俺だけの聖域   作:ゆずみかん#HQ

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#40 希望の夕焼け

「すずー来たぞ。そして検温結果教えろー。」

 

昼下がりの、白いレースのカーテン越しに、夏手前のギラついた日光が溢れる病室。

俺はまるでその場所が第2の自宅であるかのように、すずが寝転んでいるところに構わず入り込んだ。

 

「お、太一やん。37.2やけど。」

「はい今日も俺の勝ち。俺は退院してからすごく元気だからな。」

「…ってか太一、気になっとったんやけどさ…。来た時の挨拶毎回それなの何?斬新すぎるんやけど。」

 

ベッドから身体を起こしたすずが、心底呆れた顔で笑う。

あんな泥泥の告白をして、盛大に振られた後だっていうのに。

少しの腫れ物扱いも、気まずさも混じっていないそのまっすぐな笑顔に、俺はまたどうしようもなく安心させられてしまう。

 

「これはもうじゃんけんの代わりみたいなもんだろ。ただのじゃんけんなんてつまんねぇじゃん。」

「いやいや、私だけ負け確の条件そろっとるんよ。こんなの勝負じゃないからな?」

 

すずが気だるげに、2人で散々使い倒したチェスボードを取り出す。

もちろん勝負は勝負だ。

俺は有無を言わせることなく、白い駒を手にした。

 

すずはつい先日、やっと白布から退院を告げられた。

すずにとっては、1か月半もの長すぎた戦い。

でも俺にとっては、あと3日で失われてしまう聖域。

その事実をかみしめながらチェスの駒を動かす。

大分元気になったこいつの攻略は、一筋縄ではいかなそうだ。

 

「てか太一、マジで毎日来てくれるよね。暇なの?」

 

チェス盤を神妙な面持ちで眺めていたすずが、ふと俺に挑発的でいたずらっぽい問いを投げかけてきた。

俺は一切悪びれることなく、憎まれ口で返した。

 

「うるせぇ。就活終わった文系の大学4年生なんて、クソ暇でやることねぇんだよ。すずはちょうどいい暇つぶしだ。ボードゲームもあるしな。」

 

学校はもう週1しかないから、クソ暇なのは本当だ。

でも、もし忙しくても、俺は絶対に毎日すずの元に来てボードゲームをやるに決まっている。

まあ、今は面白いところだから、本音は敢えて隠しておく。

 

すずは「太一やっぱひどい」と不貞腐れたフリをしながら、黒い駒に手を伸ばした。

その時、病室の入り口に静かな、けどどこか台風のような勢いをまとった影を感じた。

 

「あ、治やん。やっほー。」

 

すずが軽く治に手を振ると、治が一瞬やわらかい笑顔を見せた。

が、すぐに俺の方を見てちょっと不貞腐れた顔をする。

 

「川西…また、おるやんけ…」

「おう治。お前が必死にシャケとかツナマヨ握ってる間、俺はずっとすずの対戦相手してたわ。お疲れ。」

 

病室のパイプ椅子に堂々と座り、すずとチェス盤を挟んで向かい合っている俺を、治は心底羨ましそうな絶望顔で見てきた。

ちょっと勝ち誇った気持ちになる。

 

よく見ると治が来ている上着の下は、おにぎり宮のTシャツのままだった。

きっとまた、数時間でも店を抜け出せるタイミングを見計らい、頑張ってやって来たんだろう。

 

「前にも思ったけど、川西。…学生特権使いすぎや。…なんか俺が、すずに時間割かん薄情なやつに見えるやん。悲しいわ。」

「おう、大学4年生最高だわ。週1の数時間以外はずっと自由に時間割組めるからな。」

 

静かに悔しさをにじませながらうなだれる治に、俺はわざと憎たらしい笑みを浮かべて追い打ちをかけた。

その大きな身体がすずの隣で小さくなっているのを見ると、なんだかすずに甘えている可愛い弟に見えてくる。

その見事なニコイチっぷりに、俺は微笑ましさを感じた。

…高みの見物だけどな。

 

「なあすず。俺、社会人辞めてええか?」

「ダメや。」

 

すずが治の方を見ずに、不敵な笑みを浮かべる。

チェスの駒を動かしながら、容赦なく即答した。

この世の終わりみたいな表情を見せた治に、すずは向き合って言葉を続ける。

 

「お前が社会人やめたら…治のおにぎり待っとるお客さんが…そして私が、治のおにぎり食べれんくなるやろ。そんなん許さんからな。」

 

すずの言葉に毒気を抜かれたのか、治は「しゃーない。早くここ出て俺のおにぎり食いに来いよ?」と、一瞬で店主の顔に戻った。

ほんと…すずの言葉に一喜一憂して、こいつの中も救いようがないくらい、すず一色だな。

 

治が出ていった1時間後くらいに、俺も病室を出た。

吹き抜けのロビーを抜け、自動ドアを出ると、ムッとした外の熱気が肌をなでる。

この後、バイトだ。

 

すずには「太一。働いてもいいけどここに戻ってくるのだけはやめろよ?」と、ケラケラ笑われた。

白布のやつ…俺が入院した理由、すずにバラしやがったな。

心の中で白布に毒づくも、すずの屈託ない笑い声を思い出すと、不意にニヤついてしまった。

白布に『おい俺の入院理由何すずにバラしてんだ。シフトは減らしたし早番多めに切り替えたから、これ以上バカにしないでくれ。』とLINEしようとすると、すずのアカウントが目に入った。

 

退院してから今日まで、ずっと送れずにいた、すずへのデートの誘い。

「クソ暇」なんて嘘ぶいていたくせに、いざシャバでの一通目を送るとなると、どんな不謹慎な文面ならあいつが「戦友」として乗ってくるか、情けないくらい何度も書いては消してを繰り返していた。

 

俺たちの聖域はあと3日で失われてしまう。

…物理的には、な。

今から俺があいつに送るのは、3日後に訪れる「形を成さない聖域」への橋渡し。

俺がここに居たときは、単なる追放通知だった「退院」という事実。

 

今のこの「病室」っていう聖域も名残惜しいけど。

でも、それ以上に。

今はシャバで新しく形成されるであろう俺らだけの形は、どんなものになるんだろうか。

そんな期待に胸が膨らむ。

 

歩きながらスマホを開き、すずのアカウントをタップする。

記念すべき一通目。

もう、スマートな誘い方なんて考えるのはやめだ。

送る内容は、最初から決まっている。

 

『来週の23日、12時に△△駅。不謹慎なゲームの第2ステージ始めるぞ。遅刻すんなよ戦友。』

 

送信ボタンをタップすると、画面の向こうに俺たちの「形を変えた聖域」がぽんと投げ出された気がした。

その瞬間、ポケットの中で小刻みにスマホが震える。

画面を見れば、すでに『既読』の文字と、呆れたようなトドのスタンプ。

早すぎだろ。

 

かつて、すずの損失の過去と絶望を全てさらけ出した、あの一際赤かった病院からの夕焼け。

今、俺のスマホの画面を、そしてアスファルトを朱色に染めるその光は、俺の希望を表すかのように、どこまでも果てしなく広がっている。

今日のバイトは、皿洗いでもしながら、あいつをシャバでどう振り回してやるか、最高のデートプランを練ってやろう。

 

―振られたって関係ねぇ。

俺たちの勝ち誇ったゲームは、ここからシャバへ続くんだから。

 

そんなワクワクをかみしめて、俺は夕焼けの下を歩いた。

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