腕輪をヴェールの手から没収した日から、香織は日に日に暗くなっていった。笑顔を見る機会はめっきり減って、好きな映画の話題ですら会話が弾まない。
学校を休む日も増えていって、一緒に過ごす時間も減っていく。その一方で、香織が魔法少女として戦うこともあの日以降ない。
喜ばしいことなんだと思う。でも、これで本当に良かったのだろうか。
自室のベッドに寝転がって考える。
香織の死因となったアイテムを彼女の手から遠ざけ、結果的にとはいえ彼女は魔法少女から離れようとしている。
目的は概ね達成できた。
けれど──あの日、見せた彼女の豹変っぷりが脳裏に浮かぶ。
あれほどまでに声を荒げる彼女は見たことがなかった。
貪欲に力を求めていた。
どうしてだろうか?
転移であの場から去る時、彼女は「守れな──」と言いかけていた。
おそらく守れないと言ったのだろう。
なにを? ──きっと、これまで支えてくれた家族や病院の先生達だ。原作で語られる彼女の理由がそうだから。
なにから? ──間違いなく魔物。でも、倍化の力が求められる程の強さの魔物は
「あっ」
そこまで考えて気がついた。
原作ではこの時期から魔物が手強くなってくる。
もしや、香織はパートナーの妖精から魔物が今後、強くなることを知らされたのではないか。
彼女の妖精は確か知的なキャラだったはず。私は原作のアニメを最後まで見ていないから、そのメカニズムを知らないが、魔物が強くなっていく傾向に彼女の妖精は気づいたに違いない。
原作では強化アイテムを使ったローズやブルシエルの戦いを見て、必要と判断したから妖精は彼女に強化アイテムを渡していた。
でもどういうわけか、あの二人よりも先に強化アイテムが彼女の手に既にあった。
そのことはとても不可解だけど、“ヴェールの戦闘能力を上げるため”という、あの妖精が強化アイテムを渡す理由は変わっていないはずだ。
もしも、その時に香織が強い魔物が現れる可能性を妖精から聞かされていたら、きっと彼女は大切な人々を守るために強化アイテムは絶対に必要だと強く思ったはずだ。
強化アイテムがなければ、戦えない──守れないと、思い至った。
だから、私に強化アイテムである赤い腕輪を奪われた時、あんなに人が変わったように態度が変わったんだ。
「でも、もう大丈夫だ。私が代わりに守ればいい」
赤い腕輪を私が持っている限り、彼女が私が知る形で死ぬことはない。後は単純に魔物に襲われて死んでしまうことがないように、守る。
彼女自身も、彼女のために──彼女の周りにいる大切な人々も、ひっくるめてだ。
そうすれば香織は二度と戦わなくて済む。
「それで本当に丸く収まるかしらね?」
窓辺に座る黒毛のメインクーン(大型のイエネコ種)が不穏なことを口にする。
縁起の悪いことを言うなと、私は妖精形態のワルルを視線で咎めた。しかし、気にせずワルルは意味深な笑みを浮かべる。
「先日の変わり様……彼女にとって、赤い腕輪がどれほど重要な代物なのか、あなたにも分かっているでしょう?」
「……分かってる。でも、アレは使わせちゃダメだ。一回使っただけでも負荷が大きすぎる──香織じゃ耐えられない」
「そうねぇ、でもそれってあなたの都合でしょう。彼女はそんなことで諦めるかしら?」
「……どういう意味?」
ワルルの言葉が妙に引っかかり、ベッドから体を起こす。
金色の瞳を窓の外へ向けて、ワルルは説明を続けた。
「先日のあの子の目……とても危険な目をしていたわ。目的のためなら危険性なんて無視する者の目よ。ああいう目をする者は、手段が一つ潰れたくらいでは止まらないわ」
「ちょっと待って! 止まらないって……強くなるための手段なんて
思わず叫んだ。
ワルルの言っていることを認めるわけにはいかない。
だって認めてしまったら、彼女にはまだ戦いで命を落とす可能性があることになってしまう。
「逆に聞くけど、どうして
「え……?」
「そして、あの子は求める力の質をたぶん選ばないでしょう。合法的な手段で強くなる方法を失った今──非合法な手段に手を出す可能性もあるわね」
「な……っ、そんなわけ……」
否定しようとして──言葉に詰まる。
先日の彼女の豹変ぶりから、ワルルの言った可能性が容易に想像できた。
そんなことするはずがない。でも、最近の彼女は様子がおかしい。彼女と一緒に過ごす時間が減った分、彼女を知らない時間が増えた。
「あら、噂をすればね」
窓から外を見下ろしてワルルは言った。
窓に近づいて同じように下を見れば、香織が家から出てどこかへ向かっている姿が見えた。
どこへ行くのだろうか。
昨日も学校を休んでいた。身体はもう大丈夫なんだろうか。
……そして、何もしていないのか。
身体に対しての心配と知らない間に良からぬことをしていないかという心配が一緒くたに心を埋めつくす。
何か行動するべきじゃないかと、体がソワソワする。
「そんなに心配なら、会って聞いてみたら、どう?」
ワルルが視線をこちらに向けて提案する。
反射的に部屋を飛び出そうとして、足を止めた。
会って、どう聞くのか。
バカ正直に問いただせば、私がエーテルノワールだとバレるかもしれない。
そうなれば、もう二度と今までの関係には戻れないだろう。
じゃあバレないように聞き出すか?
