入院して一週間。
病室の窓から見える空の色は、あの日と変わらず、俺たちの足踏み状態を嘲笑うかのように青かった。
「……っ、げほっ、コンッ」
隣のベッドから、すずの乾いた咳が聞こえる。
ここ数日、二人の体温は37℃台と38℃台を行き来する「シーソーゲーム」を続けていた。
肺炎による咳が喉を刺激し続け、扁桃炎の改善を根本から阻む。
故に、喉の痛みは相変わらず激しいが、それでもホワイトボードに不謹慎な悪口を書き合う余力はあった。
(……ま、このままじわじわ下がってくだろ。)
俺は自分の体の丈夫さを過信していた。
白鳥沢で培ったリード・ブロックの技術みたいに、病気も「観察」して「対応」すれば、致命傷は避けられる。そう思っていたんだ。
だが、昼過ぎ。
突然、視界がぐらりと揺れた。
喉の奥から、焼け付くような熱がせり上がってくる。
それは、今まで経験したことのない、体の芯から力が抜け落ちていくような、得体の知れない恐怖だった。
「ピピピッ」
無機質な音が、病室に響く。
表示された数字は、39.8℃。
(……は? マジかよ。)
脳が思考を拒否した。
視界が急激に狭くなり、周りの音が遠のく。
自分の呼吸音だけが、やけに大きく、速く、鼓膜を叩いた。
「おい、太一! しっかりしろ!」
白布の声が、霧の向こうから聞こえる。
あいつの顔が、二重、三重にブレて見える。
「諦めろ」って、こいつ、さっきまで笑ってたじゃねーか。
(……だりぃ、……動けねーわ、これ。)
俺は、自分の体が鉛のように重くなり、ベッドに沈み込んでいくのを感じた。
指一本動かすのも億劫だ。
喉は剣山で滅多刺しにされているように痛くて、息を吸うたびに肺が悲鳴を上げる。
その時だった。
「……たい、……ち……!」
掠れた、今にも消えそうな声。
朦朧とする意識の中で、俺は見てしまった。
すずが、自分のことのようにボロボロと涙を流しながら、俺を呼んでいる姿を。
普段の強気な「勇者」の面影なんて一つもない。
ただ、俺が消えてしまうのを本気で恐れるように、祈るように、俺を見つめている。
(……あー、計算間違いだわ。)
治のために泣いているお前を見て、「身代わりでもいい」なんて、物分かりのいい共犯者のフリをしていたのに。
(俺のために泣いてるお前を見たら、…もう、誰の身代わりにもなりたくねーわ。)
自分の胸の奥で、カチリと音がした。
「好奇心」や「同情」なんて便利な言葉じゃ、もう説明がつかない。
白布が処置に入る中、俺は心底、自分の不運を呪った。
こんな、相手の心に別の男がいる最悪な状況で。
よりによって、こんなに「めんどくさい女」に惚れてしまうなんて。
(俺のために泣いてるお前を見たら、…もう、誰の身代わりにもなりたくねーわ。)
完璧なワンタッチでチャンスボールを繋いできたつもりだった。
なのに、最後に打ち込まれたスパイクは、俺の指先を弾き飛ばして、心臓のど真ん中に突き刺さった。
指一本、動かせない。
熱のせいじゃない。
こいつの涙が、俺の全システムを強制終了させたんだ。
(…詰んだな。俺。)
熱に浮かされた頭で、俺は初めて「敗北」を認めた。
恋という名の、到底、合理的ではない泥沼に。
自分から、思い切り足を踏み外した自覚があった。