俺だけの聖域   作:ゆずみかん#HQ

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#24 不治の安らぎ

「...俺の勝ちだな。」

 

無機質なアラーム音を止めて、俺は手元の数値をホワイトボードに叩きつけた。

 

『37.6℃』

 

あの絶望的な大発作から数日、俺の熱は徐々に、でも確実に「出口」を探し始めている。

 

対して、

 

『負けた。38.7℃』

 

隣のこいつはここ数日、38℃後半の過酷な熱を刻んでいた。

 

「……最近俺の勝ちばっかで、逆につまんねーわ。約束通り、すずの昔の写真か動画でも見せろ。」

 

「……もー、わかったよ。はい。」

 

掠れた声で投げやりな返事が返ってくる。

すずから手渡されたスマホの画面を覗き込んだ瞬間、俺は思わず眉を寄せた。

 

「お前、マジかよ…。高校生のお前、ギャル中のギャルじゃん。白鳥沢なら秒で生活指導室行きだぞ、これ。」

 

画面の中には、今よりずっと派手な髪色で、短いスカートを翻して笑う少女がいた。

今の、青白い顔をして病室のシーツに沈んでいる姿からは想像もつかないエネルギーの塊。

 

「だってー、みんなやっとったもん。制服も可愛いし、最高やったし。」

 

「で、この動画…。お前、試合中の声と動き、うるさすぎ。テニスラケット持った猛獣かよ。膝から血が出たまま走り回るとか、効率悪すぎだろ。」

 

「うるさいなー、鉄仮面…。」

 

そう言い返してくる彼女も、すぐに「コン、コン」と乾いた咳を漏らした。

 

少しずつ、声を使った会話ができるようになってきた。

しかし会話のたびに咳が刺激になり、喉の回復を遅らせる。

熱の呪縛は解けることを知らず、俺たちの体調は一進一退を繰り返していた。

 

そんな俺たちのやり取りを、回診に来た白布が「お前ら、いい加減検温をチップの手段にすんな。」と言わんばかりの冷徹な目で見下ろしている。

だが、その視線すらも今の俺たちには心地いいスパイスだった。

 

お互いに、相手の心配なんかする余裕のない病人。

今のこの病室には、「気を遣う」なんていう上等で面倒な概念は存在しない。

余裕がある時はサイドテーブルにボードゲームを広げる。

一方がキツい時はただ無言でYouTubeの動画やら音楽やらを流し続ける。

2人してダメな日はひたすら泥のようにベッドに身を預ける。

 

不規則に響くお互いの咳の音。

かつては苦痛の象徴だったその音が、今では俺たちがここで生きていることを証明する、最高のBGMにすらなっていた。

 

『つまんねー』

 

俺はもう一度、ホワイトボードに嘘をついた。

本当は、「つまらない」なんてこれっぽっちも思っていない。

むしろ、この最悪なコンディションの中で、お前の過去を暴き、憎まれ口を叩き合い、同じ空気の中で熱を分け合っているこの時間が、たまらなく愛おしい。

 

だからこそ、自分の変化が怖かった。

38℃後半で留まるすずを横目に、俺の体温は少しずつ、確実に下がり始めている。

「健康」という名の、この部屋からの追放通知。

 

「まだ治らないでほしい」

 

そんな俺らしくなくて、アスリートとしても人間としても失格な、非合理的な願いが胸の奥で膨らみ続けている。

 

『うるさい。次は、私に有利なようにゲームの内容書き換えてやるから』

 

すずはそう毒づきながらも、ふとした瞬間に視線を窓の外へ泳がせた。

最近、こういう「上の空」な時間が増えたことに、俺は気づいている。

 

その視線の先に誰がいるのか。

その心が誰の「おにぎり」を欲しているのか。

そんなこと、答え合わせをするまでもない。

 

自分の恋心を認めた瞬間、同時に味わうことになったのは、完膚なきまでの敗北感だった。

治のような「光」にはなれない。

俺はただ、隣のベッドで一緒に熱に浮かされることしかできない、無力な「同類」だ。

 

すずが上の空になればなるほど、俺の恋心はパンパンに膨らみ、比例するように敗北の重みがのしかかる。

 

「……いいから、さっさと寝ろよ、猛獣。」

 

俺は、自分の敗北感を皮肉のオブラートに包んで、彼女に背を向けた。

せめてこの熱が下がりきるまでは。

この「心地いい咳の音」が止むまでは。

俺はこの泥沼の中で、お前と一緒に足掻き続けてやる。

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