「お前…駐車下手クソだな。何回やり直したんだよ。」
「うっさい。運転免許すらこれからのやつに言われたくないわ。」
すずが退院してから1週間が経った。
約束通りの日時に、すずは車で駅に現れた。
初夏の気温、そして雲一つない青空の輝きに呼応するように、すずが履いている無駄に幅が広いカーゴジーンズにぶら下げられたウォレットチェーンが、美しい金属光沢を放っている。
派手なロゴとビルの街並みのプリントがされた、オーバーサイズの白いTシャツとの組み合わせ。
一か月半の入院生活ですっかり肉がそぎ落とされてしまった彼女の身体にそのファッションだと、最早服が歩いているようにしか見えなくて、姿が見えた瞬間に笑ってしまった。
前は、他人を突っぱねるための「鎧」として着ていたはずのダボついた服。
だけど今のこいつは、ただ純粋に自分の「好き」を身にまとって、誇らしげに笑っている。
そのわずかな、でも確かな変化が、俺にはたまらなく眩しかった。
「お前さ、服に負けてどうすんだよ笑 無駄にダボい服で背伸びせずに、こういうのでいいんだよ。」
俺がまとっている、ジャストサイズの黒いTシャツに細い紺のスラックス。
余計なロゴ1つない、シンプルを極めた無駄のないファッションを見せびらかす。
すずはそれを見て「私は私のアイデンティティに正直なの!バカにすんなぁ!」と、意味の分からない必死な演説をして来て、さらに笑いがこぼれた。
その屈強さに、またまた毒気を抜かれる。
そしてすずは、財布から車の鍵を取り出してニヤリと笑った。
無駄に指で鍵をくるくる回して、よほど運転ができることをアピールしたいんだな。
こうして俺がせっかく駅集合にしたのに、結局こいつが親から借りた車で出かけることになった。
昼間の道路は、車通りが少なくて爽快感がすごいらしい。
すずがいかにも好みそうな、アップテンポの曲が車内で再生される。
鼻歌混じりに回されるハンドル。
そして運転席からマシンガンのように飛んでくる、自動車免許合宿時の思い出。
すずが喉を庇うことなく、流暢にしゃべり飛ばしている。
俺はその様子を助手席で見て、当たり前の現象のはずなのに改めて驚かされた。
出会ったのは1か月以上前なのに、こいつが何の身体の不自由もなく、ちゃんとシャバで元気にしている様子を直接見るのは、今日が初めてなのだから。
真っ昼間のギラギラした日光。
俺の188センチの高身長でも、アスファルトに伸びる影はあっけないほど短い。
そんな俺の影を、すずは初夏の爽やかな風のように追いかけてくる。
やってきたのは、海の近くのファストフード店。
そこでササっとテイクアウトして、海辺でテキトーに座って食べることにした。
「お前…よく食うな。退院して1週間だろまだ。」
俺が優雅にセットのコーラを飲んでいる横で、すずは胡坐をかいて豪快にバーガーを貪り食っていた。
こいつ、今…確かバーガー2個目だ。
ポテト特大サイズにドリンクもあるのに。
1週間前まで病院に居たなんて信じられないくらい、生命力の塊。
一瞬、その姿に治がチラつく。
「おう、食べ物に飢えとったし、私消化器官だけは強いからさ。」
またまた意味の分からない言い訳を勢いよく飛ばして、再びバーガーに没頭する。
そんな、目の前に果てしなく広がり、初夏の太陽の輝きを反射する海の静けさとは正反対のエネルギー量。
すずからそれを感じ取ると同時に、ふと疑問が浮かび上がってきた。
バーガーからポテトに意識を変えたすずに、それを投げかける。
「お前さ、なんで治と付き合わねーの?」
「え?」
すずがポテトを取る手を止め、驚いたような目を俺に向けてきた。
咄嗟に口から洩れた、素っ頓狂な声。
こいつ…さては治がすずを「ただの幼馴染」だなんてこれっぽっちも思ってないことに、一切気づいてないのか。
治…あんだけ長い時間一緒に居ておいて、告白もできないなんて…ほんと、ヘタレだな。
