バイオハザード:リサ・トレヴァー 〜怨霊と血濡れのトマホーク〜 作:ai試し
十分な休息を取り、二人は家を出る準備を始めた。
静まり返った室内には、時折遠くから聞こえる絶叫や爆発音が響いているが、今の彼女たちにはこのささやかな静寂が唯一の避難所だった。
シェリーは身だしなみを整えながら、隣に立つリサに真剣な表情で語りかけた。
「いい、リサ。外に出たら、絶対に油断しないで」
リサはぼーっとした様子でシェリーを見つめているが、その耳はしっかりと言葉を拾っていた。
「化け物も怖いけど……人間こそが一番危険なの。特に私たちみたいに、弱く見える人間は狙われやすいから。誰に出会っても、まずは疑って。なるべく静かに、目立たないように移動しましょう」
シェリーの言葉には、親に放置され、大人の身勝手な都合でこの地獄に放り出された少女特有の、冷めた現実主義が混じっていた。リサは答えず、ただ小さく鼻を鳴らした。彼女にとって「人間」という概念は、もはや自分を地獄に落とした人間か、あるいは今隣にいるような無害な人間かのどちらかであった。
出発しようとしたその時、シェリーがふと思い出したように足を止めた。
「あ! そうだ。一番重要なことを忘れてたわ」
シェリーは、リサの足元で忠実に控えている、赤茶色の体毛を持つ大型犬に視線を向けた。ウィルスによって強化されたその犬は、鋭い眼光を放ちながらも、シェリーに対してだけは穏やかな様子を見せている。
「この子に名前をつけない? 名前がないと呼びにくいし……それに、家族みたいに大切にするから名前が必要だと思うの」
リサは心底どうでもいいという顔をした。名付けなどという人間的な儀式に興味はない。しかし、シェリーが期待に満ちた目で自分を見ていることに気づき、適当にうなずいて見せた。
「……じゃあ、『レッド』にするね! 体の色が少し赤っぽいから」
シェリーは満足そうに微笑むと、犬の頭を優しく撫でた。
「レッド、よろしくね。私たちのこと、守ってね」
リサはそんな光景を冷ややかに眺めていたが、内なる怨霊は「この少女の純粋さが、お前の魂を浄化する鍵となる」と静かに囁いていた。
リサは何も言わず、無造作に斧を肩に担ぎ、ゆっくりと玄関のドアを開けた。外には再び、血と硝煙の匂いが立ち込める地獄が広がっている。
「レッド、行こう!」
嬉しそうに話しかけるシェリーの声に導かれ、リサは静かにその背中を追い、ラクーンシティの闇へと足を踏み出した。
街の風景はまったく変わらず絶望に塗り潰されていた。ひっくり返った車、散乱した荷物、そしてあちこちに転がる死体。
リサとシェリー、そしてレッドの三者は、建物の影から影へと飛び移るように慎重に前進していた。
「……いい感じよ、リサ。このまま静かに行きましょう」
シェリーが小声で囁く。彼女の忠告通り、目立つ行動を避け、呼吸さえも抑えて移動する。リサは無機質な視線で周囲を警戒していたが、その意識の深層ではインディアンの怨霊が低く、重い声で語りかけていた。
(……リサよ、強さとはただ破壊することにあらず。気配を消し、闇に溶け込む術を心得よ。真の狩人は、獲物に気づかれぬうちに喉元へ至るものだ)
リサは静かに頷いた。かつての彼女はただ暴走する怪物であったが、今は怨霊の導きにより、「観察」と「分析」という戦士の作法を学びつつあった。
その時、前方から不気味な音が聞こえてきた。
カチッ……カチッ……
濡れた肉がアスファルトに張り付くような音。そして、空気を震わせる低い唸り声。
リサは足を止め、鋭い視線で上方の壁を見上げた。そこには、皮膚が剥がれ落ち、巨大な脳と長い舌を剥き出しにした怪物――リッカーが張り付いていた。
(……速い。あの速度なら、複数で不意に襲われた場合、シェリーを守りきれない可能性がある)
リサは判断した。あえてこの怪物を誘い出し、その能力を測るべきだと。
彼女は身振り手振りでシェリーに指示を出し、近くのゴミ収集庫の陰に隠れるよう促した。そしてレッドをシェリーの傍らに配置し、護衛として残す。
リサはあえてリッカーから見える位置に出ると、わざと足音を立てて歩いた。
獲物を察知したリッカーが、壁を滑るようにして急速に接近してくる。
(まずは間合いだ……)
リサは攻撃せず、相手の動きをじっと観察する。すると突然、鞭のような長い舌が高速でリサの顔面へと突き出された。
リサは咄嗟に身を引く。
(……っ! リーチが想定以上に長い。直線的な攻撃だが、速度は中々だ)
リサはすぐに距離を取り直した。次の一撃が来る。今度は足元を狙った低空からの舌撃。リサはそれを軽く跳ね上げたが、その瞬間、リッカーが壁から飛び降りて背後に回り込もうとする。
(聴覚に頼っているのか? それとも振動か?)
