暗がりの中、少年が藁人形に釘を打つ
「ひ、ひひひ。僕のことを拒むアイツが、アイツが悪いんだ」
それを後ろから白く大きな翼が包んだ
「そう、全ては花咲 紫が悪いんだ。だから君は遠慮なく呪いなさい。君の呪詛は生まれ持った才能だ。躊躇わず震えばいい」
囁く天使の表情は能面のように無機質だった
ーーー
始まりは少しの不自然だった
『マスター?どうされましたか?』
「今、何かが足に当たった気がしたが……気のせいか?」
『録画を確認…………何もありませんが、不自然に脚部に緊張がみられますね』
「何かの病か……能力持ちの嫌がらせか?何にせよ記録しておこう」
『了解しました、アーカイブしておきます』
その日から、花咲紫には雪崩込むように不幸が訪れる
図書室では本が頭に落ちてくるようになった
紫はいつものように簡単に防いだ
道を歩けば、何もないところで躓くようになった
ノワールがその都度支え、怪我には至らなかった
機械が故障しやすくなった
1人と一機は何の問題もなく迅速に修理を施した
夜、自室で切り出したのはノワールからだった
『数日間データを収集しましたが、明らかな異常ですね。図書室の書籍は簡単に落ちる状態ではなかった、脚部の緊張に病的原因はない、メンテナンスをしたばかりの機器に劣化が起こる。エネルギー源は不明。おそらくは能力持ち……学内の、何かしらの異能力を持つ人間が原因だと考えられます』
「能力持ちの奴らは校内での使用は禁止されていたと記憶しているが……まぁ、違反者が居るのだろうな。学内の者でなければ私を害する必要性がない」
『そうでしょう。極一部の未成年にだけ発現する、物理法則等を無視する異端な力。それもリソースを必要としないもの。小学生が自制しきることができるはずもありませんから』
心底うんざりとした様子で紫は吐き捨てる
「全くもって歪な世界だ」
『えぇ本当に』
ーーー
「なんでなんでなんで!!アイツはまだ涙1つ見せない!!僕の呪いは絶対だ!!天羽生徒会長だって言っているのに!!!!!!もっと、もっと苦しめよ!!僕にひれ伏せよ!!」
癇癪を起こす少年は血が滲むほど頭を掻きむしる
その血が藁人形に染み込み、黒い瘴気を放つ
すると藁人形が釘ごと溶けていった
途端、人影が背後に現れる
「おめでとう、木梨 九知。君は我が主からのプレゼントたる能力を1つ成長させた」
「あ、天羽生徒会長!?いつから……いやそれよりも成長って?」
取り乱す少年に見向きもしないで天使は言葉を返す
「その瘴気だよ。それがあれば、呪いという不安定なものに頼らずに直接手を下せる。殺すことだってできるだろう。君の血は全てその瘴気を発するようになってるはずさ」
九知は言われてすぐに髪の束を取り出し血を垂らす
異臭を放ち、それらは溶解した
「これなら、これなら苛つくこともなく僕を受け入れなかった花咲紫を痛めつけられる!」
1人ケタケタと笑う少年を横目に、天羽は思考を巡らせる
(我が主に近しいものにだけ与えられる異能力……呪いの発展が物質を溶解させる瘴気だというのなら、主は何を呪い、その先にどのような変化を望んだ……?それに、この男児のどこが主に近しいというのか?……いや、今はいいか。花咲紫の心を折り、安全な人間にしてから主の前に届けることを優先しよう)
頭を振り払い、部屋を後にした
ーーー
「ノワール、現在時刻は」
『午後7時15分です。ですがご安心ください、夕食は家の中の機器に指示を出し作っておきました。マスターはこのあとは食べて寝るだけですよ』
「なら、問題ないか。ありがとうノワール」
『お役に立てたならなにより』
