その日、青葉はすずと一緒に帰りに文房具を買いに行く約束をした。すずはソフトボール部だ。練習が終わるまでは自習室で勉強をしながら時間を潰すことにした。
自習室へ向かう途中、自動販売機で何かを買う遠藤とその友人らを見かけた。
青葉は一瞬そちらに目をやるが、すぐに目線を戻した。構いたくない。面倒くさい。気が付かなかったふりだ。
しかし、直後、遠藤に見つかり、なんだかんだで遠藤も青葉と共に自習室へ行くこととなった。
放課後の自習室。
長机が幾列も並び、整然としている。
窓の向こうにはグラウンド。野球部と陸上部の練習の掛け声が遠くに聞こえる。
青葉は窓側の席へと座った。
「もっと、あっち行こう」
遠藤が指した席は、参考書や辞書が並べられている棚の後ろ。死角となり、あまり人目につかないところだ。静かに勉強が出来るスペースではあるが――。
「……いや、ここでいいよ」
「ここうるさいし。あっちのほうが辞書取りやすいから。行こ」
強引に青葉の鞄を掴むと遠藤は棚の後ろへと向かう。
青葉は知っていた。あそこの席を占領しているのはだいたい男女で勉強もせずにキャッキャとお喋りばかりしているバカップルが多いということを。
まさか自分があそこの席を利用するなど。
(しかも、遠藤くんと)
恐らく今まで親密な関係だった女生徒とあの席を利用していたのではないかと遠藤の背中に疑いの目を向ける。
椅子を引き、座るとそのすぐ隣に遠藤が座る。
「近い。向かいに座って」
「別に何もしないって。ほら、勉強すんでしょ?」
青葉は遠藤を睨むと、少し距離を置いて座り直し、数学の問題集と教科書を取り出した。
しかし、他の人から話を聞かれにくいこの場所は誤解を解くにはちょうどいい。
「遠藤くん、私が女の子と付き合ってると思ってるんでしょ? あれ、嘘だし、勘違いだから」
「ん?」
「私、女の子好きじゃない。誰とも付き合ってない」
「お喋り止めなよ。ここ勉強するところだよ」
ヘラリと笑って遠藤は先ほど買ったであろう紙パックのカフェオレにストローを差す。
「あ、いる? 飲む? まだ口つけてないよ」
「……いらない」
苛立ちを押さえつけながら、青葉は教科書に目を落とした。
一体どういうつもりなのだ。
青葉がシャーペンを取り出すと、なんと、遠藤も教科書を取り出した。
彼も勉強するつもりなのだ。
その様子に安堵する。
この人目から隠れた空間でちょっかいを出してくるのではと勝手に警戒していたことに若干の申し訳なさと気まずさを感じ、青葉は軽く椅子に座り直した。
しばらく二人で無言で勉強していたが、ふと視線と体温を感じた。
「……そこ、合ってるけど」
真横に遠藤の顔がある。
近い。
ぎょっとして青葉が身体を引くと、遠藤が青葉のノートの上でシャーペンを走らせた。
「これ。そのままだと満点もらえないよ。今出したの、結果だけでしょ」
遠藤は問題文を軽く叩く。
「これ、何の和?」
「……奇数の和」
「『n個の奇数の和は n²』 って結論まで書くと完璧。式変形で終わらない。何を足してるか意識しないと」
耳元で低く囁くような遠藤の声に青葉は動揺する。
まだ耳の中に彼の声が残っている気がして、青葉は耳のあたりを軽く擦った。
「……ありがとう」
彼はそこまで勉強が出来る方ではないはずだ。
怪訝そうな青葉に、遠藤は口角を上げた。
「数学だけ得意なんだよね。国語と英語と女の子のことはちょっと苦手……だから青葉ちゃん、教えてっ」
遠藤が青葉の腕を肘で突付く。
「遠藤くんモテるんでしょ? 教えてほしいことなんて無いんじゃない?」
遠藤は眉を上げてカフェオレを一口飲み、声をひそめ、教えてくれた。
遠藤の過去に付き合った女の子たちはみんな軽かったらしい。
遠藤の外見だけに惹かれ、近づいて告白してくる。
遠藤も思春期真っ只中なので、ある程度可愛いなと
思ったら付き合ってきたと。
「ある程度、ある程度付き合ったら、大体俺に飽きて別な男のとこ行っちゃうの」
遠藤は空っぽになった紙パックに刺さったストローを歯で噛みながら少し遠くを見た。
「嫌なんだよねー。本気になったときにフラれるの。だから、あえて軽く振る舞ってんの、俺。フラれたときショック少ないでしょ?」
すぐに他の男のところにいかれるのはもう嫌だ。
ずっと一途に自分だけを見てくれる女の子がいい。
そこで、澪に抱きつかれている青葉を見て、同性が好きな子なら、他の男のとこに離れていかれることが無い。
そう考えたという。
青葉は呆れ果てた。
思っていたよりずっと子供だった。
別な男のところに行かれるのが嫌だから、女子が好きな子を狙うとは。
女子が好きな子は男を好きになることはないのだ。
どこまでもズレた男だ。
青葉は深くため息を吐いた。
「同性愛の子が異性を好きになることは基本無いと思うよ」
「え? そんなの分からなくね?」
「分かるよ。分かってないの遠藤くんだけだよ」
遠藤は不服そうに口を尖らせる。
それにさ、と言って青葉は軽く机を叩く。
「どっちもどっちじゃない?」
「え?」
「今聞いた話だと双方本気で好きだったわけじゃないんだよね? お互い遊びで付き合ってたのなら、彼女に飽きられても気にしなければいいのでは?」
遠藤は少しキョトンとした顔で、ストローを口から外した。
「青葉ちゃん、ドライだね」
「遠藤くん、自分から好きな子出来るまで恋愛しないほうがいいと思う。軽いフリしてるほうが印象悪いから、好きな子できたらその子の前ではそれやらないほうがいいよ」
青葉はそうアドバイスするともう一度問題集に目を落とした。先程、数式の解答方法を教えてもらったお返しだ。青葉は真剣にメモを取る。
「好きな子が出来たら……」
遠藤はぽつりと呟くと、鞄の中に教科書とノートをしまった。
「なるほどねぇ」
もう一度呟くと遠藤は席を立ち上がった。
「ありがとう。もう俺行くわ」
「はーい。お疲れ」
「帰り一人?」
「いや、すずと」
「暗くなるから気をつけて帰れよ」
そう言って青葉の頭の上に手をかざした。
フッと影になった手元に青葉が顔を上げる。
(出た! ポンポン!)
青葉が身を竦めると、その手は頭の上でギュッと握られた。
「じゃな」
頭ポンポンは無かった。そのまま遠藤はリュックを肩に掛け自習室を出ていった。
(私に興味が無くなったんだろうな)
同性愛者は同性しか愛さない。
きっと伝わったのだろう。
青葉のことを同性愛者だと思いこんでいるのであれば、明日から来なくなるかも。
青葉はそんなことを考えながら、問題集のページを捲った。