そんな事ができるほど、私は話術が得意ではない。
「はぁ……」
背後で呆れたようにため息を吐かれた。
「足踏みしちゃって情けないこと。そんなに嫌われるのが嫌なら、あの子をこっそり
「……そうだね、そうしよう」
ワルルの提案に乗ることにした。
たしかにそれならば、正体がバレることなく彼女に抱いた疑いを確かめることができる。
さっそく私はワルルを伴って家を出た。
香織の歩速は普通の人よりも遅い。
後から家を出てもすぐに追いつく。
五〇から一〇〇メートルぐらい離れて、尾行する。
当初は買い物に行くのだろうと思っていたが、だんだんと市街地から離れていき、人気の少ない地域にまで移動してきた。
「こんな所まで来て何をするつもりなのかしらね、あの子は」
ワルルの言葉に私は何も返さなかった。
悪い予感が的中しようとしている。
そんな感じがしてならない。
やがて、香織は郊外の廃墟へと入っていった。
元は工場だったようでドラム缶などが放置されている。
彼女は敷地の奥へと進んでいく。その足取りには迷いは感じられず、どこかを目指しているのは明らかだ。
私も後を追って奥へと進んだ。
香織が進む先には倉庫のような建物があり、重そうなスライド式の鉄扉が少しだけ開いていた。
彼女は扉の隙間に体を滑り込ませるように入っていく。
私は足音を立てないように鉄扉に近づき、隙間から中を覗いた。
倉庫の中は薄暗く、屋根に空いた穴から差し込む陽の光だけが頼りだ。
香織は倉庫の中央に行くと立ち止まる。
誰かと話している。
こちらからは背中しか見えないが、たしかに彼女は誰かと会話しているように見える。
だが、話し相手の姿は見えない。
なにか幻覚でも見ているのか?
そう思っていると、香織は虚空へと両手を伸ばした。
手のひらで器を作り、なにか受け止めるような仕草。
なにを?
彼女の奇行に首を傾げていると差し出した手のひらから黒い霧のようなものが溢れ出した。
なんだアレは……?
「あれは……闇の魔力……っ、よりにもよって……!」
ワルルが金色の瞳を見開いて戦慄いた。
「闇の魔力って、なに……?」
「説明は後よ。急いであの子を止めないと手遅れになる……!」
普段からは想像できない切羽詰まったワルルの様子に事の重大さがすぐに分かった。
ダイヤルコミューンに変化したワルルを掴み、すぐさま変身──エーテルノワール(マジシャンフォーム)となって、倉庫の中へ飛び込む。
「あなた、そこで何をしているの!?」
問いかけると、驚く素振りも見せずに、ゆっくりと香織は振り返る──口元に微笑を浮かべて。
「ああ、ノワール……ちょうどよかった」
ちょうどよかった?
私に何か用があるのか、彼女は。
「私、あなたに証明したかったんです。私は魔法少女として戦えると……」
香織は胸に手を置いて語る。
……まだ諦めていなかったのか。
ワルルの予想が悪い方に当たっていく。
どうしてうまくいかないのか。
「まだ、そんなことを言っているの。あなたの力は──」
「だからッ!!」
叫びのような彼女の声が倉庫内に響いて、私の言葉を遮る。
彼女と目が合い、背筋が凍った。
底なしの深淵のようなハイライトのない瞳が私を見ていた。
「あなたに勝って、それを証明します」
胸に置いていた彼女の手の中に、いつの間にか黒い端末が握られている。
彼女をはじめ、ローズやブルシエルも使うスマホ型の変身アイテム──タッチコミューン。
それと形状はほぼ同じだが、色は余すところなく真っ黒だ。
だが、はっきりと分かることがあった。
あれが先程見た黒い霧──ワルルが闇の魔力と呼んだものの源だと。
『あなたの妖精はどこ?』
ワルルが言った。そうだ、彼女の妖精はこんな時にどこにいる。今の彼女は危険だ。こういう時に側にいて、止めるべきだろう。
「フワンソンなら家にいます。……でも、もう
うっとりと、黒いタッチコミューンを見つめながら、淡々と彼女は言った。
明らかに陶酔している──闇の魔力に。
止めなければ。
「やめなさい! その力は危険よ。あなたもそれが真っ当なものではないということは分かるはずよ!」
「うるさい! あなたはいつもいつも……私の弱いもの呼ばわりして──いい加減うんざりです」
彼女が黒いタッチコミューンを操作し始めた。
させるか!