花咲 紫は役所へ『特別事由一人暮らし支援制度』の書類を提出し終え帰路に着いていた
夏が過ぎ、秋に入るこの季節。日が落ちるのは少しずつ早くなり薄暗い空が不気味に広がっている
ピタリと、紫は足を止める
「…………皮膚への微細な刺激があるな。いや、そもそもこの時期にこれほど暗いというのも違和を感じる。何かのガスか」
『分析します…………検知できる物質等はありませんね。しかし確かに反射光が吸光されています』
「物理法則に異常、ということは」
突如、紫の前方から深い黒の霧が迫る
紫は手に持ったペンのような機械で圧した空気を放ち、霧の勢いを殺す
防がれ、落ちていく霧の中から少年が現れた
「防ぐなぁ!怯えろ、泣き喚け、許しを乞えぇ!」
呆れるほど見苦しい言葉を吐きながら
『キナシ クトモ……マスターに告白がどうこう言っていた人物ですね。呪いが使えると日頃から自慢していたあたり、最近の不調も彼の仕業でしょうか。しかしなぜ今更になって?』
「見る限り、逆恨みの蓄積が溢れでもしたんだろうな。奴は私が拒否したことを根に持って、自分に従わなかった相手が悪いと言い張るような幼稚な人間だ」
見透かされたことに反応してか、少年は更に激昂する
「僕にぃ!従わない奴がぁ!!幼稚で愚かなんだよぉ!!!その綺麗な顔をドロドロに溶かしてやるぅ!!!!」
叫ぶ声が強くなるほど、瘴気は濃くなり周囲を蝕んでいく
『回避を』
「あぁ」
けれど彼女に届くことはなかった。ノワールのアームに肩を抱えられ危険域から離れた紫は、淡々と現象を分析する
「あの霧……それほど軽くはないようだな、すぐに落下し地面ばかりを溶かしている。それに、溶解速度こそ速いが溶解力は低い可能性が高い。でなければあれほど浴び続けている奴の立つ場所がとうに溶けているはずだ」
『速く溶けるというのに一定の溶解度合いで停止し、そのための科学的な変化も見られない……やはり異能者は理外の存在ですね』
「何を今更。それと、先ほどの接触で少なくとも空気で防げることとある程度は物理法則に従った挙動をすることは確認できた。ノワール、私を抱えたまま広い方の公民館へ向かえ。奴にこちらを見失わせないようにな」
ーーー
九知は逃げる紫を追いながら優越感に浸っていた
これまで逃走という手段さえ選ばなかった彼女を追い込んだのだという歪んだ成功体験は泥に沈んだ温もりのように彼を満たす
「何処へ行っても無駄だぁ!僕の瘴気から逃げ切ることなどできなぁい!」
高揚に身を任せ、獲物を追っていると一つの建物にたどり着く
「身を隠せばどうにかなるとでも思っているのかぁ?狭い場所なら避けられなくなるだけだぞ!」
ケタケタと、九知は公民館の中へと乗り込む
歩みを進めるほど、周囲が溶解していくことが彼には楽しくて仕方がなかった。これまで気に入らない相手を傷つける時は面倒な手順を踏まなければならなかったというのに、今はこれほど簡単に思うように壊してしまえる。そんな自分が心地良かった
ピタリと、追っていた獲物が移動を止めドローンが離れた。窓のない広い空間、普段であれば大人たちが行事などで話すような場所だった
「自分から逃げ道のない場所に入り込むなんて、よほど僕が怖かったのか?いい気味だなぁ!」
「……本当に、面倒な奴だな貴様は。他者と違うことを欠点と思わずに誇りとし、自身が真に他者と違うことを確信できずに特別扱いをされている人間に恋仲になってくれなどと言い、断られれば自身に従わなかった相手が悪かったことにしてその証明が思いつかないからと相手が謝罪するまで加害する。何度でも言おう、貴様の頭は安易で滑稽で幼稚だ」
紫が紡いだ言葉に、九知は激昂する