リサはわざと地面を強く踏み鳴らした。するとリッカーの頭部が鋭く反応し、音の方へと意識が向く。その隙に横へ回り込み、軽く斧の腹で叩いてみた。
リッカーは即座に回避し、同時に再び舌を放つ。
(なるほど。音への反応は極めて高いが、視覚はほぼ機能していない。そしてこの舌による奇襲こそが最大の武器か?)
分析は完了した。これ以上時間をかけるのは無駄だ。
リサは低く身を構えると、わざと大きく足を踏み出し、リッカーの注意を一点に集中させた。
リッカーが確信を持って舌を突き出した瞬間、リサは最小限の動きでそれを回避し、懐へと滑り込む。
視覚を持たぬ怪物は、自分の至近距離まで潜り込まれたことに気づくのが遅れた。
リサは血が服に飛ぶのを避けるため、あえて深く腰を落とし、下から上へ突き上げるように斧を振るった。
ズガァッ!
正確に頸椎を破砕する。
リッカーは悲鳴を上げる間もなく、どさりと地面に崩れ落ちた。
「……ふぅ」
リサは衣服に返り血がかかっていないことを確認し、静かに斧を肩に戻した。
隠れていたシェリーが恐る恐る顔を出す。そこには、先ほどまで脅威だった怪物が、リサの冷静な計算によって処理された後だった。
(……実力は測った。次はもっと強いやるが出るだろうか)
リサは無表情のままシェリーに歩み寄り、再び警察署への道を指し示した。その瞳には、ただの狂気ではなく、着実に積み上げられた「戦士としての経験」が宿り始めていた。
リッカーとの戦いが終わり、静寂が戻った路上で、シェリーは慌ててリサに駆け寄った。
「リサ! 大丈夫? どこか怪我してない?」
シェリーはリサの手を取り、腕や肩をくまなくチェックし始めた。リサはされるがままになっていたが、内心では激しい困惑に襲われていた。
(……なぜだ? 私の身体は再生する。あんな弱い化け物に傷つけられるはずもない)
自分には理解できない「心配」という感情。しかし、シェリーの小さな手が震えながらも自分を確認しているその温かさに、リサは拒絶することなく身を任せていた。
再び警察署を目指し、二人は建物の影や瓦礫の間を縫うように進む。
だが、ある路地の角に差し掛かったとき、リサの身体に異変が起きた。
(……誰かいる)
それは視覚によるものではなかった。始祖ウィルスとT・Gウイルスの複合的な感覚に加え、身体に宿った怨霊の力が共鳴していた。壁の向こう側、古びた商店の倉庫のような場所に、一人の人間が潜んでいる。
リサは足を止めると、シェリーに向かって指をさし、その後で自分と相手を示すような身振り手振りを交えて伝えた。
「……え? あそこに誰かいるの?」
シェリーは驚いて辺りを見回したが、外からは誰も見えない。
(人間が生き残っている!?)
