俺だけの聖域   作:ゆずみかん#HQ

37 / 42
#37 味覚の混濁

「すず、何℃?俺37.7。」

「ゴホッ...38.4℃...あぁ、もう...ゲホッ...また負け、た...」

これは、俺とすずだけの暗号。

高熱が勝負の材料になる。

この不謹慎な聖域に、俺たちはまた戻って来た。

「どんまい。...約束通り、俺が先手、貰うからな。」

容赦ない俺の勝利宣言。

次の勝負に向け、トランプをきる。

サイドテーブルやパイプ椅子をかき集め、トランプを広げる。

目的は神経衰弱。

...病人がここまでしてやることかよ。

俺らやっぱ、狂ってるわ。

目の前のカードを取り合っていると、病室の入り口から懐かしい声がした。

「...すず。川西。久しぶりやな。」

そこには、昼間の眩い光を浴びた男。

俺が以前ラウンジで見たのとは別人のような、宮治。

堂々とした立ち振る舞いで、病室の入り口を塞いでいる。

「おう、久しぶりだな、治。」

 

中に招こうとした時。

治の目が見開かれた。

 

「…お前ら、起き上がって何さらしてんねん。トランプ?…おとなしく寝とる思てたら…。」

 

俺らに呆れたような、でもどこか必死そうな声。

すずが悪戯っぽく笑って言った。

「おう、寝とる、だけじゃ、...ゴホッ、つまらん、もん。...太一も、私も、病人...条件、同じやから...おもろい!」

治が「意味分からん」と言いたげな表情を作る。

そして「太一」という単語に、何か言いたげな反応を見せた。

「...てかそこ、邪魔や笑...どけ笑」

続けて容赦ない憎まれ口。

治が「『どけ』はないやろ、自分。」と突っ込む。

流暢なやり取り。

完成された幼馴染の空気を感じて、胸の奥がチリつく。

治はレジ袋から、重厚なスープジャーを1つ取り出した。

 

「すず、お前ガリガリすぎや。どーせまた何も食うてへんかったんやろ? お前、昔から熱出すと俺が『何でもええから食え』言うても、水すら受け付けへんようになるもんな。」

治は呆れた、でもどこか慈悲深い眼差しですずを見つめた。

「昨日、お前が食えそうなもん考えとったらな、気づいたら夜明けててん。そのまま店開ける前の厨房で魂込めて作ったったわ。……お前、結局こういうんが好きやろ?」

蓋を開ける。

途端、優しく、でも力強い出汁の香りが病室の消毒液の匂いをかき消した。

すずの瞳が、砂漠で水を見つけた旅人のように輝く。

「うん...美味そう。...ほんと、いつもありがとう。」

あぁ、治って本当にすずが大事なんだな。

ずっとすずの隣にいて、おにぎりを握ることに人生を賭けているやつだからこそできる、最大限の優しさ。

その隣に、前よりほんの少し力の抜けた、勇者様。

優しさを素直に受け取れるようになっている。

治のことを心から信頼しきっているのが伝わる。

(...あぁ、入り込む余地、ねぇわ)

治は俺にもジャーを差し出す。

「鮭、適当にこの出汁で崩して食い。」

 

こいつ...いいやつすぎる。

だからこそ、俺の喉にはその好意が苦い。

「...治悪い、すげー美味そうだけど、白布に『病院の管理下のもの以外食うな』って釘刺されてんだ。」

俺の言葉に、すずが目に見えて肩を落とす。

治は一瞬悲しげな顔をしだが、すぐに無邪気な笑顔を作った。

「しゃあない。退院祝いでまた作ったるわ。」

その後、治の提案で始まった大富豪。

「ゴホッ...アホやなぁ、何やこの手札...。」

真っ先に上がったすずが、治の手札を見て笑っている。

「太一、こいつ潰しちゃえ...ゴホゴホッ」

俺はすずに不敵な笑みを送り、カードを置く。

治は咳込んだすずの背中を甲斐甲斐しく撫でながら

「……パス。……もう、パスや。」といじけた顔で繰り返した。

結果、俺の独壇場で治に圧勝。

「あーあ。...ゴホッ...お前は、学ばんなぁ、ほんと。」

「うっさいわ。大富豪、すずが強すぎるだけやろ。お前は、その回る頭あんねやったら、さっさと退院する道考えーや。」

治はすずの頭を軽く小突く。

...大富豪に勝っても残る、妙な敗北感。

良い手札なんかなくても、こいつには温かい飯がある。

すずの隣に、いられるんだ。

大富豪の勝敗に盛り上がっていると、近くで「賑やかだな」と言う白布の声が聞こえた。

「…あ、白布。いつからそこにいたんだよ」

白布は俺の問いには答えず、事務的に告げた。

「太一、回復は順調だ。1週間後、問題なければ退院してもらう。だが喜ぶな。フツーならとっくに退院している病気だからな。」

...後半の語気が異様に強い。

治が「おぉ…怖…」とボソッとつぶやいて、すずの背後に隠れた。

「...おう。サンキュー、白布。やっとシャバに出られるわ。」

口では喜んで見せたけど。

心の中に疼くのは、喪失感。

ついに出されてしまった。

この聖域からの追放通知。

店に戻るために、治が去っていく。

あいつと違って俺は。

すずと、あと1週間しか過ごせないんだ。

治とすずの、劇の台本みたいで、慈愛に満ちたやり取り。

治と入れ替わりでやってきた静寂の中、それが脳内で反芻される。

どうにもできない敗北感に浸っていると、隣ですずが「はぁ」っと弱弱しい溜息をついた。

続けて不安げな声を漏らす。

「太一、ついに、退院...するんやね。...ゴホッ...私、...ちゃんと、治る、...のかな。退院、できる、のかな...。」

...こいつ、さっきまで「退院したらまたおにぎり食べたい」とか言っていたくせに。

俺と2人きりになった途端、これかよ。

...治にこれまで見せてきた「明るくて元気なすず」こそがこいつの素であり、理想なんだろう。

でも...こうやって弱気になっている自分は、やはり簡単には見せられない。

もう、こいつの血肉と化した「癖」みたいなもんだ。

不器用で真っ直ぐな、生き様。

何も変わっちゃいない。

...これは、俺だけが知っている一面。

そんなお前だから、俺は愛してしまったんだよ。

恋愛は大敗した。

でも、こいつの本質を見た上で惚れた自分のことも、誇らしい。

俺は...こいつに「大丈夫だ」なんて安っぽい言葉はかけてやらない。

俺は...お前が見られたくなかった部分に惚れた「特別な男」だからな。

「退院?んなの、知らねーよ。...お前の身体が、どうなろうが、白布が何て、言おうが...俺が、外の世界を、ここに連れてきてやる。ただ、それだけだ。...お前が、シャバに、出て...治のおにぎり、食べる時まで、...お前みたいな、バカで最低な戦友を...見届けてやる。」

すずが「太一のバカ。...もうちょっと、優しい、言葉...ゴホッ...かけてくれても、いいじゃん。」と力の抜けた笑顔でぼやく。

この聖域は、残り1週間で終わりのつもりだったが...延長してしまった。

退院しても毎日こいつの元に現れてやる。

そんな以前の俺じゃ考えられない往生際の悪さ。

いや違う。

俺はただ、「特別な男としてすずの隣に居る権利」を行使しているだけだ。

そんなデタラメな理屈を並べながら、俺は枕に頭を沈めた。

出汁の香りは、気づけばすずの熱気に追い出されていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。