俺だけの聖域   作:ゆずみかん#HQ

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#23 非合理の敗北

入院して一週間。

病室の窓から見える空の色は、あの日と変わらず、俺たちの足踏み状態を嘲笑うかのように青かった。

 

「……っ、げほっ、コンッ」

 

隣のベッドから、すずの乾いた咳が聞こえる。

ここ数日、二人の体温は37℃台と38℃台を行き来する「シーソーゲーム」を続けていた。

肺炎による咳が喉を刺激し続け、扁桃炎の改善を根本から阻む。

故に、喉の痛みは相変わらず激しいが、それでもホワイトボードに不謹慎な悪口を書き合う余力はあった。

 

(……ま、このままじわじわ下がってくだろ。)

俺は自分の体の丈夫さを過信していた。

白鳥沢で培ったリード・ブロックの技術みたいに、病気も「観察」して「対応」すれば、致命傷は避けられる。そう思っていたんだ。

 

だが、昼過ぎ。

突然、視界がぐらりと揺れた。

喉の奥から、焼け付くような熱がせり上がってくる。

それは、今まで経験したことのない、体の芯から力が抜け落ちていくような、得体の知れない恐怖だった。

「ピピピッ」

 

無機質な音が、病室に響く。

表示された数字は、39.8℃。

 

(……は? マジかよ。)

 

脳が思考を拒否した。

視界が急激に狭くなり、周りの音が遠のく。

自分の呼吸音だけが、やけに大きく、速く、鼓膜を叩いた。

 

「おい、太一! しっかりしろ!」

 

白布の声が、霧の向こうから聞こえる。

あいつの顔が、二重、三重にブレて見える。

「諦めろ」って、こいつ、さっきまで笑ってたじゃねーか。

 

(……だりぃ、……動けねーわ、これ。)

 

俺は、自分の体が鉛のように重くなり、ベッドに沈み込んでいくのを感じた。

指一本動かすのも億劫だ。

喉は剣山で滅多刺しにされているように痛くて、息を吸うたびに肺が悲鳴を上げる。

その時だった。

 

「……たい、……ち……!」

 

掠れた、今にも消えそうな声。

朦朧とする意識の中で、俺は見てしまった。

すずが、自分のことのようにボロボロと涙を流しながら、俺を呼んでいる姿を。

普段の強気な「勇者」の面影なんて一つもない。

ただ、俺が消えてしまうのを本気で恐れるように、祈るように、俺を見つめている。

 

(……あー、計算間違いだわ。)

 

治のために泣いているお前を見て、「身代わりでもいい」なんて、物分かりのいい共犯者のフリをしていたのに。

 

(俺のために泣いてるお前を見たら、…もう、誰の身代わりにもなりたくねーわ。)

 

自分の胸の奥で、カチリと音がした。

「好奇心」や「同情」なんて便利な言葉じゃ、もう説明がつかない。

白布が処置に入る中、俺は心底、自分の不運を呪った。

こんな、相手の心に別の男がいる最悪な状況で。

よりによって、こんなに「めんどくさい女」に惚れてしまうなんて。

 

(俺のために泣いてるお前を見たら、…もう、誰の身代わりにもなりたくねーわ。)

 

完璧なワンタッチでチャンスボールを繋いできたつもりだった。

なのに、最後に打ち込まれたスパイクは、俺の指先を弾き飛ばして、心臓のど真ん中に突き刺さった。

指一本、動かせない。

熱のせいじゃない。

こいつの涙が、俺の全システムを強制終了させたんだ。

 

(…詰んだな。俺。)

 

熱に浮かされた頭で、俺は初めて「敗北」を認めた。

恋という名の、到底、合理的ではない泥沼に。

自分から、思い切り足を踏み外した自覚があった。

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