「ふざけるな!追い詰められたバカはどっちだ!……もういい、遊ぶのはやめだ、壊してやる!」
腕を掻きむしり、傷跡から瘴気が上に噴き出す。広い部屋が薄暗い黒で覆い尽くされ、部屋中が溶解するかと思ったその時
水が降り注いだ
そして黒は、広がろうとすることのできないまま床に落ちていく
「なんだ、なんなんだこれ?!」
慌てふためく九知とは対照的に、紫は落ち着いた様子で話す
「湿式スプリンクラー、簡単に言えば常に水が入っていて栓で留められている消火装置だ。火災を検知しなければ本来作動しないが……貴様自身が栓を溶かしたからな。止まることもない」
「〜っ!濡らしたところでなんだ!直接、直接当ててやればいいんだろ!」
そう言って彼は自身は濡れないで壇上から眺めている紫へ向かって駆け出す。何故ドローンが離れたのかを気にもせず
「ノワール、やれ」
『はい、マスター』
短い会話の後ノワールはアームに持った備品のコードをコンセントに突き刺して、コードの先を水たまりへ投げた
声も出せないまま、九知は感電した
ーーー
絶縁体を用いてコンセントからコードを引き抜いた後、縛り上げた九知をノワールに吊り下げさせて紫は歩いていた
『それで、何処に向かうので?』
「紺理小学校の保健室だ。あの働き詰めの養護教諭のことだ、まだ校内に居るだろう。感電後の医療的処置など私の専門外だからな」
『……わざわざ処置する必要もないのでは?あくまでもマスターは命を危険にさらされて正当防衛を行っただけです。この人物の後のことなど知らぬ存ぜぬで警察にでも突き出せばいいと思うのですが』
「そちらのほうが面倒だ。あくまでも許容範囲を超えて害してきたから対処をしただけで、罰されるべきかなどどうでもいい。それに蜂場養護教諭の人脈を辿れば後遺症の可能性がかなり減るため、コイツの親族などからも恨まれる可能性が減る」
淡々と返す紫にノワールは少し不満そうだった
『私はマスターを害した人物にそうまでしてやる理由がわかりません。たとえ面倒だとしても、ずっと苦しめばいいと思ってしまいます』
「……そう思ってくれることは、私のために怒っていると感じるから嬉しく思いはするが。後のことを考えるのも一人で生きる以上必要なことだ。許せ」
『いえ、我儘を言いました。さっさと運んでしまいましょう』
一人と一機は夜道を進み、小学校へ辿り着いた
「それで、うちの生徒がうちの生徒を殺そうとしたから正当防衛で感電させたと?」
困ったように蜂場は腕を組み紫と向き合う
「それ以外に対処法がなかった。少なくとも私個人のなしうる最善の行動だった」
「別に怒っちゃいねぇし、お前が悪いことをしたなんて言うつもりはねぇけどなぁ……まぁ感電させたあとすぐに俺を頼ったことは褒めるべきだな、良い判断だぞ」
そう言うと蜂場は手際良くどこかしらへ連絡をし、必要事項を伝えて電話を切る
「あー……それで紫、お前は大丈夫なのか?人を殺しかねない行動をしたことも、人に殺されそうになったことも、カウンセリングが必要な事態だとは思うんだが」
「……問題があるかないかで言えばあるだろう。身体に動揺をしている反応があることは自分でも分かっている。かといってカウンセリングは必要ない、個人で対処可能だ」
「お前がそういうんなら止めねぇけどよ。あんま無理すんなよ」
「そちらこそ。では、今日は帰宅するので失礼する」
『夜分遅く突然の訪問大変失礼しました』
紫たちが去った保健室で、蜂場は呟く
「……震えてる子供に何もできねぇ自分が嫌になるぜ。せめてこっちの気絶してるクソガキをきちんと治してやるか」
夜はもう少し続いていく