白布の「ブルーシート張るぞ」っていう脅しが効いたのか、深夜の病室はやけに静かだった。
点滴の液が一定の速さで落ちる音と、隣のベッドから聞こえる、少しだけ落ち着いた寝息。
(…あー。喉、痛ぇ…。)
唾を飲むたびに、意識が強制的に覚醒する。
でも、昨夜のあの「絶望的な沈黙」とは違う。
すぐ横に、俺と同じようにボロボロになりながら、それでも「次は勝つ」なんて息巻いている不屈の勇者がいるから。
俺は、暗闇の中で自分の指先をじっと見つめた。
さっき、一瞬だけ見た、すずの顔。
赤くなった頬と、少しだけ潤んだ目。
…「いかつい女」なんて、どの口が言ったんだよ、俺。
(…あんな顔で「怖い」なんて言われたら、治は絶対放っておけねーわな。)
ふと、また治の名前が頭をよぎる。
あいつら2人の間に何があったのか、俺は知らない。
でも、あんなに脆くて、必死に自分を保とうとしているすずが、治の前でだけは「鎧」を脱げなかった理由は、なんとなくわかる気がした。
たぶん、近すぎるんだ。
近すぎて、過去を知られ過ぎているからこそ、弱っている自分を見せるのが死ぬほど怖いんだろう。
俺は、サイドテーブルに置かれたホワイトボードに、そっとペンを走らせた。
明日、彼女が起きるまでには消してしまう、自分だけの備忘録。
キュキュ、と静かな病室に不釣り合いな摩擦音が小さく響く。
インクが掠れないよう、いつもより少しだけ筆圧をかけて、一文字ずつ。
『すずお前、笑ってる方がマシだわ
泣いてる顔は、もう、お腹いっぱい
次は俺が負けてやるから、またなんか面白い罰ゲーム、
お前も考えとけよ』
書き終えて、ふっと鼻で笑う。
負けてやる、なんて言ったが。
…多分、実際に体温計を挟んだら、俺はまた1分後の勝利を願うんだろう。
ふと隣を見ると、すずが寝返りを打って、こちらを向いた。
布団から少しだけはみ出た彼女の手が、何かを探すように微かに動く。
俺は、自分の手を伸ばして、その指先にほんの少しだけ触れた。
熱のせいで、お互いの体温がどこまでが自分のもので、どこからが相手のものかわからない。
じわり、と指先から侵入してくる熱が、弱った心臓を急かすように叩く。
ただの熱のせいだ、と自分に言い訳をする。
「…おやすみ、バイオテロリスト。」
掠れた声で小さく呟いて、俺もゆっくりと目を閉じた。
明日の検温、また38℃超えてたら、今度は白布に何を言われるだろう。
でも、そんな「明日」が来るのが、今は少しだけ楽しみだった。