目を開けると白い天井がぼんやりと見えた。
消毒液の匂い。
カーテンが閉じられた窓からは外の光が漏れている。
口が何かに覆われているように感じて触れてみると、人工呼吸器のマスクが付いていた。
「目が覚めたようね」
声のした方に目を向けると、ワルルがベッドの側に置かれた椅子に座っていた。相変わらず気品のある猫顔で余裕綽々といった感じの笑みを浮かべている。
私の勘違いでなければ、ホッとしているようにも見えた。
「ここは……?」
「病院よ。近くに腕の良い医者のいる病院があって良かったわね」
病院……? なんで、そんな所に私がいる?
ワルルの言葉に眉を寄せ、私は言った。
「なんで、病院にいるの?」
「なんでって、あなたが死にかけたからよ」
「死にかけた……?」
ぼんやりとした頭で記憶を遡る。
たしか、どこかに行こうとする香織を追って、廃墟の倉庫の中で闇の魔力に魅入られた彼女と戦って──あっ。
「そうだ! 香織は!? い……ッ!」
体を起こそうとした時、胸に痛みが走った。急な痛みに息が詰まる。体をベッドに沈めてゆっくりと深呼吸をして、痛みが引くのを待つ。
「安静にしていなさい。手術は成功したとはいえ、傷の回復には時間がかかるわ」
ワルルの言葉に心臓が跳ねた。
「手術って……どういうこと?」
ワルルは目を細めて言う。
「あなたの内臓、特に心臓と肺の筋繊維がどういうわけかズタズタになっていたわ。あなたが気を失った後、私がなんとか死なないように命を繋いでローズとブルシエルに病院に連れてきてもらった。そして、緊急手術をして一命を取り留めたのよ」
ワルルが語る経緯に言葉を失った。
まさか、そんな事がなっていたなんて……。
「どうして、そんなことに……?」
「さぁ、詳しくは分からないわ。でも、心当たりはあるでしょう」
そう言われて、頭の中に赤い腕輪が思い浮かんだ。原作にて彼女の命を奪った強化アイテム。
……アレの負荷で私はこんなことになったのか。
だとすれば、私は勘違いしていたかもしれない。
私は彼女が原作で命を落とした原因をアレの使用による負荷に病弱な体が耐えきれなかったからだと思っていた。
「……私でも、無理だったんだ」
自分なら大丈夫だという自信があった。彼女より健康で丈夫な私なら扱いきれると思っていた。
でも実際は誰が使ってもこうなるものだったんだ。
「あのアイテムのことを言っているのなら、おおむね同意よ。私もアレが原因だと思うわ──でも、あなたが思っているようなことではなさそうよ」
「……どういう意味?」
ワルルは私から視線を外して窓のほうに向けた。
「あら、ちょうど良いこと。私よりも詳しいのが来たわ」
ワルルの視線の先を見ると、一羽の鳥がこちらに向かって飛んできた。
緑色の羽毛を持つ鳥は何もないかのように窓ガラスをすり抜けて、ベッドのサイドレールに止まった。
彼女の、エーテルヴェールのパートナー妖精。私は、いち視聴者として一方的に知っていたが、目の前で改めて見るときれいな鳥だなと思った。
「この姿ではお初にお目にかかる。エーテルヴェールのパートナー妖精を務めるフワンソンという。まずは君の意識が無事に戻ったことを喜びを示そう」
「……どうも」
深々と頭を下げるフワンソン。
なんでそんなに丁寧なのか……この妖精が紳士的な性格なのは原作で知っている。
でも、もっと責めてくれていいと思う。
あちらからすれば、私はパートナーに与えた強化アイテムを強奪し、そのアイテムのせいで死にかけたバカ。
罵倒されても仕方がないのに、どうして言わないのか。
「単刀直入に聞くわ。あの腕輪型のアイテムは力を与える代わりに使用者を傷つけるものなの?」
ワルルが話を切り出した。
その言葉には質問というよりは尋問といった雰囲気がある。嘘も沈黙も許すつもりはないかのようだ。
「いいや、フュージョンリングにそのような機能はない。そのような危険なものを魔法少女に与えるなどパートナー妖精としてありまじきことだ」
当たり前だというようにフワンソンは言った。
嘘をついている様子はない。
「じゃあ、どうして私の魔法少女はこの有様なのかしら?」
ちらりと私を見て、ワルルは言う。
