壁紙は少しだけ派手な音符柄。天井の隅ではミラーボールがぶら下がっている。昼過ぎのカラオケチェーン店はどこも混み合っており、何件か回ってようやく入ることができた。
(久しぶりに来たな)
中央のテーブルに烏龍茶とオレンジジュースが置かれた。
「さっ! 青葉ちゃん、何歌う!?」
澪が張り切ってデンモクを操作しているが、青葉としてはすぐに本心を聞きたい。
「あのさ、ちょっと歌う前に……」
「確かにぃ!! 歌う前にトイレ行ってくる方がいいな!! 歌ってる最中だと盛り下がっちゃうからねー」
弾かれるように立ち上がると、澪はドアを開けて出ていってしまった。彼女はいつもどこか人の話を聞いていない。
(……まぁ、いいか)
青葉はストローを袋から出して、烏龍茶のコップに差し入れた。
澪がなかなか戻ってこない。
彼女のことだろう。部屋がどこかわからなくなってしまった可能性が高い。
青葉は二人分の荷物を持つと、深くため息を吐いて立ち上がった。
部屋を出てトイレの方向へと向かう。
ドリンクバーから少し離れたところに澪はいた。
いたのだが、彼女は男三人に囲まれていた。
一目でわかった。ナンパされているのだと。
だが、彼女なら「あっちいけ!」や「やめろ!」など大声で叫んで逃げられそうなものだ。
一体何をやっているのだ。
青葉が角度を変えて、澪の顔を覗いてみると、そこに見たこともない、彼女の怯えた姿があった。
逃げられない状態なのだ。店員は一体何をやっている。
思わず青葉は駆け寄った。
「すみません、その子私の友達なんですけど」
男三人が振り返る。恐らく同じ高校生だ。端から見れば友達同士に見えたのかもしれない。
年上ではないことに一瞬安心するが、外見的にどちらかと言えば治安の悪そうな三人組だ。
しかし、構わず青葉は三人を睨みつけた。
「なんだ。高校生? どこ高? 何年?」
「ひぇー、怖ぁ」
「どこ高? だって。先生みてー」
「どこ高だと思う? 教えたら俺等と仲良くできる?」
痛すぎる。
三人でつるんでいるから、気が大きくなっているのだろう。一人だったら何も出来ないくせに。
澪は青葉の姿を見てもなおも怯えた様子だ。
男どもは何が面白いのか顔を見合わせてニヤニヤしている。
「店員呼ぶよ。出禁になるよ、あんたら」
「他にも友達いんの?」
「もう一人いたら三対三で遊べんじゃん」
バカ男子特有の奇声を発して三人で盛り上がっている。彼らを見てるとあの遠藤すらまともに見える。
付き合ってられない。
「行こう」
青葉が澪の手を掴み引いたが、青葉の肩を男の一人が掴んだ。
「ちょっと待って」
「触んないで!」
「怖ぇ〜〜」
青葉が舌打ちをすると、澪が青葉の袖を引いた。
澪はひどく心配そうに眉を寄せ、小さく首を横に振った。「やめなよ」そう言いたげだった。
いつも大胆で、青葉がいくらぞんざいに接しても構わず明るく近寄ってくる。
いつもと違う。
どうして?
言えばいいのに、いつもみたく。
「知らない男! あっち行け!」って。
(なんで言わないの?)
そんな澪の弱い姿が青葉の庇護欲を刺激した。
青葉はスッと息を深く吸い込んだ。
「この子、私の彼女。私たち、あんたらみたいなダサい男論外だから」
青葉は煽るようにそう言ってのけた。
彼らは目を点にして固まっている。
澪も硬直し、赤らめた顔を両手で覆った。
「あ、青葉ちゃん……っ!?」
呆気にとられている彼らを横目に青葉は鼻を鳴らして澪を引っ張ると、個室へと戻った。
個室のドアを閉めると、澪はまた両手で顔を覆った。
「青葉ちゃん……」
「もし、あいつらここに入ってきたら、次店員呼ぼう?」
「あお、青葉ちゃん……あおあおあおあお」
「ん?」
澪は震える指でデンモクを高速操作し始めた。
三曲連続でラブソングを入れると、澪はマイクを掴んだ。
「あたしは! 青葉ちゃんのために! 歌うぞっ!」
イントロが流れた。
その日は結局、澪が結婚にこだわる理由を聞くことが出来なかった。
カラオケでひたすらラブソングを歌いまくる澪に青葉は据わった目でひたすら手拍子をしていた。
彼女はとても歌が上手かった。
月曜日。
毎朝のルーティーンが始まる……かと思われた。
恒例「結婚してくれ」が無くなった。
代わりに……
「えぇ……」
自席に鞄を置く前に、すずが青葉の席までやってきた。完全に引いている。
青葉の前の座席に座り、青葉の机の上に肘を付き、ニコニコと微笑みながら無言で青葉を見つめる澪の姿があった。首をこてんこてんと左右に揺らしながら――まるで生まれた直後の赤子を眺める母親のような慈愛に満ちた眼差しを青葉に向けている。
「……これはこれで怖い」
「でも、朝の絶叫が無くなったから、静かで良くない?」
平然と答えながら古語辞典にマーカーを引く青葉に、すずは小さく首を傾げて自席に鞄を置きに行った。
「眠〜」
大きく伸びをしながらまるで自分のクラスのように遠藤が教室へと入ってきた。
「青葉ちゃん、おはよ」
「おはよ」
「なんか、こいつ幸せそうだな」
遠藤は澪を一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「あたしは青葉ちゃん大好きなのだよ〜。こうやって青葉ちゃんを朝から見られて幸せなのだ〜ふふふ、好き〜」
「……ふ〜ん」
遠藤は突然青葉の机の横にしゃがむと、青葉を下から見上げた。
「俺も青葉ちゃんのこと朝から見られて幸せ。好き。大好き」
青葉がピタリと手を止めて、遠藤をじろりと睨んだ。
「何? キモいんだけど。吐きそう」
「この女はよくて俺はダメなんだ」
「口だけなの知ってるから」
また辞典に視線を戻し、オレンジ色のマーカーを取り出す。青葉の言葉に反応して澪は嬉しそうに脚をバタつかせた。
その様子を見て気がつく。
澪の言葉は口だけじゃないと暗に言ったことになる。
そういうつもりは無かったが、面倒なので青葉はそのままにしておいた。
「……俺って軽い男?」
「じゃない?」
すずがやってきて隣の席に座る。
「自分モテるから何やってもいいって思ってるの透けて見えてる」
「すっけすけだぞ!!」
すずと澪に言われ、落胆した様子で肩を落とした。
「そっかー。そうでも無いんだけどな〜」
チャイムが鳴った。
澪が遠藤の身体を足蹴にした。
「戻るぞ、しゅーいちろー」
どこか元気のない遠藤の背中を見送り、青葉は「べし」に緑マーカーを引いた。