俺だけの聖域   作:ゆずみかん#HQ

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#38 唯一の代役

すずが俺の隣で固まっている。

その手に握られているのは、37.6と表示された体温計。

それを覗き込み、俺は36.7と表示された体温計を、わざとすずの目の前に突き出した。

無言で。

その代わり、最強にムカつくであろうスマイルをお供えして。

 

「太一って…クッソ意地悪。…まだ退院すら、告げられとらん私が、ゴホッ...明後日退院する、太一に...勝てるわけないやろ。」

 

不貞腐れた目を向けてくるすずに、俺は「どんな状況でも、一度決めた勝負を投げ出さないのが、勇者の鑑、なんじゃねーのか?」と意地悪くニヤついて見せた。

 

すずは低く「…今すぐ引っぱたいてやる」とぼやいた。

こいつ…最近やっとちゃんと回復してきたと思ったら…いっちょ前に悪い口まで回復させてやがる。

ま…それが俺に安心を与えないと言えば、嘘になる。

 

「で、今回は負けたやつがルールを決めるターンだろ?何すんだよ今から。」

「私の話を、聞いてほしい。」

 

間髪入れずに返ってきた返事。

その顔は、さっきまでのそれとは打って変わり、真剣そのもの。

思わず「お、おぅ…何だよ」と身構えてしまう。

俺ら以外の誰の気配も感じない、夜の静寂。

そのまま、すずの次の言葉を待った。

 

「あのね、私…今回の入院で、本気で人生が、終わるかと思った。病気で死ぬからじゃない。むしろ、退院しても、待っているのは生き地獄。...だったら、もう、ずっとこのままでいいと思った。人生で初めて、病気のままでいいって。そう思ったの。」

 

…衝撃だった。

入院した時から、俺よりもずっとしんどそうに隣でもがいていたやつが。

あんなにいっぱい、発作起こして泣いていたやつが。

むしろこの状態でいることを望んでいたなんて。

 

「私ずっと、自分がどうしたいのか、分からなかった。全部投げ出したいけど、諦めたくない。でも、今私が『すず』でいることを辞めたら…どうなるのか、分からない…得体のしれない、強迫観念…。」

 

そうだろうな。

下手クソでも必死に築き上げてきた自分を自らぶち壊したら。

こいつが守りたかったものまで、全部台無しになる。

そんな、逃れられない強迫観念。

 

「…それでも…家族も友だちも、優しかった。…治は、一番私を大事にしてくれた。私のことを、純粋に…心配して、くれていたのは…わかる。でも同時に…苦しかったし、怖かった。」

 

病室の静寂と消毒液の匂いが、ますます濃度を増していく。

 

「だって…それは…『求めているのは、元気なすず。』…そう、思えちゃったから。」

 

不意にすずが言葉を止めた。

しゃべりすぎたのか、喉を手で押さえて痛そうに顔を歪めている。

…回復してきたとはいえ、もう1か月以上、すずを苦しめる痛み。

でも…それとは違う、もっと慢性的な「痛み」を、彼女は今語ろうとしているのだろう。

 

「…わかってる。元気じゃない、私に…価値がない、わけじゃ、ないって。…でも、無意識に体が、動いちゃうの。いつも明るく…元気で、いなきゃっていう、使命感、みたいなもの、に。…だから、どんなに体しんどくても、心がグチャグチャでも…ギリギリまで、粘って、『元気なすず』で居たくて、いつも余裕ぶった、態度をとって…。」

 

ああ、そうか。

 

『やめろや治。大男3人に囲まれて女1人で寝れるわけあるかい。……お前は明日の私の分のおにぎり用意しときゃええねん。じゃあな』

 

おにぎり宮で治に放った、あの余裕たっぷりな毒舌。

あれは余裕なんかじゃない。

余裕が失われていく恐怖に抗うための、彼女の精一杯の「武装」だったんだ。

 

「でも…それが、幼馴染を、…治から、一番大事な生きがいを、奪うことになった。」

 

すずの目からサッと色が消える。

でも…今までと違って、涙は見られなかった。

 

「…それでも尚、こんな生き方しか、できないのなら…私はもう、外の世界の光なんか、要らない。…病院なら、誰も私に『元気な勇者様』なんて求めない。病気のままなら、これ以上、誰の心配も裏切らなくて済む。…そう、逃げ込んだ。」

 

チャチな使命感。

悲劇のヒロイン気取り。

自意識過剰も、いいとこだ。

自分の振る舞いが周りにどう見えるか、そんなことばかり考えて、勝手に自分の首を絞めて。

でも…それは、こいつ自身が一番よく分かっているはずだ。

かつてのこいつなら、そんな自分を隠すためにまた『勇者様』の仮面を被って逃げていただろう。

 

なのに、今はもう自分を卑下する言葉で誤魔化さない。

自分がどんなに格好悪くても、泥臭くても、ただ真っ直ぐな思いと一緒に、俺に向かって言葉を絞り出そうとしている。

…ほんと、強くなったな。

 

「でも…太一が来た。最初は、怖かった。治の友達だから、また私は評価、されるんだって。」

 

…ああ、思い出した。

入院初日、俺が病室に乗り込んだ瞬間に、こいつは俺に背を向けて横たわっていたっけ。

...失礼な。

めんどくさいにも程があるだろ。

『俺だって2人部屋とか最悪って思ったわ。』と言いたくなる気持ちを、今は我慢する。

 