ほんの僅かだけ怒りを滲んでいる。苛立っているように見えた。
フワンソン少し黙った後、くちばしを開く。
「おそらくはフュージョンリングの中にいる魔物のせいだろう。あれは本来、ヴェールと共に戦うために調整されたもの。彼女以外の魔法少女が使用することを想定していない。よって、エーテルノワールが強引に力を使おうとした結果、機嫌を損ねノワールに危害を加えたのだ」
ちらりとフワンソンは私を見る。
そうか、腕輪を使うためにハッキング紛いな方法で無理やり使ったことが原因だったのか。
「……じゃあ本来は危険なものではないのね?」
「如何にも。我々と共に戦ってくれる魔法少女に危険な物を与えるわけがない」
「……ちょっと待って」
フワンソンの言葉に引っかかりを覚え、私は口を挟んだ。
「あれを使った時、魔力を大量に持っていかれた。あの負荷に体の弱い彼女が耐えられると思わない──彼女にとって危険だと思わなかったの」
「先ほども言ったが、アレはヴェールのために調整されたものだ。当然、求められる魔力の量も彼女の身体に配慮されている。だが君は、本来使用を想定されていない魔法少女。それに加えて魔物の怒りを買ったとなれば。魔力を余分に取られても、何ら不思議なことではない」
「ああ……どうりで──吸われた魔力に対して見返りが物足りないと思ったわ。あの
ワルルが納得したように言った。
思い返してみると、たしかに《倍になる》という割には魔法が強化された感じがなかった。
機嫌を損ねたフュージョンリングの魔物に魔力をぼったくられたのか。
「……私がなんでこうなったかは分かったよ。ところで、香織は……今どうしてるの?」
病室に沈黙が降りた。
ワルルもフワンソンも難しい顔(そのように見える面持ち)で口を閉ざす。
嫌な予感が頭をよぎる。
まさか、彼女は……。
「黙ってないで、答えてよ……香織は無事なんだよね? ──そうだよね? ねぇ、ってば……ねぇ!」
「落ち着きなさい」
痛みも忘れて身体を起こし黙る二人を急かすように怒鳴ると、ワルルに窘められた。
「現在、ヴェールは行方不明である」
ぽつりとフワンソンが呟く。
「一週間前に君が倒れた直後、ヴェールは魔力を暴走をさせて行方をくらませた。エーテルローズ及びブルシエルに協力してもらい散策ところ、今より三日前にヴェールを発見したが、その時の彼女はもはや我々の知る彼女ではなかった。ローズとブルシエルと
言葉が出なかった。
彼女がローズとブルシエルと戦った。なんでそんなことをしたのか皆目、見当がつかない。
「それは……本当に、ヴェール……いや、香織だったの?」
私の問いにフワンソンは黒いビーズのような目をまっすぐ向けて言った。
「……じつは、そのあたりのことも判然としない。その時、たしかに我々は闇の魔力を纏ったヴェールと戦った。だが、言動や雰囲気、攻撃方法が私の知る彼女と乖離していたのだ」
「じゃあ、君等が戦ったのは香織じゃないと……?」
「いや、あの時の彼女からは私との繋がりがかすかに残っていた。だから、身体は彼女本人で間違いない。だが中身は……別人だ」
「つまり……誰かに操られている?」
「どちらかといえば、乗っ取られていると言ったほうが正しいな」
乗っ取られている。
その言葉に私は愕然とした。
誰がそんなことを……?
原作では、そんな事ができるキャラはいなかったはず……いや、今は犯人探しは後だ。
「助けに行く……!」
人工呼吸器のマスクを取っ払い、痛みを堪えながらベットから下りる。
「……っ」
床に付いた足は力が入らず、膝から崩れ落ちた。
「無茶をしてはダメよ! 目が覚めたばかりなのよ!」
ワルルが椅子から飛び降りて、顔を寄せて私を叱る。
それでも、行かないといけない。
ベットのサイドレールを掴んで、なんとか立つ。
「君の妖精の言うとおりだ、やめておけ。悪化するぞ」
「それでも、行く……っ!」
フラフラする。支えがなければ歩くどころか立っていることを難しい。でも、変身すれば魔力でどうにかできるはずだ。
「なぜだ。なぜそこまでする?」
首を傾げながらフワンソンが尋ねる。
なんでそこまでするかだって?