喜びが先にあったが、すぐに不安がそれを上書きした。この街で生き延びている者が、果たして正気であるとは限らない。あるいは、リサのような怪物に襲われることを恐れているのかもしれない。
「どうしよう……いきなり声をかけて驚かせてしまったら危ないし、かといって放っておくのも……」
悩むシェリーだったが、ふと足元のレッドに目を向けた。
「ねえ、リサ。レッドを使ってみない?」
シェリーは提案した。
「まずレッドを先に近づけてみるの。もしその人がレッドを優しく受け入れてくれたら、人間だと信じて接触して情報収集をする。でも、もしレッドを攻撃したり、怖がって追い払ったりするなら……その人は警戒心が強すぎるか、正気じゃないかもしれない。その時は気づかれないように先に行くわ」
リサにとって、見ず知らずの生存者の処遇などどうでもいいことだった。しかし、シェリーがそうしたいと言うのであれば、それに従う分には構わない。
リサは面倒そうに、だが肯定の意味を込めて小さく頷いた。
「よし、レッド。お願いね」
シェリーの指示を受けたレッドが、音もなく闇の中へと忍び寄っていく。
レッドが建物へと消えた後、シェリーは壁に耳を押し当て、内部の様子を慎重に伺っていた。隣に立つリサは、退屈そうに斧の手入れをしているが、その鋭い感覚は室内のすべてを把握していた。
静寂の中、突然、男性の荒い声が響いた。
「うわああ! ゾンビ犬か!!」
シェリーがびくりと肩を揺らした瞬間、激しい格闘音ではなく、奇妙な沈黙が訪れた。
続いて聞こえてきたのは、深く長い、安堵のため息だった。
「……ふぅ。びっくりさせやがって。……なんだ、お前。ただの犬か? それにこの落ち着いた様子……感染してないな」
リサは、室内の男性がレッドの体を確認し噛まれた跡がないか検分している気配を察知した。そしてさらに意外な言葉が聞こえてくる。
「腹減ってるだろ。……おい、ドッグフード食うか? 運良く在庫があったんだ」
ガサゴソと袋を開ける音と器にカリカリとした餌を盛り付ける音が漏れ聞こえてきた。レッドはそれを喜んで食べているのだろう。
シェリーの顔に、パッと明るい表情が戻った。
(この人は……優しい人だわ)
この地獄のような街で見ず知らずの犬に餌を与える余裕を持つ人間。そんな人物が危険である可能性は低いだろうとシェリーは決断し、緊張した面持ちで外から声をかけた。
「あの! すみません! 中に誰かいますか? 入ってもいいでしょうか……?」
室内から椅子を蹴飛ばすような音がして男性が慌てて窓際に近づく気配がした。
「なんだ!? 子供か!? こんなところで、おまけに女の子一人でか?……正気か!?」
驚愕に満ちた声だった。この街で子供が単独で歩いているなど彼にとって信じられない出来事だったのだろう。だがその声には明確な拒絶はなく、むしろ心配だという強い意志が込められていた。
「おい、早くしろ! 外にいたらすぐに化け物に食われるぞ! さっさと中に入れ!」
急かすような言葉だったが、そこには不器用な優しさが滲んでいた。
シェリーはリサの方を向き、「大丈夫そうよ」と微笑んだ。
リサは相変わらず無表情だったがゆっくりと歩き出し、シェリーと共に運命の出会いが待つ建物の中へと足を踏み入れた。
建物の中に入ると、そこには身なりこそ汚れているが、鋭い眼光を持った一人の男性が立っていた。彼は警戒しながらも、入ってきた少女たちに視線を向けた。
その瞬間だった。
それまで感情の欠落した人形のように無表情だったリサが、目を見開き、激しく震え出した。彼女は弾かれたように男へと歩み寄り、その胸ぐらを掴むかのようにして、大粒の涙をボロボロと流し始めた。
「……っ!?」
男性は当惑し、たじろいだ。
「どうしたんだ!? 俺は君のことなんて知らないぞ!」
傍らで見ていたシェリーも驚き、慌てて問いかける。
「リサ? この人は知り合いなの?」
だが、答えを返したのはリサの口から出た「声」ではなかった。
閉め切られた室内であるはずなのに、突如として激しい風が巻き起こった。小物が舞い上がり、窓ガラスがガタガタと鳴る。そして、リサの口から「声」が漏れ出した。
それはリサ自身の声ではなかった。一人の人間ではなく、何十人、何百人という男女老若あらゆる人々が同時に同じ言葉を紡いでいるような、重層的で荘厳な合唱のような声だった。
『……見つけた。我が血を引く者よ』
男性は雷に打たれたように硬直した。その声に含まれる深い哀しみと誇りに、本能的に心臓が激しく鼓動し始めたからだ。
『この娘……リサ・トレヴァーという魂は、あまりにも残酷な運命に翻弄された』
風が渦巻き、リサの記憶が断片的なイメージとなって室内に具現化していく。アンブレラによる非道な人体実験、絶望の中で怪物へと変えられた日々、そして崖から落ちた先で出会った、かつての処刑場に眠る先住民たちの怨念。
『彼女は我らと同じく、力ある横暴なものたちに全てを奪われた。アンブレラ、アングロサクソン、ヒスパニック……大地を汚し、調和を乱した者たちへの憎しみだけが、今の彼女を繋ぎ止めている』
