「...太一、どうした? 昨日まで順調に回復していただろう。」
白布の声。
相変わらず容赦ない冷たさ。
布団に潜り込み、久々に38℃を超えた体温計をぶっきらぼうに突き出す。
「知らねーよ。俺の身体に訊け。...ぶり返す病気だって、お前が言ったんだろ。」
投げやりな回答。
顔を見なくても、白布が冷めた目で俺を見下ろしているのが分かる。
「大体、39℃近い熱があるあいつを連れて外に出るからだ。俺の睡眠時間を削るきっかけ作りやがって。」
……外に出たいと言ったのは、あいつだ。
そんな反論をする元気もない。
白布の冷徹な言葉。
下手な労りより、今の俺には数100倍マシだ。
「あいつは...ゴホッ...どうなったんだよ。」
自分の咳の音が、胸糞悪いくらい懐かしい。
どーでもいいと言い聞かせたはずのあいつを、まだ気にする自分。
同じくらい、胸糞悪い。
「...はぁ。お前はまず自分の心配をしろ。安心しろ、あいつはしぶとい。危なかっかしいからICUに置いてるだけだ。」
(よかった。)
反射的に浮かぶ、最低で不謹慎な希望。
まだ、あいつに会わなくて済む。
「仮眠する、邪魔するなよ」と去っていく白布の背中を、布団から目だけ出して追った。
「...ゲホッゴホッ...ゴッホ...はぁっ...」
振り出しに戻ったわけじゃない。
悪化したとはいえ、咳も、喉の痛みも、入院時に比べればマシだ。
……なのに、身体が重い。
皮肉なもんだ。
「まだ治るな」と願っていた間は、嘲笑うように回復した。
願う理由をゴミ箱に捨てた途端、これだ。
あいつが隣にいた時、体温計の数字は「不謹慎なゲームの材料」だった。
身体のキツさは、あいつと遊んで、笑って、乗り越えた。
……全部、あいつありきの「バグ」だったんだ。
それが消えた途端、これだ。
ただただ、キツい。
数時間が数年に感じる。
扁桃炎に肺炎の併発。
1秒でも早く抜け出したい地獄だったのだと、今更思い知らされる。
そして、「一人の病室」という、孤独。
白い壁は何も与えてくれない。
ただ俺を不自由に追い込む。
(あー……喉、痛ぇ。だりぃ。……無理だわ、これ。……キチィ……。)
それから数日間、ずっとこの「無の境地」で過ごした。
ボードゲームもしない。
YouTubeも見ない。
バカ話もしない。
外なんか絶対出ない。
ただ白い天井を見つめる。
なのに、熱は38℃を切らない。
咳も、喉の痛みも、一向に引かない。
……なんか、分かった気がした。
あいつが、ずっと38℃後半で停滞していた理由。
俺もあいつを、追いかけているのか。
皮肉だな。こんな時だけ「ニコイチ」かよ。
……でも。
それがどうしようもなく愛おしくて、懐かしくて、苦しい。
(あぁ、そうか。)
白い壁に睨まれて、腑に落ちた。
俺が「同じ病気」を武器に、あいつを救っているつもりだった。
俺が、あいつの鎧を脱がせてやっているつもりだった。
……なのに。
俺の最適解を全部ゴミ箱行きにさせる、あいつの底なしのバカ。
『勇者様』の鎧の下に隠されていたのは、驚くほど脆くて。
投資効率も考えられないほど純粋で、損得勘定すら放棄した、バカ正直な、あいつの生き様。
(……結局、救われていたのは俺の方だったのかよ……)
今更露わになった、俺のロスタイム。
それを鮮やかに塗り替えたのは、俺の理屈が全く通用しない「すず」という光。
気づいた途端、頭が勝手に定義し直した。
すずという存在の意義を。
(俺の今のポジショニングは、どこだ……?)