そんなの決まってる。
「香織を助けるためだ。私はそのために魔法少女になったんだから」
フワンソンをまっすぐ見据え、私はそう言った。
「助けるため、か……同じだな。彼女と同じだ。なるほど、そうか──似た者同士だな、君たちは」
愉快そうにフワンソンは頷く。
「香織は君のために魔法少女として戦っていた」
「……え?」
香織が私のために戦っていた?
彼女が戦う理由はお世話になった人々のためのはずだ。
「この世は残酷だ。人が気づかないまま魔物に襲われ命を落とす。そんな世界と知らずに生きる、ただ一人の友人を守るために魔法少女として戦う。そう彼女は私に語った」
「彼女が……そんなことを……」
フワンソンの言葉には困惑しかない。
彼女が私を守るために戦っていたこと。
今までの前提が間違っていたことを思い知らされる。
私は勘違いしていた。
彼女の戦う理由を。
ただのいち視聴者であった私が彼女に守られる存在であるなど、そんな
「私にそんな価値はないのに……」
たまたま隣の家に生まれて、たまたま歳が同じで幼馴染になれただけのファン。その上、自分のエゴで幾度も彼女の邪魔をしてきた。
守られる価値なんてない。
「はぁ……あなたからすればその程度でも、ヴェールにとっては違うでしょう。彼女、あなた以外に仲のよい友人がいないのではなくて?」
呆れたようにワルルが言った。
「それは……」
指摘されて気づく。
たしかに彼女が他の誰かと仲良くしているところを見たことはない。ほとんどの時間を私としか過ごしていなかった。
「なら、あなたが彼女の中でどれほど大きな存在か──鈍感なあなたでも分かるでしょう」
唯一の友人。
気の許せる、家族とはまた違った距離感で接してくれるただ一人の存在。
自分が香織の立場であったなら、どうしただろうか。
きっと私は彼女と同じことをするだろう。
失わないためにあらゆる手を尽くすに違いない。
死んでしまえば、二度と会うことができないから。
「香織も必死だったんだ……」
フワンソンの言うとおり、彼女も私と同じだ。
二度と会えなくなる。そうなるのが嫌で──怖かった。
「正直に話し合えばよかったのかな……」
お互いの気持ちを話し合っていれば、こうならずに済んでいたはずだ。それこそ、いつぞやワルルが提案していたように、肩を並べて戦っていれば──きっとよかったのだ。
私が香織をあそこまで追い詰めることもなかった。
彼女が守りたかった物を傷つけることもなかった。
大馬鹿だ、私は。
「だったら、話しに行くとしましょう。まだ話せるうちにね」
ワルルが私を見上げて言った。
私を止めるつもりはもうないらしい。
「うん、行こう……!」
私の言葉にワルルが頷き、体をダイヤルコミューンに変化させて私の手に収まる。
「行くか……だが、彼女の居場所は分からんぞ?」
「大丈夫。探し物は得意よ」
ダイヤルコミューンを操作し、エーテルノワール(マジシャンフォーム)へと変身する。
呼び出した杖の石突で白い床を叩く。
「エーテル・ソナー」
魔力の波が私を中心に広がる。
建物を通り抜けて、遠くへ遠くへ範囲を広げていく。
「……見つけた」
街の郊外の一角に奇妙な魔力の塊を感じる。
間違いなくあの日、香織が纏っていた闇の魔力。
足元に魔法陣を展開し、転移に取り掛かる。
「ノワール、言われるまでもないだろうが──香織を、よろしく頼む」
フワンソンは頭を下げて願った。
それに頷いて応える。
「まかせて」
『そうよ。何も心配いらないわ、だから、あなたは
「心得た」
足元の魔法陣が強く光り、転移が始まる。
香織──必ず助けるから!