「エーテル・チェーン!」
彼女を包囲するように展開した魔法陣から鎖を射出する。
動作はこれまでで最速。
逃げ道はなく、確実に捕まえられる。
だが次の瞬間、彼女の身体から闇の魔力が吹き上がった。
黒い霧に触れた鎖は、真っ黒に変色して勢いを失ったように地面に落ちて砕ける。
……腐食した?
逆巻く闇の魔力の向こうで彼女が口角を上げた。
「エテルフォーゼ!」
彼女は変身の呪文を口にして、黒いタッチコミューンで宙に円を描く。
円は魔法陣となって、彼女の身体を通過し、その姿を変えた。
森や野原を連想させるモスグリーンと若草色から一変して、黒色と灰色を基調とした衣装を身に纏ったエーテルヴェール。
その衣装の色は燃えて炭になった木と灰となった焼け野原を思い起こさせ、私に死と滅びをイメージさせる。
まるで彼女の未来を暗示しているようで、
「さぁ、始めましょうか」
黒と灰色のエーテルヴェールが歩み寄ってくる。
その表情は自信と高揚感が表れていて、手に入れた力を早く振るいたいという欲求が見て取れた。
完全にあの力に酔いしれている。
なら、彼女の目を覚まさせる!
「すぐに終わらせてあげるわ!」
魔法陣を展開してビームを放つ。
従来のヴェールならば、反応できない速度。
だが、彼女は余裕のある笑みを浮かべたままだ。
ヴェールの側に一本の巨大な黒いひまわりが咲いた。
その瞬間、まっすぐ彼女に向かっていたビームはひまわりに
「お返ししますね」
いたずらをする子供のような笑みでそう言った直後、ひまわりから種子のような光弾が飛んできた。
一発ではなく、機関銃から放たれたような密度で。
「く……っ」
咄嗟に魔力の障壁を展開する。
紫色の壁に光弾が当たり弾ける。
空気を伝って、ビリビリとした振動が体に届く。
「前ばかり見てはいけませんよ?」
愉しんでいるような彼女の声が聞こえるやいなや、周囲の景色が一変する。
薄暗い倉庫から巨大植物が繁茂する森へ。
これはまるで──
「結界……!? 魔物でもないのにどうして!」
『闇の魔力は、魔物の根源よ。同じ事が出来ても不思議じゃない』
私の疑問にワルルが答えた。
魔物と同じ……では、彼女は魔物のようになってしまうのか?
「考え事をしてる暇はありませんよ。だって、この
地面から生えた巨大植物の蔓が蠢く。
蔓の先端が私に向けられ、一斉に突き出される。
障壁をドーム状に変化させて、蔓の攻撃を防ぐ。
「あはっ、それで防げるとでも?」
嘲笑する彼女の声。
蔓に触れている障壁の部分が滲むように黒くなり、蔓の先端が障壁の中へ潜り込もうとしている。
侵食されてる!?
「この……っ」
魔法陣を足元に展開し、その場から転移する。
距離をとって、態勢を整えるしかない。
転移──目の前の景色が変わり、
なんで!?
「残念でし、た!」
ヴェールの回し蹴りが放たれた。
咄嗟に杖で受ける。
重い……っ!
踏ん張りきれずに巨大植物の茎に叩きつけられる。
「どうして……」
ヴェールの身体能力が上がっている。
だが、それよりもなぜ転移先が変わったのかが分からない。
「転移で逃げられると思いましたか? 残念、この領域内では私の方が権限が強いんですよ」
勝ち誇ったようにヴェールは言った。
言葉をそのまま受け取るなら、転移に介入して飛ぶ場所を差し替えた事になる。
滅茶苦茶だ、そんな事ができるなんて……。
「もう、その姿じゃ勝ち目はないでしょうから、別の姿になってみたらどうです? 勝てるかもしれませんよ?」
嘲るようにそう言って彼女は、蹴り飛ばされた時に落ちた魔女帽子を踏みつける。
私を……エーテルノワールをとことん踏みにじってやる、という気持ちを見せつけているようだ。
彼女には私を憎む権利がある、理由がある。
だから、
けれども、今の彼女をこのままにしては破滅する。
止めないといけない、今ここで!
