞ)

 

それは元の衣装に比べれば装飾こそ少ない簡易的なものだったが、機能性と美しさは十分だった。

 

アレクシアはゆっくりと服に袖を通していく。彼女は満足げな笑みを浮かべた。鏡などなくても、今の自分が美しい女王であることは分かっていた。

 

「ふん……まあ、及第点ね。簡易的な作りだけれど、私の美しさがそれを補っているわ」

 

アレクシアはわざとらしく顎を上げたが、その瞳には明らかな喜びが宿っていた。しかし、それでも彼女は文句を言うことを忘れなかった。

 

「ただ! 色が一色なのが不満ね。白ばかりでは単調だわ。本来ならもっと気品のある配色にするべきよ」

 

リサはもう答えるのも面倒になり、空を見上げて深いため息をついた。

(……色は自分でなんとかしろ)

 

そんなリサの内心を察したのか、アレクシアは不機嫌そうに唇を尖らせながらも、新しい服の裾を丁寧に整えていた。

 

 

衣服一式を都度作成できるようになったことで、アレクシアの機嫌は劇的に改善した。

彼女にとって「美しくあること」は重要なことだったのか、あるいは不潔な格好で過ごしていた数日間は耐え難い屈辱だったのだろう。

 

その後もアレクシアの先導により素材を調達した、ゴムの木と綿花、ついでに染料になりそうな植物である。

探索はすぐ終わりアレクシアも用はすんだのか、さっさと北米に行けと命令するだけであった。

 

北米への旅の道中、アレクシアは驚くべき速度で「縫製」を習得していった。

リサから学んだ感覚的な構築法に、自身の天才的な理論を掛け合わせた彼女は、やがて自分一人でも簡単な衣服を作成できるまでになった。失いかけた天才少女としての面目を保つことができ、彼女の傲慢さはさらに加速した。

 

しかし、唯一解決できない問題があった。

どれだけ練習しても、アレクシアは自力で「人魚への変態」ができなかったのだ。

 

(……おかしいわね)

 

海に入るたびに、リサに強引なディープキスをされて形態を変えてもらう屈辱。アレクシアは分析した。

(植物や昆虫のDNAを取り込むことはできたけれど、脊椎動物としての大規模な構造変化を制御するには、まだリサのウィルスの補助が必要なのね。私のベロニカウィルスは、やはり複雑な個体変異よりも、支配と寄生に特化しすぎているのかしら)

 

結論として、彼女は「自分は高貴すぎて動物的な変態などという泥臭い真似が苦手なのだ」という都合の良い解釈で納得することにした。

当然後でもっと詳しく調べるが。

 

そうして数日後。

深海を進み、猛烈な速度で泳ぐ二体の生物兵器は、ついに北アメリカ大陸へと再上陸を果たした。

 

足を踏み出したのは、かつての処刑場があった場所から遠く離れた海岸線だ。濡れた肢体を晒しながらも、アレクシアは新調した白い絹のドレスを翻し、不敵に微笑んだ。

 

「さて……まずはあの子を回収しに行かなくてはね」

 

リサが唯一心を開き、そして今も深い執着を持って守っている少女――シェリー・バーキン。

アンブレラの残党やコネクションの影が潜むこの大陸で、二人の怪物は静かに、だが確実に目的へと向けて歩き出した。

 

 

 

 

北米大陸へ向けて海を渡る前、アレクシアは再び一台の電話機を確保し、あの番号へとダイヤルした。

 

受話器から聞こえてくるのは、相変わらず落ち着き払った、老獪な男の声だった。

 

『おや。君か』

 

「ええ。お久しぶりですわ、おじさま」

 

アレクシアは淑女の微笑みを声に乗せて応えた。表面上は親愛に満ちた、和やかな挨拶。だがその内側では、互いが相手の喉元にナイフを突き立てているかのような、不穏な空気が渦巻いていた。

 

「早速ですが、先日お願いしていた件……教えていただけますかしら」

 

スペンサーはふむ、と短く唸った。

『ああ。調べておいたよ。……』

 

アレクシアは静かに耳を傾け、彼が告げる座標と情報を記憶に刻み込んだ。目的の情報は得られた。だが、スペンサーはそこで話を切り上げなかった。

 

『それから……まあ、老人のお節介かもしれないが、付け加えておこう』

 

「あら」

 

『君が行こうとしているところには、いくつか忘れ物がある。慌てて引っ越したからね、君ならよく知っているだろう?思い出の場所というやつだ』

 

アレクシアの瞳に鋭い光が宿った。

随分ぼかされているが放棄された施設の物資か何かだろう、スペンサーが親切心で教えたはずはない。彼にとってこれは、アレクシアという予測不能な駒を特定の場所に誘導し、監視下に置くための罠か、あるいは単なる興味本位の実験に過ぎないだろう。

 

だが、今の彼女には好都合だった。

 

「ふふ……まあ、おじさまの慈悲深さには恐れ入りますわ。心から感謝いたします」

 

白々しいほどの感謝の言葉を口にする。声だけは完璧な、愛らしい姪としての響きだった。

 

『ふむ。君が幸運に恵まれることを祈っているよ』

「私も、おじさまのご健勝をお祈りしておりますわ」

 

互いの無事を表面上だけ祈り合い、冷ややかな礼儀を尽くして回線は切れた。

 

受話器を置いたアレクシアの表情から、淑女の仮面が剥がれ落ちる。

彼女は海で待たせているリサのもとに再び歩いていく。




オリジナルのT-ベロニカウィルスの設定、よくわからん
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