深夜の静寂が、すずの落ち着いた寝息に塗り替えられていく。
結局、今回の発作は数分で収まった。
疲れ果てた彼女は、俺の腕を掴んだまま、泥のように深い眠りに落ちていった。
俺はそっとその手をベッドに戻し、自分のベッドへ這い戻った。
だが、目が冴えて眠れない。
さっきの、必死に声を殺して発作に耐えていた彼女の横顔が、網膜に焼き付いて離れないんだ。
(…治。お前、こいつがこんなになってんの、知ってんのかよ。)
無意識にスマホを手に取り、治のトーク画面を開きかける。
…いや、違う。
今じゃない。
俺が今こいつに「すずが苦しんでるぞ」なんて送ったところで、現場の何が変わるってんだ。
俺は矛先を変え、白布に短いLINEを送った。
『なぁ白布。俺はまだ、すずみたいな発作は起きてない。同じ病気のはずなのに、あいつの方が酷くないか?』
深夜だっていうのに、既読はすぐに付いた。
あいつ、いつ寝てんだよ。
返ってきたのは、事務的な、でも重苦しい事実の羅列だった。
『太一、あいつを基準にするな。すずの既往歴は異常だ。小学生の時、すでに扁桃炎と肺炎に罹患している。さらに中学生で三叉神経痛。これは大人だって悶絶して動けないほどの顔面の痛みを伴う。相当なストレスがかからない限り起こらないのに、中学生でかかるなんて異常だ。そして大学生になってから急性虫垂炎を2回やって、結局切除してる。他にもコロナにインフルAを3回。要するに、体の限界値が人より低くて、特に呼吸器と免疫系が弱いんだよ。』
画面が発する青白い光が、目に刺さる。
…なんだよ、それ。
呪われてんのか。
さらに白布の追撃が続く。
『おまけに、あいつが配属された研究室、相当ブラックだったらしいぞ。かなりの無理が重なってた。今回の発作はその蓄積だ。こいつは、自分の限界が来るまでブレーキを踏めないバカなんだ。限界値が低いと言うよりは、戦うたびに身体が削られたって感じだな。』
研究室。
あいつが「自分が自分でいられなくなるのが怖い」と言いながら守ろうとしていた、あの場所か。
あんなボロボロになるまで、あいつは一人で何と戦ってたんだ。
『太一の場合は発見が早かったし、すずのような変な既往歴もない。だから比較的軽く済んでるだけだ。油断するな、寝ろ。』
白布の言葉はいつも通り簡潔で、ぐうの音も出ない正論だった。
でも、なんだろうな。
この、胸の奥に澱(おり)のように溜まっていく、何とも言えない気持ちは。
「…軽く済んでる、か。」
俺はスマホを伏せ、暗闇の中で自分の掌を見つめた。
俺が「不謹慎なゲーム」だなんだと余裕ぶっていられたのは、単に俺の体が丈夫だったからに過ぎない。
あいつは、俺が想像もできないような薄氷の上を、あの重い鎧を着て、たった一人で歩き続けてきたんだ。
(…ったく、…バカじゃねーの。)
心の中で毒づきながら、隣のベッドから聞こえる小さな寝息に耳を澄ませる。
治がすずを甘やかそうとして、そのたびに跳ね除けられていた理由が少しだけ分かった気がした。
もう「ただの隣人」として面白がってる段階は、とっくに過ぎちまったみたいだ。
明日、あいつが目を覚ましたら。
次はどんなバカげた冗談を言って、あの強すぎる「勇者」の肩の力を抜いてやればいいのか。
少なくとも、この薄氷が割れるその瞬間まで、俺はこいつの隣で、世界一くだらねー冗談を言い続けてやる。
俺は熱に浮かされた頭で、とりとめのない思考を巡らせながら、ようやく重くなってきた瞼を閉じた。