「……今までも薄々思っていたが、随分とまた物理法則から外れた外見だな」
「そう?私は見慣れてるから分かんないや」
着いた道場は崖の先にあった
其処へ繋がるのは雲で出来た階段のみ
本来であればすり抜けるそれは、しかし確実に足場になっていた
柔らかく、綿のようでありながら、硬く氷のようだとも感じる奇怪な感触の中を進み道場の呼び鈴を鳴らす
『どちら様でしょうか』
対応する声は若い男の物だった
「この地の調査に来訪した者だ。土地の居住者達へ調査を行っていいかの確認を取っているので返答の協力を願う」
『ふむ……しばしお待ちください』
ピッと通話が切れる音がして、しばらく後に道場の扉が開く
声で感じた通り、成人したばかり程度の男性だった
「それで、君が沫囲さんが連絡してきていた子かな。でもね、ちゃんとした礼儀作法を行わない子に先祖代々の秘密を公開していいとは僕は思わない」
険しい顔をする男性と紫の間にみさきが割って入る
「えっと、紫はまだ礼儀作法とか習ってなくって」
「ふむ?調査というからてっきりその辺りは親や教師から教えられてから来ているものだと思っていたのだけど」
「親はもう居ない。教師は養護教諭と校長に良くしてもらっていたが今は休学の身だ」
紫の言葉に男性は少し顔を曇らせる
「そうか……世界にはそういうこともあるとは知っていたが、実際に目にするとどうも心苦しいものがあるな……いや、すまない。これは僕の勝手な気持ちで君には関係のないことだ」
男性は顰めていた顔を元に戻し、屈んで目線を合わせて紫へと語りかける
「まずは自己紹介から始めよう。僕は浮雲道場で武道を教えている浮雲 学(うきぐも まなぶ)だ。君の名前は花咲 紫であっていたよね?」
「あぁ。だが、それで今から何をするつもりだ?」
「なに、ちょっとした指南さ。まず、互いに敬意を表す時は目を見て話すんだ。次に、きちんと丁寧な言葉で『よろしくお願いします』。最後に、やりとりが終わったら『ありがとうございました』。できるかい?」
優しく寄り添うように見つめる学に紫は戸惑っていた
「……知識としては把握した」
「ははは、そうだよね。いきなりは難しいか。いいよ、今日はそれだけ覚えて帰りなさい。君はちゃんと相手のことを大切にするのはできる子みたいだ。その気持ちを忘れないでいてくれると約束できるなら、サインを書こう」
「……可能な限りは善処すると誓おう」
学は居心地の悪そうな紫に優しく微笑み、受け取った紙にサインを書いた
「書いてあるサインから考えたら、最後はみさきちゃんの家かな。じゃあ、いってらっしゃい。良い子に育つんだよ」
学に見送られながら紫とみさきは道場を去った
ーーー
「浮雲先生、良い人だったでしょ?」
みさきの問いに返す言葉を紫は少しだけ迷ったが、どうにか文章としてまとめ口にした
「善人ではあるのだろう。私がこの先も社会で生きることを前提とするのならば教育者として最善の行動を取っていた」
「社会でって……紫はこの調査が終わったら学校に戻るんじゃないの?」
不思議そうに紫を見つめるみさきに、紫は何でもないように返事をする
「戻らない。私は1人で誰に頼ることもなく生きるための方法を探して旅を始めた」
紫の放つ揺らがない言葉に、みさきは寂しそうに目を細める
「じゃあ、浮雲先生との約束も紫にとって意味はないの?」
「……害をなさない他者へは敬意を持つ。最初からしていたことではあるが、きちんと言われたのはこれが初めてだ。故に全くの無意味とは言わない」
「そっか……ううん、私が気にすることでもないよね」
落ち込むみさきを見て紫は溜息を1つ吐いた
「お前が気にしたいならするといい。感情を押し込めたところで良い結果に繋がることなどない」
「……ありがと」
みさきにとって、いつも歩いているはずの帰り道が少し冷たく感じた