「その、天狗の鼻……へし折ってやるわ」
ダイヤルコミューンを操作し、ファイターフォームへ
専用武器であるトンファーを握りしめて、ヴェールに向かって駆ける。
「その姿でも、無理ですよ!」
蔓が振り下ろされる。
減速せずに、駆け抜けるように躱す。
トンファーを振るう。
ヴェールが飛び退いて、間合いの外へ逃げる。
身のこなしも、速くなっている。
「……っ!」
入れ替わるようにひらりと、大量の葉っぱが私に飛んできた。
地面を強く蹴って、後ろに飛び退く。
着地した時、端が切られた腰のマントが視界に入った。
どうやらあの葉っぱには切断能力があるらしい。葉っぱ一枚一枚がカミソリのようだ。
葉っぱの群れがヴェールを中心に渦を巻く。
彼女を守るように、私を阻むように──力の差を誇示にするように。
「もう分かったんじゃないですか? 私はあなたよりも強いと」
誇らしげに彼女は言った。
これ以上は無意味だと、何をしようが無駄だと遠回しに言っている。
「……決めつけるには、まだ早いのではなくて?」
トンファーを構える。
まだ勝機はある。強化アイテムである赤い腕輪を使えば、彼女を止められるかもしれない。
「あはっ、余裕なんですね〜。その余裕、いつまで持つでしょうか」
嘲笑を浮かべ、ヴェールが手のひらを私に向ける。
それを合図に葉っぱの群れが雪崩のように私に迫ってきた。
やってやるさ。
迫る葉っぱとその向こうの彼女を見据え、赤い腕輪に嵌った水晶を撫でた。
『ブースト』
ノイズ混じりの機械音声。膨れ上がる力と吸い上げられる魔力の感触。
目眩がする。でも、力いっぱい地を蹴って、葉っぱの波へと飛び込んだ。
「はああぁぁぁぁぁぁ──────ッ!!」
トンファーを回し葉っぱを叩き落としながら、前へ進む。
手を動かせ、脚を動かせ、目を動かせ。
致命打以外は無視。とにかく前へ。
「な……!?」
葉っぱの波を突き抜けて、ヴェールの眼前に踏み込んだ。
驚きに満ちた彼女の顔がよく見えた。
トンファーを振り下ろす。
狙いはヴェールの左肩。
「く……っ」
飛び退いて躱される。
でも、おかげで
赤い腕輪の水晶を二度、撫でる。
『ブースト:マキシマム』
魔力がごっそり持っていかれる感覚。
周りの音が止んだ──耳鳴りだ。
視界が狭まり、色がなくなる。
構わない──今は彼女だけ見えていればいい。
ヴェールを追う。
飛び退いて後、着地直後の今なら反応は遅れる。
「このっ!」
ヴェールは右の拳を突き出した。
予想よりも早い反応。
重い拳が私の胴を打って、衝撃が体を突き抜ける。
でも、掴まえた……!
トンファーを手放して、彼女の突き出された手首を掴む。
逃さないようにしっかりと──絶対に離さないという覚悟で。
そして、右手を振りかぶってヴェールの頬を平手で打った。
「これで──」
目が覚めたかしら。
そう言おうとして、言葉が出なかった。
「──あ……ッ!? ぐ、ぅぅ……っ!」
心臓を握り潰されているような激痛。息ができない。声が出せない。
絶対に離さないと決めていた彼女の腕から手が離れ、膝から崩れ落ちる。
いったい、なにが……!?
唐突に起きた異常。必死に思考を巡らせていると、左手首の赤い腕輪が目に入った。
まさか……。
「──ッ、──っ」
膝をついていることもできなくなり、胸を押さえたまま仰向けに倒れる。
体が光に包まれ、弾けると変身が解除された。
私を見下ろすヴェールの目が見開かれる。
ああ……ついに知られてしまった。
「なんで……どうして……」
彼女の呟きが耳に入る。
それに答えようとしても、激痛と硬直した筋肉が私の口を塞ぐ。
ヴェールが後退り、私の視界の外へ。
彼女を見ようとしても、体が言うことを聞いてくれない。
「これは……!」
「ヴェール、あなた何を!?」
私たちではない声が聞こえる。
エーテルローズとエーテルブルシエルの声。
どうやら彼女達は誤解しているようだ。
「ちが……っ、私は……こんな、つもりじゃ……っ」
そうだ、違う。ヴェールのせいじゃない。これは別の原因だ。
でも、その誤解を解くことはできない。
「ああ……ッ、アアアァァァァァァ────ッ!!」
空気を引き裂くような彼女の絶叫。
爆発する魔力の波動を感じても、私に確かめる術はない。
ワルルが何かを言っている。
でも、もう理解することができない。
体が動かない。
指先から冷えていく感覚。
視界が暗くなって、音が聞こえない。
私はこれを経験している。
この世に生を受ける前にも体験した。
これは、人が死ぬときの──