声はリサの絶望的な過去を語り、彼女が単なる怪物ではなく、あまりにも悲劇的な運命を背負わされた少女であることを明かした。男性は涙ぐみながら、目の前の少女――自分たちの先祖と同じ痛みを抱えた存在に手を伸ばそうとした。
『我が血の後継者よ。そしてシェリーよ』
風が凪ぎ、声は静かにだが切実に二人に語りかけた。
『この娘の狂気は深い。だが彼女を孤独に戻してはならない。どうか彼女の心に寄り添い彼女を守ってやってくれ。復讐の果てに彼女が再び人間としての安らぎを得られるように』
声が消えると同時に、嵐のような現象は嘘のように収まった。
シェリーと男性は顔を見合わせた。二人の表情には、共通して「今の出来事は現実だったのか」という強烈な疑念と困惑が浮かんでいた。
「……あなたも、見えたし、聞こえましたよね?」
シェリーが震える声で尋ねると、男性は深く頷いた。
「ああ。夢じゃない。あんな不気味で、それでいて悲しい声は人生で一度も聞いたことがない」
二人はお互いの存在を確認するように視線を交わした。物理的な現象――室内に巻き起こった突風や、リサの口から出た不気味な声――は、それが単なる幻覚ではないことを証明していた。
シェリーはゆっくりと呼吸を整え、先ほど「声」が語っていた情報を整理し始めた。
(リサ・トレヴァー……アンブレラの実験体だったこと。処刑場に落ちて先住民の怨霊に出会ったこと。そして、彼女の憎しみの矛先がアンブレラだけでなく、征服者のアングロサクソンとヒスパニックに向けられていること……)
あまりにも膨大な情報量だったが、共通していたのはリサという少女が、救いようのない地獄を歩んできたということだ。シェリーは改めて、目の前の男性を見た。
「あの……あなたは、本当に先住民の方の子孫なんですか?」
男性は静かに肯定した。
「ああ。そうだ」
その言葉を聞いた瞬間、シェリーの記憶にある断片的な知識が結びついた。
「……思い出したわ。学校の歴史の授業で習ったことがあります。ここから少し離れた場所で、かつて入植者たちによる先住民の虐殺があったって。教科書にはさらっと書いてあったけど、本当はもっとひどいことが起きていたんですよね」
シェリーはリサを見た。
見た目は少女に見えるがその内側には数十年分もの絶望とさらに数百年分の集団的な怨念を宿している。
「だから、リサはあんなに悲しい声を出したんだわ。同じ痛みを分かち合っていたから」
シェリーの瞳に、リサへの同情以上の、強い使命感が芽生え始めていた。一方でリサ本人は相変わらず状況が飲み込めず、「アンソ……」と意味不明な単語を低く呟きながら、不機嫌そうにレッドの頭を撫でていた。
静まり返った室内でシェリーは先住民の子孫である男性に自分の目的地と現状について話し始めた。
「私……警察署に行きたいんです。お母さんから電話があって、あそこなら安全だって。でも、道が分からなくて」
彼女の声には、まだ親への信頼と、この地獄からの脱出という切実な願いが込められていた。男性はそれを聞きながら、自らの状況を静かに語り出した。
「……俺はもともと近くの病院に避難していたんだが、あそこはもう終わりだ。感染者が溢れかえって崩壊した。運良く逃げ出してここへ辿り着いたが、街全体が狂っている」
彼は窓の外に見える地獄のような光景を一度見つめ、それから記憶を辿るように続けた。
「警察署か……。確かに、そこも救助活動の拠点になっていたという話や噂を聞いた記憶がある。もしかしたらまだ拠点として機能しているかもしれない。」
男性は少しの間を置いて、シェリーとリサを見た。一人でこの街を歩くのは自殺行為だ。そして何より、先ほどの「声」が自分に託した使命――リサを守ること――が、彼の心に強く刻まれていた。
「……もし良ければ、俺も同行させてくれ。道案内はできないが、武器は持っているし、大人一人がいたほうが助けになれるはずだ」
シェリーは迷わず頷いた。「お願いします!」
出発する直前、シェリーはふと思い立ったように、隣でぼーっと立っていたリサの方へ向き直った。そして、思い切りその小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「……リサ! これから一緒に頑張ろうね!」
不意打ちの抱擁に、リサは完全にフリーズした。
(……!? なぜだ? 何が起きた? 攻撃か? それとも拘束か?)
彼女の人生において、「愛情」や「親愛」による接触などというものは絶滅していた。あまりの不可解さに困惑し、腕を泳がせながらも、どう反応していいか分からずただ唸るだけだった。
その光景に、男性はふっと口角を上げた。
「賑やかな旅になりそうだな」
リサはシェリーに解放されると、不機嫌そうに鼻を鳴らしながら斧を肩に担いだ。しかし、その足取りはどこか軽く、レッドが嬉しそうに尻尾を振っているのがそれに呼応しているようだった。
こうして、奇妙な三人と一匹の旅路が再び始まった。目的地はラクーンシティ警察署。そこには希望があるのか、あるいはさらなる絶望が待ち受けているのか。彼らは静かに、闇の中へと踏み出した。