戻ってきた病室は、数時間前、そこで確かに過ごした『俺の22歳の誕生日』のまま、残酷に時を止めていた。
姉貴が置いていった、ケーキの空箱。
そして、すずが俺のために用意した、飲みかけのアクエリアス。
数時間前まで、そこは俺の健康や大学生活と天秤にかけても尚、手放したくない場所だった。
「治」というヘタレから身を隠し、俺とすずだけで作り上げてきた、不謹慎な聖域。
けれど、今の俺の目には、ただの「無機質な白い箱」にしか見えなかった。
あいつという色彩が抜けただけで、この部屋はただの病室という「現実」に成り下がったんだ。
ベッドに倒れ込む。
電気はつけない。
「はは……なんだ、これ。だせえ、俺。」
乾いた笑いが、静まり返った部屋に虚しく響く。
最高のスタートで始まったはずの22歳の誕生日は、同時に、俺の初恋の命日にもなってしまった。
自覚してからたったの一週間。
...いや、本当はもう少し前から、始まっていたのかもしれない。
「……短けぇな。……短すぎるだろ」
本当は、最初から「負け確の試合」だってデータは出てた。
おにぎり宮で、彼女を追いかけて出ていった、治の背中。
白布に告げられた、「10年以上」という絶対的な年月の値。
そして何より、すずが俺に見せてきた、いくつもの涙、そして遠くを見つめるような表情。
それなのに、治から奪ってやろうなんて意気込んで、勝てるかもしれないなんて夢を見て。
その結果が、このザマだ。
俺はあくまで、この短い期間限定の、治の代役...ですらなかった。
『戦友』という名の、気休めの空白。
それが、俺にとって唯一無二で、さっきゴミ箱に捨てた肩書き。
「最悪だわ...。もう、どーでもいい...。」
頭では結論を出している。
なのに脳はバカみたいに、すずとの思い出を再生し続ける。
白布に「同じ病気の同じバカ」と紹介された、おにぎり宮で見た女の子。
そいつとホワイトボードで何度も交わした、数え切れないほどの言葉。
毎回飽きずに見せ合った、体温計の数値。
それをチップに、毎回仕掛けあった罰ゲームの数々。
可愛げのない憎まれ口や強がり。
なのに、時折見せる鎧の内側の脆さ。
かと思えば、俺の計算を狂わせるようなバカ。
そのバカが、初めて俺に見せてくれた、マスクの下。
そして...俺の手のひらに、腕に、焼きついて離れてくれない、あいつの驚くほど熱くて柔らかい体の感触。
「...っ!」
全部、二度と味わえなくなってしまった、俺の宝物。
あいつのベッドに放り出されたホワイトボード。
サイドテーブルに置かれた、コンビニの袋...あいつから俺への、最初で最後の誕生日プレゼント。
(...もう、何も、見たくねぇ...)
俺は手で顔を覆った。
声を出せば、自分の惨めさが確定してしまう気がして、喉を鳴らすことさえ拒んだ。
ただ、指の間から熱いものが溢れ、手が、頬が、濡れていくのが分かった。
(……今、すずがいなくて、良かった)
あいつに、こんな顔だけは見られたくない。
矛盾した、最低で不謹慎すぎる思いに耽りながら、俺は4年前の引退試合以来……負けて終わったあの日以来の、苦い涙を味わった。
4年前の引退試合の涙は、やり切った後の悔しさだった。
でも、今夜のこれは……
何も成し遂げられなかった、ただの「敗北」の味だ。
外の世界の、夜の闇。
それはまるで、俺の心の中を表しているみたいに、余計にどす黒く感じられた。