…が、またまた俺の計算間違いが発覚した。
「…告白は、された。」
さっきまであんなに夢中だったポテトにもドリンクにも手を付けず、俺の目を真剣に見て告げられた事実。
一瞬、潮の流れが止まったようにすら感じた。
「でも、付き合っとらん。」
視界の端で感じた、ぎこちない潮の再開。
告白されたのに付き合わない。
あのすずがそう言うのなら、何か揺るがない理由があるのだろう。
―俺が尋ねる前に、すずはその理由を教えてくれた。
目の前に広がる、凪いだ海のように落ち着いた、迷いのない瞳で。
「…太一が背中を押してくれて、治との仲直りに踏み切った時。治と会って、いっぱい話したんよ。お互い、付き合い長いくせに共有できんかった、胸の内。」
すずが胡坐の姿勢をやめ、体育座りになった。
何か大事なものを守るかのように、膝を抱えて座る。
昼間の太陽が、真っ直ぐにすずへと降り注いだ。
「で、分かったんよ…。お互い、小1からずっと一緒なんていう、絶対的な時間の長さを盾に、相手のことを知り尽くした気になっとった。一番向き合わなきゃならん部分から、目を背けて過ごしてきたってね。」
未来を見つめたようなその真っ直ぐな瞳に、俺の目が釘付けになる。
海風がすずの髪を揺らし、噤んでいた口が再び開いた。
「…で、二人で話して、決めたんよ。お互い、幼馴染もう一度やり直そうって。私は私で「自立した強い女を演じた、ただの怖がり」やったし、治は治で、誰も傷つけんように無理しとった「怖がりな八方美人ヒーロー」やったんやなって、お互い納得したから。
…うちら、お互いがお互いを特別に思いすぎとった。でも、だからこそ、今ここで「彼氏彼女」っていう都合のいい名目に逃げたら、うちらはまた本当の意味で向き合うんを辞めて、同じ過ちを繰り返す。そういう危うさがまだあるなって、治とも話した。だから今は、何の縛りも設けんと、もう一回ちゃんとお互いを真っ直ぐ理解し合う時間にしたい。だから私は、治とは付き合わんし、治もそれを望んどる。」
ますます青空が深みを増していく。
俺が病室で見た、すずと治の入り込めない空気感。
俺はそれを、「完成された幼馴染」そのものだと思っていたのに。
この2人は恋人として付き合うという選択を自ら望んで放棄し、今度こそお互い逃げずに向き合うことを決めた。
10年以上かけてお互いを縛り付け、すずを精神的破滅にまで追い詰めてしまった、歪んだ幼馴染の歴史。
それを一度完全にぶった切って、更地に戻してでも、もう一度最初から向き合い直す。
そんなこの2人の「泥臭くて、あまりにも重い潔さ」に、俺はますます治への敗北感を募らせずにはいられなかった。
だってそれは、それだけの痛みを伴う覚悟ができるくらいに、相手のことを一生ものとして信用している、まぎれもない証拠なのだから。
―でも。 そんなお前の、救いようがないくらい生真面目で不器用な生き方の「影」を、特等席でこうして特権的に眺めていられるのは、治でも他の誰でもない、俺だけだ。
「…お前はほんと、最後まで不器用で生真面目だな。」
呆れた笑顔を浮かべる俺の横を、海風が勢いよく通り過ぎた。
すずがどんなに治や他の人たちの前では勇者で居ても、俺だけはずっとどこにも行かずに、この「戦友」の席に居座り続けてやる。
調子に乗った不摂生が原因の、自業自得のロスタイム。
それがこんなにも、俺への贅沢な一生もののプレゼントをくれた。
海風のように一瞬で激しく過ぎ去った、俺の恋心。
だけど、この不謹慎な病室から始まった2人の絆は、海よりも不動で、深い。
俺は一生、すずの中のこの特等席を、誰にも譲ってやらねーよ。
パチパチとはじけるような刺激は、もうとっくに消え失せた。
それでも―俺は、すっかり炭酸が抜けて甘さだけが残ったセットのコーラを、胸の奥で、まだしぶとく残していた。(完)