夕方。
ひとしきり筆談に付き合ったすずが、疲れ果てたように眠りに落ちた。
その寝顔をなんとなく眺めて、「あー、こいつも人間なんだな」なんてガラにもないことを思っていると、背後から緊張感の欠片もない声が降ってきた。
「やっほー太一! 生きてるぅ〜?」
…げ。天童さん。
よりによって、この体調の時に一番相手をしちゃいけないテンションの人が来た。
俺は慌ててボードに『喋れません。白布にシバかれます』と書いて突き出した。
天童さんはそれを見て、面白そうに目を細める。
あー、うぜぇ(笑)。
天童さんは俺が黙っていることなんてお構いなしに、一人でペラペラと喋り散らかし、サイドテーブルにガサゴソと何かを置いた。
「太一が入院中暇だと思って〜、ボードゲーム持ってきてあげたよん♪ チェス、オセロ、トランプ。今日はこれだけで勘弁してね〜?」
…いや、全部2人以上必要なやつじゃん。
「1人でどうしろってんすか」という俺の視線を察したのか、天童さんはニヤリと笑って、眠っている隣のベッドを指差した。
「いいじゃなーい、隣の彼女と遊べば! 仲良くネ〜♪」
嵐のように去っていった天童さんの背中を見送り、俺はどっと押し寄せた疲労感に息を吐いた。
スマホを見ればいくらでも時間は潰せる。
でも、この熱と倦怠感の中で発光する画面を見続けるのは、今の俺には苦行に近い。
(ボードゲーム、か……)
相手も同じ「病人」って条件なら、一人でスマホと格闘するよりはマシかもしれない。
そんなことを考えていると、白布が点滴の交換に入ってきた。
「測れ」
短くそう言って体温計を渡される。
眠っているすずを見て、白布は「チッ、二度手間だ」と露骨に嫌な顔をした。
相変わらず、患者へのホスピタリティがマイナス域だな、こいつ。
ピピピッ、と無機質な音が鳴る。
表示された数字は、38.5℃。
…おい、俺はこの数字に呪われてんのか。
一日寝てれば治る。
そんな大学生特有の「健康への根拠なき自信」が、音を立てて崩れていく。
出口の見えない暗闇に放り込まれたような、得体の知れない恐怖。
白布が「寝とけよ」とだけ言い残して去っていく背中を見ながら、俺はふと、手元の体温計と、天童さんが置いていったゲームを見比べた。
(……あ。これ、使えるかもな)
「自分が自分でいられなくなるのが怖い」と言った、隣の勇者様。
あいつが目を覚ました時、この絶望的な数字を「ただの数字」じゃなくしてやる方法。
「…早く起きねーかな、あいつ」
柄にもなく、そんなことを思った。
次に彼女が目を開けた時、俺たちが「哀れな患者」から「勝負師」に変わるための、最高に不謹慎な遊びを提案してやる。
俺は熱に浮かされた頭を枕に沈め、隣のベッドから聞こえる小さな寝息をBGMに、その「悪巧み」のルールを頭の中で組み立て始めた。