「でも…太一は、違った。…驚くほど、容赦なくて、気遣いの欠片も、なくて。」

 

…今度は『失礼だな』なんて思えなかった。

何故かはわからないけど…胸の奥が、熱に支配されていく。

 

「私、病気で寝てたのに、毎日高熱で苦しんでたのに…それなのにこんな不謹慎な…『お前の体調?知らねぇよ。体温計の数字が高い方が負け、それだけだ。暇だから俺と勝負しろよ。』みたいな…そんな気迫を感じた。」

 

すずが「ふっ」と笑みを漏らす。

改めて、俺の「クソ生意気な大学生でいよう作戦」は成功だったのだという事実を、噛みしめる。

 

「太一の前では、初めて『元気かどうか』を気にしなくて済んだ。弱っていても、殻に閉じこもっていても、そのままの私を…ただの『勝負の相手』として生かしてくれた。」

 

…俺はお前と同じ「弱者」の目線で、寄り添っていたつもりだった。

同じ弱さを共有しているから、お前は俺を許しているんだと、そう思っていたのに。

…大誤算も、いいとこだ。

 

「私…本当はずっと、弱くて醜い部分を、誰かに気づいてほしかった、んだと思う。でも、…周りからの期待を裏切れないっていう、思いが強くて…どこにも、吐き出せなかった。」

 

周りからの期待…。

俺自身も、白鳥沢に居たときに、無意識に感じていた。

こいつ…俺と正反対と思っていたけど、根っこは似ている、のかもしれない。

 

「でも…太一っていう、外部からの砲弾。私の『光』の部分なんて、見ようともしない。それが…私に強制的に、でも自然に…ずっと誰にも見られたくなかったものを、私のプライドごと、ぶち壊した。」

 

すずの『光』。

この入院生活で、俺にとっては最も「ノイズ」だったもの。

 

「私が本当に欲しかったのは『優しさ』じゃなかった。自分の中の醜さを、土足で踏み荒らして、めちゃくちゃにしてくれるような…そんな強制力。太一だけが、それをくれたんだよ。」

 

治の身代わり。

気休めの空白。

俺が築き上げた卑屈な防御壁が、跡形もなく崩れ去る。

 

その時、すずの表情から緊張が消えたことを、俺は見逃さなかった。

ただ、すずの目を見つめる。

 

「…私を、『外の世界で生きたい』って…思わせて、くれたのは…他の誰でもない、太一、だけなんだよ。だから…」

 

その続きを、脳に一生焼きつけたくて。

目の前で一生懸命言葉を生み出そうとしているすずを、動画を撮るかのように凝視した。

すずの強張っていた顔が、熱のせいで赤くなった頬と一緒に、ふっと信じられないくらい柔らかく解ける。

ボロボロの、泣き出しそうな、でもどこか吹っ切れたような、見たこともない無防備な笑顔。

もう、誰かを突っぱねるためのどんな『鎧』も、ここには残っていなかった。

 

「ありがとう、太一。」

 

「ありがとう」も「太一」も、今まで何億回と聞いてきた単語。

でも…俺は。

俺という人間そのものへの、全力な肯定。

どんなに綺麗で、格好良く並べ立てられた言葉よりも。

今このタイミングで、こいつから放たれた「この8文字」。

そして、こいつの素の微笑み。

俺は一生忘れないだろう。

 

「不本意すぎる入院生活。この暇すぎる時間を使って、隣の勇者様の本質でも暴いてやろうか。」

 

入院当初ふと抱いた、今思えば超上から目線で無神経な好奇心。

普通の人間には到底持てないであろう、優しさの欠片もない「傲慢さ」。

そんな俺が持ち合わせていた唯一無二の武器こそが、こいつを地獄から救い上げたんだ。

 

…ちょっと前、白布と2人きりの時。

 

「太一。…お前に勝算など、あるわけがない。それは今も同じだ。…ただ、お前がその『言えなかった未練』のせいで、退院後にまでつまらねー顔してシャバを歩くってんなら、それは医療の敗北だ。…好きにしろ。後悔しない道を選べ。」

 

白布に突如告げられた言葉。

その時は「俺はやるべきことはやった。後悔なんかない。…これ以上ネチネチとあいつの懐に踏み込むなんて、柄じゃない。」なんて、威勢よく言ったけど。

 

でも…お前と俺の間では、とっくに「気遣い」なんて概念、すでにこの消毒液で除菌済みだ。

俺の気持ちを聞いたあとのこいつの罪悪感なんか、知らねーよ。

お前が俺の「傲慢」を特別だと言ってくれるのなら。

俺だって、それを最後まで振りかざしてやるよ。

 

俺を、こんな勝算のない非合理な泥沼に引きずり込んだ。

「治の代役」じゃなくて「唯一無二の存在」という称号をあたえられ、余計に逃げられなくなった。

その重罪を、『俺への感謝』なんていう綺麗な形でなんか、終わらせねぇよ。

 

俺はすずの目をじっと見つめ、静かに告げた。

 

「はい…。お前のターンは、一旦終わりだ。次は、俺のターン。俺の話も、聞け。」

 

ずっと胸の奥で凍結させて、ゴミ箱に捨てる予定だった想い。

退院2日前。

明日、最後の1日は…吹っ切れて、お前と最高に最低で、最後の不謹慎な夜を過ごしたいから。

俺はゆっくりと、その想いをすずの熱気で溶かし始めた。

「…感謝なんて言葉で、綺麗にまとめられると思うなよ。」

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